咲花村との往復
今から山を駆け降りて、咲花村で弁当を買ってから山頂まで戻ってこなければならない。
経路は、昨日登ってきた道だ。
そういえば昨日、緩やかにしてくれと頼んだにも関わらず、蒼竜様が作った道は結構きつい坂道だった。今思えば、最初から修行に使うつもりだったから、緩やかにしなかったのだと考えると合点がいく。
これから降りる道は出来立ての道で、きちんと伐採されているわけでもなく、へし折られた木もあれば、突き出している枝もある。ただでさえ足元に気を付けなければならないのに、更にその道を走るとなると、どれだけ疲れるかわからない。そう思いながら、天幕に置いてある私の荷物から背負い袋を取り出し、財布を突っ込んだ。腰には鉈を挿しておく。
途中、何か食べないと下まで持たないので、おやつ休憩で食べる何かが欲しいところだが、ここには甘味はないし、今からおむすびを握ってもらおうにもご飯はもう残っていない。
仕方がないので、私は更科さんのところに行って、
「薫、ちょっとだけすみません。
これから蒼竜様の指示で咲花までお弁当を買いに行くことになりました。
少しだけ、ムーちゃんの餌を分けていただいてもよいでしょうか?」
とお願いした。更科さんは、
「うん、いいよ。」
と言って5粒、体力の実を渡してくれた。ムーちゃんは、
「キュキュイ、キュ!」
と言って抗議してきたので、更科さんから受け取った中から1粒渡した。すると割と単純で、すぐに機嫌を直してくれた。
更科さんは、
「ついでに、梅干しも持っていくといいわよ?
ちょっと味が変わっちゃったけど、咲花で食べれば少しは疲れがとれるかもしれないし。」
と言って渡してくれたので、それも受け取ってから山を駆け降りた。
修行なので、私はできるだけ休まず駆け下りた。
途中、突き出した枝も切り落としたが、全部綺麗にしていては時間がもったいないので、避けられるものはできるだけ避けた。
昨日と同じところで一度休憩して、体力の実を1粒食べたのだが、これだけだとなんとなく味気ないなと思った。平地に出てからは伐採の必要もないので、一気に咲花村まで走っていった。
咲花村についた頃には、流石に息も絶え絶えだった。なので、私は咲花村の門の前で倒れ込むように寝転がって、大の字で息を整えた。
すると、門番さんが慌てて駆けつけ、
「おい!おめぇ!
何かあっただか!」
と聞いてきた。私は、
「いえ、ひぁ、ひぁ、今修行中でして、ひぁ、ひぁ、ちょっと走って、ひぁ、ひぁ、春高山から、ひぁ、ひぁ、駆け下りたのですが、ひぁ、ひぁ、体が、ひぁ、ひぁ、持ちませんでした。ひぁ、ひぁ。」
と答えた。すると門番さんは、
「何もねんだな?
紛らわしいこと、すんでねぇぞ!」
と怒られた。そして、
「しかし、春高山か。
あそこは、昨日も狂熊さでたと言うでねえか!
ちっとは、気ぃつけろや!」
と、少し心配された。私は、
「ありがとうございます。ひぁ、ひぁ。
でも、ひぁ、ひぁ、狂熊なら、ひぁ、ひぁ、なんとか出来ますので、ひぁ、ひぁ、大丈夫ですよ。ひぁ、ひぁ。」
と返した。門番さんは、
「そんなに息さ切らしているのに、大丈夫とか、信じらんねんぞ?
命は一つしかねぇんだ。
粗末にすんでねぇぞ!」
と怒られた。私は、手を半分上げて、
「はい、ひぁ、ひぁ。
気をつけます。ひぁ、ひぁ。」
と返した。
私は暫く寝て息が整ってきたので上半身を起こし、梅干しを食べた。梅干しから、少し醤油の味がする。暫く、梅干しの種を口の中で転がしながら、下山したときのことを振り返った。
昨日、蒼竜様が伐採した道は、やはり足元が凸凹で切り株もたくさんあって走りづらかった。
途中、蜘蛛の巣もたくさん張っていて、これも駆け下りるのに邪魔だった。
以前、蜘蛛の巣は下草を刈って木の下の方の枝を剪定すれば少なくなるという話を聞いたことがあったのを思い出した。私は、蜘蛛の巣の多い所は少し時間を取って鉈で下草や枝を刈る事にしようと思った。
梅干しの種の塩っ気が薄くなったので、口から出して休憩を終わりにすることにした。
私は体を起こし、咲花村の門に歩いた。
門をくぐる時、門番さんに、
「先程はすみませんでした。
これから日に何度かここで倒れると思いますが、よろしくお願いします。」
と話した。しかし門番さんから、
「余裕を残すのも修行のうちだでな?
倒れるまで出し切るんは、馬鹿のすることだ。
分かったな?」
と説教を食らってしまった。私はその通りだと思ったので、
「これから気をつけます。」
と言ったものの、慣れる迄は倒れないとも限らないので、
「それでも、最初は力加減がわからないと思いますので、その時はすみません。」
と先に謝った。すると門番さんは呆れたように、
「おめぇは、分かってねぇでねぇか。
熊さ襲ってきた時に対処できねば、死ぬんはおめぇだぞ?」
と今度は優しく諭してきた。私は、
「門番さんの仰るとおりです。
死んで妻が悲しむのも良くありませんので、程々にしようと思います。」
と返した。すると、門番さんは、
「えれぇ若けぇのに、もう、嫁さおるだか?
