2話
気がつくと、布団の中にいた。
夢か。
一瞬だけそう思った。けれど目を開けると、知らない天井が見える。それにベッドではなく布団だ。私の部屋じゃない。
「起きたね」
声のした方を向くと、布団の横で、しわしわのお婆ちゃんが背中を丸めて座っていた。
お婆ちゃんは花柄のバンダナを頭に巻き、花柄のワンピースを着ている。目が細く、とても前が見えているようには見えない。
お婆ちゃんは「ちょっと待ってね」と言うと、立ち上がり、部屋を後にした。
起き上がろうとしたが、体が変だった。左の脇腹に力が入らない。右の足首も一緒だった。
ゾッと鳥肌が立つ。左の脇腹と右足首は、あの時負傷した箇所だ。特に左の脇腹は酷かった。思い出しただけで激痛が蘇る。
腕の力で何とか上体を起こし壁に寄り掛かる。
改めて辺りを見回すと、木造の家で、部屋の隅に埃の被った家具が置いてある。それを見るとここが物置部屋だということがわかる。
バコンッ!
突然の物音に体がビクついた。部屋のドアが開いた音だった。
「お姉ちゃん大丈夫っ!?」
一人の少女が、勢いよく私の元へ駆け寄った。10歳くらいだろうか、お婆ちゃんと同じように花柄のバンダナを頭に巻いている。
「お姉ちゃん、森の奥で寝てたんだよっ?覚えてるっ?」
その瞬間、ヒュッと心臓が締め付けられるような感覚がした。
夢だと思い込むには、出来事があまりにも繋がっている。夢だと思い込むための材料である、化け物との遭遇と今いる現状が、あまりにもリアルで使い物にならない。
かなり、混乱していた。
「大丈夫っ?」
私の困惑した表情を読み取ったらしく、心配の眼差しでそっと私の足に手を触れた。そこに感じたのはとても少女とは思えない包容力だった。
「私シーハ。シーハ・ロクロストだよっ」
シーハと名乗った少女は、跳ねた語尾が特徴的で、どこか大人びている、笑顔の可愛い女の子だった。
「私は、夏目ユウガ……ユウガかな」
自分の声は、やはりリアルだった。
私は二人とは違い、袖の長いグレーのワンピースを着ていた。私のサイズに合うのがこれしかなかったそうだ。
シーハが言うには昔お婆ちゃんが着ていたものらしいが、その割にはよく綺麗にされている。
お婆ちゃんがお粥を持って戻ってきた。
二人に事情を聞くと、私は森の奥で倒れていて、それを別用で通りかかったシーハが、連れて帰ってきたらしかった。
何の用事があってあんなところまで行ったのか聞いたが、シーハは苦笑いするだけで答えなかった。
そして私は2ヶ月間もの間、ここで寝ていたらしい。
「2ヶ月!!!??」
植物状態じゃないか!
私の驚きように、やっぱり言わない方がよかったのではという空気が流れている。でも私が、言い悩んでいた二人に無理に聞き出したことだ。仕方がない。二人が嘘をついているようにはとても見えない。
改めて混乱しつつも、やらねばならないことを実行する。
「そんなに長い間、えっと……置いてくださって、ありがとうございます……!」
慣れない台詞にスムーズに口が動かず、情けなく思った。
「あたしはたまに様子を見に来てただけだよ。世話の殆どはシーハがやってくれたんだ」
お婆ちゃんは、あたしはいいからと言ってお茶を啜った。
「本当にありがとう!シーハちゃんっ」
「うんっ!」
シーハは満面の笑みで頷いた。
「今度はユウちゃんの話を聞かせてもらおうか?」
お婆ちゃんは私をあだ名で呼んだ。とても悪い気はしなかった。
「どこから話せばいいのか………」
「生まれは?」
「えっと、日本、です」
「ニホン?」
お婆ちゃんもシーハも、聞いたことがないという様子だった。そんな名前の街あったかしらと言って眉をひそめた。
「街じゃなくて、国です。島国です」
そう言うとシーハが、島って何?と聞いた。質問の意味がわからなかった。
お婆ちゃんは険悪な表情のまま考え込んでいた。ある程度の沈黙の後、お婆ちゃんが顔を上げる。そしてその口から出た言葉に、私は驚愕する。
「ユウちゃん、あんたは異世界人かもしれない」
……………………えっ?
