今日の手筈(てはず)
お屋敷の座敷で稲荷の巫女様との挨拶も終わり、本題に入る。
私は何も聞いていないというのに、清川様が、
「山上様は、本日の手筈を確認したいと仰せじゃ。」
と質問を初めた。
稲荷の巫女様が、
「承知いたしました。」
と頷き、
「先ず、山上様には、これから祝詞を3つお教え致します。
1つ目の祝詞は輿に乗る前、2つ目はお社に着いた後、その社の中にて。
最後、また輿に乗り、こちらに戻った後となります。」
と説明した。私は覚えられるかが不安になり、
「それで、その祝詞はどのくらいの長さにございましょうか?」
と確認すると、清川様が私に近づき、小さな声で
「質問がある時は、私に視線を送るのじゃ。
さすれば聞きに行くからの。」
と困った顔で指示をした。そして、
「直接はならん。」
と付け加える。私は、清川様の耳元に顔を寄せ、
「申し訳ありません。」
と謝った。
清川様が元の位置に戻り、
「山上様は、祝詞の長さを気にしておられるが、どうなのじゃ?」
と質問をする。
すると荷の巫女様は、
「どれも、百行ほどにございます。」
と答えた。私は思わず、
「略式に・・・」
と質問をし掛けたのだが、清川様の視線に気づき、途中で止める。
清川様が私の側により、小さな声で、
「先程、言うたぞ?」
と怒られた。私は、途中で気づいたのだから怒らなくても良いのにと思ったが、小声で、
「申し訳ありません。
思わぬ長さに、つい・・・。」
と伝えると、清川様は、
「次は、気をつけるのじゃぞ。」
と許してくれる模様。私は、
「ありがとうござます。」
と謝意を伝えた。
清川様が、小声で、
「それで、先程の言葉から察するに、山上は長うて覚えられぬと言いたいのでよいか?」
と確認する。身も蓋もないが、将にその通り。
私は、
「はい。
仰る通りです。」
と苦笑いをしながら返すと、清川様は、
「一応、聞いてやるがな。
こればかりは、無理じゃと思うぞ。」
と言った。
元の位置に戻った清川様が、
「山上様は、その百行、もう少し縮まらぬかと仰せじゃ。」
と確認をする。稲荷の巫女様は、眉根に皺を寄せ、
「1行にしても宜しゅう御座いますが、見る者の有難味がのうなり御座います。」
と難色を示す。私は清川様に視線を送って私の元に呼び、小声で、
「有難味というのは、誰に対してなのでしょうか。」
と質問をした。清川様も、
「言われてみれば、そうじゃの。」
と納得をし、また元の位置に戻る。
清川様が、
「山上様は、その祝詞は誰が聞くのかと聞いておいでじゃ。」
と伝えると、稲荷の巫女様は、少しの間を置いて、
「・・・身内の者となります。
外の者が聞くことは、ありますまい。」
と返す。清川様は、
「ならば、形式にこだわる必要もないじゃろう・・・と仰せじゃ。」
と途中、素で返しているようにも見えたが、交渉してくれた。
おかげで、稲荷の巫女様が、
「ははぁ。
では、1行の方にて。」
と折れてくれる。清川様が私の側に寄って、
「良かったの。」
と言った。
私も助かったと思い、
「はい。」
と安堵の気持ちを伝えると、清川様は少し頷き、また元の位置に戻った。そして、
「山上様は、そうかと仰せじゃ。」
と伝えたのだった。
稲荷の巫女様が、短縮された祝詞を告げる。
私は清川様を呼んで、
「後で、紙に書いてもらってもよいでしょうか。
うっかり、取り違えてもいけませんので。」
と適当な理由を付けてお願いすると、清川様は少し困った顔をしたが、
「良いじゃろう。」
と請け負ってくれた。
だが、私としては清川様に書いてくれるようにお願いしたつもりだったのだが、清川様が稲荷の巫女様に、
「山上様は、短冊を所望じゃ。」
と書くように指示を出す。
稲荷の巫女様は、嫌な顔ひとつせず、
「ははあ。
承知いたしました。
後ほど、お持ちいたします。」
と約束をする。清川様が、
「紙と筆があれば、ここで書けるか?」
と確認すると、稲荷の巫女様は、
「準備していただけるのでしたら。」
と了承した。清川様は、
「相、分かった。」
と返事をした。
清川様が私の近くに寄り、耳元で、
「これから山上には、一旦下がってもらう。
私が謁見の終了を告げたら、下がるのじゃぞ。
その後、私は紙と筆を取りに行くが、山上は廊下で待っておれよ。」
と指示を出す。私が、
「分かりました。」
と返事をすると、清川様がまた、先程の位置に戻った。
清川様が、
「これにて、謁見を終わりとする。
稲荷の巫女は、これから紙と筆を与えるゆえ、ここで待つが良い。」
と言って、私の方を見た。私は、これで下がればよいのかと思い、一旦、廊下に出た。
遅れて、清川様も出てくる。
清川様は、
「では、また後での。」
と声を掛け、紙と筆を取りに行ったのだった。
清川様が戻るまで、廊下で立って待つ。
柔らかな陽も射してはいるが、今の季節、寒さの方が勝る。
庭の松の木さえ、寒さに耐えているように見える。
