003 『十年前の邂逅』
「何で泣いているんだ」
それは夕焼け色に沈む河原での出来事であった。一人の小さな女の子が、大きな声を上げて泣いている。
少年はその女の子にそう問うた。
だが、女の子は泣き続ける。いっこうに泣き止む気配を見せない女の子に、少年は戸惑った。
「おい、頼むから泣き止んでくれよ」
「あーーーーーーん」
「・・・くそっ」
少年は頭を掻きむしった。どうやったら女の子を泣き止ませることが出来るのか。それが分からなかった。かまってしまったからには、まさかこのまま置いて帰るわけにはいかない。
考えたあげく、少年は女の子が泣き止むまで待つことにした。
女の子が泣き止んだのは、それからちょうど一時間後であった。
「何で泣いてたんだ?」
少年は泣き止んだのを確認してから、優しく話し掛けた。怖がらせないように。
「・・・・・・」
だが女の子は真っ赤に腫らした目で少年を睨むだけ。口を開いてはくれなかった。
どうしたものか。すでに日は沈み、辺りは暗い。夜は冷えるし、何が出るか分からない。このまま帰ってしまえばこの子をかまってくれる者もいなくなる。
それに、無性に気になることがあった。
女の子が一時間以上も泣き続ける、その、理由。
「俺で良いなら、話を聞くぞ?」
「・・・・・・かまわないで」
「え?」
やっと口を開いたかと思えば、付いて出てきた言葉がそれであった。
「私に、かまわないで。不幸、に、なる、・・・から」
うつむいた少女が漏らした言葉。その言葉の内容に、少年は驚いた。
この年でこんな事を言うということは、よほどのことがあったのだろう。いくら不幸なことがあったとはいえ、こんな事を言う子供はまずいない。
そう思うとギリッと、拳を強く握りしめていた。
「・・・・・・かまわない」
少年は、少し考えてから、そう断言した。
「俺は、不幸になってもかまわない。だから、泣いていた理由を聞かせてくれ」
女の子は、腫らした目を見開いて、少年を見た。
「・・・・・・いいの?」
「ああ、だから、頼む」
「・・・・・・あのね、・・・」
女の子はかすれた声で話し出した。
元々体も弱く、その上人一倍トロいその女の子は、周りから常に冷やかされていた。かばう者もおらず、いつも女の子は一人だった。
それに拍車をかけたのが女の子の極度な天然にあったことだ。いつもニコニコへらへら、冷やかされていることすら気付いていないその性格は、同年代の子供達から気持ち悪がられ、避けられるようになった。
イジメの対象といえばこいつ。
そんな言葉が定着した。
女の子は自分の知識を増やし、だんだんと脳が活発に働きだした頃、つまり周りと同じように普通に話し、生活できるまでに成長した頃、女の子は自分の置かれている立場に始めて気付いた。
友達が一人もいないことに気付いたのだ。
時の経過と共にいずれ友達も増えた。
だが、その友達もイジメの対象となった。むしろ自分より、そちらの方の被害が大きかった。
だんだんと被害が大きくなっていくことを悟った女の子は、これ以上友達を傷付けないために、友達とかかわることを止めた。それは涙を呑むほど辛かったという。
そのせいで、人が自分から離れていくことも同時に感じた。
しかし、それでいいと女の子は思った。これ以上、人が、傷付かないのなら・・・・・・と。
だんだんと孤独にさいなまれるようになった。そして、イジメもエスカレートした。
今日も、ここで男の子達にいじめられていたのだという。泣くことでしか自分をなぐさめることが出来なくなった彼女は、やはりここでずっと泣いていたのだ。
少年はその話を聞いて、歯ぎしりをした。
理不尽な。その言葉がまず浮かんだ。そして、次々に言葉が浮かんでくる。
年端もないこんな女の子が、こんなにも頑張っているというのに、周りの者達はそれに気付いてやることすらないのか。
そこまで心が狭く、人を傷付けることでしか自分を保つことの出来ない、愚民どもしかいないのか。下らない。全くもって、下らない。