そう言われても一概に否定できないことが、その言葉の信憑性を裏付けていた。
シーハが異世界って何と聞いたのに対して、お婆ちゃんは、こことは別の世界のことだと説明した。所謂別世界だと。それでも理解できていない様子のシーハに、お婆ちゃんは説明を続ける。
「例えば、天国も別の世界だ。幾ら歩いても辿り着くことはないけれど、肉体と魂が離れることで、初めて魂だけが行けるようになる。それが天国。……でも死んだ人間が生き返ることはないから、あんたは天国の住人じゃないね」
そういった言い伝えは昔からあると、お婆ちゃんは言った。
一度天国というワードが出たとき、シーハの目が見開いたのを、私は見逃さなかった。あんたは天国の住人じゃない、そう言った瞬間にホッと胸を撫で下ろすシーハを見て、私も少しばかりか緊張する。
お婆ちゃんは世界の話をした。
天国と地獄の他に、悪魔の住む世界、竜の住む世界、神様の住む世界、沢山の世界が挙げられた。
「若い頃はそういう本をよく読み漁ったものよ」
「お婆ちゃん、私人だよ」
「私もっ!そう思うっ!」
私が少しおどけて言うと、シーハは真剣にそれを肯定した。
「そんなに沢山あるなら、あたしが知ってる世界の他にも、ここと同じような人間の住む世界があるのかもしれない。だからユウちゃんが別の世界から来た住人でも不思議じゃないのよ」
「じゃあ、人でいいんですね……」
今の話はすごくよくわかった。けど私の口からはよくわからない台詞が飛び出た。人でいいんですねって何だ。
でももしも目の前にいる人間を異世界人と信じているなら、そんなに落ち着いていられるものかと、少し疑問に思った。
「ほんとに、そう思ってるんですか?」
「だってねぇ、島が見つかったなんて聞いたことないもの。それも、そこに国が築かれてるなんて尚更だね。海から先は何も無い。あたしの知る島は、そこから想像を膨らませてできた物語上の小さな陸地だ。本当にあるわけじゃない」
「島から来たことよりも、異世界から来たことの方が、納得できるんですか?」
「まぁね」
何でですかと言いたかった。けど聞いたところで自分が納得できる気がせず、言えなかった。
「ユウちゃんが嘘をついてることの方が、よっぽど可能性があるってものよ」
「嘘じゃ、無いんですが……」
それはそうだ。私の言葉には何の根拠もない。恐らくお婆ちゃんは私のことを、本気で異世界人とは思っていないだろう。
そう思うと、悔しくて堪らなかった。
「わかってるわよ」
「え……?」
「嘘をついてないってことくらいわかってるわよ」
嘘をついてるかもなんて冗談よと、お婆ちゃんは私を真っ直ぐ見て笑った。
どうして、そう言うと「何となく」と言った。そんなので、私が信じられるはずがないと思った。
けれどお婆ちゃんの勘を否定することほど、罰当たりなことはないような気がして、口は紡がれた。
私は今ものすごく翻弄されている自覚があった。
「もういいんじゃない?ユウちゃんは嘘をついていないし、ここに島は無い。一緒に帰る方法探してあげるからさ」
とても軽快な口調だった。
お婆ちゃんは立ち上がり、部屋を出る際シーハに「色々教えてあげるんだよ」と言った。シーハは完全に話が追い付いていない様子で、まごついた返事をした。
「あの、お婆ちゃん……!」
まだ聞きたいことがあった。お婆ちゃんは振り返えると、私が喋り出すよりも先に「続きはまた今度」と言った。
そして部屋の扉を閉める際にもう一度振り返った。
「あと、あたしのことはセンちゃんとお呼び」
カチャンと音を立てて扉が閉まった。お婆ちゃん、否センちゃんの足音が、遠くの方で聞こえなくなった。
私の異世界生活は、少し強引に幕が開いた。