4話
「二人は、どうしてあの森に居たの?」
馬車に揺られながら話しかける。シーハと、何故か付いてくることになったフィンにその時の話を聞きたかった。
フィンは私の質問の返答とは思えない話を始めた。
「皆、植物の葉から水蒸気を溜めて飲むと思いますが、植物の種類によって飲み比べているのは、残念ながら僕だけでしょう。植物の種類によってちゃんと味が違うので、皆にも飲み比ガァス!!」
シーハのかかとがフィンの脛に直撃した瞬間だった。フィンは相変わらず嬉しそうな顔をしていたが、シーハは「簡単に言ってっ」といつもの兄に呆れているようだった。
二人を見ているとシーハが幼い見た目に反してしっかりしている理由が肉眼で見えてくる。それと同時にフィンのMさが、シーハを変な方向に向かわせているのではないかと少し心配になってくる。
「見たことない樹を見つけたんだってっ」
「その…水蒸気を取りに?」
シーハは心底呆れたような表情で首を縦に振った。
「最近あの森で怪物が出るって噂があるのに、今日取りに行くんだって言って聞かないのっ」
怪物と聞いて、あの化け物に食われた腹が疼いた。
「でっ、心配で付いていったら、お姉ちゃんを見つけたんだよっ」
「その怪物ってどんなの!?」
いきなり大声を出してしまいビックリしたシーハが目をぱちくりさせている。
「もしかして白くて、目がたくさんあって、ヌルヌルしてるやつじゃない!?」
「お姉ちゃん、その怪物とあったの?」
そう聞かれてすぐにお答えが出せなかった。厳密に言ったら襲われて食われたというのが正しい。でもそんなこと言えない。
「ああ!えーっと、そう襲われたのよ!その怪物に!でも何とか逃げきれたんだけど、途中で倒れちゃったみたい」
気づくとフィンがメモ帳に何かを書き記している。私が何を書いてるのか聞こうとしたとき、フィンが喋りだす。
「噂は、白い怪物という情報だけです。なので姉さんの見た情報は僕が伝えておきます。」
伝えておくとは何だろうか。紺色の羽が付いたペンを、年季の入った茶色いメモ帳に走らせている。
「お兄ちゃんはお国の兵隊さんなんだよっ!」
さっきまで呆れていたのに、今度はすごいでしょと言わんばかりのキラキラした瞳を私に向けた。
ようやくフィンの腰にある剣と、制服のような(びちょびちょの)ベストの意味がわかった。
私がすごいねと言うと、「うんっ!」と満面に笑みで頷いた。
「姉さんに褒められる日が来ようとは……!」
今のどこに感動したのかよくわからないけど、フィンはそう言って涙を浮かべた。
「そうだ、その新種の樹なんですが……」
フィンが何か喋り始めたと思うと、その瞬間にシーハの足がフィンのみぞおちに吸い込まれるようにヒットした。
「水の話はやめなさいっ!」
シーハはそう言ったが、フィンは「違くて、樹の話を……」とか細い声で呟いていた。本当に苦しそうにしているから、M的に今のはどうなんだろうと、少し気になった。
「ここが隣町のポタンだよっ」
ここまで乗せてくれた御者は、こちらが礼を言うと何も言わずに馬を走らせ行ってしまった。シーハが、よく乗せてもらう人なんだよと言っていた。いい国の雰囲気みたいなのを、なんとなく感じる。
ポタンと呼んだ町は、すぐ隣の傾斜の緩やかな山になぞられて築かれた町のようで、ポタンにある建物は、全て緩やかな坂の上に建てられてあった。そしてその坂は山に向かって歪むことなく綺麗に伸びている。町の中心の一本道が、そのまま山頂に続いている。一番上から見える景色を想像すると、見上げただけでワクワクする。
「目的はもう一つ隣の町だから、また馬車を捕まえないといけないんだけど、ポタンで少しゆっくりしてからねっ」
ゆっくりしようなんて言葉は、私が大人になったときに使うと思っていた言葉だ。シーハが大人になったときはどんな言葉を使うのか、気になって仕方がない。
「お姉ちゃんに見せたいものがあるのっ!」
既に身を乗り出していたシーハが向かおうとしている先は、きっと私が想像しているのと一緒だ。
「もしかして……」
