里に戻る事に
私は、雫様のお母上と座敷で朝餉が来るのを待っていた。
赤光様は、仮眠のため、既に部屋から下がっている。
暫くすると、雫様がやってきた。
雫様は入ってくるなり、
「山上。
帰れる事になったそうですね。」
と嬉しそうに言った。ここにくる間に、女中さんから聞いていたのだろう。
私はそのような事を考えながら、
「はい。
ただ、嬉しくはあるのですが、佳央様や佳織へのお土産をどうしようかと思いまして。」
と返事をすると、雫様は、
「そうですね。
赤竜帝や戸赤、後は不知火なんかにも渡したほう良いでしょう。」
と付け加える。私は、
「確かに、そうですね。
失念しておりましたが、帰れるように尽力して下さった皆様にもお渡しすべきでした。」
と言いながら、誰に渡すべきか考えた。
雫様が、
「そういう事です。」
と頷く。雫様のお母上も、一緒になって頷いていた。
私は、
「それで、この里で、お土産になりそうな名産品は何かありますか?」
と話を変えた。
雫様が、
「どうですね・・・。」
と言いながら少し考え、
「この里では、お饅頭が定番でしょうか。
ですが、あられ餅というのもありますよ。」
と教えてくれた。私は、
「あられ餅と言いますと?」
と聞くと、雫様は、
「指くらいの大きさの、餅米を使ったお菓子です。」
と説明した。私は、
「お持ちを焼いたものですか?」
と聞くと、雫様は、
「少し、違いはありますが、概ねそのような物です。
表面に醤油を塗って、カリカリに焼いてあります。
出来たては香ばしいで匂いもしますし、食べた時の音も楽しめますよ。」
と教えてくれた。私は、
「それは良いですね。
それで、お店はもう開いているのでしょうか?」
と聞くと、雫様は、
「まだ、日が出たばかりです。
店が開くのは、まだ1刻は先ではないでしょうか。」
と答えた。私が、
「朝食を食べたら、出発する予定なのですが・・・。」
と言うと、雫様は、
「ならば、後から届けるように手配しましょうか?」
と申し出てくれた。私は、
「お願いできるなら、それが一番ですね。
ですが、手間ではないですか?」
と聞き返すと、雫様は、
「気にしなくても、大丈夫ですよ。
手配と言っても、赤光が買って、後から追いついて来るという話ですから。」
と説明した。私は、赤光様に申し訳なく思いながら、
「昨日、一晩中飛んでいたと聞きました。
酷ではありませんか?」
と確認すると、雫様は、
「その分、長く寝られます。
逆に、体の調子は良くなると思いますよ。」
と説明した。なるほど、そうかもしれない。
そう思った私は、
「確かに、その通りですね。
ならば、是非お願いします。」
と少し頭を下げると、雫様は、
「分かりました。」
と言って、女中さんの方を見た。恐らく、これで赤光様に話が通るのだろう。
私は女中さんにも、
「宜しくお伝え下さい。」
と頭を下げると、女中さんは畏まって頭を下げ、
「滅相もございません。」
と言って座敷を後にした。
入れ違うように、別の女中さんがやってくる気配がした。
その女中さんが座敷の前で止まり、障子越しに、
「朝餉にございます。」
と言うと、雫様のお母上が、
「うむ。」
と頷き、入室を許可する。
女中さんは、障子を開け、足のある膳を持って入ってきた。
お膳の上には、茶色い糠のような物がまぶしてある魚、薄焼き卵と白い何かを乗せて巻いた物、梅干しと沢庵、後は、白飯と繊蘿蔔汁だ。
味噌汁で箸を湿らせ、飯を一口食べる。
本当は無作法だが、魚に着いた糠のような物を削ぎ落とす。
すると雫様から、
「山上。
鰯に付いているおからも、食べられますよ。」
と話しかけてきた。糠ではないのか?
