天海秋人は幸せを探している 上
「っ……ごめんなさい……」
体が痛い
「ごめんじゃねぇよ!!どう謝んだよ?」
怖い
「……っは……はい…」
「ぼ……僕みたいな人間が……みなさんの邪魔ばかりして………すみませんでした……」
苦しい
「土下座だろ!!土下座して誠心誠意謝れや!馬鹿が!」
「っ………は、い」
震える体を丸めてトイレの床に這いつくばる
冷え切った床に額を押し当てる
「ほんっ……ほんとうに…すみませんでした。み…皆さんの……邪魔ばかりしてしまい…申し訳ありませんでした……」
嘲るような笑い声が狭い室内に響く
「なぁ、俺らさ推薦貰って良い大学行きたいわけよ。」
「そんな中さ、お前みたいな馬鹿が人生変えようって必死こいて勉強してんのホント目障りなんだわ。わかる?」
「立場弁えろよ。なぁ?」
「返事しろや!!!馬鹿が!!」
「は、いっ……!すみませんでした……」
クスクス
馬鹿は大学なんか行くなよ
あいつ生きてる意味あんのかな?
ないだろ ってか生きてても迷惑だわ
だよな〜 死なねぇかな
「わかったか?もう邪魔すんなよ?」
「はい………すみませんでした…もう、しません」
「はっ、分かりゃいいんだよ。馬鹿が」
「みんな戻ろうぜ」
いいもん見れたわー な!俺もスカッとしたわ!
あいつマジで土下座してたじゃん うける
そういえばこないださ〜
遠退く声に安堵する
やっと終わった
それなのに僕は、情けなくて立ち上がることが出来なかった
***
「天海秋人 17歳 幸福指数マイナス30 ね」
「いや〜今月はツイてるなぁ〜」
天使は嬉しそうに呟いた。
***
「ただいまー」
2月もあと少しで終わるというのに未だ寒さは衰える事を知らないで身体を蝕む。
悴んだ手で脱いだ靴を揃えて、暖房で暖まっている居間へ逃げるように向かう。
「おかえりー!ねぇねぇテストどうだったの?」
母さんは結果を聞く前からすでに嬉しそうな顔をしている。
僕が見たかった表情だ。
「うん、良かったよ。学年で5番目だったんだ」
「良かったよ〜秋くん一生懸命やってたもんね〜。よかった〜」
「たまたまやまが当たったんだよ、えへへ」
僕まで母さんに感化されて嬉しくなる。
「晩ご飯は秋くんの好きなもの作ってあげるからね〜。あっ、先お風呂入ってきてね〜」
「うん。ありがとう」
よかった喜んでくれた。
あんな事があっても、この時だけは勉強して良かったって思える。
自分の部屋へ入り鞄と制服を綺麗にハンガーに吊るす。部屋の中が外と同じくらい冷え切っていて、身体がまた震えた。足早にお風呂場へと向かい、悴んだ手でシャツのボタンを外していく。
変な汚れがない事を確認し洗濯機の中へ投げ入れて浴室へ入る。
「痛っ……」
途端に隠していた痛みが込み上げてきた。
痛みを感じる箇所に目をやる。
腹部に2カ所、太ももに1カ所、まだ熱を持ったままのピンク色の綺麗な痣が増えていた。
「はぁ……」
冷え切った身体にぬるいシャワーをかけながらゆっくりと、静かに息を吐く。
今日は試験結果の返却日ということもあり、普段よりもかなり力がこもっていた。力と言うよりも、恨みとか、嫌悪とかそう言うものだと考えると何となく納得がいった。
徐々に手の感覚が戻り始めて、身体の強張りも多少和らいできた。
シャワーの温度を少し上げてボディソープを手に取り、痣のできた箇所をゆっくりと撫でるように洗う。
触れると針で刺されるような痛みに襲われ、反射的に手を離してしまいたくなる。
こんなに痛むまで蹴られたのは久しぶりだった。よっぽど気に入らなかったんだろう。
体を洗い終えて適温に暖まってる湯船に浸かると全身の力がやっと抜け切った。
痣が至る所にあるせいで、身体に目をやると否応なく映り込んでくる。
そして同時に安堵する。
