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ネセサリー・イーヴルの遺言  作者: 堀井ほうり
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第1話「あなたとあなた、有罪です」

(1)

「おはよう、おやすみ、こんにちは、さようなら」なんて平仮名も、今はすべてフリックする時代だ。


 一昔前の人類には「手書き」の文化もあったらしいけれど、手間は掛かるし資源の無駄だし何も良い所はないよね。


 そんな風にクラスメイトが笑うのを良平(リョウヘイ)は少し離れた席で聞いていた。


 校舎三階の窓からは正門とそこに続く通路が見えて、ちょうど車が一台入ってくる所だった。


 黒くて平べったい車は正午の太陽を受けて輝いて見えた。

 停車して降りてきた白いスーツ姿の影は小柄な体躯で校舎の方に駆けて行き、すぐに見えなくなる。


 おそらく狩葉(カリハ)を見に来た超裁のひとだろう、良平はそう思ってタブレットに視線を戻した。


 モニターの中ではさっき受けていた授業の内容が『切符(チケット)』によって整理されていた。


「なに見てたのー?」


 隣の席の鮫島(サメジマ)不可子(フカコ)が良平に声を掛ける。


 いつも通りの優しい声音は心地よく、「なんでもないよ」と応える良平の声も柔らかい響きになった。


「ふうん。あ、さっき花田さんが言ってたよ。花瓶の水、替えてくれてありがとうって」


「ん? ああ、別に……」


 良平にとっては、なんでもないことなので返答に困った。

 気付いてしまったら、動かずにはいられないのが昔からの癖で、感謝されたいなんて考えたことは一度もない。


「花田さんに言っておくね。気付いてくれてありがとうって」

「ふふっ、いいひとだね、良くんは」


 良くん、と呼ばれたことが少し気恥ずかしくなって、

教室に目を戻す。


「ひと昔前のヤツらって、本当バカだよなー」

「はははっ!」


 笑い声を上げながら、クラスメイト達は楽しそうに喋り続けていた。

 前時代の人類について馬鹿にした口振りで語って、ニヤニヤした同類の級友に小突かれている。


「あのさ、」


 良平達とは反対の廊下側の席で机に突っ伏していた女子が、がたっ、と椅子を鳴らして彼らのそばにやって来た。


「うるさいんだけど」

「あー、悪い」


 気持ちの込もっていない謝罪を受けて、それでも少しは静かにする素振りを確認したのか、彼女──天野(アマノ)狩葉は自分の席に戻って、また机に顔を沈めた。


 超等裁判所に認められた若年裁判官(ジャッジメイト)、天野狩葉。


 転入初日にそう紹介されてから、彼女が誰かと口を利いているのを良平はほとんど見たことがない。

 それは彼女にも原因のあることだけれど、なんとかしなければと良平は思っていた。


「少しだけ怖いよね、天野さん」

「うーん、朝夕の挨拶とか、声は掛けてるんだけどね……」

「……ナンパみたいでウザがられない?」


 鮫島のふざけた突っ込みにも、真面目に、


「ウザがられるのは別にいいけど……ひとりくらいは話し相手がいた方が、楽なんじゃないかなーって」

「うーん、良くんが優しいのは分かるけど……何かあったら相談してね」

「ありがとう、鮫島」


 そう応えながら、良平は一月前のことを思い出した。


(2)

「あなたとあなた、有罪です」


 転入初日、名乗るだけの挨拶の直後に狩葉はクラスメイト二人を指差した。


 指を差された二人はもちろん、良平や不可子も驚いて教室は騒然となった。


 ふざけている風でもなく涼しい顔をして、狩葉は夏服の袖から延びた左腕を右手の指先でとん、とん、と軽く二回叩いた。


「アポロ」


 そのとん、とん、が合図だったかのように、彼女と良平達の間に浮かんだのは、銀色の──


「ユマホだ……」

「ユマホって、刑官とかが使うあれ?」

「初めて見た……」


 現れた鳥のような生き物は、カラスにそっくりだけれど全身が銀色に光っていた。


 ゆっくりと音もなく翼を上下させて、立っている狩葉の顔と同じくらいの高さに浮かんでいる。


(そうか、あれがユマホか……)


