出かける準備を
古川様が稲荷の側の誰かと念話で遣り取りをし、細かな事を確認していく。
その間に雑談でもと思い、私が、
「今日、本当は竜帝城から使いの人が来て、赤竜帝と謁見する予定もあるのですが、白狐から、神様の用事が優先と一蹴されてしまいまして。」
と切り出すと、佳央様から、
「それ、もっと早く言いなさいよ。」
と怒られた。そして、佳央様は眉根を寄せると、
「すぐに連絡するから。」
と目を瞑る。
少し、して佳央様は目を開け、
「一先ず、蒼竜様に伝えておいたわよ。」
と報告してくれた。私は、
「いつ頃とか、話は出ましたか?」
と確認すると、佳央様は、
「今、伝えたばかりなんだから、判るわけ無いでしょ?」
と少し不機嫌そうだ。私は、ご尤もな意見なので、
「まぁ、そうですよね。」
と同意した。
清川様が、
「着物の準備は良いのか?」
と確認する。私は、そう言えば長持から出していないなと思い、
「佳織、すみません。
着物を出してもらっても良いですか?」
とお願いすると、更科さんは、
「分かったわ。」
と快く引き受けてくれた。
清川様が、
「着替えるのは、朝餉を食べた後じゃからな。」
と注意をする。私は、それはそうだろうと思ったが、
「承知しました。」
と返事をした。
更科さんが、
「じゃぁ、出してくるわね。」
と座敷から退出する。
暫くして古川様の念話が終わり、亜空間から紙や筆を取り出す。
古川様は、
「すみません。
天神机か何か、・・・ありません・・・か?」
と尋ねると、控えていた下女の人が、
「気が付かず、申し訳ありません。
只今お持ちしますので、少々お待ち下さい。」
と返事をした。古川様が、
「お願い・・・ね。」
とその下女の人を見送る。
その下女の人は、すぐに天神机を持って来て、
「お持ちいたしました。」
と報告しながら、古川様の前に置く。古川様は、
「ありがとう。」
とお礼を言った。そして、その机に硯や墨を出し、墨を磨り始める。
清川様が、
「先に、山上にでも頼めばよかったろうが。」
と指摘すると、古川様は、
「あっ・・・。」
と言って苦笑いした。
墨が出来ると、今度は天神机に紙を置き、筆に先程すった墨を少し含ませ、筆先の形を整える。
そして、今日使う祝詞を書き始めた。
古川様が私に合わせ、平仮名や平仮名と思しき字を書き連ねていく。
暫くして、1枚目が書き上がる。
それを私が読み上げ、清川様に合っているか確認してもらう事となった。
くずし字という物は、偶に形が似ている文字もあるし、種類も多いせいでうろ覚えの字もある。
そのせいで、私はちょくちょく清川様に指摘を受けた。その度に、私が読める平仮名を使って、振り仮名を書き加えていく。
そうこうしている内に、2枚目が書き上がる。
まだ、1枚目も振り仮名終わっていないので、私は、
「少し、急ぎますね。」
と断って、早口で読み上げたのだが、清川様から、
「書いた文字は、逃げはせぬ。
ゆっくりで良い。」
と言ってくれた。私は、
「ありがとうございます。」
とお礼を伝え、元の速さで続きを読み上げていった。
古川様が、3枚目を書き上げる。
それとほぼ同時に、障子の外から、
「朝餉は、如何致しましょうか。」
と声がかかった。
古川様は、
「私は・・・、大丈夫・・・よ。
山上くんは・・・、どう・・・する?」
と確認すると、清川様は、
「そうじゃの・・・。
先に、摂るとするかの。」
と返事をした。古川様は、
「分った・・・わ。
机の上・・・、片付けるわ・・・ね。」
と早速道具を片付け始める。
だが、下女の人から、
「別のお座敷に準備しましたので、そのままでかまいません。」
と笑顔で返した。古川様は、
「いえ・・・。
もう・・・、書き終わったから・・・よ。」
と決まりが悪そうに返した。下女の人は、
「そうでしたか。
出過ぎた事を申しました。」
と謝ると、古川様は、
「いえ・・・。」
と返した。
その後、下女の人の案内で、別の座敷に移動する。
そこには既に、膳が並べられていた。
だが、その上には粥が乗るのみ。
私が溜息をつくと、清川様から、
「仕来りじゃ。」
と苦笑い。更に、
「これから、山上が率先して指示せねばならぬのじゃ。
これ以降、溜息は禁止じゃからな。」
と注意した。一瞬、「禁止」が「金糸」に聞こえたが、それはどうでも良い。
清川様が『率先して指示せねばならぬ』と言っているのは、将来、私が谷竜稲荷の神主になるからに違いない。
そう思った私は、
「分っています。」
と困り顔で返したのだった。
そっけない朝餉が終わり、自分たちの部屋に戻り、更科さんに手伝ってもらいながら、着物を着替え始める。
概ね着替えが終わった時、更科さんが、
「うん。
立派ね。」
と言った。だが、私は中身が伴っていない事を自覚しているので、
「着物だけは、そうですね。」
と返すと、更科さんは、
「そう?