今日も見えないところでよかった。
僕の通っている高校は、進学校だけあって一般的な善悪の判断がつく、いわゆる普通の人が多い。
彼らだって、暴力を振るう事は悪い事だと理解出来ているのだろう。だから、今まで目立つ所を傷つけられた事は無いし、教師にバレるような場所で殴られた事はない。
僕にとってそれだけは都合が良かった。
ぼーっとしていると、何日か前に蹴られた脛が赤黒い色の痣になっている事に気づく。胸にも、二の腕にも同様のものが数カ所。
「はぁ…」
嫌になり目を瞑る。
湯船に体を預けて、何も考えないという事を考え続けた。
数分すると美味しそうな匂いが浴室にまで入って来た。
きっとミートソースの匂いだ。もうご飯ができたみたいだ。
そろそろ上がろうと目を開けると
そこには何かがいた。
「やあ!天海秋人くんだね!」
「うわああああ???!?!?」
なにかが鼻と鼻が触れそうなくらい近づいて、僕の目を覗き込んでいる。焦点が合わない
「だっ、だれ!?え?なに!?!?」
恐怖で体をバタつかせる。途端に体が痛みを思い出し動きがパタリと止まる。
「あはは!いや〜良い顔をしてくれるね!」
目をくしゃっと歪ませてとても嬉しそうな顔で彼(?)は言う
「僕はね〜天使だよ。名前はメイ・アルマっていうんだけど、まぁメイって呼んでおくれよ」
「え、、どう言う事???」
突然の展開に全く頭がついていかない。何一つ理解できない。なんなんだ天使って。っていうか何しに来たんだ。
頭が疑問で満たされて声を出せずにいると、天使が口を開けた。
「まぁ、簡単にいうとさ〜」
メイは貼り付けたような笑顔のまま言葉を続ける。
「君を救いに来たのさ」
***
「ふふっ他に聞きたい事はあるかい?」
彼は少し気怠げに宙に横たわりながら言う
「あ、あるよ!まだまだ」
メイは毎回同じような事をきっと説明してるのだろう。さっきから退屈そうだ。
すると唐突に鼻をくんくんとさせて言った。
「そういえばなにか美味しそうな匂いがするね〜これからご飯かい?」
「あっ!!やばい!」
すっかり忘れてた。僕はご飯の匂いがしてお風呂から出ようとしてたのだ。
あれから数分は経っている。きっとご飯はもう出来上がってる。
「続きはご飯の後にするかい?」
「う、うん。お願い」
「いいよ〜 それじゃ僕は本屋にでも行って時間潰して待ってるよ〜」
「うん。わかったよ」
なんだか人間みたいな事を言うんだなと思ったが、出来る限り早く会話を終わらせたかったから口には出さなかった。
「じゃあまたね〜」
そう言ってメイは瞬時に目の前から消えてしまった。
僕も、お風呂から素早く上がり出来るだけ手早く体をタオルで拭き取りながら、先ほどのメイとの会話を振り返る。
「???救いに来たってどういう事、なの?」
「そのままさ。君を『幸せ』にする為に来たのさ」
「え、なんで??」
「それが僕の仕事だかさ」
頭を満たしている疑問が止まる事なく口から出てくる。
「仕事ってなんなの?」
「仕事は仕事だよ〜君達人間に仕事があるように僕達天使にも仕事があるのさ」
「僕の仕事は人間を幸せにする事さ。そして、今回君は僕に選ばれたって事だよ」
「幸せってどうやって幸せにしてくれるの?」
「ふふっ、それを探すのは君さ。君の幸せは君しか知らないからね〜僕は君のその願いを一つ叶えるだけだよ」
「そんな事出来るの?」
「出来るさ。なんでも叶えてあげるよ」
「なんでもって…ほんとになんでもいいの?」
「うん。君が本当に幸せになれるなら何でも叶えるよ」
「ほんとに?」
「本当だよ〜信じておくれよ」
「う、うーん……」
メイの外見は僕達が想像する天使そのものだった。真っ白で柔らかそうな羽で宙を浮かび、小さな体と、柔らかな笑顔を浮かべる中性的な顔つき。作り物にしては出来過ぎな気がするが、想像する天使像と被りすぎていて逆に作り物のような気もする。
