地下牢で弁当を
地下牢に入った私は、茣蓙の上でお腹を空かせて座っていた。
牢には、行灯が灯っていて、薄暗いがある程度周りは見える。
何かないかと見回すと、部屋の隅に蓋の付いた壺が置いてあった。
何となく近づき、蓋を取って、中を覗いてみる。
──何も入っていない。
独特の匂いから、用を足したい時にこれを使う事が判る。
せめて、これが水瓶ならば良かったのにと思った。
腹の虫が鳴く。
隣の牢に入っている雫様にまで聞こえたらしく、
「よう鳴るなぁ。」
と面白そうに話しかけてきた。
私は、
「好きで鳴らせている訳ではありません。」
と苦笑いしながら返すと、雫様から、
「まぁ、そうやろなぁ。
誰か食うもん、持って来てくれんやろか。」
と少し笑いの混じった声で同意した。
暫くして、牢の番人と思わる人が近づいてくる。
雫様が、
「武じぃか。」
と声を掛ける。この竜人は、武じぃ様と呼ばれているようだ。
武じぃ様は少し大きめの声で、
「姫か。
久方ぶりじゃの。」
と挨拶を返した。
雫様は、
「そなや。」
と肯定した後、
「なぁ、武じぃ。
何か食い物、あれへん?」
と聞いた。武じぃ様がカッカと笑いながら、また大きな声で、
「里帰りした姫を、ひもじいままにする訳がないじゃろうが。
もうすぐお勝手から、飯が届く筈じゃ。」
と答えた。雫様が、
「そうか。
気ぃ遣わせて悪いなぁ。
で、何が届くんや?」
と献立を質問する。
だが、武じぃ様は詳細までは知らないのか、
「確か、弁当と言っておったか。」
と曖昧に答えた。雫様は、
「あぁ、弁当か。
もうちょい、ええもん持ってきてくれたらええのに。」
と愚痴を言った後、
「まぁ、えぇわ。
それ、早持ってくるよう、お勝手に伝言、頼まれてんか?」
とお願いをした。だが、武じぃ様は、
「どうせ、そう待たさず来る筈じゃ。
伝言するまでもないじゃろう。」
と伝えてはくれない様子。雫様は、
「なんや。
武じぃ。
ちょっと行っても、ええやろが。
ケチやなぁ。」
と戯けている様子。武じぃ様は、
「ケチとは何じゃ。
ケチとは。」
とこれまた少し怒った風で返した。実に、仲が良さそうだ。
雫様が続けて何か言おうとしている雰囲気だったのだが、ここで誰か地下に降りてくる気配がした。
先に武じぃ様が、
「ほれ、来たじゃろうが。」
と得意気に指摘すると、雫様が、
「あぁ、分かったわ。」
と苦笑いした。
暫くして、醤油系の良い匂いが漂ってくる。
そして、女中さんが牢の前まで来ると、
「武村様、こちらにおいででしたか。」
と言いながら、丁寧にお辞儀をした。
武じぃ様が、
「うむ。」
と頷く。先ほどと違い、何となく威厳を感じる。
女中さんは、
「こちらをお持ちいたしました。
姫にお召し上がりいただきますよう、お渡し下さい。」
と言った。すぐ目の前にいるのに、直接渡さないようだ。
武じぃ様が、
「承ろう。」
と一言。女中さんは、
「恐れ入ります。」
と頭を下げ、武じぃ様に2段重ねと思われる四角の箱を渡すた。そして、
「では。」
と会釈をして下がっていった。
雫様が四角い箱を見て、
「松花堂弁当か?」
と推測すると、武じぃ様は、
「確か、そういう名前じゃった筈じゃな。」
と口調が戻った。
雫様が、
「大徳弁当じゃのうてか?」
と聞くと、武じぃ様は、
「お勝手で、松花堂と聞いた。
・・・というか、姫。
からかっとるじゃろう。」
とまた少し怒った口調。形だけのようではあるが。
ここで私のお腹が鳴り、話に水を差す。
私は、
「申し訳ありません。」
と謝った後、ついでなので、
「そろそろ、その弁当を頂きたいのですが・・・。
宜しいですか?」
とお願いすると、武じぃ様は、
「若いのに、辛抱が足りぬわ!」
と私を叱りつけた。だが、首を捻り始め、
「ところでこの餓鬼、誰じゃ?」
と雫様に確認した。
雫様が、
「こいつは、山上言うんや。
尻尾切りの、後輩でな。
ちょっと訳あって、こっちで預かる事になったんや。」
と簡単に説明すると、武じぃ様は、
「あぁ、尻尾切りの。」
と軽く笑った。そして、私を見つめ、
「なるほど、尻尾切りの後輩なだけはある。
竜人には及ばんが、人間としてはやる方じゃな。」
と納得した。雫様が、
「そやろ?
