巫女様の掌上(しょうじょう)
田舎鮨にて、蒼竜様の話が続く。
蒼竜様が、
「まず、玄翁様について説明せねばなるまい。」
と前置きをし、ちらりと不知火様の方を見た。
不知火様は、
「いいだろう。」
と同意する。どのような話をするかは不明だが、許可を取ったという事は、本来、話してはいけない内容を含むのかも知れない。
蒼竜様は酒で口を潤し、
「では。」
と言って盃を置いた。そして、
「玄翁様は、先々代の赤竜帝からの家臣でな。
先代の赤竜帝を押した人物でもあるのだ。」
と説明した。焔太様が、
「ならば今回、排除したのだな?」
と質問をすると、蒼竜様も、
「結果的にそうなるな。」
と答えた。
私は、
「そういえば、先代の赤竜帝は好戦的だったのでしたね。」
と言うと、蒼竜様は、
「その話を聞いているならば、話は早い。」
と頷く。焔太様が、
「どういった話だ?」
と質問をすると、田中先輩が、
「昔、この三人で前の赤竜帝を倒したんだがな。
その時、最後まで抵抗したのが玄翁だ。」
と手短に説明した。本来、何も知らない人に説明するのであれば、どういった背景があったか等、もっと説明が必要だ。
だが、焔太様はその点を知っていたのか、気にした様子もなく、
「ならば、討取るが尋常ではないか?」
と会話を続けた。ある程度、既に話を聞いていたのかも知れない。
蒼竜様が、
「いや。
そうすると、里が弱体化し過ぎるのが目に見えていたからな。」
と眉根を寄せる。
これを聞いて、不知火様が、
「当時、他里とは三人で不可侵の約束を結んで周ったそうなのだがな、それが必ず履行されるとは限らない。
ゆえに、先代の勢力の一角である玄翁様を政の場に残す事となったのだ。」
と補足してくれた。赤竜帝が、
「玄翁も、里が失くなるのは本意ではないからな。」
と付け加える。
すると焔太様は、
「里あってという訳か。」
と納得した。
清川様からも、
「お互いの利害が一致したのじゃな。」
と一言。それから、最後の白和えを摘んだ。
不知火様が、
「この話は、本筋ではない。」
と次の話に進むように促す。
蒼竜様は、
「うむ。
目の上の瘤のようなものだったとだけ、思ってもらえれば良い。」
と言った。そして、
「そういった背景もあり、玄翁様を外すには、それなりの理由が必要だったのだ。」
と説明した。それなりという事は、里がひっくり返るような大事件という意味だろう。
だが、それだと疑問が残る。
私は、
「白狐の件が、それなりの理由になるので?」
と質問すると、大月様から、
「最後まで聞け。」
と怒られた。
蒼竜様が、
「確かに、それ自体は隠居せねばならぬ程の話ではない。」
と同意したが、
「だが、その話は後だ。」
と後回しにされた。ますます、疑問が深まる。
蒼竜様は、
「この件、微妙ゆえ話し辛いのだがな。
里の安寧を願って、巫女様が神楽を舞った後の事だ。
巫女様が、赤竜帝をお呼びになってな。」
と話が飛んだ。蒼竜様が、巫女様が憑依している古川様をチラリ確認する。
蒼竜様は、
「この時、玄翁様が里の転覆を計画していると仰ったのだそうだ。」
と言った。この話が本当ならば、なるほど、それなりの理由になる。
私は、
「それと私の件と、どのような関わりが?」
と質問すると、蒼竜様は、
「この件を調べるために、玄翁様を調査する必要がある。
だが、巫女様が仰ったというだけでは、理由にはならぬ。
故に、証拠を押さえるために踏み込む理由が必要だったのだ。
それで、今回、山上に白羽の矢が立ってな。」
と説明した。古川様が、
「妾の息がかかった者を、地下牢に閉じ込めたのじゃ。
誰がやったか、包み隠さず申せと苦情をな。」
と口を挟む。赤竜帝も、
「これを口実に、玄翁の私邸を洗いざらい調べたのだ。」
