更科さんと平村へ
昨日の飲み会の余韻という名の軽い二日酔いの状態で、私は集荷場に降りた。
飯の炊けるよい匂いがする。
「おはようございます。」
と、私は千代ばあさんに挨拶をした。
「おはようさん。
今日は二日酔いかい?」
と言って、柄杓で水瓶から湯飲みに水を入れてよこしてくれた。私は、
「ありがとうございます。
助かります。」
と言ってお礼をいいながら水を受け取った。千代ばあさんは、
「ほら、ついでにこれも食っときな。
梅干しだよ。」
と言って、小皿に一粒のせてくれた。私は、
「ありがとうございます。
二日酔いには、これが一番ですよね。」
と言うと、
「うちのじいさんにも、飲みすぎた晩の翌朝によく出したもんだよ。
ところで、山の方は熊が出たんだろ?
おっかねーが、五体満足で帰ってきてなによりだねぇ。」
と、どこから聞いたかそんな話を始めた。私は、
「もう、おっかないのなんのってありませんでしたよ。
こう、体から黄色い陽炎というか、・・・そう、湯気みたいなのがどんどん立ち上っていまして。
あれに殴られたらヤバいなというのが肌でピリピリと感じて、後ろに薫がいなかったら逃げ出したかったですよ。」
と、少し盛った感想を言った。が、千代ばあさんは顛末も知っていたようで、
「そいっつぁ、おっかねぇな。
まぁ、それでも、あんたが倒したんだって?
線も細せーのに、大したもんじゃないかい。」
と言った。なので、私は
「勢いというやつでしょうかね。
実は、田中先輩から『更科はあばらだけだろう』と言われて思わず『ちょっとはある』と言ったら、薫と声が重なりまして、それを聞いた熊が『えっ?』て感じで後ずさりましてね。田中先輩から突っ込んでこいと言われて思わずダメ出ししながら拳骨したら延びちゃったんですよ。
田中先輩は、隙が出来たから行ってこいという意味で言ったそうで、腹を抱えて笑われてしまいました。」
と、どういう状況だったか説明した。千代ばあさんは、
「そいつは滑稽だねぇ。
でもまぁ、熊もダメ出しされて逝っちまったんじゃぁ、無念だろうねぇ。」
と言って、笑っていた。そして、
「ただねぇ。
その説明だと、彼女の悪口も混ざってるから外ではするなよ?
そういうのは、巡り巡って本人に伝わるもんさ。
気ぃつけな?」
と言って、注意を受けた。私は『しまった』と思い、
「分かりました。
こういうのは、私は気がつけないので助かります。」
と返事をした。そして、そういえばそろそろ掃除を始めないといけないと思い、
「えっと、それでは、仕事を始めますので。」
と言って会釈して集荷場の部屋に向かうと、千代ばあさんも、
「おぅ。
今日も一日がんばんなよ。」
と言って送り出してくれた。
今日の掃除もつつがなく終わり、後藤先輩や田中先輩も来て、今日の荷物の注意事項も確認し終わった。
そして、いざ平村に出発しようと戸を引くと、更科さんが外で待っていた。
「おはよう、和人。
あのね、今日は和人の実家に紹介してもらえないかなって思うんだけど、いいかな。」
と、話を切り出した。私は、やや混乱しながら、
「私の実家ですか?
