資格
寒空の下、谷竜稲荷で休憩していた私達の所に、ムーちゃんが輿に乗ってやって来た。
古川様が言うには、ムーちゃんの才が飛び抜けており、あっという間に物を憶えていった結果、今やムーちゃんは庄内様と同格まで出世したのだそうだ。
衝撃を受けた私は思わず大きな声を出してしまい、清川様から静かにするようにと叱られた。
稲荷の側も到着した事で、今日の儀式に参加する人達が全員揃う。
暫く休憩を取った稲荷の巫女様が、
「では。」
と声を掛けると、私以外の人達が動き始めた。
私がどこに移動すればよいかと困っていると、古川様がやって来て、
「こっち・・・よ。」
と言って私を誘導した。そして小声で、
「朝・・・、私の右斜め後ろ・・・。
三歩下がって・・・ついてきてって・・・。」
と遠慮がちに苦情を言ってきた。あの説明は、神社までの列をどうするかだけではなかったらしい。
私は、
「すみません。
てっきり、ここに着くまでの話と誤解しておりまして・・・。」
と謝ると、清川様から、
「双方に言いたいことはあるが、反省は後じゃ。
今は、儀式にの。」
と言われてしまった。私は、
「はい。
申し訳ありませんでした。」
と謝った。
谷竜稲荷の前には、今日の儀式のために棚が設置されていた。
その棚の両端には、榊が飾られており、中央には恐らく例の鏡。その他にも、スルメや昆布等、いろいろな物が三方に乗せられて置いてあるのが見えた。
その棚に向かい、先頭には見た事のない神職の人が立ち、大麻を構えている。
その後ろの1列目には、やはり見た事のない神職の人達が3人。次の列には、稲荷の巫女様や古川様とムーちゃん等、4人と1匹が並ぶ。そして、稲荷の巫女様のお付きの人たちや清川様と私は、3列目に並んでいだ。
先頭の神職の人が鏡に向かって大麻を振り、短く何か言った後、お辞儀を始める。
これに合わせ、周りの人達も一斉に頭を下げ始めたので、私も慌てて頭を下げる。
儀式が始まったようだ。
神職の人が、祝詞を上げ始める。
四半刻くらいかけてその祝詞を上げ終えると、その神職の人は、また鏡に向かって大麻を振った。
そして、鏡に向かって何やら話しかける。
更に、2度、大麻を振って話しかけるが、その後、どういう訳か少し首を傾げた。
今度は、別の祝詞を上げ始める。
その祝詞が上げ終わると、また大麻を振り、首を傾げる。
神職の人は何かを考えながら脇に下がると、その神職の人が古川様を呼び出した。
暫く2人で何か話していたのだが、それからどういう訳か、今度は私も呼ばれた。
事情がわからないまま、私も2人のいる所に移動する。
すると神職の人が、
「山上よ。
あれは、どうすれば良い?
確かに、鏡におわすのは間違いないのじゃがな。
何か聞いておらぬか?」
と矢継ぎ早に質問をしてきた。
私は、何を目的に質問をしているのか、状況が見えないままに、
「『何か』・・・ですか?」
と首を捻り、正直に、
「どのような儀式をするかは、私はさっぱりでして・・・。
昨晩、古川様とムーちゃんを連れてくるようにとは言われましたが・・・。」
と伝えた。神職の人は、顎に手を当て、
「少なくとも、山上殿とムー殿、後は古川が呼ばれた事は間違いなさそうじゃな。
しかし、儂らまで会えぬは、どういった理由じゃろうか。
これでは、儀式が進められぬではないか。」
と困り顔だ。どうやら、鏡の中にいる分け御霊に、神職の人が会えない点が問題のようだ。
私は、
「どうするのですか?」
と質問すると、神職の人は、
「分からぬから、聞いておる。」
と不機嫌そうに言ってきた。
古川様が、
「困っておるようじゃの。」
と私に声を掛けてきた。どうやら、古川様に竜の巫女様が憑依した様だ。
私は一番に、『線引き』という単語を連想し、
「出てきても、宜しかったので?」
と聞いてみた。すると、古川様は、
「まぁ。
じゃが、今は、古川じゃ。」
と返事をした。
状況を飲み込めていないのだろう。神職の人が怪訝な顔をする。
だが、『まぁ』と言うからには、彼の表情を察して説明するのは悪手。
私は、神職の人の表情を見なかったことにして、古川様に、
「そうですね。」
と返事をし、
「それで、これからどのようにすれば良いのでしょうか?」
と確認した。神職の人が、私と古川様の顔を見比べる。
先程までと、古川様の話し方も変わっているのだから、仕方がないだろう。
だが、古川様もそれを無視し、
「うむ。
まず、社の中に場所を移すが良いじゃろう。
その後は、ほれ。
山上もよくやっておるじゃろう。
瞑想すれば、会える筈じゃ。」
と答えた。私は列に並んだ人達を見ながら、
「では、今の儀式は、中断という事でしょうか?」
と確認すると、古川様は、
「稲荷神が3人を指名したのじゃ。
現状からして、他とは会うつもりがないと考えるが自然じゃろう。」
と答えた。暗に、中断だと言っているようだ。
だが、ここで神職の人が、
「会うつもりがない?
