3.三次会の約束
「え?」
いきなり自分の名前が出てどきりとするが、ここは遥香ちゃんに倣おう。
「私もまだずっと先。相手を探すところから始めないと」
曖昧に笑ってみせる。私にも話が巡ってくるのって、実は嬉しい。
「私もまだ先の話だなあ」
明日美ちゃんが呟くのを聞く。明日美ちゃんに彼氏がいるのは知っているけど、まだきっかけがないみたい。
「そっかあ。みんなまだかあ」
神田君は少し酔いが回ってきたのか、間延びした口調で話す。
そのあとも雑談が続き、一段落したところで、私は席を立つ。
明日美ちゃんにしっかりと方向を尋ねて。
この会もそろそろ終わりだけど、今の会話で気分が上がった。
化粧室でお化粧直しをする。鏡に映る自分の姿を見て、今日はとてもよかったなと思う。自分でもそういう表情をしていると感じる。
久しぶりにみんなと話ができて、楽しく過ごせた。神田君に結婚のことを訊かれたことも、何だか嬉しいものだ。私にもそんな人がいてもいいと言われたような気がしてしまう。
そもそも。
最初に飯岡君とエレベーターで会うことができた。始まりからそんな素敵なことがあったんだもの、楽しい会だったに違いない。
何となく弾む心で、席へ戻ろうと来た方向を逆にたどっていく。
そのときだった。
「倉田、トイレ向こうにあった?」
まさかと思う。
前から聞こえてきたたったひとつの声は、飯岡君だった。
だけど、女子にトイレを訊くのもどうなのかなと、ちょっぴり考える。
声をかけられたのは嬉しいけど、こんなときの話題となればそんなことかもしれない。
「うん。えーと、男子もあったと思う」
変な回答をしてしまった。
「サンキュ」
飯岡君が軽く言って、すれ違う。
何でかな、飯岡君とは変なところでよく会う。
合宿のとき、誰もいなさそうな朝早くに歯磨きをしようとしたら、飯岡君が現れたことがある。
私は歯磨き粉をつけた歯ブラシを、右手に持ったままだった。
「おはよう」
とりあえずそう声をかけたら。
「おはよう。あれ、眼鏡どこやったかなあ」
飯岡君をよく見ると、いつもかけている眼鏡が頭の上にある。
「あ、あった」
本人は頭に手をやって、すぐ気がついたが、こちらは思わずくすりと笑ってしまった。
「倉田しかいなかったから、まあいっか」
そう呟いて、隣で歯磨きを始めた。私もそのまま歯ブラシを口にして、俯き加減で動かす。
歯磨き粉のすうっとした匂いが漂う。
二人で歯磨きってあまりにも日常的すぎる。
生活感がたっぷり袋詰めになっているような雰囲気で、おかしな気がした。
きっと、近すぎるんだよね。
私はちょっとした過去を思い浮かべたのを消して、歩き出す。
すると。
「おーい、倉田。そっち、違う」
「えっ」
後ろからの飯岡君の声にぴたりと止まる。
まずい。考えごとしていたら、方向間違えた。
「あ、間違えちゃった。うっかりするとつい」
振り向いてから、適当な笑顔で。私の方向音痴なところは、同期なら誰でも知っている。
けれど、飯岡君はなぜか真剣そうな顔をした。
「やっぱり、俺、そっちに行く」
「へ?」
何だかよく分からない声を投げてしまう。飯岡君が告げる。
「そっちで、ちょっと話したいんだけど」
もう一度聞き返したい気持ち。飯岡君と話ができるってこと。
うまく返事ができないまま、私が誤って進んだ方向へ、二人で歩いていく。お店の隅へ。
貸切りのため、使われていない椅子やテーブルが集まっているところ。喧騒からずっと遠くなっている。明かりも少し落としてあって、やや薄暗い。
みんなとはかけ離れた静寂の別空間。
「話してもいい?」
飯岡君の言葉に「うん」と返事をする。
どうしたの、今日って特別すぎる。
「あのさ、二次会の解散のあと、時間ある?」
「え、あるよ」
もしかして、新郎新婦にサプライズで何かする予定があって、それに混ぜてもらえるとか? そうだったら、嬉しいな。
「あの、このあと草川駅の西口で待ち合わせてもいい? 東口から来たと思うけど、反対側で待ち合わせで」
「うん」
内輪の三次会で、打ち合わせがあるということでいいのかな。わざわざみんなが帰る出口と違うところで待ち合わせとは、随分念入りな。
「大丈夫?」
さっき方向を間違えたから、心配されているみたい。
「大丈夫だよ。迷わず行けるって。東口からそのまま反対側に出るのくらいできるよ」
自分にも言い聞かせるように話したら、微妙な顔をされてしまった。
「あの、そうじゃなくて、抜けがけしても大丈夫かってこと」
「抜けがけ……」
その言葉が一瞬何を意味するのか分からなかった。
抜けがけといえば、サークル内ではよくあるお話。
私は何度もいろんな人の、というか二人組の抜けがけのお手伝いをしている。
同期同士ではなくとも、全体で集まるときにはよくあること。
サークル内で噂されているカップルに出会ったときは、二人だけで過ごせるように気を遣うことにしている。
あれ、今回は誰の、かな……?
「三次会、二人だけで話すってことにしてもらっても、いい?」
一瞬心に浮かんだことを、飯岡君が肯定する。
「え、えっ、うん、いいよ」
声が上ずってしまう。
二人だけで会える。
嬉しいのに驚きすぎて、うまく声が出なかった。でも、ちゃんと返事をしたと思う。
飯岡君と二人で、抜けがけ。
胸がひどく高鳴っている。頭がくらくらしそう。
現実の話なのか分からなくなりそう。
今って、私の願望が現れる妄想の世界にいるわけではないよね。
そのとき、マイクの声が響いてきた。
「そろそろお開きになります。入口付近に新郎新婦が挨拶に並びますので、順番にお願いします」
二人して、はっとする。
急にここが、賑やかな談笑から離れた何の味気もない場所に転じる。
「じゃあ、またあとで。草川駅西口で、よろしく」
「こちらこそよろしく」
あとで話せるって本当なんだな、とそのときやっと思うことができた。
自分の席に戻ってそれとなく振り返る。少し遅れて飯岡君が隣のテーブルに着くのが見えた。
すでに帰り際で人が動いているので、目立つことはない。でも、その姿を見かけたから、さっきのことが夢じゃないって分かる。
私はみんなと一緒に並んで、新郎新婦に挨拶をした。
隣の明日美ちゃんが、主役に尋ねる。
「新婚旅行はどこなの?」
二人は、明日からヨーロッパ方面に十日間の新婚旅行に行くという。
けれども、今はそんな遠くの海外より、近くの駅に心が向かってしまう。
草川駅西口。
忘れるわけがないのに、何度も心のなかで繰り返しながら、挨拶を終える。みんながそれぞれ散っていくのを待つ。
普通なら、明日美ちゃんにくっついて「女子トーク会」になる三次会に行くところだろう。
ここでお別れなのは残念だけど、きっとまた会う機会があるはず。なので、人目につかないようにして。
みんなからそうっと離れていく。





