そうとう不器用じゃの
座敷から自分の部屋に戻った後、やることもないので、私は瞑想を始めた。
始めは今日の出来事を振り返っていたのだが、段々と意識が朧気となり、目の前に妖狐が現れた。
妖狐が、
<<小童よ。
今日は、やけに早いの。
お手玉でも、しに来たか?>>
と聞いてきた。
私は、特にそういうつもりでもなかったが、暇だったので、
「そうですね。
暇潰しには打ってつけかもしれません。」
と返事をした。妖狐は、
<<よし。
では、また2個から始めてみよ。>>
と指示をする。
先ずは、重さ魔法と雷魔法の2つの球を出す。
右手に重さ魔法、左手に雷魔法お持つ。
右手の重さ魔法の球を上に投げ、それが頂点に達する前に雷魔法の球を左手から右手に移し、上に投げる。重さ魔法の球が落ちてきた所を左手で拾い、また右手に移して上に投げる。
が、その隙きに、雷魔法がポトリと落下する。
焦ったせいで、上げた重さ魔法も明々後日の方向に飛んでいった。
どうも、上手く行かない。
妖狐が、
<<こう、もう少し、ポン、ポン、ポン、ポンと行かぬかのぅ。〉〉
と手を叩きながら説明する。
昨日、実際にやって見せているので、『やれるならやってみろ』などと悪態を付く事も出来ない。
私は癪だが、
「もう一度、やっていただいても良いですか?」
とお願いした。妖狐はニンマリして、
<<良いじゃろう。>>
と言って右手に二つ呪いの球を出すと、
<<ポン、ポン、ポン、ポンッと。
こうじゃ。>>
と言って片手で楽々回してしまった。
私は、
「どうやっているのですか。」
と呆れて言うと、妖狐は、
<<どうやっても、こうやってもない。
少し手を前に出して2つ球を投げ、手を引いてそれを受け止め、また手を前に出して球を投げる。
ただ、それを繰り返しておるだけじゃ。>>
と言われてしまった。
妖狐が、
<<もう一度やるから、よく見ておれよ。>>
と言って、またお手玉を始め、
<<ポン、ポン、ポン、ポンッと。
どうじゃ?>>
と聞いてきた。確かに、先程説明した通りの動きをしている。
私は、
「もう一度試してみます。」
と言って、今度は片手で挑戦してみる事にした。
重さ魔法と雷魔法を準備し、指先だけで重さ魔法の球を飛ばす。
その球が落ち始める前に、次の雷魔法の球を飛ばす。
いずれも受け止められず、ポトリ、ポトリと下に落ちる。
妖狐から、
<<小童よ。
片手は、まだ早いわ。>>
と言われてしまった。そして、
<<これでは仕方ないの。
少し、上達が遅れるやもしれぬが、試してみるか。>>
と前を気をし、
<<小童よ。
次は、両手に球を持ち、右手で球を飛ばした後、左手の球を右手に持ち替え、左手で受け取るだけの動作をしてみよ。
その後は、動きを止めて良い。>>
と指示をした。
私は、
「分かりました。」
と返事をして、実際、球を飛ばしてみる。
2回落とし、3回目で漸く球を取る事に成功した。
私は満面の笑みで、
「出来ました。」
と報告したのだが、妖狐は、
<<これは、そうとう不器用じゃの。
根気よう、やるしかあるまいな。>>
と苦笑いした。
暫く練習をしていると、
「もし。
山上様。
お起き下さい。」
と外から女の人の声がした。
右肩に手を置き、
「もし。
山上様。
もし。」
と何度も声を掛けてきた。
両手が肩に掛けられる。
ボーッとしながら目を開けると、予想よりも近くに女中さんの顔があった。
別人なのだが、なんとなく更科さん似ていてドキリとする。
髪は、更科さんよりも長いだろうか。
その女中さんが、私を軽く揺すりながら、
「もし。
山上様。
起きないなら、食べてしまいますよ?」
と声を掛けてきた。
──竜化して、丸呑みか!
私は背筋に冷や汗を感じながら、急いで、
「すみません!
もう、目を開けています!」
と返事を返すと、女中さんは、
「あら残念。」
と悪戯っぽく言った。
私はまだ狙われている気がしたので、全力で両手を突いて体を半分後ろにずらしながら、
「お手間をとらせてしまい、すみませんでした!」
と頭を下げて謝ると、女中さんも慌ててさっと体を引き、
「滅相もございません。
からかってしまい、申し訳ありませんでした。」
と土下座した。長い髪が地面に着き、表情を全て隠しているが、何となく、肩が笑っているようにも見えた。
ちなみに女中さんは、夕餉の時間になったので呼びに来ただけだった。
女中さんに連れられて、座敷まで移動を始める。
腰まで垂れる長い髪には、行灯の光りだけでも判るほど、艶があった。
薄暗い中、階段を登る。
外に面した廊下に差し掛かるが、廊下の雨戸は既に閉められており、ここも薄暗い。
──日が落ちるまで、私は寝て・・・ではなく、瞑想していたのか?