順番としては、女性の実家に伺って、感触を見ながら徐々にお互いの家を行き来するのが流れだと聞いていたのですが、薫さんの実家の方はよいのですか?」
と聞いた。すると更科さんは、
「家のお父様がね、みんな知った上で付き合ってくれるんなら、こっちからお願いしたいくらいだって言ってね。
善は急げって言うから、お父様の気が変わらないうちに、みんな決めてしまおうと思って。」
と言った。すると田仲先輩は、
「普通、急げと言ってもこんなに早くは動かないものだぞ?」
と面白いものでも見るように言うと、更科さんは、
「和人は、たぶんこれからモテるから、今、決めてしまわないと後悔すると思うんです。」
と言った。田中先輩も、
「石塚か。
確かにあんな距離感の近いやつが出てきたら、女としての戦力差で負けている分、今速攻で決めるしかないか。」
とニヤついていた。私は、確か安塚さんだったよなと思いながら、先輩の言う『戦力差』を思い出して、ちょっとドキッとした。更科さんはそれに気がついたようで、顔をしかめながら、
「そうです。
あの安塚さんです。
彼女が本気を出す前に何とかしないと、泥沼の三角関係になってしまいます。
恋愛小説で三角関係は盛り上がりますが、現実にそんなことになったらみんな不幸になってしまいます。」
と田中先輩に言ってから、すぐ私の方を見て、
「だから、今日、和人のご両親に紹介して欲しいかなって。」
と、上目遣いでお願いされてしまった。私は、これはいけないと思いながら、
「分かりました。
どうせ今の時期、うちの親は昼は畑で夜も家にいるはずです。
何か一品、おかずの材料を持っていけば大丈夫だと思いますよ。」
と言って了承した。それから更科さんの重い荷物を結わえて、平村に向かった。
最初気がつかなかったが、いつのまにかムーちゃんが更科さんの後ろを歩いていた。
私は、本当にムーちゃんは気配を消す先生だなと思っていると、今度はサッと視界から消えたかと思うと、私の頭の上に乗っていた。
私も負けじと気配を小さくしながら、
「ムーちゃんはすごいね。
さっきからあっちこっち動いているのに、ほとんど気配を感じません。」
と言った。すると、ムーちゃんは意味がわかったかどうかは判らないが、
「キュィッ!」
と一声だけ鳴いた。更科さんは私の方をちらっと振り替えって、
「和人、ムーちゃん偉いね!」
と言ったので、私も、
「そうですね。
私なんかよりもよほど上手です。」
と言ってムーちゃんを誉めた。
日もそろそろ天辺というところで、いつもの昼飯を食べている所についた。田仲先輩が、
「そろそろ昼にするか。
ムーのやつにはちゃんと餌を持ってきたか?」
と聞いたところ、更科さんは、
「ムーちゃんはお野菜よりも木の芽や花の蕾なんかを食べるみたいです。
それで、色々試したのですが、私が準備するよりも木になっているのを直接食べた方が美味しいみたいですよ。」
と言った。
そして、みんなでお昼を食べながら、更科さんがムーちゃんはどんな餌が好きか試行錯誤したときの話を聞いた。その中の、
「庭の松の木の先っちょを食べたときのお父様の顔は、『これからこの枝を育てようと思っていたのに』と言って呆然としていたんだけどね。
それがちょっと面白かったのよ。
その後、すぐにムーちゃんを叱りつけてね。
ムーちゃんの方はしょんぼりしていましたよ。」
という話は、更科さんのお父君には申し訳ないが、どんな顔をしていたのか見てみたかったなと思った。もっとも、私はまだ、更科さんのお父君の顔を見たことはなかったが。
その後で更科さんが、
「二人の家を建てるときは、ムーちゃん用に松の木も植えましょうね。」
と言ってきたので、私は、
「家は結構するので、いつ建てられるかは判りませんが、その時はそうしましょう。」
と答えておいた。
お昼を片付けた後、午後も平村まで歩いた。いつもと違うのは更科さんとムーちゃんがいることだ。
私は春高山に登ったとき、更科さんがかなり疲れていたので大丈夫かなと思っていたのだが、今日は普通についてきていた。やはり葛町と平村の間の道は、ところどころ狭くなっていたりして人しか通れない箇所があるものの、一応街道として整備されているだけあって、藪道や登山道よりも歩きやすいからだろうなと思った。
何事もなく平村についてからは、村の雑貨屋に荷物を届けた。
田中先輩とはそこで別れた。
別れ際、田中先輩は、
「山上、更科、上手くやれよ。」
と言って応援してくれた。
こうして私は、更科さんと一緒に実家の方に向かったのだった。
更科姉:台所から色々持ってきたわよ~。ムーちゃんどう?
更科弟:やっぱり肉だろ。
(スタスタ)
ムーちゃん:キュィ!
(モシャモシャ)
更科薫:肉や魚は見向きもしなかったね。
更科姉:そうね~。
更科父:草食ということか。松ぼっくりとかくるみはどうだ?
ムーちゃん:キュィ!
(スタスタ)
更科薫:あ、ちょっと、ムーちゃん、お庭はダメよ!
(スルスル)
更科父:あ、ムー、松の木はいかん、いかん、いかん、いかん、いかん!
(モシャモシャ)
更科母:あなた、走ったら危ないわよ。
(モシャモシャ)
更科父:あ~~~~~、これからこの枝を育てようと思っていたのに・・・。
ムーちゃん:キュィ?
更科父:ムー!もう、絶対松は食うなよ!絶対だからな!絶対だからな!
ムーちゃん:キュ~ン・・・。
更科父:次食ってみろ!いくら薫が飼っていると言っても、家に置いてやらんからな!
ムーちゃん:キュィ・・・。
更科母:あなた、松ごときで動物相手に言いすぎですよ?
更科父:あ、はい。
更科兄弟姉妹:(いつもながら、見事に尻に敷かれているな・・・)