7話
ポタンの街は化け物が出たと騒ぎになっていた。フィンは仕事柄騒ぎの起きた場所へ向かい事情を聞きに行った。
私とシーハはヘレンに連れられ、この街に来ているというケイという人物のところへ向かっていた。本来の住居はもう一つ隣の街なのだが、時折ポタンで雑貨店を経営しているらしく、今日がたまたまその日だったらしい。
「ここだ」
そう言ってヘレンに案内された場所はポタンの一本坂の少し外れにあった。
木造の二階建て。ドアを開けてヘレンが名前を呼ぶ。
「ケイ!お客さんだ」
店内の様子は見るからに雑貨店だった。金物や光り物が多く、店内の置ける場所全てに商品らしき物が置いてある。壁に掛けられたものから天井にぶら下がっているものまであった。
「どこ行ってたんだヘレン」
声がすると、奥から長い銀髪を一本に束ねた女性が顔を出した。背が高くスタイルがよく、長く色付いた爪に真っ赤に塗られた唇、内装に似た派手目の服装が街中じゃよく目立ちそうな、おばさんだった。
けれどそんな派手な見た目のどこよりも目立つ違和感があった。
左耳の上部が尖っている。
「シーハじゃないか!よく来たね!」
「こんにちはっ!ケイおばさんっ!」
この人がセンちゃんの言っていた人物、ケイのようだ。
ケイと目が合うと、珍しいお客さんだと言って、ケイの目が私のつま先から頭のてっぺんまでを一度往復した。
「夏目ユウガです。異世界から来ました。センちゃんから異世界に詳しい人だと伺ってます」
ケイは目を丸くして数回瞬きをすると、「へぇ」と声を漏らした。その顔はどこか笑っているようにも見えた気がした。
「いいよ来な」
そう言うとケイは奥の部屋へと消えていった。
思った以上にすんなり受け入れてくれたことに少し驚きつつ、私は見えなくなったケイに聞こえるよう少し大きめの声で返事をした。
ケイはシーハとヘレンに店番を任せた。曰くシーハがいるとよく売れるらしい。
私は客間らしき部屋に案内された。客間は店内と違って質素で、壁に沿って並んだ本棚と真ん中にテーブルがあるだけだった。
「くつろいで待ってな」
そういうと別の部屋に消えた。
ふと肩が上がっていることに気づく。瞬きも多い。緊張してることを悟った。
ケイがお盆に湯飲みを乗せて戻ってくると私に一言、「君の口に合うかわからないけど」とそう言った。まさかその言葉に深い意味が込められているとは、そのときには考えもしなかった。
どうしても、尖った左耳を目で追ってしまう。
「どっちだい?」
私の視線に気づいたケイが、既に露になっている両耳をよく見せるように、近くの細い髪の束をつまんで除けた。
そうして気づく。耳の形がおかしいのは左耳だけじゃない。右耳の形は、左耳とは打って変わって逆で、半分ほど欠けていた。
痛々しく、自然と目を細めてしまう。直後に失礼だと気づき目線を逸らすも、当の本人は悠々としている。
「じゃ、話そっか」
そう言って髪から手を退けた。
「異世界からの客人とはまた珍しい。親は?」
「親、ですか?」
「そうそう、君をこの世界に呼んだ人は誰って聞いてんの」
「え?呼ばれて来る、ものなんですか?」
「………あ?」
ケイは首を少し突き出して頭に疑問を浮かべた。
「ほら、目が覚めた時いただろ、誰かしらが」
森でのことを思い出す。
「いえ、森の中で、一人でした」
「はぁ?どういうことだねそりゃ」
自分には理解できないポイントでたまげる様子のケイに問いかける。
「あの、その前に、異世界から来たことに驚かないんですか?疑う、とか」
「ああ、別に疑わねぇよ。異世界から来ること自体わたしにとっちゃ普通だし、何なら…」
ケイは前のめりになって小声で言う。
「呼んだことだってある」
その瞬間、幾つかの感情が混ざり合ったような、得体の知れない気持ち悪さを感じた。
「どうやって、そんなこと…」
ケイは再び左耳を私に向け、左耳の尖った部分をポンポンと叩いた。
「そりゃあわたしが、魔法を使えるからさ」
「魔法!?」
いや、深くなじみのあるワードが今初めて出て来ただけで、そんなに驚く必要はない。少年が化け物の姿に変わるところも、自分の足から羽が生えるのも見てきたはずだ。
冷静になって再びケイに問う。
「魔法が、あるんですか?この世界には」
ケイは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。
「あの、ケイさん?」
「は、ハハッ、面白いね。その言い方じゃまるで、君のいた世界では魔法に該当する存在はあるものの、それは決して常識ではない………そんな風に捉えられるね」
一瞬理解が遅れる。
確かに、魔法が常識であるこの世界からすれば、魔法を理想としてのみ認識している世界なんて、考えてみればおかしいかもしれない。
けれどもう一つ、ケイの言葉には別の意味合いが込められているように感じたが、気のせいだろうか。
「まぁ、そうですね」
ははっと、濁すように答えた。
「ま、この世界じゃ魔法は常識だよ。誰もが使えるわけじゃないけどね。その様子じゃ、この世界に来たのは最近だねぇ」
私はこれまでのことの顛末を話した。化け物に食われたのではなく、逃げきって気絶したと一部改変して。
「噂の白い怪物を見たってことは、その森は『静謐の森』だね」
「静謐?」
「ああ、あそこ以上に安全な森はないからさ」
怪物の噂が流れるまでは、と後に続いて呟いた。
