マクマノクモマ
大規模スタンピードの影響で、ボルト領は大混乱に陥った。
後遺症によって長患いしていた長兄が、看病の甲斐もなく亡くなったのは、それから2年後。
貴族夫人の会での復興計画が持ち上がり、母と共に毎週サンダース家に通うようになった。
母を待つ間の楽しみは、僕の屋敷では目にすることのなかった様々な本。
胸躍らされる冒険小説やハラハラドキドキの推理小説、色調の綺麗な多色刷りの図鑑などなど。
優秀だった時期後継者の喪失を嘆く悲嘆に彩られた屋敷しか知らなかった僕は、読書を楽しむ体験のよって、世界の広さを知った。
本のお陰で僕の世界も広がって、何もないこの地でさえも、明るく輝いて見えるようになったのだ。
雨が降りだす直前の空のように、暗い眼の色をした僕は、これから先に光を見出せないでいたのだけれど、読書を通して救われた。
この屋敷は、本との出会いだけでなく、人との出会いにおいても、僕の視野を広げてくれた。
黄の至宝と呼ばれる一族の、双子は、僕の羨望と嫉妬の対象。
どちらかが後継となる領主様の2人の息子。ライト様とトルス様。
高貴の黄色は、金は金でもくすんだ偽金のような僕とは違う、本物の黄金のような明るく鮮やかな黄色で。ボルト領が誇る、美しい髪をした双子であった。
青く美しい、澄み切った空のような明るく青い彼らの瞳は、こんな先の見えない領地にいても、曇ることのない希望と輝きに満ちていた。
紡ぐ言葉も明るく、無邪気な子供らしさと、幼いながらも領主一族としての誇りに満ちていた。高貴の黄を抱いた者は、その心までもが、尊く美しく出来ているのだ。
暗く、くすんだ僕とは、大違い。
生まれや育ちだけでは、超えられない壁があるようにさえ感じた。
彼らのようになりたいという思いと、絶対に届かないと言う諦観。
そんな『特別な存在』に慈しまれる子供。
あの何もない辺境では、何よりも価値があった黄色が庇護する存在。それがレインだった。
彼女に好かれることで、自分の価値が少しだけ上がったような気さえ、していたのだ。
特別な彼らを差し置いて、読書好きなただの夢想家の僕を、選んでくれたのだから。自分を慕ってくれるようになった彼女を、好ましくも思った。
あの場では、何もないあの辺境の、何もない僕にとっては、それは特別で価値のあることだと感じていたのだ。
◇◇◇◇
王都に来てからは、そんなものには、何の価値もなくなったけれど。
暗く何もない場所から飛び出して、初めて浴びた眩しい輝きは、僕を解き放ったのだ。
どこか遠くにある夢の世界は、自分の足でたどり着ける場所にあったのだ。
王都は、新鮮な喜びにあふれたものばかりだった。サニーのように、明るくて活力と生命力に満ちたものばかりだ。
『勉強だけでなく社交も大切だ。無理はせずに、自分のペースで生活を楽しみなさい。
だが、たまにはレインにも声をかけてやってくれ。何かあったら教えてくれ。
出来る範囲でお互いに支え合いなさい。見守ってくれる人、いざという時に助け合える相手がいるだけで、心強いものだ。自分では無自覚でいても、無理がたたり、体を壊したりすることもある。
何かあった時に、声をかけてくれる誰かがいるだけで救われる時もあるのだ。
誰にも頼れないのではないという安心感があるだけでも、都会の荒波の中で、持ちこたえられこともあると思うのだよ』
説教臭いサンダース辺境伯にはそういわれたが、幼少期には不安定だったレインも、今はいい歳だ。
特に問題ないだろう。
支え合え。見守り合え、助け合え、もううんざりだ。何もない田舎では、そればっかりだった。
本当に鬱陶しくて、バカバカしい。
いつまでも王都に馴染めないレインの姿には、イライラした。
せっかくあの雪深い重苦しい場所から抜け出せて、王都に来れたというのに、辺境のことばかり考えている。
いつまで故郷に囚われて、引きこもっているつもりなんだ。あまりにも年寄り臭い。
中等科生の発想とは思えない。気持ち悪い。もっと自由に生きればいいのに。
閉そく感と使命感にがんじがらめで、いつまでもあか抜けないレインの姿は、ボルト領の生霊のようだった。僕を追い詰める悪霊だ。視界に入れるのも、嫌になった。
都会に出てまで、あいつに縛られ続けろというのか。あれは、もういらないものだ。
弄んでこっぴどく捨ててやったら、サンダース一族がどんな顔をするのかと楽しみではあるが、そのためだけに、あんな骸骨を相手になどしたくもない。
都会的で先進的なサニーの方とは大違いだ。
あの前時代的な土地で尊ばれた、黄色よりも、ずっと色濃い、太陽のような、橙色。新しい色。特別な色。
王都には彼女のような、素敵な女の子や楽しい冒険がたくさん待っているのだ。
僕はこれから、王都で、新しい人生を自分の力で切り開くのだ。
◇◇◇◇
けれど、王都に出て変わったのは自分だけではなかったのだ。
冬休みが明け、久々に会った幼馴染の姿は余りに違っていた。一瞬、誰だか分からず戸惑うほどに。