ふとまた疑問が浮かぶ
「っていうかさ、なんで僕なの?」
僕より不幸な人なんて世の中にはいっぱい居るはずだ。
僕の周りですら親がいない人とか、お金が無くて困ってる人とか、勉強がうまくいかない人とか、沢山不幸な人はいる。
僕も幸せか不幸かでいえば、不幸な方ではあると思うけれど人と比べると大した不幸では無いように思う。
「あははっそれはただの偶然さ。今日学校でいじめられてた君をたまたま見つけられただけさ」
「あっ、やっぱ見てたんだ………」
「大変だったね〜。普段もあんな感じなのかい?」
「う、うん。今日はいつもよりちょっと酷かったけどね….」
誰かにいじめられてる事を言うのは初めてで、少し言葉が詰まった。
「そういえば君の体痣だらけだね〜」
「え?わっ!!」
すっかり自分が裸だった事を忘れていた。
メイがまじまじと僕の体を興味深そうに見ていた。
急に恥ずかしくなり、体育座りをして体を隠す。
「あははっ!気にしなくていいのに〜」
「気にするよ……」
長風呂のせいか顔に熱がこもっている。
「ふふっ君も年頃の男の子だもんね。ごめんごめん」
部屋着に着替え髪をドライヤーで乾かす。
鏡を見ると頬がピンク色に染まっていた。
ドライヤーの音でかき消されてしまうような細い声で言葉を呟く。
「願い事、なににしようかな」
騙されてもいいから信じてみたくなった。
***
「ごめん母さん!お待たせ」
「秋くんおそーい、今日は長かったね〜」
「ちょっとね…」
居間へ向かうとすでに料理が並べられていた。
ミートソーススパゲティ、コンソメスープ、それにグラタンとフライドポテト
僕の好きなものだけが並んでいる。
「すごい豪華だね。おいしそう」
「秋くんがんばったんだから今日くらいはね〜。美味しいものいっぱい食べて欲しいの〜」
こんな豪華なご飯は久しぶりだ。それに、手の込んだものばかりだ。きっと作るのも大変だっただろう。
その事を考えると嬉しくて心まで温かくなる。
「じゃあ食べよっか〜」
「うん いただきます」
スプーンでグラタンを口へ運ぶ
母さんの作るご飯は美味しくて、温かくて、優しい味がする。
「どう〜?美味しい〜?」
「うん!すごい美味しいよ!」
「良かった〜グラタン作るのはじめてだったから心配だったの〜」
母さんはまた嬉しそうに顔をほころばせる。
「大丈夫だよ!世界で一番美味しいよ!」
僕も顔をほころばせて、出来る限りの笑顔で答えた。
「ふふっ秋くん大袈裟だよ〜」
スプーンでまた一口グラタンを食べる
これだけで今日がとても幸せな日なように思えた。
***
「美味しかった〜ごちそうさまでした」
お腹と心が幸せで満ちている。食べ過ぎて少し苦しいが、なんとか立ち上がり食器を片付ける。
二人分の食器を洗い、その間に沸かしていたお湯をマグカップに注ぐ。
母さんは既に着替えを終えて仕事へ行く支度を済ませていた。
「はい コーヒー作ったよ」
「ありがと〜」
「今日も仕事??」
「うんそうだよ〜!お母さんも頑張らなきゃね〜」
母さんは、先月から仕事を増やしたと言って夜も働きに出かけている。
僕は4月から3年生になる。成績がそれなりに良くて進学も現実的な話になってきた。
母さんもずっと僕には大学に行ってほしいと言っていた。だからそのために必要なお金を稼いでくれているのだ。
頭では分かっていても、母さんが無理をしているのを見ると心が痛かった。
「母さん。あ、あのさ………」
「あんまり無理しないでね。僕だってバイトするし」
「ダメだよ〜秋くんには青春を謳歌して欲しいの。大人になった時後悔して欲しく無いの。」