こいつが、戸赤をやったんやで。」
と面白そうに言うと、武じぃ様が、
「そこまで、強くは思えんが。」
と首を捻ったので、私も、
「はい。
あの時は、不意を突かせてもらいましたので偶々です。
それに私自身、とある事情でその頃よりも弱体化しましたから、今は偶々でも無理でしょうね。」
と説明した。武じぃ様も、
「そうじゃろう。
そうじゃろう。」
と納得する。だが、雫様が、
「でも、こいつ。
多分、今でも戸赤に勝てる思うで。」
と当然のように言い始めた。私は、まずは勝てないと思っていたので、
「無理だと思いますが・・・。」
と否定したのだが、雫様は笑いながら、
「今日の魔法な。
あれ、まともに喰ろうたら、うちでも危ないやつやわ。
戸赤だったら、まずは死んでまうやろな。」
と予想外の事を言い始めた。
武じぃ様が、
「またまた、冗談を。」
と苦笑い。だが、雫様は、
「大鷺山に続く道んとこの橋、あるやろ?」
と今日の私が使った魔法の説明を始めた。
武じぃ様が、
「ああ。
あるな。」
と返すと、雫様は、
「こいつ、雪熊との戦闘で下手打って、橋落としたんやけどな。
止めで、崖も崩したんや。
明日、崩れた土砂で塞がった川を戻しに行くんやけどな。
暇やったら、見に来たらえぇわ。
驚くで。」
と自信あり気に言った。武じぃ様は、
「さっき、若い衆が騒いでいたやつか。
が、そのような悪さをしたなら、この餓鬼は飯抜きじゃな。」
ととばっちりが来た。雫様が、
「まぁ、こいつ、本業は歩荷や。
立ち回りとか、本職と違うて下手やからな。
そこは、目ぇ瞑ったってんか?」
と助け舟を出してくれ、武じぃ様も、
「そういう事なら、仕方がないか。」
と納得しかけたが、
「ん?
さっき、尻尾きりの後輩じゃと言っとらんかったか?」
と質問をしてきた。私が、
「はい。
田中先輩は、今は歩荷の仕事をしていまして。
私は、その後輩です。」
と答えると、武じぃ様は、
「いやいや。
歩荷は、背負子で荷物を運んでいるだけではないか。
尻尾切りの後輩でも、強くはならんじゃろうが。」
と言ってきた。私もそのとおりだと思い、
「はい。
実はこれまで、いろいろありまして。
どういう訳か、狂熊だの狼だの、いろいろと狩るはめになりまして・・・。」
と苦笑いした。武じぃ様は少し考え、
「なるほど。
つまり、橋や崖に気が回せる程は、経験を積んどらんと、そういう事か?」
と聞いてきた。私は、
「はい、その通りです。
申し訳ありません。」
と謝ると、武じぃ様が、
「なるほど。
ならば、今回は不問にするが、次からは気をつけるのじゃぞ。」
と武じぃ様からのお許しが出た。
武じぃ様が、雫様と私に松花堂弁当を配る。
手に持った時、予想よりもずっしりと重みがあった。
先に蓋を開けたのだろうか。
雫様が、
「武じぃが長話するから、冷めたやないか。」
と文句を付けると、武じぃ様は、
「それは、すまんかったな。」
と頭を掻いた。
私も、弁当の蓋を取って見る。
中は、十字の間仕切りに器が4つ入っている。
左上から、里芋や慈姑と人参、後は普段見る川海老と比べてやたら大きな海老の煮物、赤身と白身の刺身、押し寿司、茶碗蒸しが入っていた。
雫様が、
「本当は、ご飯と味噌汁が別に付くんやけど、今日はご飯物も汁物も、1品づつにしとんか。」
と説明した。私は、
「汁物ですか?」
と聞くと、雫様は、
「茶碗蒸しや。
これ、立派に汁物やからな。」
と教えてくれた。私は、
「確かに、沢山汁は出てきますが、不思議ですね。
これも、汁物なのですか。」
と言うと、雫様も、
「溶き卵に出汁入れて溶いた後、具も入れて蒸して作るんやけど、仰山出汁使うからやろか。」
と分かっていない様子。私は当たり障りがないように、
「さぁ。
どうなのでしょうね。」
と返した。
私は、
「そんな事よりも、早く頂きましょう。」
と言うと、雫様も、
「そやな。
いただこか。」
と挨拶をし、私は松花堂弁当を食べ始めたのだった。
作中、松花堂弁当が出てきます。松花堂弁当は、正方形の器(縁高)に十字の間仕切りがある弁当箱を用いた料理となります。弁当と付いていますが、持ち出す事を想定していない物が多いと思います。
この松花堂弁当の名前は、江戸時代のお坊さんの松花堂昭乗に因んでいるそうですが、松花堂が農家で使っていた種入れをベースに器の形を考案、徐々に手が加えられていき、現在の形になったのは昭和に入ってから。吉兆という料亭が、松花堂弁当を初めたのだとか。このため、江戸時代風と銘打っている本作で松花堂弁当を出すのは、本来はNGとなります。
一先ず本作中では、「松花堂という食堂が開発した、四角形の箱に十字の間仕切りのある弁当箱を使ったお弁当」という事でお願いします。(^^;)
もう一方の大徳弁当は、大徳寺弁当の事となります。
大徳寺で使われたとされる器(縁高)で、松花堂弁当の弁当箱よりも縁が高くて、間仕切りがありません。
こちらも、松花堂弁当と同じく、外に持ち出す事を想定していない物が多いと思います。
後、作中出てくる茶碗蒸しは、本当に汁物に分類されていたりします。
・松花堂弁当
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・松花堂昭乗
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・茶碗蒸し
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