埋める事になった
曇天の下、私達は雫様の故郷の竜の里に向けて山道を歩いていた。
起きた時は、天幕が潰れるほどのどか雪だったのだが、今はパラパラと降る程度になってきた。
足元も、赤光様からかんじきを借りたお陰で、随分と楽に雪の上を歩けている。
一見、順調に見えるが、実は大きな問題を抱えていた。
それは、雪のせいで朝食を食べる間もなく出発した点だ。
雪が降っていれば焚き火をする事も儘ならないのは解るが、何も食べずに動き始めるのは、流石に辛いものがある。
私は、どこかで倒れて野垂れ死ぬのではないかと思いながら、重たい足を動かしていた。
雫様が、
「この近くに、洞穴がある筈や。
そのに着いたら、朝飯、作るで。」
と声を掛けてきた。
──なるほど、そういうつもりだったのか。
赤光様が、
「そうしましょう。」
と返事をしたので、私も、
「そうしましょう。」
と同じく返した。
暫く歩くと、洞穴が見えてきた。
赤光様が、
「あれですね。」
と声を掛けると、雫様も、
「そうや。」
と同意する。そして、
「奥には狂熊が冬眠とるから、静かにな。」
と付け加える。
私はギョッとして、
「大丈夫なのですか?」
と聞くと、雫様は、
「普通は、あかんな。」
と笑った。
私は、どうして大丈夫なのか聞こうと思ったのだが、赤光様が先に、
「お知り合いの狂熊なので?」
と質問をした。雫様が、
「そうや。
熊五郎っちゅうんやけど、目がクリッとしとって可愛いいんやで。」
と答えると、赤光様は、
「そうでしたか。
では、熊五郎が起きないよう、静かに間借り致しましょう。」
と頷いた。
私も狂熊には襲われたくないので、赤光様の意見に同意した。
洞穴に入ると、赤光様は手頃な岩を集めて竈を作り、亜空間から薪を取り出した。そして、赤魔法で火を点ける。
雫様は荷物から鍋を取り出し、水と小さな干し魚を入れて焚き火に。
私はやることも無いので、
「それは?」
と質問すると、雫様は、
「煮干しや。
知らんか?」
と答えた。私は、見た事がなかったので、
「干し魚は使いますが、このような小さな魚は使った事がありません。」
と正直に答えると、雫様は、
「確かに、山の方はそやな。」
と納得し、
「これ、海に泳いどる小魚を干したもんなんや。
えぇ出汁になるでぇ。」
と教えてくれた。
私は、
「海の方では、このような小さな魚も使うのですね。」
と言い換えると、雫様は、
「そうや。」
と頷いた。
これに味噌を溶き、干飯を入れて煮て、具のない雑炊が出来上がる。
私が、
「少し、そっけないですね。」
と言うと、赤光様が、
「急で、食材の調達も儘ならなかったからな。
せめて、兎か雉でも出たら、獲って捌いたのだが。」
と軽く謝られた。雫様が、
「確かにな。
うちも、雅弘から急に言われて、どつく暇しかなかったしな。」
と、蒼竜様のご家庭の様子がヒョコリ顔を出す。
私は思わず、
「蒼竜様を殴ったのですか?」
と聞き返すと、雫様は、
「うちらは・・・、ほら。
新婚言うても、長い付き合いやからなぁ。」
と苦笑い。雫様は話を変えようと思ったのか、
「それにしても、赤光。
もうちょっと、ちゃんとした食材、準備できんかったんか?」
と文句を付けた。
赤光様が、
「無茶を言わないで下さい。
釈放されてすぐ、この仕事ですよ?