私が坂の上を見ると、シーハは満面に笑みで「うん!いこっ!」と言った。シーハの笑顔は、何度見ても飽きないだろう。
「でも姉さん、その体で大丈夫でしょうか。あ!おんぶなら喜んで引き受けますよ!」
シーハはそれを聞いた途端に「そっか」と声を洩らした。気が利かなかったことを悔いてるようにも見えたが、それは私の過大評価か。
「大丈夫!なんだかいけそうな気もするし、それにこういうのは、自分で登った方がきっと楽しいもんねっ」
シーハはもう一度うんっ!と首を縦に振った。
「もしほんとに無理そうだったら、フィンの肩貸してもらうね」
「……はいっ!いつでも頼って下さい!」
フィンもまた可愛らしい笑顔でそう言った。その笑顔を見ると本当に二人が実の兄妹に見えてくる。それとも、私が弟と妹を可愛がるただの姉と化してきてるか。
殆ど感覚が無かった右足首と左の横腹は、思いのほか感覚を取り戻しているように感じた。杖にかかる体重も減り、右足首も少し庇いながらでも、このくらいの緩やかな坂では苦にならなかった。
「後ろは着くまで振り返っちゃダメだよっ」
シーハの言いつけを守って後ろを向かないようにするのが一番大変かもしれない。
疲労は、庇い身代わりになった部分に溜まりやすい。耳を澄ますと微かにトクトクと心臓の音が聞こえてくる。
「上には神社があるから、お姉ちゃんはそこでお願い聞いてもらうといいよっ」
ここでも神様が信じられているとは、不思議な感じだ。
「そうしよう…かな…」
「大丈夫ですか?姉さん」
「普通に体力持ってかれてるだけだから、大丈夫」
つまりそれを大丈夫と言わないんじゃないかとも思うが、まだいける。リハビリと思えば多少無理でも頑張りたいところだ。
かなり歩いた。山で言う七合目辺りだろうか。
甘味処を見つけ、中に入った。内装は私の知る和とも洋ともとれないが、どちらかと言えば木造の机が和を連想させる。
「お団子下さいっ!」
そう言って運ばれてきたものは、串にこそ刺さっていないがもちもちの、私が知っているお団子と酷似していた。そして名前も『お団子』である。
言葉だって、何故通じているのかわからない。今から覚めて実は夢でしたと言われても、納得せざるを得ないのが夢の怖いところだ。明らかに見たことのない異世界の文字が書かれたお品書きを、入念に目に焼き付けておく。
たっぷり休んでお店を後にする。お団子は美味しかった。
「あとちょっとだ!」
意気込んで再び歩き出す。
九合目だ、たぶん。
もう目と鼻の先に頂上が見えている。色彩豊かなお花が広がっているのを遠目で確認する。
それを見てもう少し頑張ろうと思うと、力が湧いてくる気がした。少し、右足でも踏ん張れる。そのくせ痛みも感じない。神様の恩恵をもう受けているんじゃないかと一瞬考えたが、それは笑える。
「もう着くよっ!」
そう言うとシーハは走って頂上まで向かった。バンダナの結び目がゆらゆらと揺れる。
すると突然、シーハは何かを見つけたかのように立ち止まり、下を気にしだした。そしてそのまましゃがみ込むと何かをこちらに言ったようだった。しかしよく聞き取れなかった。どうしたのと聞いても、中々の距離を空けたためと背中を向けているのとで、やっぱりよく聞こえない。
耳を澄まして、もう一度聞いた。
「何か落ちてるっ!あと後ろ向けないっ!」
微かにシーハの言葉が届いた。
「フィン、何か落ちてるって。あとてっぺんまで行ってないからたぶん振り向けないんだと思う。」
「え?聞こえたんですか?じゃあ、僕が姉さんをおんぶするので、一緒に行きましょう!」
「ううん、私はだいじょぶそうだから、先行ってて」
フィンは私に少し不安を残したまま、駆け足でシーハの元に向かっていった。
「まだ後ろ見ちゃダメだよー!フィンー!」
私も少し急ごう。そう思ったときだった。
今度は私の足が止められた。何か音が聞こえる。それが何の音なのかはわからない。強いて言うなら嬉しくない音だ。
もう一度耳を澄ます。
「……………………………………………泣き声だ」