ゆっくりと
もうすぐ太陽が天辺に登ろうかという頃、私達は山中で、大岩から垂れ下がった鎖に挑もうとしていた。
見下ろせば、10間か20間か。兎に角、高くて恐怖を感じる。
ただ、空の方は雲と青空が半々くらい。当分、雪は降らないに違いない。
最初に雫様が、
「ほな、先、行くで。」
と言って、岩で出来た道を横向きになって進み始める。
両手で大岩の出っ張りを掴み、まるで沢蟹のように歩いていく。
垂れ下がった鎖まで到達すると、左手で鎖を掴む。
が、雫様はすぐさま手を引っ込め、
「冷たっ!」
と言って手をブンブンと振った。そして、
「赤光、手ぬぐい、あるか?」
と言いながら、一度戻って来た。
赤光様が、
「先程まで、雪が降っていましたからね。」
と言いながら、亜空間から手ぬぐいを出す。
雫様はそれを受け取ると、器用に折りたたんで袋状にし、その中に手を突っ込んだ。
そして、
「これなら、ええやろう。」
と言った。私は、
「竜人は、寒さに強いのではありませんでしたっけ?」
と聞くと、雫様は、
「あの鎖掴むんは、氷掴んどんのと一緒や。
赤竜のうちらには、堪えるんやわ。」
と返事をした。私は何となく、後ろを向いて赤光様に、
「そうなのですか?」
と確認すると、赤光様は、
「まぁな。」
と答えた。雫様が、
「なんで、赤光に確認しとんのや。」
と不機嫌そうに言ったので、私は、
「ひょっとしたら、雫様だけかと思いまして。」
と理由を説明した。赤光様が、
「竜人なら皆、寒さに強いと思っていたという事だな。」
と纏めたので、私も、
「その通りです。」
と同意した。雫様が、
「まぁ、誰にでも思い込みはあるからなぁ。」
と納得する。そして、
「ほな、今度こそ行くで。」
と言うと、また横歩きで移動を始める。
私は赤光様に、
「申し訳ありません。
私も、手ぬぐいを貸していただけないでしょうか。
1本しか、持ち合わせていないもので・・・。」
とお願いすると、赤光様は、
「普通は、そうだろうな。」
と言って1本出してくれた。ふと、山小屋でのやり取りを思い出す。
──漬物を買う時間はなかったのに、手ぬぐいを何本も買う時間はあったのか。
私はそんな風に思ったが、わざわざ波風を立てても仕方がないので、
「ありがとうございます。」
と、単にお礼だけ伝えた。
雫様を真似て、手ぬぐいを袋状に折りたたむ。
それに手を突っ込んだら、崖を横に這いつくばって、少ししゃがみ気味に鎖の所まで移動する。
赤光様とは紐で結ばれているので、その紐を踏まないように気をつける。
下から雫様が、
「不格好やなぁ。」
と指摘してきたが、私はそれどころではない。
「落ちるよりもましです。」
と返事をした。
手ぬぐい越しに、鎖を掴む。
私も思わず、
「冷たっ!」
と声が出てしまった。漬物よりも手ぬぐいを優先して買ってきてくれた赤光様に、感謝する。
雫様が、
「そやろ?」
と仲間を見つけたとばかりに言ってきた。
私は、
「これをずっと握って下までは、結構辛そうですね。」
と言うと、雫様から、
「そやな。」
と同意した。そして、
「けど、上手い奴は、鎖なしでも降りるんやで。」
と付け加え、悪戯っぽい口調で、
「山上も挑戦してみ?」
と言ってきた。私は想像してブルっと震えると、
「そんな事、出来ませんよ。」
と返事をした。雫様が、
「まぁ、落ちたら痛いしな。」
と楽しげに笑う。私は、
「私は、人間なのですよ?
『痛い』ではすみませんかんら。」
と苦笑いした。
横に来た赤光様から、
「話はそのくらいで、そろそろ降りろよ。」
と促してくる。
私は、
「はい。」
と返事はしたものの、ここまで冷たいと、握るのは簡単ではない。
私は重さ魔法で黄色魔法を集め、両手にしっかりと纏わせた。
そして両手で鎖をしっかりと掴む。
──冷たっ!
