その一つだけ
寒さ厳しいい冬の夜。
私は、自分達の部屋で更科さんに字を確認してもらいながら、大祓詞を早口で読み上げていた。
その7回目の音読が終わった所で、障子の向こうから、
「お待たせしました。」
と下女の人が声を掛けてきた。時間的にも、湯たんぽを持って来たのだろう。
私は興味津々で、
「ありがとうございます。
どうぞ、お入り下さい。」
と声を掛けた。障子が開き、下女の人が入ってくる。
下女の人が、丸い円柱状の陶器を抱えている。
スキルで温度を見ると、湯たんぽは熱い風呂よりも温度が高いように見える。
竜人の下女の人は普通に持っているが、人間が普通に持てる温度ではない。
更科さんが、
「それが、湯たんぽですか?」
と受け取ろうと手を出した。だが、下女の人は、
「はい。
こちらは人には熱いので、私が準備を致します。
少々お待ち下さい。」
と笑顔で接し、布団の方に歩き始めた。
火傷しそうな温度なので、それが正しいに違いないのだが、更科さんは少し不満げだ。
だが、更科さんは、
「なら、お願いするわね。」
と返事をし、私からも、
「すみませんが、宜しくお願いします。」
と伝えた。下女の人は、
「承知致しました。」
と頭を下げ、手前に敷かれた布団の中に湯たんぽを入れた。
下女の人が、
「終わりました。」
と報告する。
更科さんが、
「入れるだけなのね。」
と言うと、下女の人は、
「はい。」
と頷いた。そして、
「ただ、この湯たんぽ、中には熱湯が入っております。
夜間、割ってしまわないように、くれぐれもお気をつけ下さい。」
と注意事項を話す。
下女の人は、お湯に対する注意しか話さなかった。だが、湯たんぽが割れたら、その欠片の方が危ないに違いない。
私はそう考えて眉根を寄せつつ、
「分かりました。
蹴飛ばしたりしないよう、注意します。」
と返した。
ふと、湯たんぽが1つしか無い事に気がつく。
私が、
「ところで、佳織の分は無いのですか?」
と質問をすると、下女の人は、
「はい。
湯たんぽは、その一つだけにございますので。」
と答えた。
そういえば、これは紅野様が貰ったものだと言っていた。
物にも依るだろうが、同じ物を複数贈る人は、あまりいないだろう。
私がそのような事を考えていると、下女の人は、
「もし、奥方様もお使いになりたいのでしたら、一緒に使ってみては如何でしょうか。」
と提案をした。更科さんと同じ布団に入る様子を想像し、体が上気するのを感じる。
更科さんが、
「分ったわ。」
と返し、私に、
「そういうことだから、和人。
今夜は、和人の布団に寄せてね。」
とやや上目遣いでお願いしてきた。私が、
「・・・えっと、・・・。」
と答えに迷っているうちに、下女の人が、
「ふふふっ。
他人がいては、答え辛いのですね。
では、私はこれにて失礼いたします。」
と満面の笑みで下がっていった。
更科さんが、
「それで、・・・どう?」
と答えを迫ってくる。
一人で使うと言ったならば、更科さんに冷たい布団で寝ろと言うのも同じ。これでは、冷たい。
だが、二人で使う場合は同衾する事になり、私に相当の勇気が必要となる。
私は赤面しつつ、
「えっと・・・。
二人で・・・、布団に入った方が・・・、温かいですしね。」
としどろもどろに答えた。
更科さんが、
「そうね。」
と笑い、
「あと、3回。
頑張ってね。」
と一緒の布団に入るというのに、湯たんぽを楽しみにしている様子だった。
大祓詞を読み進めるにつれ、更科さんを意識する。
読む事よりも、寝る事で頭が一杯になっていく。
こんな事では駄目だと思うのだが、更科さんから、
「そこ、『可』よ。
さっきまで読めてたのに、どうしたの?」
と簡単な仮名も読み間違える始末。私は、
「だって、同衾ですよ?」
と言い訳をすると、更科さんは、
「結婚してるんだから、枕は並べるでしょ?」
と言われてしまった。今まではそうしてこなかったが、確かにその通りだ。
断る理由が、まるで無い。
私は、
「それでも、緊張するのですよ。」
と苦笑いすると、更科さんから、
「すぐに慣れるわよ。」
と一言。湯たんぽは1つだけなのだから、このままでは今冬はずっと同衾する事になる予感。
私は、
「そうだと良いのですが、今から壊れそうなくらいドキドキしているのですよ。」
と返すと、更科さんは、
「私も、ちゃんと慣れるように協力するから。」
と笑った。が、どう慣れさせようとしているのか考えただけで、更に脈が早くなる。
だが、更科さんの方は余裕綽々で、
「大丈夫よ。
緊張しただけで死んだなんて話、聞いた事ないから。」
と気にする素振りもない。私は、
「既に、・・・早駆けでもしたように・・・なっているのですが。」
と現状を説明したのだが、更科さんは、
「そうなの?」
と首を傾げだけ。
仕草は、いつもと同じ。
平素なら可愛いと感じる所なのだろうが、何故か今夜は、蛇に睨まれた蛙の心持ち。
私は冷や汗を流しながら、
「ええ。」
と返し、気を紛らわせようと、
「残りも読んでしまいますね。」
と話を変えたのだった。
刻一刻と終わりが近づいていく。
──後、三行。
心臓は、早鐘の如く脈打っている。
読んでいるのに、読んでいる感覚がない。
──残り、二行。
只、読んでいるだけなのに、息が上がる。
更科さんから、
「大丈夫?
