橋を渡ると
徐々に晴れてきた空の下、私達は雪山を降りていた。
何度も尾根を下り、また登る。
先頭を歩く雫様の前に木々は立っていないのだが、左右には葉の落ちた木々が立ち並んでいる。
これは恐らく雫様が、今は雪で隠れて見えなくなっている登山道を正確に把握していて、そこを歩くようにしているからなのだろう。
三人、1刻ほど、黙々と歩く。
陽の光のせいか、徐々に雪が弛くなっていく。
こうなると、かんじきと言えども、だんだんと役に立たなくなってきた。
足の指先が、冷たさで痛くなってきて、自然と足早になる。
そんな事を考えていたのだが、突然雫様が、
「ひょっとしたら、出るかもしれんで。」
と言い出した。私は、
「何が出るのでしょうか?」
と質問をすると、雫様は、
「雪山で、出る言うたらあれやろう。」
と答えた。ふと、母から聞かされた昔話を思い出す。
私は恐る恐る、
「・・・雪女ですか?」
と聞くと、雫様と赤光様の二人、少しの間の後に、笑うのを我慢し始めた。
雫様が、
「フフッ、山上。
雪熊に・・・、決まっとるやろがッ。」
と辛うじて答える。が、堪えたのはここまで。もう限界と、笑い始めた。
えらく、壷に嵌ったようだ
私は、
「そんなに笑わなくても、良いではありませんか。」
と文句を言ったのだが、同じく笑っていた赤光様が、
「すまん、すまん。
いや。
滅多に聞かない、返しだったからな。」
と謝る素振りだけした。雫様も、
「そやな。」
と同意したのだが、暫く笑いは止まらなかった。
雫様が少し落ちつくと、
「それはそうと、そろそろ冬苺が仰山生っとる辺りや。
少し摘んでってええか?」
と話を変えた。
赤光様は、
「日暮れまでに、着けなくなるかもしれませんよ?」
と指摘したのだが、雫様は、
「そんなに長うかからんやろ。」
と反論した。赤光様が、
「いえ、恐らくは掛かります。
雪に埋もれているでしょうから。」
と反駁すると、雫様は瞬く間だけ考えて、
「まぁ、そやろうな。
が、大まかな場所は覚えとる。
そこ掘ってなかったら、諦めるわ。」
と出るまで掘るわけではない模様。赤光様も、
「それならば。」
と納得した。
暫く歩くと、雫様が、
「ここや、ここ。」
と言って、斜めに大きな枝の生えた、子供が登りやすそうな木の所で立ち止まった。
そして、その木の根元の雪を掘り始める。
赤光様も、
「ここでしたか。」
と見覚えがある模様。私が、
「子供の頃に良く遊んでいたのですか?」
と聞くと、赤光様は、
「ああ。
親に連れられてな。」
と答えた。私は、
「ご両親にですか。」
と納得した。
だが、赤光様は、
「いや、父に連れられてな。」
と訂正する。私は、
「そうでしたか。」
と苦笑いで返した。
雫様が、
「そういや、赤光っとこのおやじさんとは、暫く会ってないなぁ。
息災にしとんか?」
と聞くと、赤光様は、
「ご存知でしょう。
今は、地下ですよ。」
と答えた。地下と言えば、黄泉の国。
私は、
「お亡くなりでしたか。
それは、残念でしたね。」
と声を掛けたのだが、赤光様から、
「勝手に殺すな。
縁起でもない。」
と怒られた後、
「地下と言っても、竜帝城の地下牢の事だ。」
と説明した。どうやら、私の早合点だったらしい。
私は悪い事を言ったと思い、
「そう言う事ですか。
申し訳ありません。」
と謝った。
雫様が雪を掘り進み、冬苺が出てくる。