『……もしかして、レイン?あぁ、なんだ。レインじゃないか!!久しぶり!元気にしてた?』
こちらから話しかけると、緊張しながらも知らない男を紹介してきた。
いけ好かない。いかにも上品ぶった気障な野郎だ。
『レイン・インバルス令嬢の母方の親戚、ベル・プルヴィアだ。彼女と同じCクラスでもある。貴殿は確か………、Aクラスのクラウド・ヌービルム子爵令息かな?あぁ。レインちゃんから、同郷の出身だと、伺っているよ。うちも子爵家だ』
初めて目にしたその輝きは、銀灰色の髪。そして意志の強そうな赤い瞳。やたらと印象的な伊達男。
「あぁよろしく。なんだ、レインの友達じゃなくて、ただの親戚か。ん、プルヴィア家?あれ?レインとは、たしか縁遠かったんじゃなかったっけ?」
ついつい対抗心を燃やして、彼女と親しい関係だと、匂わせてみたのだが……
『レインちゃんとは、もともと僕がずっと慕っていたんだけど、やり取りをしていく中で、すっかり親密になってね……。本格的に交際するようになってから、ますます意気投合したので、編入に備えて冬休みからは同居もすることにもなったんだ。もちろんボルト領のサンダース辺境伯ご家族にも、きちんとご挨拶させて頂いているよ。家同士の繋がりではなく、僕と彼女とで、誠実な関係を作って行きたいと考えているんだ』
う、嘘だろ……。僕が全く知らない間に、レインには恋人が出来て、後見人にも挨拶を済ませ、婚約前提の間柄にまでなっていた……。
『あぁ、今は王都の屋敷に一緒に住んでいるんだ。……その……ベルくんの兄君や使用人とも一緒にだが……』
彼女も、恥じらいながらも、そう肯定した。指摘を受けた通り、自分はただの同郷出身者でしかない。だって、全く何も聞かされていなかったのだから……。
『兄は勤めもあるからあまり家にはいないのだが……、一応監督者として、ね。僕らはまだ未成年だからね……。もちろん問題が起こらないように、きちんと責任をもった生活しているから、そこは安心してくれたまえ。サンダースご一家にも認めていただいたし、レインちゃんには、僕がいるから、もう何も心配することはないよ。彼女のお世話をするのはこの僕だけの特権だからね。同郷の君にもソル令嬢とかいう、恋人が出来そうなのだろう、よかったじゃないか。
お互いに、遠くで、それぞれ、幸せになろうではないか。……ね、そういった方向で、よろしく頼むよ。クラウド・ヌービルム子爵令息』
すっかり圧倒されてしまった。サニーとは、お互い意識はしているけど、まだ正式に恋人にもなれてもいないのに……。
レインはだいぶ先を進んでいた。正直侮っていた。あんな骸骨女が……。
辺境の呪縛に囚われた怨霊ではなく、普通の女の子になっていた。
二つ分けの髪型も、前はモサモサッとした黒毛の塊を雑に括っていただけだったのに、サラサラとした隆線的な美しい流れへと変わっていた。 軽く梳かれて艶やかな輝きを放つ黒髪の乙女がそこにいた。
血色の悪い不健康そうな青白い顔も、透き通るような美しく艶のある白い肌へ。
やせ細ってガリガリで骨の浮いていた貧弱な体も、華奢でスラリとした体形と言える程度には、なっていたように思える。
少し見ない間に随分……いやベル・プルヴィアに愛されて、変わったのだ。
一時窶れたように見えたのは、都会が合わなかったのではなく……、婚約前の様々な調整に追われていたせいだったのかもしれないな。
プルヴィア家は、子爵家だが、国の祭事に関わる特殊な一族で、跡取りの嫡男以外でも、男子は皆、『司爵』という特別な爵位を叙爵できると聞く。
前期の好成績も、婚約をまとめるために努力したのだろう。
同時に厳格な宗教関係の儀礼の勉強にも追われていたのかな。
公表できる時期までは、詳細を明かせないというような事情もあったのだろう。
レインが、こちらに何か言いたそうにしていたこともあったけど、この辺りの様々な事情を、相談したくても、出来ないという状況だったのかもしれない……。
辺境がとうるさく騒いでいたのも、もしかすると、婚約前に地元での社会貢献とやらがしたかったのか。
はんっ。さすがは未来の司爵夫人様だよ!!僕とは見ている世界が、違ってたのか……。
自分たちの関係を誇示するように、レインの肩を抱いたり、気遣うように彼女に甘い視線を送りつつ、こちらを威嚇してくる、ベル・プルヴィアは、かなり感じが悪かった。
◇◇◇◇
自分のものだと思っていたモノが、不要だから捨てたいと思っていたモノが……、何だか急に惜しくなってきた。
いや最初から、僕のものなどではなかったのだ。
彼女から感じていた、あの辺境で僕を照らしてくれた温もりは……、勘違いだったのだ。
あれは、あくまでも、ただの同郷の幼馴染としての好意だったのだ。
司爵夫人への道を掴んだ彼女に対して、自分はただの、辺境の貧乏子爵家のスペアのままだ……。
せっかく王都に来て自由を謳歌しているのに、何も成し遂げてはいない、僕のまま。
九月に一緒に王都に来てから、まだたったの五カ月だぞ!