ちゃんと似合ってるけど。」
と私を褒めた。
私は、外見の話はしていない。
たが、更科さんの事だから、それは百も承知の上での言葉だろうと思い、私は、
「ありがとうございます。」
とお礼を言った。
残りの着替えも、すぐに終わる。
更科さんが、
「これで男前ね。」
とにっこり笑った後、
「前にこの衣装を着た時、行列したでしょ?
その時、私もこっそり見に行ったのよ。」
と話を始めた。
私は、何となく気恥ずかしくなりながら、
「そうなのですか?」
と聞くと、更科さんは、
「うん。
一人だけ、この衣装だったから、目立ってたわよ?」
と少し笑いながら話した。私は少し思い出し、
「あぁ、他の人は皆、白か赤の袴だったからですね。」
と納得すると、更科さんは、
「そうそう。
でも、その時もちゃんと馴染んでたから、大丈夫よ。」
と笑った。どうやら更科さんは、先程の遣り取りを踏まえて、私に自信を持って貰おうと、この話をしたようだ。
私は、それが嬉しくて、
「分かりました。」
と笑顔で返した。そして、
「でも、行列で思い出したのですが、あの沓、歩き辛いんですよね。」
と付け加えると、更科さんは、
「あぁ、あれね。
確かに、歩き辛そうね。」
と頷いた。私は、
「ええ。
お陰で、沓擦れになって、大変でした。」
と苦笑いすると、更科さんは、
「大丈夫だったの?」
と聞いてきた。私は、大変だったと言っただろうと思いながら、
「はい。
なんとか。」
と苦笑いし、
「古川様に、治してもらいましたし。」
と付け加えると、更科さんは、
「そう。」
と一瞬だけ表情が消える。
どうして更科さんは、急に不機嫌になったのだろうか?
私には、その理由は解らなかったが、
「そろそろ、座敷に行きましょう。
祝詞も憶えないといけませんし。」
と理由を付け、話を終わらせることにした。
更科さんも、
「そうだったわね。」
とこの話は追求せずここで手打ちにしてくれた。私は、
「はい。」
と返し、二人で皆が待つ座敷に移動したのだった。
作中、天神机が出てきますが、こちらは寺子屋で使う学校机となります。
ただ、江戸時代の当時、寺子屋の机は備え付けではありませんでしたので、家から自分の机を持ち込んでいました。
後、初めて寺子屋に行くことを、どういうわけか「初登山」と言ったのだそうです。
もう一つ、作中に平仮名にふりがなを振るという、現代では考えられない描写が出てきます。
こちらはこちらは既出のネタですが、以前の「今日の手筈」の後書き等でも紹介しました通り、昔の平仮名は1音に複数の漢字(母字という)が割り当てられていた事によります。
・五、寺子屋
深谷大『さし絵で楽しむ江戸のくらし』平凡社, 2019年, 電子書籍で読んだのでページ数不明
・寺子屋
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%AF%BA%E5%AD%90%E5%B1%8B&oldid=92555918
・Unicode変体仮名一覧
http://codh.rois.ac.jp/char-shape/hentaigana/
・変体仮名
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%89%E4%BD%93%E4%BB%AE%E5%90%8D&oldid=92976143