誰も手をさしのべる者がいないの言うのなら・・・。
少年は決心した。
「俺がずっと君のそばにいる。だから、もう泣かないでくれ」
女の子は少年のその言葉を聞いて、また嗚咽を漏らし始めた。
「大丈夫だ。もう、大丈夫だ」
少年は女の子の頭を優しく撫でた。
女の子は少年の胸元にしがみつき、また大声を上げて泣き出した。しかし、今度は「安心」からくる「泣き」なのだと、少年は感じた。
その日から、少年と女の子の生活が始まった。
いつも同じぐらいの時間になると、そのいじめっ子達が来るらしい。その日も、同じように来た。
「おい、てめぇのクセしてなに男つれてんだ」
いじめっ子グループのリーダー格なのだろう。一番先頭にいた坊主頭の男の子が偉そうにそう言った。
「べーっ」
女の子は負けまいと小さな舌を出して「あっかんべー」をする。
すると、分かりやすいようにいじめっ子グループの男の子達は激昂した。
「このやろーっ!」
リーダー格の男の子が女の子に向かって手を上げた。
ぱす。
気の抜けるような軽い音と共にその拳は受け止められていた。
「てめぇらか? しけた面してんな。ん、見るからに痛い目にあったことのないボケ面だな。はっ、いい具合に腐った根性してやがる」
少年は、殺気を隠そうともせず、子供たちにそう言った。
「お前には関係ないだろ! あっちいけよ!」
腕をつかまれてもがく男の子。
「嫌だ」
少年はその男の子の腕を容赦なくねじり上げた。
バキバキバキッッ!
明らかに腕から聞こえてきてはいけない異質な音が響く。
「ぎゃああああぁぁぁぁぁ」
するとあっけなく、リーダー格の男の子は情けない悲鳴をもらした。
「う、嘘だろ。何でこいつががこんな奴つれてんだよ」
周りのいじめっ子グループの男の子達が後ずさるが、少年は掴んでいた男の子をそいつ等に向かって、軽々と投げた。腕が、有りえない方向へと曲がり、肉の一部が避け、そこから骨が突き出している。
少年は子供たちに容赦はしない。
もつれ合ってこける男の子達を尻目に、少年はさらに追い打ちをかけるべくゆっくりと歩み寄る。その時の目には、すでに憎悪の色しか含まれていない。
とっ、と地面を蹴ってジャンプすると、計四人の男の子達の上から全体重をかけ、踏みつぶした。
先程と似たような人体から聞こえてはならない異質な音がいくつも響く。体の大きさが少年の方が大きいだけあり、その威力もまた大きい。
呻いて起きあがれない男の子達の、リーダー格の男の子の頭を片手で掴んで引きずり上げると、みぞおちに容赦なく膝蹴りをくらわせた。
口から大量の血をふき出すが、かまわず顔面、正確に言えば口の中に固く握りしめた拳を本気で叩き込む。噴き出した血を無理矢理喉の奥に押し込めた。
グシャ、と顔がつぶれ、顔の原型が無くなった。
動かなくなった「それ」を地面に放り投げる。やられた子供は最早息すらしていない。血糊がが喉に詰まっているのだ。そうなるように少年が攻撃した。
そして、残った三人を睨み付けるようにして見下ろした。
それだけで、その成り行きをはっきりと見ていた男の子達は失禁した。
「こうなりたくなければ、二度とこういうことをするな。そいつを連れてさっさといけ。殺しはしていない。だが、もはや二度と動けまい」
男の子達は狂ったように首を縦に動かして、リーダー格の男の子を引きずりながら走って逃げていった。
「ありがとう。でも、やりすぎです」
それを終始見ていた女の子はお礼と共に少し怒った口調でそう言った。
「お前が今までいけた苦労を比べればまだ足りないんだけどな」
「そういう問題じゃないです。人を傷付けるのは良くないです」
散々いじめられてきたというのにこの言い様である。
女の子のあまりのお人好しに、少年はあきれてものも言えなかった。
だが驚いたことに、いじめっ子グループ一つだけではなかった。しかもほとんどが集団で、タチの悪いイジメをしていく奴等ばかりだった。