おかしいだろう、どこでこんなに差がついたんだ?……そんなの認められるか!!
馬鹿な田舎娘が、チヤホヤされて騙されているというのなら納得もできるのだが……。
ベル・プルヴィアからは、本気の愛情と強い執着とがはっきりと感じ取れた。
いや、むしろ、浮かれて目を曇らせていたのは……、自分の方だったのかもしれないな。
明るくていつも前向きで誰とでも仲良くなれる、開放的な女の子だと思っていたサニーは、最近様子がどうにもおかしい。
一緒に七不思議を見に行った時までは良かったんだ……。
初デートの聖夜祭の日は、いい雰囲気だったけど、がっつきすぎるのもと思って、手を繋いだり、肩を抱いたり、ぐらいしかしなかった。
その次のデートの七不思議の晩、今度こそと思ってたのに、後もう少しでキスできそうだったのに、夜回りの教師がやって来て、邪魔されてしまったんだ……。
あの夜から、サニーからの、距離を感じる。
キスを失敗したせい、なのか。
それとも、僕が男子寮まで教師に送られたせいで、サニーを自宅まで送れなかったからなのか。
理由がわからなくて、どうにももどかしい。女の子って難しい。
前は、放課後も毎日一緒に過ごしていたんだ。
ただ話したり勉強をしたりと、二人でいるだけで幸せで、いつも時間はあっという間だったのに……。
最近のサニーは、グループ課題のこともあるけど、何だか他の男子とばかり話している気がする。
寮生の僕は外出も気軽にできないのに、彼女は買い物に付き合ってもらうって、他の令息とはあちこち出かけているみたいだし。
僕よりずっとスマートな大人っぽい男に出会ったのかな。
まさか他の奴とキスしてその気になったとか?そんな訳ないよね?
サニーは……、もう冷めてしまったのかな。
態度でも言葉でも、好きだと伝えているのに。
返される言葉は『嬉しいなぁ☆ありがとうね。クラウドくん!!』
そこから何も進展できないでいる……。
はっきりと振られた訳でもないけれど、明らかに彼女の中で僕の存在価値が薄れてきている……。
今日も他の演劇の演者たちや、あのベル・プルヴィアにまで、親し気に振る舞っていた。
焼きもちを焼かせようというような、都会の女の子なりのテクニックなのか、じれったい。
社交的と言うより、あちこちに気があるようにしか感じられない。
まるで、弄ばれているようだ。女の子って本当に難しい。
どうしたら、前のようにサニーとうまくいくのだろうか。
いっそもう割り切って、諦めた方がいいのか……。
僕がこんなに苦しんでいるのにも関わらず、今日のレインの姿は酷く鼻についた。
粋で都会的な男と楽しそうにしていた。
頬を染めて恥じらいつつ、婚約者を立てる、奥ゆかしくも淑やかな様子。
ときどき困ったように相手へ伺うような視線を送っては、目と目で会話をし、表情を和らげていた。
あんな風に、彼女から信頼のこもった眼差しを向けられるのは、僕だったのに……。
高貴の黄ではなく、僕を選んで、価値があると思わせてくれたのは、彼女だけだったのに……。
僕だけを選んでくれないサニーと違って、レインだけを選ぶベル・プルヴィアを選んでいただなんて。
僕を置いて、レインだけが、幸せになるなんて……!!
ズルいよ。卑怯じゃないか!!
グループ課題のメンバーとの打ち合わせの後、そんな筋違いでドロドロとした逆恨みを募らせていた僕に、見慣れない白衣を着た教師が話しかけてきた。
『もうすぐ聖愛祭だ、薔薇と特別なローズシロップの入ったチョコレイトを送るといい。彼女ともきっとうまくいくはずさ……。魔術師街の裏路地にある店で、良いチョコレイトを売っているよ』
聖愛祭は、聖女ローズを称え、愛と感謝を伝える日だ。
家族や友人、日頃からお世話になっている人へは感謝を。恋人や夫婦ならば、男から女は薔薇、女から男はチョコレイトを送り、愛を伝える。
そして誰かに愛を乞うなら、『薔薇と、薔薇形で薔薇のシロップの入ったチョコレイト』を送るのだ。
魔術師街の裏路地…魔術師の見習い崩れが、怪しい商売をしていると聞く。魅了効果や媚薬の効果のあるチョコレイトが、あるのかもしれない。
それさえあれば、もしかしたら……。僕だって、選ばれる側の男になりたいんだ!!




