相場を崩壊させてしまうらしい
私は、生物はその場で食べ、煮物はそのまま手を付けずに、折に詰めて持たせてもらった。折と言っているが、煮物は金箔で絵柄が描かれた漆塗りの小さいが立派なお重に入れられ、綺麗な染の風呂敷に包んである。お重は三段だが、一番下の段だけ使っている。
これはどう考えても高級品なので、うっかり落として傷をつけたり汚してしまったら大変だ。洗い方や、返し方のお作法は、千代ばあさんなら、きっと年の功で知っているだろうから後で教えてもらおうと思う。
私は折を包んでくれた女中さんに、
「こんな立派なお重と風呂敷に包んでいただいて、ありがとうございます。
でも、汚してしまいそうなので、できれば別の古いものに変えていただきたいのですが・・・。」
と聞いたところ、女中さんは、
「そのようなものは、ここにはありませんよ。」
と断った後で、小さな声で、
「その、私もこちらに奉公に上がったときには、同じように思っておりましたが、やはりこちらは反物とは言え、布を扱うお店でしょう?
それなのに、小汚い風呂敷を持たせたとあっては、悪い風評が立つこともあるかもしれませんので、そこは気を遣っているのですよ。」
と、理由を教えてくれた。私は、
「そういうことですか。
それでも何かこう、立派過ぎるものを持たされると、落ち着かないですよ。」
と話すと、女中さんは小さく笑いながら、
「それは私も昔、思いました。
でも、汚さないに越したことはありませんが、どうしても汚れる時は汚れますので、気にせず持って帰って下さいね。」
と言っていた。これは家柄なので仕方がないと、私は風呂敷の交換を諦めた。
更科さんが、
「和人、女中さんと何を楽しそうに話しているの?」
と突っかかった物言いをしてきた。私は、
「風呂敷があまりにも立派なので、汚れたらどうしようか心配だと話していたのですよ。」
と言った。すると更科さんは、
「気にしなくていいわよ。
どうせ家にはいっぱいあるんだから、一枚や二枚失くなったって、別にどおってことはないわよ。」
と言った。それでも高価なものには代わりはないのだが、
「薫さん、ありがとう。
そう言ってもらえると、少しは気が楽になりました。
でも、やはり借り物なので、大切に扱いますよ。」
と内心はさておき、更科さんに伝えた。
私は沓脱ぎ石まで行って草履を履いていたのだが、弟君が、
「この時間、まだ木戸は閉まっているところはないとは思うのですが、心配なので町の門まで送りますよ。」
と言ってくれた。私は大杉町にはほとんど来たことがないので土地勘もなく、正直言って物凄く助かるのだが、おそらく、それを見越しての申し出なのだろう。
私は更科さんの家の中ではほとんど話すことはなかったこともあって、名前はうろ覚えだったが、
「弟君・・・、えっと、修君、よろしくお願いします。」
と言ったところ、弟君は、
「あぁ、薫から名前を聞いていたんだな。
和人だったか。
面倒だから『君』とかいいよ。
まぁ、大杉にはまだ2回、ほぼ素通りしただけだと聞いてたのでね。」
と言った。弟君は更科さんと双子で同い年だから、私とも数えでは同じはずだ。気配り上手ということなのだろう。
私は、
「では、お言葉に甘えまして、修、よろしくお願いします。」
と言った。私は皆さんにお別れの挨拶をしようと、
「それでは、これで失礼いたします。
本日は突然訪問してすみませんでした。」
と言ったところ、弟君が、
「?
薫から聞いてないか?