私はそう思いながら、
「おからと言いますと?」
と尋ねた。すると雫様は、
「豆腐を作る時に出る、おからですよ。
知りませんか?」
と聞き返してきた。私は知らなかったので、
「はい。」
と正直に答えると、雫様は、
「そうですか。
では、豆腐の作り方は分かりますか?」
と聞いてきた。勿論、私は豆腐の作り方も分からない。
私が、
「いいえ。」
と答えると、雫様は、
「そうですか。」
と前置きをした。そして、
「まず、豆腐の作り方なのですが、豆腐は、大豆を煮て絞った汁に、苦汁という物を加えて固めたものです。
この、絞った後に残った粕を、『おから』と呼ぶのですよ。」
と説明してくれた。私は、
「大豆の絞り粕ですか。」
と言うと、雫様のお母上も知らなかったらしく、
「そうなのか?」
と確認した。
雫様は雫様のお母上に顔を向け、
「はい。
以前、豆腐屋で聞きました。」
と答えた。すると、何故か雫様のお母上は眉間に皺を作り、
「何故、そのような所に?」
と質問した。豆腐屋に行くのは、珍しいのだろうか?
私が不思議に思っていると、雫様も同じように思ったらしく、
「料理に豆腐を使う時は、豆腐屋まで買いに出かけます。」
と当たり前の事を答えた。
雫様のお母上が、
「店に行っただけでは、教えてくれまい?」
と不思議そうな顔をする。なるほど、その通りだ。
雫様は、
「そういう事ですか。
実はその日、朝餉に豆腐を入れようと思いまして、豆腐屋まで出掛けたのですよ。
ですが、少々、早く着き過ぎまして、まだお店が開いていなかったのですよ。」
と話し始めた。雫様のお母上が、
「それで?」
と合いの手を入れると、雫様は、
「はい。
その店には、よく伺っておりましたので、店主が気を利かせてくれまして。
店の中で待つようにと、仰ってくれました。
それで、お言葉に甘えて中に入ったのですが、勿論、豆腐は作っている真最中です。
何をやっているか気になって質問するうちに、豆腐の作り方について詳しくなりまして・・・。」
と済まし顔で説明した。雫様のお母上が、
「左様か。
屋敷におれば女中の仕事じゃが、外に出ては、そのような事もあるか。」
と不憫そうに雫様を見ている。だが、雫様は、
「その通りでございます。」
と頷いただけで、特にその顔を指摘はしなかった。
魚を骨から外して少し頂き、また、ご飯を頂く。
次に、白い何かを巻いた卵料理に箸を付けた。
白い物は、どうやら山芋のようだ。
私が、
「山芋は、生だとシャキシャキなのに、煮たらホクホクになるのは不思議ですね。」
と言うと、雫様も少し微笑み、
「そうですね。
それに、卸した山芋はネバネバですが、それを蒸すとふわふわになります。
同じ食材なのに、いろいろな食感になるのは面白いですよね。」
と返事をした。雫様のお母上も、頷く。
私は、
「順番は逆になりましたが、これは何という食べ物なのですか?」
と聞くと、雫様は、
「芋巻卵と言います。」
と答えた。私が、
「美味しくて見た目も綺麗なのに、名前は普通ですね。」
と素直に感想を言った所、雫様は、
「そのようなものです。」
と朗らか笑った。
少し会話が多めの、ゆったりとした朝餉を摂り終え、煎茶を啜りながら雑談をしてから、佳央様や更科さんが待っている竜の里へと出発する。
朝の町は、まだ起きたばかりという感じで、人はそれほど多くない。
だが、似たような人通りではあるが、この里に着いた時のお通夜のような雰囲気とは違う。
まだ開いていない雨戸の奥から、人の息づく気配がする。
民家であれば、飯を炊く臭いや小気味良いまな板の音、商家であれば、売り物を並べたり、小銭を準備するような音。所謂、街の息遣いというやつだ。
私は、
「最初は寂しい里だと思いましたが、私の勘違いのようですね。」
と話しかけると、雫様は、
「そうか?」
と首を捻り、
「前は、もっと賑やかやったで。
日の出には、開いとる店もあったし。」