ここは分社。
総本社の儂らが会えぬ道理は、ないじゃろうが。」
と厳しい口調で古川様に文句を付け、
「そう思わぬか?
山上とやら。」
といきなり、話を振ってきた。
私は突然の事に対応できず、
「そうは言われましても・・・。」
と誤魔化しがてら古川様に助け舟を求めると、古川様は、
「その分け御霊、どのような経緯で鏡に入ったかを考えてみよ。」
と反論してくれた。
──それと、神職の人が会えないというのに、どういった関係があるのだろうか?
私には話の繋がりが分からなかったが、神職の人は、
「うむむむ・・・。」
と唸り声を上げて何か考え始めたので、思い当たる事があるようだ。
私は、
「一先ず、3人だけ会えるという事ですかね?」
と確認したのだが、神職の人が、
「勝手に話を進めるでない。」
と文句を言ってきた。私は他の段取りがあるのだろうと思い、
「すみません。
では、次はどのようにすればよいでしょうか?」
と質問をすると、神職の人は、
「思いつかぬから、こうして相談しておる。」
と不機嫌そうに返してきた。古川様が、
「煽るな。」
と苦笑いをする。
私は、そのようなつもりがなかったので、取り敢えず、
「申し訳ありません。」
と謝った。そして、その意図がなかった旨を話そうとしたのだが、先に古川様が、
「うむ。
して、そちらに次の手はないという事でよいか?」
と確認を入れる。神職の人は、
「確かにそうではあるが・・・。」
と口籠る。古川様は、
「ならば、次に進めるしかあるまい。
それとも、どうしても横槍を入れたいか?」
とやや厳しい口調で質問した。
──横やりとは、どういう意味なのだろうか?
私がそんな事を考えている内に、神職の人も少し考え、渋々という感じで、
「仕方あるまい。」
と了承した。古川様が、
「うむ。」
と頷き、
「では、山上。
これから、妾等は社に籠もるぞ。
ムーも忘れずにの。」
と指示をした。私は、
「分かりました。」
と返事をした。
古川様が、
「先ずは、その鏡じゃな。」
と言って、神職の人に社の中に移動するよう、依頼する。
私はその間に、ムーちゃんの所に移動し、
「ムーちゃん、これから社に入る事になりました。
一緒に来てくれますか?」
と伝えると、ムーちゃんは、
「キュィ!」
と鳴いて私の肩に登った。
私は、清川様に、
「では。」
と挨拶をしてから、社に向かった。
社の中に入ると、既に外にあった棚が社の中に運び込まれていた。
そして、その前には古川様が座っている。
私は、ここは2人と1匹で籠もるには少し狭いななどと思いながら、
「すみません。
お待たせしました。」
と声を掛けると、古川様は、
「なに。」
と返事をした。まだ、古川様に竜の巫女様が憑依しているままのようだ。
私は、
「それで、これから何をすればよいでしょうか?」
と質問すると、古川様は、
「先程も言うたじゃろうが。
いつもやっておるように、瞑想するのじゃ。
そして、ムーと古川は、それに合わせれば良いじゃろう。」
と答えた。そして、
「そうそう。
この話は、古川に伝わっておらぬから、説明してから瞑想に入るのじゃぞ。」
と念を押した。古川様が話している内容を、自分自身に伝えるようにという会話は、事情が分っていても笑いが込み上げてくる。
私はその笑いを我慢しながら、
「承知致しました。」
と返事をした。
次の瞬間、古川様がキョトンとし、私を見ながら、
「どうして・・・、ここ・・・に?」
と質問をしてきた。竜の巫女様が、古川様への憑依をやめたようだ。
私は、
「先程、次の儀式に進めようという事になりまして。
それで、私が瞑想しますので、古川様とムーちゃんは私に合わせるようにと仰っていました。」
と答えると、古川様は少し考え、
「えっと・・・。」
と困惑した様子。ムーちゃんが、
「キュイ。
キュッ、キュ、キュイ!」
と何か説明をすると、古川様は、
「なら・・・、山上が前に座って・・・ね。
私と・・・ムーちゃんは・・・、後ろに座る・・・から。」
と指示を出した。私が少し戸惑いながら、
「前にですか?」
と確認すると、古川様は、
「本来・・・、山上が神主・・・よ。
なら・・・、その形にする方が・・・良い筈・・・よ。」
と説明した。私は、
「ですが・・・。」
と遠慮したのだが、古川様は、
「その方が・・・、合わせやすいから・・・ね。
それに・・・、少しずつ・・・、慣れていかないと・・・ね。」
と、やり易さの問題がある様子。理由があるなら仕方がない。
私は、
「分かりました。」
と渋々前に座った。何となく、居心地が悪い。
後ろから古川様が、
「山上・・・、初めて良いわ・・・よ。」
と声をかけてきたので、私は、
「分かりました。」
と返事をし、瞑想を始めた。
今回も江戸ネタを準備できなかったので、その他で1つだけ。
作中の谷竜稲荷の外観ですが、流造の想定です。
この流造というのは、正面の賽銭箱や鈴が設置されている方の屋根が長く出ている屋根の作り方で、全国で一番多い神社の屋根の形なのだそうです。
なお、階段の上にニョッキっと突き出ている向拝と呼ばれる屋根が付いている神社もありますが、谷竜稲荷は小さな社なので付いていない想定です。
・神社建築
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・流造
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・向拝
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