清川様が早く戻って来ないかと待っていると、少し風が吹き、思わず体がブルリと震える。
腕を十の字に組み、肩を窄めつつ、両手で二の腕を擦る。
足も、左右交互に細かく踵を上げ、体を動かす。
体が温まる事はないが、そうせずにはいられない。
暫くして、清川様が戻ってくる。
清川様は、
「寒そうじゃが、もう少し待つのじゃぞ。」
と言って、座敷の中に入っていった。
中から、清川様と稲荷の巫女様が話をする声が聞こえてくる。
あまり良い趣味とは言えないが、障子に近づき、聞き耳を立ててみる。
中からは、
「あまり、甘やかすでないぞ。」
「良いではないか。
どうせ人は、我らに比べて寿命が短い。
1から10まで全て覚えさせる必要もあるまいよ。」
「それにしても、1行とは。」
「本日は白狐様が彼の御方に謁見するのが目的。
山上様ではない。」
「それはそうじゃろうが・・・。」
「まぁ、話しておっても短冊は白紙のままじゃ。
そろそろ、書きたいのじゃが?」
「そうじゃったの。
では、宜しく頼むぞ。」
といった会話が聞こえてきた。
それから、祝詞が上げられ、暫く、沈黙の時間が続く。
そして、
「では、これを山上にの。」
「よいが、・・・これは達筆じゃの。
山上が読めるか、心配なのじゃが・・・。」
「そうか?」
「うむ。
確かに美しい字じゃが、字を綺麗に見せるために、随分と元の字を崩しておるではないか。
・・・まぁ、先に読ませ、読めぬ所に仮名でも振るか。」
「清川様の方が、よほど甘やかしているではないか?」
「そのような事は、・・・あるかもしれぬか。
今、仮の巫女として修行をつけておるせいかの。」
「なるほど、情が湧いたという訳か。
じゃが、ほどほどにの。
先も言うたが、人は、我らに比べて寿命が短い。」
「分かっておるわ。」
と聞こえてきた。
それから最後だけは、
「では、これを渡す事とする。
ご苦労であった。」
「ははあ。」
と形式に則った挨拶をした後、清川様が座敷から出てきた。
清川様の手には、3枚の短冊がある。
清川様は、
「聞き耳を立てておるのが、丸わかりじゃったぞ。
せめて、気配を消すなりせぬか。」
と苦笑いしてきた。私は、
「申し訳ありません。」
と謝り、
「それで、それが礼の短冊ですか?」
と話を逸した。清川様が手に持った3枚の短冊を広げて見せ、
「うむ。
3葉ある。
が、達筆での。
読めるか?」
と聞いてきた。
私は、
「ここで読めばよいのですか?」
と聞くと、清川様は、
「いや、場所を移すか。」
と言って、朝餉を摂った座敷に移動した。
私は、あまり文字が得意でない。
書いてある仮名が読めず、清川様に助けてもらう事にした。
私は、
「違う仮名なのに、どうしてこんなに形が似ているのでしょうかね。」
などと文句を言いながら、清川様に読みを確認しつつ、仮名の横に私が読める仮名を振り直したりしたのだった。
今回は、しょうもないネタを2つほど。
作中、(ちょっと強引な感じもありますが)短冊が出てきます。この短冊、説明も不要とは思いますが、和歌や俳句を書いたり、七夕で笹に吊るす細長い紙となります。
短冊は、元々は細長い紙にちょっとした印やメモを書いたようなものだったそうですが、その後、占いや神仏への願いを書いたり、和歌を認めたりするのにも使われるようになったそうです。
この神仏への願いを書いた名残は七夕の短冊飾りとして残っていますが、この風習は江戸時代の頃にできたそうです。
因みに江戸時代の頃の七夕では、笹は屋根の上に飾られたのだとか。
もう一つ、作中、山上くんは異なる仮名なのに字の形が似ている言ったり、仮名の横に仮名を振ったりと、現代人からすると不思議な事が書かれています。
これは、くずし字の中には、仮名の元となった漢字こそ違えど、崩した結果、似た字になる事があるためだったり、変体仮名という、同じ読みなのに異なる仮名がいくつも存在するためとなります。
以前、「これは流石に」の後書きで紹介した「Unicode変体仮名一覧」を紹介しましたが、この中でも、例えば、「衣」と「之」や「具」と「里」、「支」と「爾」と「與」等、沢山の罠が見受けられます。馬に至っては、「ま」と「め」の2つの読みがある始末。しかも、どの仮名を使うかは、書き手が得意とするものに寄りがちという話はあるものの、その時のインスピレーションで決まるというあやふやなものだったため、同じ文章でも異なる仮名が平然と使われているとのこと。
これでは、少しばかりくずし字を勉強しても読めません。おっさんも、さっぱりです。(^^;)
・短冊
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・七夕
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・Unicode変体仮名一覧
http://codh.rois.ac.jp/char-shape/hentaigana/