雫様は、
「ほら、あったやろ。」
と自慢げに言うと、赤光様も、
「普段、見かけても気にしませんが、改めて見ると懐かしいものですね。」
と目を細める。
二人の共通の思い出のように感じたので、私が、
「ひょっとして小さい頃、二人で遊んでいたのですか?」
と尋ねると、赤光様は、
「いや、俺のほうが上だ。」
と答え、
「だが、里の風習で似たような場所には行くだろう?」
と聞いてきた。私は、
「里の風習ですか。」
と反復すると、赤光様は、
「そうだ。
例えば、大鷺山がそうだな。」
と言って、山の方を見る。私が、
「そういえば、ここは信仰の山なのでしたね。」
と合いの手を入れると、赤光様は、
「そうだ。
3歳までに大岩の所で見かけた祠に参ると、ご利益があると言われているからな。」
と説明をした。私は、そんなに幼いと、記憶には残らないだろうにと思い、
「3歳ですか?」
と聞き返すと、赤光様は、
「そうだ。」
と答え、
「確か、人里にも『三つ参り』とか言うのがあっただろう?」
と付け加えた。だが、私の村に七五三はあっても、3歳までに行うそのような風習はない。
私は一先ず、
「そのような所もあるのですね。」
と頷いたのだが、赤光様は、
「うむ。
他に、『十一参り』だとか『十三参り』とか言う風習がある地域もあるな。」
と答えた。私は、結局、聞きたい事は聞けなかったなと思いながら、
「色々あるのですね。」
と当たり障りのない感想を言ったのだった。
雫様から、
「長話、もうそろそろええか?」
と苦情が入る。冬苺を摘もうと言い出したのは雫様なので、なんとなく釈然としない。
だが、赤光様は、
「そうでした。」
と苦笑いをし、そのままの表情をこちらに向けると、
「山上。
おしゃべりはここまでだ。」
と言ってきた。
私は、
「はい。」
と返事をすると、雫様は待ちくたびれたとばかり、
「ほな、行くで。」
と音頭を取ったのだった。
相変わらず、空からは日が射している。そのせいで、いよいよ雪が溶ける。
かんじきが沈み込み、役に立たない。
沈んだ足には、雪から染み出た水がまとわりついてくる。
春先の、雪解け水で出来た川よりも冷たい。
私は重さ魔法で、今よりも沢山の黄色魔法を集め、足を重点的に纏わせた。
ほんの少しだけ、冷たさがましになる。
だが、これは雪焼け確定に違いない。
そんな事を思いながら進んでいると、雫様から、
「さっきから、調子良いみたいやなぁ。」
と言ってきた。私が、
「調子ですか?」
と聞くと、雫様は、
「さっきから随分、早う歩いとるみたいやからなぁ。」
と答えた。私は、
「そうですか?」
と聞いたのだが、赤光様が、
「下りだからな。
自然、足も早くなるものだ。」
と説明した。雫様も、
「そやな。」
と納得し、
「それやったら、もう少し急いでもええか?」
と確認してきた。私は、特に足に違和感もなかったので、
「はい。
痩せ尾根もないでしょうから。」
と答えると、雫様は、
「そういや、山上は、高い所は苦手やったな。」
と、何か思い出した模様。赤光様は、
「吊橋ですね。」
と指摘すると、雫様は、
「そうや。」
と同意した。そして、
「鎖場くらい、時間掛かるかもしれへんな。」
と心配した。私は、
「吊橋なら、大丈夫ですよ。
掴まる所もありますので。」
と言ったのだが、赤光様から、
「そうか?