青春なんて僕には無いから大丈夫だとよ言ったら母さんは悲しむだろう。僕は期待に応えられていない事を心苦しく思い口を硬く結ぶ。
「それに、お母さんは元気だけが取り柄なんだから。無理なんてしてないよー」
嘘だ。
最近になって母さんの目の下にはクマができてきた。それに、明け方帰ってきて眠る前にお酒を飲み始めた事も知ってる。
「秋くんが優しい子に育ってくれて嬉しいよ〜心配してくれてありがとね」
「で、でもさ………その…夜の仕事はさ…」
「あっ!もう行かなきゃ怒られちゃうよ〜。それじゃ行ってくるね〜今日は早く寝るのよ〜」
「おやすみ秋くん」
空になったマグカップを受け取ると、母さんが僕の頭の撫でて居間から出て行く。
すれ違った母さんからは女の人の匂いが強くした。
「うん…おやすみ」
言いたかった事が伝えきれずに、玄関の扉が閉まる音だけが部屋に響いた。
母さんは17歳の時に僕を産んでくれた。父親は知らない。それから、ずっと1人で頑張って僕を育ててくれた。
いままで一度も僕に悩みや、辛そうな顔は見せてくれなかった。
大学進学にはお金が沢山かかるみたいだ。だから母さんは給料の良い仕事を選んだのだと思う。
なんの仕事かは聞かされていないし、知られたく無いんだろうけど、母さんの様子を見てると直感的に分かった。
「その仕事はやめてよ…」
言いたかった言葉は小さく宙に消えて無くなってしまった。
***
静まりかえった居間は先程までの温かさが無くなって、暖房機具の作り出す無機質な暖かさに満ちていた。
居心地が悪くなり、戸締りと消灯をして自分の部屋へ向かった。
勉強机とベットしかない狭い部屋だが、僕にはこの狭さがとても心地良い。
ふと、お風呂場での事を思い出す。さっきの天使はまだ来ていないようだった。
そういえば、扉は全部閉めてしまったけれど入ってこられるのだろうか。
不安になり、部屋の窓をほんの少しだけ開けておく。冷たい風が部屋に入ってくる。
僕の部屋には電気ストーブしか無く、勉強する時以外は極力つけないでいる。身体が冷え始める前に布団に潜り込む。
「あれ?なんだろ?」
足もとに何かが当たる感触がした。
足元のそれは僕の体を這って布団から顔を出した。
「おそーいっ!!!!」
「うわあぁぁあ!!!!」
心臓が飛び跳ねてバクバクと音を鳴らしている。
「び…びっくりした。なんなのさっきからさ」
「全く!!待ちくたびれたよ」
僕の驚いた様が面白かったのかニヤニヤしながら、さも怒っているかの様な口調でメイは言った。
「っていうかさ、毎回驚かすのやめてよ…心臓に悪いよ」
「あははごめんよ。僕の趣味でさ〜驚いてる時だけは分かりやすくていいよね〜」
「もうやめてよね…っていうか僕の上からどいてよ……」
心臓の鼓動がメイにも響いていると考えると途端に恥ずかしくなる。
メイは話を聞いていないのか、僕の体に重なったまま目を部屋に移した。
「あ、そういえば窓閉めて大丈夫だよ 風寒いし」
「え…うん、そうだね」
そういえば、お風呂場でもそうだけど、どこから入って来たんだろう。
メイをとりあえずぬいぐるみの用に横に寝かせて置いて立ち上がり、外の冷たい空気を深く吸い込んでから窓を閉める。
「そろそろ落ち着いたかい?」
「まぁ、多少は…」
「よし!じゃ本題に入ろっか!さっ、座っておくれよ」
僕は近くの勉強机とセットで買った椅子に座りメイの方を見る。
メイは気張って布団から飛びだして、宙に正座をして浮いている。
「願い事はもう決まったかい?」
「うーん…まだちゃんとは考えられてないよ…」
「まっ、そうだよね〜」
「っていうかさ、本当にどんな願いでもいいの?」
「もちろんさ。さっきも言ったろ?僕は君の願いを何でも一つ叶えるよ」
「じゃあ、例えばさ100万円円欲しいって言えばもらえるの?」
「あははっもちろんだよ!」
