ブラック企業の勤務実態
月曜日。
「仕事だ、仕事だ、かっちゃん、起きろー」
恐らくかっちゃんが僕を居候で置いておく唯一無二の理由が、この朝の目覚まし代わりだろう。何しろかっちゃんの寝起きは悪い。というか寝つきの悪さがこの結果を招く因果応報なのだが、まず目覚ましの1個や2個では歯が立たないのは間違いない。休日は放置しているが、仕事の日はまずい。わが社の場合、遅刻は正に致命傷。その日一日が終わると言っても過言ではない厳しい責め苦が待っている。ことの詳細は〇〇コードに引っ掛かりそうなので記載を控えるが、とにかく遅刻はまずいのである。
布団をはがす程度で起きてくれれば苦労はしないが、大抵は転がしてどこかに衝突何らかの肉体的苦痛を持って目覚めるパターンである。かっちゃんが怪我してしまうのも勿論防ぎたいが、それ以上に日用品を破壊してしまうと即家計に響くので、壊れやすいものは出来るだけ衝突圏内に置かないことを徹底するようにした。例えば以前は魔法瓶が食卓から落下し床に直撃、中に残っていたお湯がかっちゃんにぶちまけられるという悲劇が起こった。幸いなことにお湯は冷めてぬるま湯になっていたため、かっちゃん&周囲がびしょ濡れというだけの軽傷で済んだのだが、この魔法瓶がないというのは極めて不自由であり(何しろここには給湯器がない)、やむなく同程度のものを購入しようとするとこれが滅法値が張った。さすがは地域の名門佐原運送の御曹司、輿入れの道具は上等だったようだ。
いずれにしてもそれから、前述の通りの注意を怠っていないので。今朝もことなく起床となり、昨夜の買い出しで購入したスペシャルサンドを各1個ずつほおばりながら、通勤バスに飛び乗った。
我々のオフィスは渋谷にある。初台からはバスで1本。始発から終点までの乗車で、座っていけるというのがありがたかった。最悪の事態を考慮して、通勤のバスだけは給料日に定期を購入している。仕事しないやつは食うべからず、というのは佐原家・ハナサキ家、両家の共通家訓だった。二人とも皆勤賞で仕事はしているのだが、それでも食うための金が尽きかけている現状は、想定外だったようだ。
さて、職場には一支社30~40人ほどの営業マンが8時前からほぼ全員インが集い、テンションが高いのか低いのか測りがたい雰囲気が漂わせていた。定時は8時半だが、8時にいないと「遅刻」となる為、このようなことになる。
8時ジャスト、朝礼スタート。まずは前日オーダー(受注)を獲得した営業マンからのオーダー発表だ。月曜日の今日は先週土曜日のオーダー発表なので、さすがに件数が少ない。当時は、週40時間労働に向けて、週休2日という企業も徐々に増えていた時代だった。わが社においても、月曜日から金曜日は8時30分~17時30分の1日8時間勤務に加えて土曜日は9時~15時までの週6日、46時間労働が所定労働時間になっていた。半ドンとはいかないが、それでも土曜日は短時間である。
現在は残業時間にも上限が設けられ、年間720時間以上の時間外勤務には罰則付きで義務化されているが、当時はまずこの所定労働時間の段階で既に月間24時間残業をしている勘定になっており、朝30分(土曜は1時間)の朝礼時間を加えると、38時間分の時間外勤務が発生していたことになる。労災認定において脳や心臓疾患の発症と時間外勤務の関係性を疑うボーダーラインが月45時間だというのだから、当時の僕たちは、全く残業をしない状態で既にあと7時間分くらいしか安全圏の余裕がなかったことになる。
僕たち営業の稼働は朝一番と夕方だった。何故かと言えば当時僕たちがターゲットにしていた中小企業の社長さんというのは、大体外回りをしている人が多くて、会社にいるのは朝か夕方、それか夜遅くだったりした。昼間社長さんが会社にいるような会社はアポイントがないと会うことすら難しいのである。つまり、昼間はこっちの商売があがったり、せいぜい社長の在社時間を聞いて回る御用聞きのようなものだった。
結局、夕方5時30分の定時の頃は、僕たちのゴールデンタイムなので、現地で概ね7時くらいまで頑張って、業電(業務連絡の電話)を入れて状況確認をする。当日の部門ノルマが達成していればそこで「あがれ」の指示が出ることもあったが、大抵はそうはならずに営業活動続行となる。これをロングランと言った。狙いは夜遅くに会社にいる社長さんである。夜遅くまで残って仕事しているのだから、それはみんな忙しくて残っているのだ。売れない営業マンの話を聞いている場合ではない。
ということで、概ね21時過ぎに帰社となる。単純に拘束時間を残業時間とするならば3時間30分。更にここから30分~1時間、当日の事務処理と終礼がある。全てが終了して職場を出るのが21時30~22時。平均的な時間外勤務は少なく見積もって130時間/月。危険水域を遥かにオーバーしていた。
ま、確かにその通り、心身に不調をきたして退職する、またはそうなりそうな予感に苛まれて辞めていく人が後を絶たなかったのは、確かだと思う。
しかし、当時の僕もかっちゃんも、時間のことできついなとか、大変だなとかはあまり深刻に思っていなかった。だって、早上がりで例えば20時に仕事が終わったりすると、絶対に飲みに行くわけで、そんな毎日になったら、それこそあっという間に金欠だ。だからそれほど時間が欲しいと思っていなかった。寂しい若者だなあと、笑わば笑え。真実は曲がらないので仕方がない。
やはり、苦しいのは仕事で結果が出せないことだった。
(続く)