まぁ、程々が一番だで、嫁さ悲しません程度に修行すんだぞ。」
と苦笑いで返されてしまった。
それから咲花村でお弁当を4個買い、ついでにおやつに饅頭も5個買って咲花の門を出た。
門番さんに、
「これから登るだか?
気ぃ付けてな!」
と激励された。私も、
「程々に頑張ります。」
と答えて駆け足で春高山に向かった。
春高山の登山口まで来た時、門番さんが『熊さ襲ってきた時に対処できねば、死ぬんはおめぇだぞ?』と言っていたのを思い出した。私は少し迷ったが、時間はかかっても狂熊に対応するために、歩いて登ることにした。
下っていた時は勢い良く降りていたので景色は見えなかったが、今は少し周りを見る余裕がある。
景色が見えていなかったということは、狂熊が近くにいても気が付かず殺られたかもしれないと思うと、何となくゾッとした。
途中、小腹が空いたので饅頭を1個食べる。体力の実の味気ないのと違って、こっちのほうがやはり美味しいので、次もまた饅頭を買おうと思った。
ふと見ると、角突鹿という、黒くて硬い立派な角が生えた魔獣がこっちを見ていた。紅葉鍋にすると美味しいと聞いたことがあったので、更科さんへのお土産にしようと思い、駆けて近づいたが逃げられてしまった。
深追いすると遭難すると思ったのですぐに引き返したが、惜しいことをしたと思った。
途中、蜘蛛の巣が多かった所に、また蜘蛛の巣が張られていた。
まだ、朝通った時から1刻ちょっとしか経っていないのに、迷惑な話だ。向こうも生きるために張っているのだろうが程々にしてほしいものだ。
仕方がないので、鉈でこの辺りの下草や枝を四半刻ほど刈った。
そうこうして山に登ると、ちょうどお昼になった。
蒼竜様が、
「かなり汗はかいているようだが、息はほとんど切れておらぬようだな。
最初、勢い良く駆け下りておったようだが、どこで気がついた?」
と聞いてきた。私は、
「何の話でしょうか?」
と聞いたところ、蒼竜様は、
「あまりに疲れては、獲物を狩るどころか、狩られてしまいかねんということだ。」
と言った。なので私は素直に、
「あぁ、全部だし切ったら不味いという件ですね。
あれは、自分では気がつけませんでした。
咲花村まで駆け降りて倒れ込んでしまったのですが、門番さんに『熊に遭ったらどうする』と言って怒られまして・・・。」
と話した。すると蒼竜様は、
「ふむ。
まぁ、それでも理解できなんだら今、ここで倒れ込んでいたであろうな。
まぁ、及第点と言ったところか。」
と話した。私は、
「それは良かったです。」
と言ってから、
「こちらが買ってきた弁当です。
4個ありますので、皆さんでいただきましょう。」
と言った。すると更科さんが、
「えっと、・・・飯盒で炊いちゃったから、ご飯が沢山になっちゃったわね。
残ったらおむすびにするから、おやつの替わりにでも持っていってくれる?」
と困り顔で話した。私は、
「すみません。
先に声を掛けておくべきでした。」
と言った。すると蒼竜様も、
「すまん。
言うのを忘れておった。」
と話した。しかし蒼竜様は何かに気がついたようで、安塚さんの方を向いて、
「それにしても、安塚は知っておった筈だが、なぜ止めなんだ?」
と聞いた。安塚さんは、
「足りないのかなと思いまして・・・。」
と言い訳したのだが、明らかに目が泳いでいた。
ぎゅるるる・・・。
意図せず、私のお腹の虫が鳴いた。私は、
「すみません。
お昼にしませんか?」
と恐る恐る手を挙げて提案した。お腹の音を聞いてしまっては否定するわけにも行かなかったのだろう。蒼竜様はまだ追求したりない様子だったが、
「そうだな。
奥方殿、配膳を頼む。」
と言ってお昼にすることになった。
更科さんは、私の買ってきたお弁当の中身を覗き込んでから、おかずを取りに行った。
更科さんが戻ってくる間に、私は蒼竜様と安塚さんにお弁当を配った。
更科さんがおかずとお味噌汁を持って戻ってきた。おかずは、野菜の煮物だった。まだまだ砕けた野菜が残っているようだ。
私が買ってきたお弁当は梅干しと、高菜のお漬物のおむすびなので、悪くない組み合わせだなと思った。
ご飯を終えたところで蒼竜様は、
「よし。
午後も走らせようかと思っておったが、体力を残しておくことの重要性が分かったようだしな。
褒美というわけでもないが、昼食の片付けが終わったら、温泉が湧いている所に行くとするか。」
と少し笑いながら言った。
安塚さんと更科さんが『待ってました』とばかりに立ち上がり、あっという間に片付けをした。
私は、片付けをしている最中に安塚さんに午後降りた時、ついでに野菜も頼まれていた事を思い出したが・・・、忘れたことにした。
安塚さんはウキウキした顔で、
「では、さっそく温泉に参りましょう。」
と言って、蒼竜様を促したのだった。
蒼竜様:午後も走らせようかと思っておったが、体力を残しておくことの重要性も分かったようだしな。
(褒美というわけでもないが)昼食の片付けが終わったら、温泉が湧いている所に行くとするか。
安塚さん:(温泉♪昨日は手ぬぐいで拭っただけだし、早く片付けなきゃ!)
更科さん:(早く入りたい!臭って、和人に嫌がられたくないし・・・。)
山上くん:(午後から無くなって、助かった〜。とっとと片付けて、ゆっくり入るとするかな。)