それらをことごとくぶちのめし、追い返し、瀕死にさせて親元に送りつけたりした。その度に、女の子が「もうやめて」とか、「やりすぎです」とかいじめっ子を庇う様なことを言い続けた。たまに、泣きながら訴えていた。暴力の解決は良い結果を生まないと、言っていた。
そして、いじめっ子グループも来なくなり大分落ち着いてきた頃には、女の子の顔には笑顔があった。
少年が独自に女の子をいじめていた者達をリストアップして調べてみたところ、総計百二十八名。しかもこの地域全般の子供達であることが分かった。
その現実に、少年はさらなる怒りをつのらせた。
ある日の河原である。少年はいつも通りそこに行って、女の子と話をしていた。
「なあ」
「なーに?」
「お前、体が悪いんだってな」
「そんなことないもん」
「隠すなよ。分かってる」
少年は波打つ水面を眺めながら静かにそう言った。女の子はうつむいてしまった。
「だから、なのか。だから抵抗しないでやられてばかりいるのか」
「だって、だって、私、弱いんだもん。強くなりたいけど、なれないんだもん。すぐ苦しくなって、頭がくらくらして・・・・・・」
少女は少しの間沈黙し、少年を見上げていった。その瞳には、強い信念が込められていた。
「・・・・・・強くなりたいんです」
「『心』を強く持て。そしたら、強くなれる」
「ホント?」
「ああ、そうだよ。実際、そうしていると、応援してくれる奴も出てきてくれる」
すると、少年の懐が、ほんのりと明るくなった。
「こうやって、いつも励ましてくれる」
その明りを上からそっと手で押さえ、感じ取るようにそっと目を閉じた。
「私は・・・・・・」
「大丈夫、お前には俺が付いている。まだ安心していいぞ」
「でも、いなくなっちゃったら私・・・・・・」
「そしたら、――これを半分上げるよ」
「ホントに?」
「約束だ」
「じゃ、指切り」
「そうだな」
少年と女の子は小さく小指を絡めた。
そして、別れの時。
「俺はもういかなきゃならない。やることを見つけた」
少年は言いにくそうに切り出した。初対面の時より明らかにやせ細った女の子は何も言わない。このときが来ると始めから分かっていたように、その顔には決意と決心の色が見えた。
「約束」
「ああ、わかってる」
あの時約束した。護ると、守り抜くと。そして御守を半分あげることを。
・・・・・・だから。
「手を出して」
少年はそっと女の子の弱々しい手を取ると、しゃがみ込み、自分の額に近付けた。
パアァ、と淡い光りが灯り、それが女の子の手に収束していく。
光りがやむと、少年は頭をあげた。
「胸に手を当ててみな」
「・・・・・・、ホントだ。暖かい・・・」
女の子は嬉しそうに目を細めた。
「自分をしっかりと持て。そうすれば負けることは、少なくとも死ぬことは、ない。――強く生きろよ」
少年は女の子に背を向けた。
歩き出しても、女の子は未練がましく追いかけてきたり泣き出したりすることはなかった。
ただ一言。
「有り難う」
その言葉を残して、女の子と別れを告げた。
聞いたよ。その命、もうほとんど残されていないことを。後一ヶ月・・・・・・。だが、俺はお前を無闇に殺したりはしないよ。生きながらえてくれ。それは、お前の体を護り、強くしてくれるはずだ。君の体内にある、数多の病巣を取り払ってくれるだろう。
少年は女の子と別れ、河原を歩きながら懐から拳銃を取り出した。それも、大口径の大型拳銃『デザートイーグル』だ。
少年はそれを見て険しい顔を作る。半分になった自分の「分身」。
「平気か?」
拳銃に話し掛けると、銃がほのかに光り、小さく振動した。前よりは幾分光りが弱い。そして、返答が返ってきた。
『うん。――の決めたことだから、かまわない。平気だよ』
「すまないな」
『大丈夫。私はどんなことがあっても――についていくよ。私は、――を護る』
「ありがとう。これからも、よろしくな」
『うん♪』
―――自分がこれから置かれる状況は、常に「死」と隣り合わせになる。そんな状況に、あの女の子を巻き込むわけにはいかないのだ。
少年は、夕闇に静かに消えていった。
少年・十五歳、女の子・七歳。