もう一度手を離しそうになったが、ぐっと我慢した。
足元を確認し、踏み降ろす場所を決める。
右足を崖から離して、崩れないことを確認しながら、体重を掛けていく。
まずは、一歩。
次の足を置く位置を確認し、今度は左足を崖から離して、同じように足を下ろす。
下の方までしっかり見ると、また怖くなるに違いない。足元より下は、なるべく見ないように心掛ける。
手の方も、左手を下にずらして鎖を掴み直し、右手も同じようにする。
これを繰り返していると、赤光様から、
「ゆっくりだな。」
と言われてしまった。私は、
「仕方ないではありませんか。
怖いのですから。」
と開き直ると、赤光様から、
「そうか。
まぁ、徐々に慣れていけばいいだろう。」
と優しく言ってくれた。
暫く降りていると、足元が平らになる。
──漸く、降りきったか。
そう思い、私は鎖から片手を離して、後ろを振り返った。
雪を被った山々が、ずっと連なっている。
雫様はどこだろうと思って見回したが、誰も居ない。
足元を見ると、単にそこだけ大きく突き出ているだけで、崖はまだ続いていた。
背中がゾクッとして、慌てて離した手を鎖に戻す。
上から赤光様が、
「鎖が垂れている方に行けば、降りられるからな。」
と声がかかる。私は、
「まだ、続くのですか?」
と聞くと、赤光様は、
「ああ。
だが、もう半分は降りたからな。」
と教えてくれた。つまり、まだ半分も残っているらしい。
私は、まだ怖い思いが続くのかと溜息をついて、
「分かりました。
ありがとうございます。」
とお礼を言った。
気持ちを落ち着かせるために、一度、深呼吸をする。
それからもう一度気合を入れ直して、しっかりと、鎖を両手で握る。
足元を確認し、次に何処に足を持っていくか決める。
勿論、それ以外の所は、なるべく見ないようにする。
そうやって私は、ゆっくりと足を降ろしたのだった。
暫くして、下から、
「もう少しやで。」
と雫様の声がかかる。上からも、
「そうだぞ。
あと、一息だ。」
と赤光様もが声を掛けてくれた。
私は、何となく子供扱いされている気分になったが、心配してくれているのは分かっているので、
「ありがとうございます。
分かりました。」
と返事をした。そして、残りが気になったので、思い切って下を確認する。
普通の家の屋根と、同じくらいの高さだろうか。
これならば、落ちても痛いで済む。
私は、漸く死から開放された思いがして、自然と顔が綻んだ。
雫様から、
「この辺、踏み固めといたからな。
他には降りんよう、気をつけてな。」
と指示が出た。私は、
「分かりました。」
と言った後、さっきまでと打って変わり、するすると雫様が指示した場所に降りた。
そして、雫様の近くに移動しようとしたのだが、急に、腰にグイッと引っ張られる感覚があった。
赤光様から、
「こらっ!
山上!
遠くに行くな。」
と叱られた。
後ろを振り返ると、鎖を使って崖を降りている最中の赤光様と、そこから伸びる紐が見える。
私は、
「申し訳ありません!
うっかりしていました!」
と謝ったのだった。
赤光様も、鎖場を降り切る。
赤光様が、
「この紐は、もういいな?」
と確認したので私は、
「はい。」
と返事をし、腰に結んである紐を外した。
雫様から、
「ここから先は、かんじきがある方がええやろう。」
と言うと、赤光様も、
「そうですね。」
と同意して、亜空間から3人分のかんじきを取り出した。そして、雫様と私に配る。
改めて草鞋の下にかんじきを結わえる。
準備が出来た所で、雫様が、
「ほな、行こか。」
と号令を出した。
赤光様が、
「さっきの鎖場で、予想以上に時間がかかりました。
少し、急いだ方が良さそうです。」
と言うと、雫様は、
「ん?」
と一瞬考え、
「あぁ、そやな。」
と同意した。そして、
「そういう事やから、山上。
さっきより、少し速よ行くからな。」
と言うと、雫様は、雪上のわりには早足で歩き始めた。
私は、
「はい。
分かりました。」
と返事をして、雫様に遅れないよう頑張って後ろについて歩いたのだった。
作中、(例によってかなり強引ですが)沢蟹が出てきますが、今日はこの蟹でしょうもないのを一つ。
最近では耳にしませんが、昔、オランダ語や英語のアルファベットを蟹文字と呼んでいたのだそうです。横に綴る文字だから、そう呼ぶのだそうです。
この蟹文字、おっさん、wikiを見て江戸時代に出来た言葉として紹介しようとしたのですが、日本国語大辞典(aka『日国』)では初出を明治7年の「寄合ばなし」としているようです。
wikiと日国のどちらが正しいかは置いておくとしても、微妙な単語をピックアップしてしまったなと思ったおっさんでした。(~~;)
・カニ
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%8B&oldid=90458099
・日本国語大辞典
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8&oldid=86456534