と付け加える。
蒼竜様は、
「尋常であれば、私邸になど踏み込めはせぬゆえ、油断していたのだろう。
色々と、埃が出てきてな。」
と苦笑い。そして、
「詳細は省くが、それなりの証拠が出てきたという訳だ。」
と言って、不知火様の方を見た。
不知火様が、
「そう言う事だ。
分かっているとは思うが、これ以上は聞くなよ。」
と締め括る。結局、飛び飛びでしか話を聞くことが出来なかったが、こう言われては諦めるしかない。
それはそれとして、自分はずっと巫女様の掌上に運らされていた事に気が付く。
私は、
「つまり、私が狐憑きになる事も、拐かされて地下牢に捕まる事も、全て織り込み済みだったというわけですか。」
と古川様にジト目を向けた。
古川様は、
「代わりに、妾という後ろ盾を得たのだ。
悪くない話じゃろうが。」
と気にした様子はない。私は更科さんをチラ見して、
「これから何年も修行漬けになりそうですし、あまり良い事があったとは思えませんが・・・。」
と反論をしたのだが、古川様は、
「まぁ、今はそう思うのかも知れぬがな。
そのうち、良かったと思うようになる筈じゃ。」
と自信ありげだ。この言が先見の結果だとすれば、そうなのだろう。
私は更科さんの顔をちらっと確認してから、
「分かりました。」
と引き下がることにした。
まだもやっとしている中、障子の外から声がかかる。
「次を、お持ちしました。」
障子が開き、店の人が膳を運び込む。
膳の皿の上には、普通の稲荷寿司と、油揚げをひっくり返した物、それぞれ2個づつ乗っていた。
田中先輩がニヤニヤしながら、
「山上。
その、ひっくり返った方を食べてみろ。」
と指示をした。
私は、
「何かあるのですか?」
と聞いたのだが、田中先輩は、
「いいから、食ってみろ。」
と言うばかり。私は、
「田中先輩が食べたら、いただきます。」
と答えた。田中先輩は、
「そうか。」
と言いうと、手で掴み、一口食べた。
そして、
「これでいいか?」
と確認する。特に、おかしな様子もない。
私は不思議に思いながら、
「はい。」
と答えた。
裏返しの稲荷寿司を箸で掴み、端の方を少し齧ってみる。
予想通りの味醂の甘み。だが、その次に来たのはヒリッと強めの辛みだ。
不意打ちの辛さに、口の中の物を吐き出したくなる。
だが、そうするには周りは錚々たる面々。
ヒーヒー言いながら酒で流し込み、なんとか落ち着く。
私は、
「これ、何ですか!」
と文句を言うと、田中先輩は、
「からし稲荷だ。」
と普通に返した。火山様が、
「これも、実家の方で作られる寿司だな。」
と説明したのだが、田中先輩はそれを無視し、
「子供が食べぬよう、裏返してあるそうだぞ。」
と言ってきた。
つまり、私の味覚は子供だと言っているようだ。
私は、
「私は確かに、あまり辛いものが得意ではありません。
ですが、ずっと上の人でもいるではありませんか。」
と指摘した。ふと見ると、更科さんが隣で普通に食べている。
その視線に気が付いた更科さんは、口の中のものを飲み込んだ後で、
「ちょっと、辛子が多目よね。」
と気まずそうに言ってきた。私は、
「子供舌ですみませんね。」
と開き直ったのだった。
作中のからし稲荷は、長野県松本地方の郷土料理だそうで、辛子を油揚げの内側に塗って作った稲荷寿司となります。
作中の通り、「子どもたちが間違って食べないように、油揚げを裏返しておくのが一般的」なのだそうです。確かに、見た目が同じだったら、ロシアン稲荷(?)になっちゃいますね。(^^;)
・からし稲荷
大和書房編集部『信州のおばあちゃんたちに聞いた 100年後にも残したいふるさとレシピ100』大和書房, 2022年, 122頁