自信満々にメイは胸を張りながら答えた。
「ただしそれが君の本当に望む幸せならね」
「本当に望む幸せ?」
「そうさ。一般的に幸せだとされてるからとか、これがあれば周囲に認められるとか、そういう類のものじゃなくてさ、君自身の本当の幸せである事が重要なんだよ」
「うーん…そう言われるとちょっと難しいかも…」
本当の幸せなんて考えた事も無かった。
僕はどうすれば幸せになれるとか、将来の事とかはもっとずっと先の、大人になってからの話のように思っていた。
「あははっそうだよね〜まぁ安心しておくれよ。今すぐに決めてって訳じゃ無いよ。期限はあと3日間!来週の月曜日の夜までに決めてくれれば大丈夫さ」
「3日かぁ……少ないね」
「ごめんよ〜ルールで決まっててさ〜」
メイが初めて申し訳なさそうな顔を作って見せた。
「まぁじっくり考えておくれよ。なんなら僕に相談してくれても構わないよ!僕も色んな人の願いを叶えてきたからね〜こう見えて結構優秀なんだよ僕って!」
「そ、そうなんだ…」
誇らしそうに胸を張って意気揚々と言っているのを見ると、なんだか小さな子供みたいで頼りなく思えた。
「そのほか何か聞きたいことはあるかい?」
「うーん…あ、願い事叶えたら何か不幸な事がおこるとかないよね?」
「あははっ心配しなくて大丈夫だよ!何もないよ〜。僕達天使の活動はただのボランティアみたいなものだからね〜安心してよ」
「そっか、ならよかった」
「さぁさぁ!他に何か聞きたい事はあるかい?」
「うーん…まぁとりあえずは大丈夫そうだよ」
「さすがだね〜理解が早くて助かるよ〜」
「月曜日の夜までに願い事決めとけばいいんだよね?」
「うん!休みの間にじっくり考えてみておくれよ」
「あ!もし土日で決まっちゃったらこれで僕を呼んでおくれよ」
そう言ってメイは懐からクリスマスツリーに飾るような、小くて綺麗な金色の鈴を取り出した。
「それで呼べるの?」
「うん!この鈴を3回振って音を鳴らしてくれたら僕が急いで駆けつけるよ」
そう言ってメイは僕に鈴を手渡した。
「分かったよ。もし決まったら呼ぶね」
「さて!それじゃあそういう事でまた会おうね!沢山悩んで幸せを見つけておくれよ」
「あっ!ちょっと待って!!」
少しだけ寂しくなり咄嗟に呼び止めてしまう。
話を繋ぐ為に何か聞こうと話題を考えると、ふと願い事になり得る事が頭に浮かんできた。
「あのさ、もし、クラスの人達をさ……『殺して』って言ったら出来るの?」
普段だったら言わない本心のようなものだった。
「あ〜………ごめんよそれは叶えられないんだ。ルールで決まってさ〜気持ちわ分かるけどね」
メイは僕を見ないでそう言った。
「そっか…だよね」
「まぁ時間はまだあるしさ、ゆっくり考えおくれよ」
「うん…」
「ふふっ、いい願いが聞ける事を楽しみにしているよ!それじゃあまたね!」
天使はまた瞬時に消えてしまった。
***
メイは秋人の家を出たあと天界へと戻り、同僚の待つ飲み屋へと向かった。
「やぁエリーお待たせ〜」
「おせぇよ!ったく!普通1時間も遅刻するか?お前何時まで働いてんだよ…」
机には空いたグラスがいくつも並んでいて、頬を赤く染めたエリィ・ライメルはメイを鋭く睨みつける。
「いや〜ごめんよ。また良い案件見つけちゃってさ〜 ついね〜」
メイは席に着いて、机に並んでいるワインをグラスに注ぐ。
「お前だけだぜこんな下らねぇ仕事真面目にやってるやつ」
「あはは、おかげで僕ずっと業績一位だから助かるよ」
「人間らなに考えてんだか全然わかんねぇのにさー。よく毎回数字あげられるよな」
「あははっなんか向いてるみたいなんだよね〜」
メイはそう言いながら、ワイン一気に飲み干す。
「わぁ、これ美味しいね〜」