と付け加えた。雫様のお母上の目がなくなった途端、雫様は話し方を戻したようだ。
私はそんな事を考えながら、
「それは、凄いですね。
平村では、考えられません。」
と自分の生まれた村を引き合いに出すと、雫様は、
「まぁ、そうやろ。
店屋の数も、違うやろうしな。」
と行って、少し笑った。
平村とこことでは、そもそも規模があまりにも違うからだろう。
そうは思ったが、私は、
「生まれた土地で比較したくなる事も、あるではありませんか。」
とその笑いに抗議すると、雫様は、
「すまん、すまん。
そういうつもりやないや。」
と軽く謝り、
「昔、子供の頃、日の出頃にこっそり屋敷抜け出して、金平糖買いに行った事あってな。」
と話し始めた。私が、
「金平糖ということは、菓子屋ですか?」
と合いの手を入れると、雫様は、
「そうや。
けど、菓子屋は流石に、どこも開いてへんでな。
朝飯前に戻らんと怒られる思うて、屋敷に帰ったんや。
けど、うち、拐かされたんちゃうかっちゅう事で大騒ぎになっとってな。
今、それ思い出して、笑ろたんや。」
と説明した。どうやら、私の思い違いだったらしい。
私は、
「そのような事があったのですね。
ですが何故、そんなに早くに行ったのですか?」
と聞くと、雫様は、
「小さい頃の話や。
何となく、食べたなったんやろ。
けど、うち、あの頃はまだ日中の街しか見た事のうてな。
店屋が閉まるっちゅう概念、無かったんやろな。」
と説明した。推測で話をしているのは、恐らく当時考えていた事は忘れたからだろう。
私は、
「なるほど、そういう事でしたか。
なら、仕方ありませんね。」
と納得した。
雫様は、
「小さい頃なんて、誰でもそんなもんやろ。」
と笑いながらこの話を終わりにしたのだった。
作中、お菓子の「あられ餅」が出てきますが、これはあられの事で、江戸時代には沢山作られて販売されていたそうです。作中の通り、「あられ」は餅米を使ったお菓子となります。
似た物に「おかき」がありますが、こちらも餅米を使っています。
では、「あられ」と「おかき」で何が違うのかと言うと、概ね、小さいものを「あられ」、大きいものを「おかき」と呼んでいるのだそうです。(厳密に決まりはないらしい)
後、「茶色い糠のような物がまぶしてある魚」は、鮓烹の想定です。
豆腐百珍 続編から持ってきました。
鍋におからと鰯を交互に積んで層にして、中央に穴を開けて醤油をひたひた《・》に入れて酒をさし、煮て作ります。
ひたひたまで醤油が入ると思われるので、そのままだと、かなりの塩分になると思われます。
おっさんみたいな減塩しないといけない人には、お奨め出来ないレシピですね。(~~;)
もう一つ、薄焼き卵と白い何かを乗せて巻いた物は、作中にも出てきますが、芋巻卵の想定です。
こちらは、よく引用する卵百珍からとなります。
山芋を茹でて叩いた後、薄焼き卵に乗せて巻き締め、蒸した料理となります。
最後、繊蘿蔔汁は、かなり前の「朝餉の支度」で登場した、大根の千六本(細切り)にしたものを入れたお味噌汁です。
蘿蔔が、大根の漢名なのだそうです。
・あられ (菓子)
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・煎餅
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%85%8E%E9%A4%85&oldid=90450844
・鮓烹
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536546/53
・芋巻卵
http://codh.rois.ac.jp/edo-cooking/tamago-hyakuchin/recipe/104.html.ja
・ダイコン
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3&oldid=90829039