誰にも怪しまれないように干飯を確保するだけでも、大変だったのですから。」
と珍しく反論したのだが、雫様は反駁する事なく、
「まぁ、そうか。
すまん、すまん。」
と軽く謝った。赤光様も反論した割には怒った訳ではなかったようで、
「分かればいいのです。」
と軽く返した。
雑炊を食べた後、妖狐から袖に何か縫い付けられていると言われた事を思い出した。
声に出すわけにもいかないので、拙いが、地面に字を書いて伝える事にする。
私が、
『すみません
だまつて よんでください』
と書くと、雫様が笑いながら、
『何や』
と質問を書いた。私は、
『じつは、そでに だれかが
むらさきまほうをしこんだ ようでして』
と書くと、二人が私の着ている着物を凝視し始めた。
二人、不味そうな顔に変わる。
雫様が、
『これ、あかんやつや
居場所から周りの音まで、いろいろ伝わるやつやないか』
と書いた。一部の漢字を読めず、私は首を捻ると、赤光様が気が付いたらしく、『いばしょ』等の振り仮名を付けてくれた。
私はよく気が付いたなと思いながら赤光様に二度ほど頷くと、雫様は、
『これから雅弘に確認するから、ちょっと待ちな』
と言って、目を瞑った。蒼竜様と、念話をしているのだろう。
暫くして、雫様は、
『山上、
袖のを取るから、着物、渡し』
と書いた。すかさず、赤光様が振り仮名を付けてくれる。
私は、重さ魔法で黄色魔法を集めて寒さを凌げるようにしてから、着物を脱いで渡した。
焚き火があるとは言え、このような雪の降る日に褌一丁は辛い。
私は、
『なるべくはやく おねがいします』
と書いた。
雫様が着物の袖の部分を裏返すと、確かに白地に何かが書かれた布が縫い付けられていた。
赤光様が亜空間から鋏を取り出し、雫様に手渡す。
雫様は糸を1本切ると、丁寧に抜き取っていった。
白地の布が外れる。
私が、
『そのぬのは どのように するのですか』
と質問すると、雫様は、
『一先ず ここに埋めて 放置や』
と書いて、洞穴の壁よりの所に小さな穴を掘り始めた。
そして、白い布をそこに埋める。
雫様は私に着物を返すと、
『書いた字、消したら
出発するで
早う 着いや』
と書いた。雫様は地面に書いた文字を消し、赤光様が焚き火の始末をし始める。
私も急いで、着物を着る。
準備が整い洞穴の外に出ると、雪はすっかり止んでいて、少しだけ日も射していた。
雫様が先頭に立って歩き始める。私はその後に続き、最後、赤光様が続く。
暫く無言で歩いていたのだが、雫様が、
「そろそろ、ええやろ。」
と言葉を口にした。赤光様も、
「そうですね。」
と肯定をする。
私が、
「息が詰まるかと思いました。」
と言うと、雫様が、
「そやな。」
と肯定し、
「それにしても山上。
よう、あんな薄いの見つけたな。」
と褒めてくれた。私が、
「実は昨晩、夢の中で狐と話をしまして。」
と言うと、雫様は、
「狐?
・・・あぁ。
なるほどな。」
と少し笑い、
「虫の知らせっちゅうやつか。」
と頓珍漢な事を言ってきた。始め、私は不思議に思ったのだが、そう言えば、私は雫様に妖狐に憑かれている事を話した覚えはない。
──これは不味かったのではないか?
重ねて昨日、私は蒼竜様と話をしている気になって妖狐の名前を出したが、その蒼竜様も、実は赤光様が化けていた事を思い出した。
私は、この二人に妖狐の件を話してもよかったのか、不安になってきた。
赤光様から、
「すみません、雫様。
他言無用ではありますが、山上は今、妖狐が憑いているそうでして。
山上を始末するかどうかで、もめているので、我等の竜の里に匿う事になったのですよ。」
と説明した。どうやら、赤光様は先に聞かされていたようだ。
赤光様は、
「蒼竜から聞いていませんか?」
と確認したのだが。雫様は、
「いや、聞いとらんなぁ。」
と言うと、私に、
「山上。
今、そんな面白い事になっとんのか。」
と言われてしまった。私は、
「いえ、面白くも何ともありませんよ。」
と文句を付けたのだが、雫様は、
「まぁ、本人はそうやろな。」
と楽しげ。そして、
「しっかし、雅弘も、知り合いの話なんやから、教えてくれてもええのになぁ。」
と付け加えた。私も、
「そうですよね。
私もてっきり、雫様は蒼竜様から聞いて知っているものと思い込んでおりましたし。」
と話に乗っかった。
雫様が、
「まぁ、善し悪しはともかく、雅弘はその辺、きっちりしとるからなぁ。」
と苦笑いをする。赤光様は、
「それが普通です。」
と言ったのだが、雫様は、
「確かに、そうなんやけどな。」
とまた苦笑い。納得していない様子だ。
私は、これは一般常識なのかと不思議に思い、
「そうなのですか?」
と確認すると、赤光様は、
「ここだけの話と言って、広まっては不味いだろうが。」
と答えた。ここだけの話が勝手に広まってしまった経験は、私にもある。
私は、
「そうですね。
信用問題になりかねませんし・・・。」
と苦笑いした。
雫様が、
「そういう事や。
ただ、今回の件は、帰ったらどついたろう思うとるんやけどな。」
と楽しそうに笑う。
私は、心の中で蒼竜様に手を合せながら、
「それは・・・、程々に。」
と返したのだった。
本日も、小ぶりなネタをひとつだけ。
作中、煮干しが出てきますが、これは皆様もご存知の通り、片口鰯等の小魚を煮て干したものとなります。
煮干しの明確な記述が見つかるのは江戸時代に入ってからだそうで、江戸中期には庶民が出汁とるのに使っていたそうです。
それまで片口鰯は、干鰯のような田畑の肥料として使われていたようなので、どういった経緯で出汁をとるのに使われるようになったのかは、不思議な所です。
・煮干し
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・第17回 日本のだし文化とうま味の発見 〜 第2章 「だし」の誕生と発達
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・干鰯
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