着物の袖(そで)に
温泉での不穏な会話も終わり、体も十分に温まる。
そろそろ出ようと思って立ち上がった時、お湯に浮かんでいる物が塵ではなく湯の花である事に気が付いた。
咲花温泉では、これがお土産として売られていた事を思い出す。
何となく、手で湯の花を掬い上げてみる。
──これを持ち帰れば、佳央様や更科さんは喜んでくれるだろうか?
そう思ったのだが、現時点では、いつ皆の所に帰れるかは未定。
深い溜息が出た。
焚き火の側にいた雫様が、
「何や、寂しそうやなぁ。」
と声を掛けてきた。
私は慌てて笑顔を作って振り向くと、
「そうですか?」
と返事をしたのだが、雫様は私の手元を凝視し、
「それ、湯の花か?
何や、思い出でもあるんかい。」
と聞いてきた。
私は、
「いえ、特には。」
と返事をすると、雫様は不思議そうに、
「そうなんか?」
と聞いてきた。私は、
「はい。」
と返事をして、
「これがお土産にならないかと、そう思って見ていました。」
と適当な理由を付け加えた。雫様が、
「土産か。
まぁ、無いよりはあった方が印象はええやろうな。」
と曖昧に返してくる。私は違和感を覚えたが、
「やはり、あった方がいいですよね。」
と同意し、
「少し採ろうと思いますが、袋か何かは無いでしょうか?」
と聞くと、雫様は、
「赤光、仕舞えるやろ。
山上が実家の土産に取りたいらしいから、手伝ったり。」
と指示をした。赤光様はこちらを軽く一睨みして、
「はい。」
と答え、私に、
「いくらでも入るわけではない。
桶に一杯分までにしとけよ。」
と言った。
私としては、佳央様や更科さんへのお土産のつもりで言ったのだが、確かにこれからお世話になる先にもお土産を持って行った方が良い。
私は、
「はい。
分かりました。」
と了承し、そのまま話を進める事にしたのだった。
湯の花採取の後、準備された天幕に解散する。
今夜は、赤光様が見張りをしてくれるので、このまま朝まで寝ていても良い。
外は風が強くなってきたようで、天幕の布がバタバタと音を出しながら揺れ始めた。
この天幕が潰れないかと、心配になってくる。
今迄もこのような事はあったと思うが、今日は天幕の中に一人だけ。
私は、一人だから余計に気になるのだろうと思う事にした。
寝袋に足を入れ、横になる。
急激に眠気に襲われ、目の前が回り出す。堪らず、瞼を閉じる。
次の瞬間には、私の意識は途絶えていた。
真夜中、
<<外は、随分と降っておるのう。>>
という声が聞こえた。
見ると、目の前に妖狐がいる。
私は、
「今夜も出てきたのですね。」
と言うと、妖狐は、
<<出てきて欲しかったのではないか?>>
と逆に尋ねられた。私はそう言えばと思い出し、
「その通りです。」
と同意して笑い、つい頭を掻きながら、
「今日は色々と、ありがとうございました。」
とお礼を言った。妖狐が、
<<小童よ。
そのような態度で、礼のつもりか?>>
と明らかに声が低い。
私は、
「申し訳ありません。」
と頭を下げて謝ると、妖狐から、
<<お礼を言う時は、きちんとな。>>
と今回はお許しが出た。私は軽く頭を下げながら、
「ありがとうございます。」
とお礼を言った。そして、
「それで今夜は、どのようなご用件なのですか?」
と尋ねると、妖狐は、
<<昼間、どうやって小童を探し出したかが判ったから、伝えておこうと思うての。>>
と答えた。私は驚いて、
「何か仕掛けがあったという事ですか?」
と確認すると、妖狐は、
<<そうじゃ。>>
と答え、
<<起きたら、着物の袖をよう探してみぃ。
何やら、縫い込まれておるのが見つかる筈じゃ。>>
と説明した。私が、
「何が縫い込まれているのですか?」
と首を捻って確認すると、妖狐は、
<<察しが悪いのぅ。
巫女達の言う、紐付きの呪いを仕込まれたのじゃ。
ここまで言えば、解かるじゃろう。>>
と説明してくれた。私は慌てて、
「紐付きの呪いですか!