昨日、『今日は和人の実家に挨拶に言って、明日は和人を家に呼ぶわよ』と言ってたが。」
と返してきた。私は、そう言えば最初にそういう感じのことも言っていたなと思い出し、そうすると、明日の約束はどうなるのだろうと、ちょと心配になってきた。一先ず私は、
「すみません。
すっかり忘れていました。
実は今朝、『早く帰れるので、薫さんの実家に行くのは明日に延期しよう』という話になっていたのですが、いろいろあって遅くなったので急遽、家まで送ることになったのですよ。」
と話すと、お父様が、
「そうだったのか。
遅くなったのは、どんな事があったのかね?」
と聞いてきた。私は、
「実は、平村から葛町までの道の途中で蒼目猿に襲われましてね。
その時、遠くから当たると怪我をしそうな勢いの種をバチバチと飛ばして来たのですよ。
それがもし、来年発芽して種を近くから飛ばされるようなことになれば危険ですよね。
なので、冒険者組合に報告してなんとかしてもらいに行きました。
でも組合の人に種を調べてもらったら、自然に芽が出る種ではないので問題ないということで放置することになったのですが。」
と経緯を話した。お父様は、
「あぁ、そういう事だったのか。」
と納得していた。他のご家族も頷いていた。更科さんは、
「じゃぁ、和人。
また明日ね?」
と言ったので、私も、
「はい。
また明日。」
と返した。そして、
「それでは今度こそ、失礼いたします。
修、道案内、よろしくお願いします。」
と言って更科家を後にした。
しばらく門に向けて歩いていたのだが、何も話さないのも間が持たないので、弟君と先程の蒼目猿の話をしていた。弟君も更科さんと同様、つい先日学校を卒業して冒険者見習いになったばかりなので、この手の話には興味津々のようだった。
弟君が、
「蒼目猿が種をバシバシ飛ばしてきたのですか。
硬い種だと、さぞかし痛いのでしょうね。」
と言ってきた。私は、
「はい。
地味に痛かったですよ。
ただ、その種なのですがね、実は『体力の実』と言うものでして、冒険者組合で1粒が銭50文で買い取ってくれる代物だったのですよ。」
と言った。弟君はこれを聞いて、
「『体力の実』って、一時的に持久力が上がるやつか。」
と言った。私は、そう言えば冒険者組合で『体力の実』がどういう効能を持つのか聞いていなかったなと思い出した。
弟君は続けて、
「それ、冒険者組合で銀2匁で売ってるぞ。」
仕入れの倍以上で売っているというのは、結構ぼったくりじゃないか。」
と文句を言っていた。私は、
「いえ、手数料もありますし、これが他の町に運ばれたりすれば輸送費もかかるわけですから、これは仕方がないですよ。」
と、一応、理由を考えて言ってみた。すると、
「そう言えば和人は歩荷だったな。
輸送費がかからなければ、和人の賃金もなくなるわけか。
なるほど、希少品だから運ぶ量も少ないだろうし、そうすると人件費もかかるからそうなるか。」
と言って、納得したようだった。弟君は、
「その場所を教えてもらえないか?
散乱した種を集めて冒険者組合に売れば、いい金になりそうだ。」
と言った。私は、大きな袋にかなりの数を持って帰ったのを思い出し、
「そうか、あれを売れば大金が出来るのか。
でも、あんまり売ると、ムーちゃんがへそを曲げそうだしな・・・。」
と言った。私はムーちゃんが怒るから、すっかり餌という認識になっていた。弟君は、
「え?
ムーちゃんが食べるのか?」
と聞いてきた。私は、
「はい。
今日、薫の家に入るときに大きな袋を持ってきていましたが、あれが全部そうです。」
と答えると、弟君は少し驚いたようで、
「あれだけ売れば、ひと財産になるぞ。
どう考えても、1万粒以上あるんじゃないか?」
と言った。1万粒で銭なら50万文ということは、銀で5貫ということになる。
それだけあれば、結納金くらいは軽く賄えそうだ。
それだけではない。私は、蒼目猿が魔法を使うところを見たので、真似できるかもしれない。もしそうなら、魔力を与えて、好きなだけ生産できるのではないだろうか。歩荷も冒険者も辞めて、それだけで更科さんと食っていけそうな気がしてきた。
私は、
「言われてみれば、1万粒で銀5貫にもなるのですね。
それは思いもよりませんでした。
明日にでも薫とも相談しないといけません。」
と嬉しそうに話した。しかし、弟君は、
「あ〜、すまん。
ちょっと、話を盛った。
本当に1万粒も売ると、流石に値崩れするだろ。
おそらく、銀1貫くらいに落ちるんじゃないか?」
と言って、本当に1万粒売っても、思ったほど金が入らないことを指摘されてしまった。弟君は、
「毎月100粒づつ出して銀50匁受け取るとか、そういう感じで飲み代にするのが妥当な線だろうな。
銀50匁もあれば、結構いい店で飲めるぞ。」
と言った。
私は仕方がないので、他の方法で結納金を作る方法を考えることにした。
弟君に大杉の町の門まで送ってもらった頃には、戌二つ時を過ぎていた。
私は、
「本日は門まで送っていただいて、ありがとうございました。」
とお礼を言うと、弟君から、
「いえ、こちらこそ不出来な姉ですが、薫をよろしくお願いします。」
と言って更科さんのことをお願いされた。私は、
「勿論です。」
と返してから、お別れの挨拶をして門を出た。
私は、ほとんど真っ暗な中、空に浮かんでいた上弦よりも太った月の光を頼りに急いで葛町へ帰ったのだった。
女中さん:(薄汚れた格好の坊っちゃんには似つかわしくないけど、娘さんの旦那さんになる人だから、
立派なお重を使わないと大奥様に怒られるかしらね。)
山上くん:こんな立派なお重と風呂敷に包んでいただいて、ありがとうございます。
でも、汚してしまいそうなので、できれば別の古いものに変えていただきたいのですが・・・。
女中さん:(まぁ、そう言いたくなるでしょうね。)そのようなものは、ここにはありませんよ。
(これからの事もあるし、理由くらいは言っておきますか。)