 みんなが驚きを込めて呼ぶのを聞いて、良平は社会学の授業を思い出した。


 ユマホ。超等裁判所の中の、選ばれた人間だけに与えられる、広角可動式端末……。


「ちょっと、待ちなさい! 彼らが何をしたっていうんだ!?」


 狩葉の隣で呆気に取られていた木島教諭が、我に返ったのか声を荒らげて問う。


 狩葉は指を差した二人から目を逸らさないまま、銀色のカラスに話し掛けた。


「有罪なんでしょう? ねえ、アポロ」


 アポロと呼ばれたユマホは、大きく首を縦に動かした。


「じゃあ、そうね……、一年くらいかしら?」


 狩葉が再び問うと、アポロは大きな首肯で応えた。


「一年? 何の話だよ!?」


 指を差された内の一人が怒鳴ると、狩葉は透き通るような声音で、


「懲役よ。二人とも、懲役一年」

「……っざけんなよ! 何にもしてねーよ俺!」

「俺もだよ! なんなんだよこいつ!」 


 二人が椅子から立ち上がって怒声を上げ、彼女に掴みかかる勢いで近付いた。


 がたっ、と椅子を鳴らして良平は思わず立ち上がる。


(何が起きているのか全く分からないけれど、暴力はいけない……!)


 しかし、当の狩葉は動揺の欠片も見せず、はあっ、と大袈裟に溜息を吐いた。


「証拠があれば従うのね? いいわ、アポロ。映して頂戴」

「了解」


 短い返事と共に、アポロの両眼から青白い光が広角に放たれた。


 それを眩しいと感じると同時に良平達の視界は奪われ、さっきまで当たり前に存在していた教室ではないどこかの風景が照射される。


 現実の世界にいるような鮮やかさのビジョンの中に映されたのは、誰かの視線を借りた主観的な映像だった。


 夕暮れ時、コンビニの看板を蹴飛ばす誰か。がんがん、と鼓膜に響く音に良平は顔をしかめた。


 そこから映像が切り替わる。街灯のまばらな夜の道、誰かが、うずくまった猫を……。


「きゃあっ」


 何人かの悲鳴を耳に感じながら、映像は途切れて、視界には見慣れた教室の風景が広がった。


 しん、と静まり返った中で、良平も他のクラスメイトも狩葉に指を差された二人に視線を注ぐ。


 罪を暴かれた二人は青い顔をして、唇を噛み締めながら震えていた。


「わかったでしょう?」


 教室を右から左に見渡して狩葉が発言すると、どうやらすぐに反論できる者はいないようだった。


 主観的な映像の中、店舗のウィンドウや猫の瞳に映された「犯人」の姿は紛れもなく彼等だったからだ。


「なんということを……」


 木島教諭が絞り出したような声で呟いた。


 狩葉がピアノを弾くように左腕を指先で何度かタップすると銀色の鳥は姿を消して、


「今、刑官を呼んだから。ちょっとだけ待っててね。ああ、先生、」


 わたしの席はあそこですね──そう言って青褪めたクラスメイトを押しのけるようにして着席すると、彼女は机の上で腕を組み、そこに顔をうずめた。


 誰ひとり声を上げる者はなく、静寂を破るようにサイレンの音が近付いてくる。


(お天道様が見ているからね……)


 いつかの誰かの声が、良平の脳内に響いた。


 加害者には容赦の無い、正しい社会のルール。

 そう授業で教えられた通りに教室のドアは開き、ひとりの刑官が現れた。


 真っ白な仮面と真っ黒な外套を身に付けた細身の刑官は一言も発さず、


「宜しく」


 一言、そう呟く狩葉の言葉に首肯した。


 殺意と呼んでしまいたくなるような威圧感をその場の全員が感じて、逆らうこともなく二人は連れていかれた。


 人類が死に絶えたかのように静まった教室の前面、教師が使う大画面のモニターに映されたままの彼女の名前──天野狩葉。


 その隣に刻まれた『若年裁判官(ジャッジメイト)』という耳慣れない言葉が、パトカーのサイレンと混ざって良平の脳内でリフレインしていた。


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