深呼吸してみたら?」
と心配される。私は、
「はい。」
と言われるままに大きく息を吸い込み、又、読み始める。
──残り、1行。
一文字読んでは、深呼吸する。
更科さんから、
「大丈夫?」
と再び声が掛けられる。
私は、
「はい。」
と返し、
「もう少しなので、頑張ります。」
と言いつつちょっぴり時間を稼ぐ。
が、一言にかかる時間は微々たる物。
ついに、最後まで読み終えてしまった。
私は、今もこんな状態なのに、同衾して身が持つのだろうかと心配になった。
長火鉢の火の始末をし、行灯の灯りを消す。
更科さんは、少し恥ずかしそうな声で、
「じゃぁ。」
と布団に入る。そして、
「暖まってるわよ。」
と嬉しそうな声。私は、
「そうですか。」
と返事をし、恐る恐る布団の端っこに入った。
湯たんぽがあるであろう、足の方が暖かい。
私が、
「暖かいですね。」
と声を掛けると、更科さんも、
「ええ。」
と頷いた。だが、
「でも、もっと真ん中に入ったら?」
と近づくように促してきた。
私が迷っていると、更科さんから、
「和人の方、布団、めくれてない?
冷たいの、入ってきてるわよ。」
との指摘。私は、
「ごめんなさい。」
と謝ると、更科さんは、
「うん。
だから、・・・ね?」
と少し甘えた声。真ん中に寄れと言う事なのだろう。
私は、
「分かりました。」
と返事をし、3寸ほど真ん中に入った。だが、更科さんから、
「もう少し。」
と声がかかる。まだ、布団の外から冷気が入ってきているらしい。
私は、
「はい。」
と返事をし、更に3寸ほど真ん中に寄ると、自分でも冷たいのが入ってこなくなったのが分った。
私は、
「これで大丈夫ですか?」
と確認したが、更科さんは、
「もっと。
・・・ね?」
と声がかかる。私が更に3寸、奥に入ると、更科さんから、
「その位置だと、寝ている間に寝返り打ったら、外に出ちゃうわよ?」
と指摘。私は、
「そうですね。」
と、もう3寸。更科さんの空間と繋がった。
更科さんが、
「えいっ!」
と言って私の上に乗ってくる。私が心の蔵が止まる思いをしながら、
「ぎゃぁ!」
と声を上げると、更科さんから、
「大丈夫。
怖くないからね。」
と諭すように言ってきた。私は恐る恐る、
「怖いと言いますと?」
と確認したが、更科さんは、
「むっ。」
と唸ると、
「今夜はこれで寝てね。
これなら寒くないし、慣れるのも早いでしょ?」
と言ってきた。何が怖いかは、答えてくれなかった。
私は、
「分かりました。」
と返したものの、このような状態だ。
私は全く眠れる気はしなかったが、
「では、おやすみなさい。」
と言って更科さんの頭を撫で、目を閉じた。
尚、その後は更科さんは寝ているようだったが、頬ずりされたり、着物の中に手を突っ込まれたりと、私はその晩、全く眠れなかった。
本日は江戸ネタを仕込み残ったのですが、枠外でしょうもないのを一つだけ。
今日、神社に行くと夏越大祓が行われていました。
屋台とかが並んでいてたのですが、この屋台。江戸時代の頃は普段の日から出ていました。
江戸の町は単身者が多かったのもあり、外食産業が発達する土壌が有ったのですが、店舗を構えずに比較的容易に始められるという事で、路上販売の屋台が多かったのだそうです。(出典注意)
・屋台
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B1%8B%E5%8F%B0&oldid=100502694