一瞬そう思ったのだが、今朝、雨が降るかもしれないと言っていたのを思い出した。
雨音はしないが、私が、
「ひょっとして、降り出しましたか?」
と聞いてみた所、女中さんは、
「はい。
小雨ですが。」
と答えた。
『お天気井戸』の予想が当たったようだ。
私は、
「便利な井戸ですね。」
と感心したのだが、女中さんは、一瞬の間の後、
「はい。
ただ、よく外れますが。」
と表情は薄暗くて判らないが、クスクス笑っている様子。
私が、
「何が可笑しいのですか。」
と文句を言うと、女中さんは、
「いえ。
何でもありませんよ。」
とやはり、クスクス笑いながら答えた。
釈然としないうちに、座敷に着く。
座敷では、既に雫様が座っていた。
私は、
「遅くなりました。」
と声を掛けると、雫様は、
「いえ。
まだ、お母上もいらっしゃっていません。
大丈夫ですよ。」
と答えた。既に、いつもの話し方ではない。
私は、
「警戒していますね。」
と少し笑いながら話すと、
「覚えておいて下さいね。」
と怒られた。
私は少し慌てて、
「申し訳ありません。」
と謝ったのだが、雫様は、
「冗談ですよ。」
と返した。どうやら私は、からかわれたようだ。
私は、いつもこの調子なら、蒼竜様は大変だろうなと思ったが、口にはしなかった。
障子の向こうに控えていた女中さんが、
「本日、奥方様は別件にて遅くなるそうです。
先に済ませて、部屋に戻るようにと仰せでした。」
と伝えてきた。雫様が、
「分かりました。」
と返事をする。雫様のお母上がいないと判っても、警戒を緩めていないようだ。
暫くして、別の人が何人か近づいてくる気配がした。
障子の向こうから女中さんが、
「夕餉にございます。」
と声を掛けてきた。
スーッと、障子が開く。
女中さん達が、雫様と私の前に膳を置く。
今夜は、狐色の丸い物と、お刺し身、沢庵と大根葉の漬物。後は、白いご飯と、赤い海老の入った味噌汁だ。味噌汁には、丸い麸も浮かんでいる。
これとは別に、煎り酒と醤油、卸した山葵の小皿が準備してあった。
私が、
「この、丸い狐色の食べ物は何でしょうか?」
と質問すると、女中さんは、
「飛竜頭にございます。
豆腐を崩して練って作った皮に加料を包み、胡麻油で揚げたものです。
煎り酒と、お好みで山葵も付けてお召し上がり下さい。」
と説明してくれた。私は、
「なるほど。
一度崩して、また練るのですか。
流石、手が込んでいますね。」
と感心すると、女中さんは、
「お褒めに預かり、ありがとうございます。
お勝手にも、伝えておきます。」
とにこやかに返した。
食事が終わり、雑談の時間となる。
私が、
「遅くなるとは聞きましたが、本当に遅いですね。」
と心配すると、雫様もそう思ったのか、
「何か、問題でも起きているのでしょうかね。」
と首を傾げた。そして、
「顔くらいは見たかったのですが・・・。」
と付け加える。
女中さんが、
「お声がけしましょうか?」
と聞くと、雫様は、
「いえ。
恐らく、お忙しいのでしょう。
無理にと申すのも迷惑でしょうから、ここは下がる事にします。」
と答え、部屋に戻る事になった。
ふと、お手玉の事を思い出す。
──実際に出来るようになれば、夢でも上手く行くのではないか。
そう考え、私は部屋に戻る前、女中さんに、
「すみません。
お手玉を持ってきていただいても、宜しいでしょうか?」
と聞いてみた。すると雫様から、
「山上は、お手玉をするのですか?」
とクスクスと笑いながら聞いてきた。周りの女中さんも、少し笑っている。
お手玉は、女の子の遊びだからだろう。
私は仕舞ったと思いながら、
「いえ。
ただ、あまりにも暇なので思いついただけです。」
と言い繕うと、雫様は、
「分かりました。
ですが地下牢には、橋を落とし、崖を崩した事を反省するために入っているのです。
それは忘れないで下さいね。」
と窘め、女中さんに目配せをした。
女中さんが一人、下がっていく。
雫様は、
「では、行きますよ。」
と一言。私達は、座敷を後にしたのだった。
作中、飛竜頭というのが出てきますが、こちらは江戸時代版の雁擬きとなります。
こちらは、『豆腐百珍』に尋常品として出てきます。
雁擬きは、豆腐を潰してひじきや人参、牛蒡等を混ぜて揚げますが、飛竜頭の方は、具を包んで揚げるという違いがあります。
尚、今回は加薬を加料と書いていますが、こちらは豆腐百珍でそう書いてあったので、これに従ってみました。
後、煎り酒は随分前の「昔話を一つ」の後書きにも出てきますが、こちらは酒に梅干しを入れて半分くらいになるまで煮詰めた調味料です。醤油の登場以前は、こちらがよく遣われていたと言われています。
・がんもどき
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・豆腐百珍
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・豆腐百珍. [正編] - ヒリャウヅ
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・煎り酒
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