006 『街を見下ろす影』
街を一望できるビルの屋上。そこに白井光亮が座っていた。フェンスのすぐ前に胡座を組んで、街を見下ろすように夕焼けを眺めている。
私服のようだったが、一八〇はある背丈を今は背を丸め、肩肘で頬杖をついている。Tシャツにジーンズパンツ、裸足にサンダルという何処か貧乏くさい、見窄らしい格好だ。
「どうした」
光亮の、ぼんやりとかすむ視界の端で、よく通る女の声が飛んできた。
「ん?」
光亮が頭を上げてチラリと振り返ると、そこには見上げるほどの大女が立っていた。
和服。そんなイメージがある女だった。実際に和服を着ているわけではないが、元はスーツだったものが和風にアレンジされているためだ。背は立って並ぶとおそらく光亮と並ぶほど高い。その凛とした佇まいは、どこが訓練された軍人を思わせた。
蛇のような切れ長の瞳に細面。闇に溶け出してしまいそうな漆黒の長髪は丁寧に結えられ、特徴的な長い簪2本で後頭部で止められていた。それでも余った髪が腰まで達そうとするほど長い。
ピンと張った背筋。線は細いが無駄な贅肉は無く鍛えられている肉体であるのは素人目でも分かるだろう。それでいて女性特有の起伏はしっかりとしていた。
その女は、胡座を組んで座っていた光亮の斜め後ろに立っていた。光亮を涼しげな顔で見下ろしている。
「ぼんやりと、何を見ている」
端的で、何の抑揚もない物言いだが、これが彼女の普通だ。
「いや、何・・・・・・」
光亮は、そこから一望出来る町並みをもう一度見下ろして、懐かしそうに眉を細め、言った。
「ここに来るのも久しぶりだからよ。俺が組織に入る前だから、もう十年も前になるんだなって、感慨にふけっていたところさ」
「そういえば、ここはお前の故郷だったか」
思い出したような仕草を見せず、女、嵐宮龍馬は口だけでそういうと、光亮は頷きを返した。
「全然変わってねーな。まあ、十年そこらで町並みは大きく変わらないよな。よっと」
光亮はそう言って、ニシシと悪戯っぽく笑う。そして勢いを付けて立ち上がった。すると龍馬よりも少し高い位置に頭頂が来る。端から見ると百七〇前後の男女が立っている風にしか見えなかっただろう。光亮はフェンスに背中を預ける。
「方はつけてきた。コイツ等も今日中に回収班が回るだろう」
龍馬は光亮の後ろ、拘束され無造作に転がされた四人の男たちに目をやった。
「サンキュな」
龍馬は淡々と言い、その返答に光亮は苦笑いを作った。
誰もは一度は振り返ってみてしまうほどの美女ではあるが、本人といえば男勝りの口調でぶっきらぼう、いつも口をへの字に結んでいる愛嬌の欠片もない女である。まさに名が体を表している、と言ったところか。付き合いの長い光亮でさえ、もう少し可愛げがないもんかと思うほどだ。
「お前の戦い方はいつも冷や汗ものだぞ。危なっかしいにも程がある。サポートする身にもなってくれ」
咎められるように言われて、光亮は「クックックッ…」と肩で笑って、心底楽しそうに言った。
「だってよ、どうせなら格好付けたいじゃん?」
「お前という奴はいつまでたっても……」
龍馬はこめかみを押さえ、呆れるように嘆息した。
彼女が呆れるのも無理はない。彼は組織きっての実力者でありながら、度々戦闘において遊び心を加えて場を混乱させ、挙句おわなくてい負傷までしてしまうのである。長くパートナーをやっている彼女としては苦言の一つでも出てこようものだ。
慣れっこで片付けてしまえばそうだが、彼女にとってははそうも言っていられない事情もある。
「あまり心配をかけさせるな」
龍馬は仏頂面のまま言う。
「……」
光亮は聞いているのか聞いていないのかどこ吹く風で黄昏ている。
「――街中に『狂気』を微かに感じる」
光亮はポツリと呟いた。
「やはりこちらに流れてきているか」
龍馬も感じているのだろう、光亮の言葉に同ずる。
「この広がる『狂気』と最近の九十九憑きについて、お前はどう思う」
光亮の問い掛けに、龍馬は間を置かずに応えた。
「意図的に九十九神を発生させている奴らが居ることは間違いないだろう。個人か、集団かはまだ分からんが」
「まあ、そうだよなぁ」
光亮は確信を得たように言いながら、ズボンのポケットから煙草の箱を取り出して一本咥える。
「ここ一週間で六件か。えらく熱心なやつだよな」
光亮はウンザリする様に言いながら、ジッポーライターで加えた煙草に火を灯して、長い一息を吐き出した。
――九十九神。
人の想いは募り、途方もない年月を経て自我を持ち、力を宿す。
それは時に八百万の神と呼ばれ、時に畏怖され、時に崇められる存在だった。
万物に宿る魂。気の遠くなる年月を経て生まれる自我。人の思いを受け続け、自我の芽生えた『モノ』は『神』へと昇華する。
そして昇華した九十九神は、持ち主に絶大な力を分け与えた。
その自我を持って『神』へ昇華した『モノ』を、光亮達は『九十九神』と呼び、その現象を『転生』と呼んだ。
万物に魂が宿ると古くから言い伝えられているのは、この九十九神の事を指していることが多いが、最近では眉唾物として語れることも多い。
純粋な想いが募り生まれる力は絶大であるが、邪悪な思いが募り生まれる力もまた『九十九神』であり、その力もまた絶大である。
また力はあくまでも持ち主に依存する。純粋な想いで生まれた九十九神も悪用されたら同じことである。
それらの混乱を事前に回避し、それに関する問題を陰ながら調整する組織が日本には古くから存在する。
現在の呼び名は『防衛省超常現象特殊対策局』。世間には秘匿されている特殊機関である。
その構成員は各地に散らばり九十九神に関する調停を行っている。その一人であるのが光亮であり、龍馬だった。
「こんなに堂々と『禁忌』に触れてくると逆に清々しくもあるな」
「こちらは、その堂々とした行為のしっぽすら掴めていない」
「とほほだね、まったく」
光亮のぼやきは龍馬に刺すような指摘をされ、彼はただ肩をすくめるしかなかった。