「まず、この世界に来た時誰もいなかったってのはおかしな話だ」
そう言うと、今度は悪だくみでも思いついたかのように片方の口角を吊り上げる。
「記憶でも消されたんじゃないのかい?」
「ええ!?」
ケイはそれは災難だったなと言って大きな口でゲラゲラと笑い出した。
「じょ、冗談ですよね」
「さぁ。召喚魔法を使えるならあるいは、可能かもしれないねぇ」
背筋がゾッとする。誰かの手で呼ばれ、記憶を抹消されて化け物が出るあの森に放置されたのだとすれば、それは私を殺す意思に違いない。
わたしはできないと、ケイが言う。召喚はできるが、記憶を消そうと思ったことはないと。
「あの、魔法って、その左耳と関係があるんですか?」
そう聞いたのは、先ほどケイが魔法が使えると言ったとき左耳を見せていたからだった。
ケイには何も隠す様子はなかった。
「ああ、耳の尖ってる奴だけが魔法を使える。ここは人間の世界だが、人間にも二種類ある。ただの人間と、エルフィアと呼ばれる選ばれた人間だ」
「エルフィア……ですか?」
私の質問に構わず話を続ける。
「魔法っていうのはそもそも精霊の力を借りて使うもので、その精霊様は、自らが選んだ人間にしか力を貸さねぇのさ。そして精霊に選ばれたかどうかは、生まれたときにわかる」
「耳が……尖ってる人」
「そう、それが精霊に選ばれた証。我々がエルフィアと呼ぶ特異体質を持った人間だ」
この世界を知る。それは私が想像していた以上に身の毛のよだつものだった。
「あと、耳が尖ってるからって皆が皆魔法を使える訳じゃない。殆どのエルフィアは多少の加護を受けられるくらいで魔法は使えない。でも一部のエルフィアは、精霊との意思疎通を可能にする研究をしている。そういう研究をしてる奴を世間はこう言うのさ。……………魔女、とね」
ケイは生き生きと、得意げに語っている。
「魔法は研究の成果なんだよ。特殊な方法で精霊に願いを伝えると、精霊がその願いを叶えてくれるんだ」
「でも魔法が常識って言うには、なんだか…」
あまりにも数が少ない気がする。ここに来るまで耳の尖った人は見なかったし、耳が尖っていてもその全てが魔法を使える訳じゃないなら、ケイのような人は相当限られてくる筈だ。
「ああ、魔法の仕組みまで知ってる人間は大した数いねぇよ。でも精霊について研究をして魔法を会得したエルフィアは、昔から国の発展に貢献してきた。だから今の国があるし、魔女は人から受けた依頼で生計を立ててたからねぇ」
まるで昔のことのようにケイは言う。話を聞く限りケイも魔女のはずだった。なのに何故雑貨屋を経営しているのかを聞くと、数年前までの名残らしく、今は魔法の依頼もたまに受けているらしかった。
「いろいろあった時期があってね、昔」
昔という言葉が頻発するせいでそれぞれがどのくらい昔のことだったのか、うまく把握することが難しかった。けれどケイは、それ以上詳しい話を続ける様子はなかった。
ケイが突然笑い出す。
「なんか変な空気になっちまったなぁ!本当はわたしの研究の成果を洗いざらい喋り果てたいんだが、君の耳までひん曲がっちまう」
自己紹介をしようと、少しおどけたように言った。
「わたしはケイだ」
呼びづらければおばさんでもババアでもいいと。
「今言った通りわたしはエルフィアで、魔女だ。センリが、君を私のもとに送り込んだ理由さ」
簡単に帰れると、どこかで思い込んでいた。しかしこの世界にいる時間が長引くほど、この世界のことを詳しく知るほど、ファンタジーだと思っていた感覚は現実味を帯びてくる。それは、何とかなるという言葉が通用しない世界を意味していた。
覚悟という名の悪い予感がした。
「そういえば、わたしが聞きたいことを聞いて喋りたいことを喋っただけで、ナツメ君の目的を聞き忘れていたね。この世界の案内と説明なら、わたしが召喚したわけじゃないにしろ魔女の義務だ。それとも、召喚主を探す手伝いかい?」
自分の目的が挙がらなかったことが違和感で仕方がない。
開けづらい口をこじ開けて、言う。
「元の世界に、帰りたいんです」
100%本音かと聞かれると答えづらかった。もう少しここに居るのも楽しいと思う。でも帰らなければ。本当の親が私にはいるのだから。
ケイの目つきが変わる。それだけで悪い予感が的中したことを悟る。しかし次の瞬間ケイの口から出た言葉は想像できたものではなかった。
「それは、やめた方がいい。この世界に残ることをお勧めする」
ケイが私から目を逸らす。その目に申し訳なさは感じない。
「魔法で、精霊の力で呼ばれたのなら、また精霊の力で帰れますよね?」
「それは、研究途中だ不可能じゃないとわたしも思ってる。違うのさ、理由はそんなんじゃない」
ケイの瞳が再び私を見つめる。窓から届いた夕日の光が、ケイの瞳を赤く染め上げる。チクタクという時計らしき音が、まるで大音量のように際立って聞こえる。汗が滲み、流れ出る。目が開いたまま閉じない。ケイの赤い瞳は何を語る。
「君は…」
その瞬間腕がざわつく。目線を下げると、膝の上に置いた腕に白い羽が見える。
「ッ………!」
即座に前かがみになり隠すように両腕を足に挟んだ。
「人間じゃない可能性が高い」
ケイが発した言葉を聞き返すように、反射的に顔が上がる。
違うと否定したい心を、腕の羽が抑制する。
──人間じゃない。
うまく思い出せない。でもどうしてか、この世界に来てから何度も言われた言葉だ。