まぁ、本人がそう言うなら、大丈夫なのだろう。」
と納得した様子。雫様は、
「ここで心配してても、仕方ない。
行くで。」
と先ほどよりも早く歩き始めたのだった。
半刻山を駆け下り、また登りを繰り返す。
雫様が、急に歩みを緩めると、
「ここや。」
と言った。
見ると、柱に掛かった2本の縄と、それにぶら下がる太い紐の葛で出来た橋。
昔、菅野村に行った時に渡った時と同じものだ。
あの時と同じく、橋の横に渡る時に使う木の棒も準備されていた。
橋の付近まで行き、下を覗いてみる。
谷底まで、10間くらいだろうか。結構な深さがあった。
赤光様が、
「ここを渡れば、もうすぐだ。」
と言うと、雫様も、
「そやな。」
ともう帰った気になっている模様。私は、
「では、早速渡りましょうか。」
と促したのだが、赤光様から、
「ここの橋は古くてな。
一人ずつ渡らなと、落ちるかもしれないのだ。」
と言った。雫様が、
「誰から渡る?」
と質問する。私が、
「では、最初に。」
と声を上げると、赤光様から、
「大丈夫か?」
と心配された。私は、
「はい。
こういうものは、後の方ほど、落ちそうですし。」
と冗談で説明したつもりだったのだが、赤光様は真剣に、
「確かに、その通りか。」
と同意した。こういう時、少しは否定してくれないと心配になる。
だが、私が不安になったかどうかは言わなければ伝わらない。
雫様が、
「ほな、山上が最初で、その次がうち、最後が赤光な。」
と順番を纏めてしまった。
仕方がないので私は腹を括り、
「では、行ってきます。」
と挨拶をして、吊橋に向かう事にした。
かんじきを脱ぎ、
「すみませんが、お願いします。」
と言って赤光様に返す。
木の棒を両手で持ち、柱に架かってる葛の上に渡す。
重さ魔法で木の棒を持ち上げ、ぶら下がるようにする。
縄が湿っているせいで、何度か足元が滑る。
|冷<<ひや>>っとするが、その度に木の棒が2本の縄に引っかかり、落ちる事はない。
下まで落ちる事はなく、無事、対岸まで渡る事が出来た。
私は、
「渡りきりました。」
と声を掛けると、雫様から、
「分かった。
次、うちが渡るで。」
と声を掛けてきた。が、雫様が急に慌てて、
「後ろや!」
と大きな声をかけられた。振り向くと、今までに見た事のない大きな雪熊と、それに仕えるように何頭もの雪くまが出てきた。
──これは、山の主に違いない。
私は、
「これ、倒さないほうがいいんですよね?」
と問いかけたのだが、赤光様から、
「いや、倒すべきだろう!」
と返事をした。雪熊の1頭が、私に向かって突進、爪を振り下ろしてきた。私はひょいと避けたのだが、その後ろに、橋の縄があった。
ザクッと嫌な音がして、縄が切断される。だらりと垂れた縄の重みでか、太い縄を止めていた杭が外れ、太い縄も落ちる。そうすると、残りの縄は細いのだ。当然のように引きずられ、谷底に落ちていった。
雫様が、
「雪熊、倒せそうか?」
と聞いてきたので、私は、
「倒すだけなら。」
と答えた。
雫様は、
「ほな、倒して待っとき!
うちらは、別の橋からそっちに行くわ。」
と言うと、上流の方に走り始めた。
赤光様も、
「四半刻も掛からない筈だ!
倒した後は、おとなしくしていろよ!」
と声をかけて、雫様を追いかけ始めた。
私は、
「分かりました。」
と返事をし、雪熊と対峙したのだった。
作中、「三つ参り」というのが出てきますが、これは京都の愛宕神社にある、「愛宕の三つ参り」という風習を参考にしました。
愛宕神社は火伏せ・防火にご利益があるとされているそうですが、3歳までにお参りをすると、生涯火事とは無縁で過ごせると言われているのだとか。
他、「十一参り」「十三参り」は、それぞれ11歳、13歳になったらお参りするもので、七五三みたいなものなのだそうです。
次に、山上くんは地下と聞いてあの世を想像する場面があります。
これは、黄泉の国が地下にあると信じられている想定からとなります。
もう一つ、作中出てくる「雪焼け」というのは、霜焼けの古い表現の一つです。
日本海側では、今でも霜焼けを雪焼けという地域があるのだそうです。
スキーなどに行って、雪の反射で日焼けする「雪焼け」とは違いますので、ご注意下さい。
・愛宕神社
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・十三詣り
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・湊川神社
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※wikiには書いてありませんが、公式HPによれば湊川神社では11参りが行われているそうです
・黄泉
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%BB%84%E6%B3%89&oldid=88394580
・雪焼け
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%9B%AA%E7%84%BC%E3%81%91&oldid=58416874