いつも通りマイペースなメイに呆れてエリィの怒りはどこかへ消えてしまう。
「はぁ…さっさと成績上げてこんな雑務辞めてぇよ」
「エリー今日は荒れてるね〜なんかあったのかい?」
やっと聞いてくれたと言わんばかりに、エリィは饒舌に語り始める。
「昨日よぉ、1ヶ月相手してやった人間のガキにいい加減さっさと願い決めろ、って言ってやったんだよ。そいつ幸福指数マイナス50で超良い案件だったんだぜ。両親に毎日ぶん殴られててよー、可哀想なガキだったんだよ」
「おぉ〜いいの見つけたね〜」
「あぁ、だから1ヶ月も相手してやったんだぜ」
「で、やっと決めた願いって言うのが親を殺してって願いだったんだわ」
「なんだ簡単な仕事じゃないか〜」
「それでいざぶっ殺してやったらさ、ガキがいきなりわんわん泣き始めて幸福指数マイナス100まで下がっちまってよー」
「おかげで今日は朝からずっと始末書だぜ。あげく今日上の奴らが調査したら、ガキは俺が帰った後自殺しちまったみてぇで明日は1日お説教だとよ」
「あはははっいや〜ついてないねエリーは」
「笑い事じゃねぇよぉ……」
エリィは深いため息をついてワインを飲み、料理を口へ運ぶ。
「…………なぁ、なんであのガキの幸福指数下がったか分かるか?」
「さぁね〜それは分からないよ。僕が担当した訳じゃないし」
メイは口をもぐもぐとさせならが答えた。
「そりゃ、そうだけどよぉ……」
「まぁ、エリーはちょっと単純すぎるよ〜人間ってすごく複雑な生き物だからちゃんと見極めなきゃだめだよ〜」
「分かってるっつーの」
「はぁ、今回の願いは理に叶ってると思ったんだけどよぉ……」
「まぁ、明日は休みだしさ〜今日はいっぱい飲みなよ〜」
「俺は休みじゃねぇよ……」
エリィはまた深いため息をつきながら呆れた顔で言った。
***
秋人はメイの居なくなった部屋で布団を被りながら願い事を考えていた。
「はぁ…なににしようかな」
まず最初に浮かんだのはやっぱりお金だった。
母さんがもう働かなくて大丈夫なくらいのお金を貰って、母さんを楽にさせてあげたいと思った。
でも、そんな大金母さんになんて説明すれば良いんだろうか。変に心配かける事になるんじゃないだろうか。そもそもメイの言っていたように、僕はお金を沢山貰う事が幸せだとは思えなかった。そりゃ、あるに越した事はないけど。
「うーん…僕の幸せかぁ……」
次に浮かんだのは、いじめを無くして貰うことだった。殺すまでしなくても、もう僕に手が出せないようにするとかはどうだろう。
でも、それはマイナスがゼロになるだけで、幸せでは無いなと思った。
それなら、いっそ友達を作って貰うのはどうだろう。いや、それも何か違う。
それなら、恋人とかはどうだろう………
時間をかけて幸せを探してみるも、簡単には見つからなかった。それに、まだ時間はある。ゆっくりと考える事にした。
気がつくともう寝るのに良い時間になっていた。
このまま寝てしまおうと目を瞑ると、ふいに学校の事を思い出し怖くなる。
僕の学校は3年生になってもクラスは変わらないからいじめは終わらないだろう。それに試験の結果には今より敏感になると思う。今までより過激な事をされるようになるのだろうか。それでも、母さんの期待には応えたい。あと1年も耐えられるだろうか。
考え始めると悪い事しか浮かばず、眠れない。
ベットから起き上がり、鎮まりきった居間へ向かう。
居間には夕飯の匂いが微かに残っていて、少し暖かかった。
押入れから、母さんの布団を取り出し床に広げる。
少しだけと思い布団に入り込み目を瞑る。
優しく良い匂いがして、さっきまでの心細さが消えてなくなった。体が温まってきて、だんだんと夢見心地になる。母さんが帰ってくるまでには起きようと思いながら僕はそのまま静かに眠った。