つまり、私から情報が漏れていたという事ですか?」
と聞くと、妖狐は、
<<まぁ、そうなるのぅ。>>
と答えた。私はふと思い出し、
「ですが、竜人であれば、魔法を見る事が出来ます。
赤竜帝の御前に出た時、一人くらいは気が付くと思います。
本当に呪いはあったのですか?」
と指摘した。
妖狐が、
<<そこを疑うか。
ならば、他にどうしてあの者がおったのか、説明してみよ。>>
と別の案を出すように言ってきた。私はそのような案を持っていなかったので、
「分かりません。」
と答えた。だが、私としても納得はいかない。
私は、
「ですが、仮に呪いとして、先程の説明はどのように付けるのですか?」
と改めて質問すると、妖狐は、
<<恐らく、連中も気づいておったのじゃろう。>>
と思いもよらぬ事を返してきた。私が、
「でしたら、どうしてその場で指摘しなかったのですか?」
と聞くと、妖狐は、
<<その方が、最善と考えたからじゃろう。>>
と答えた。私は意味が解らず、
「どういう事ですか?」
と質問すると、妖狐は、
<<あやつらの実際の思惑は、妾にも解らぬ。
じゃが、そうする事で犯人を絞り込む手段は幾つもあるのじゃ。>>
と答えた。私が、
「例えば、どのような方法ですか?」
と聞くと、妖狐は、
<<そうじゃのぅ。
古典的な手では、嘘の情報を握らせ、罠を張って待ち構えるとかかのぅ。
他にも、少しずつ違う嘘を与え、広まった嘘によって犯人を特定するといった手管もある。>>
と説明した。私はなるほどと思い、
「流石は妖狐ですね。
人を翻弄する本職なだけはあります。」
と感心したのだが、妖狐から、
<<それが本職ではないわ。>>
と軽く怒られた。私は風向きが悪いと思い、
「申し訳ありません。」
と片手で拝むと、妖狐から、
<<もう少し、丁寧に謝らぬか。>>
と苦笑いされた。
私は話を変えようと、
「それで、誰も気づかなかった可能性はあるのでしょうか。」
と聞くと妖狐は、
<<可能性は、低いじゃろうな。>>
と答えた。私が、
「何故、そう考えるのですか?」
と確認すると、妖狐は、
<<ああいった政治に携わる連中は、常に、呪いには気を付けておるものじゃ。
なにせ、国の要の情報を抜かれてはたまらぬからのぅ。
特に、赤竜帝ともなれば、敏感であろうよ。>>
と答えた。私は、
「確かに、その通りでないと困りますね。」
と苦笑いした。
ひと呼吸し、次の質問に移ることにする。
私は、
「そう言えば、この呪い、何時仕掛けられたのでしょうか?」
と質問をした。すると妖狐は、
<<寝てる時か、気絶しておる間に決まっておるじゃろうが。>>
と答え、困った風な顔で
<<今の妾は、小童の目や耳を通してでなければ、外の情報は得られぬからのぅ。>>
と付け加えた。
私はその時の話を思い出し、
「そういえば、前に言っていましたね。」
と同意すると、妖狐も、
<<そうじゃ。>>
と頷いた。そして、
<<しかし、この呪い。
妾でもすぐに気づけぬほどの巧妙さじゃ。
術者は、相当な腕前に違いないのぅ。>>
と評した。
私は、
「いったい、誰なのでしょうかね。」
と聞くと、妖狐は、
<<そのような事、妾が知る訳があるまい。>>
と呆れ笑いしながら返し、
<<あの竜の巫女やお付の者達であれば、判るやも知れぬがのぅ。>>
と付け加える。私が、
「何故ですか?」
と聞くと、妖狐は、
<<知れた事。
少し考えれば、判るじゃろうが。>>
と答えた。私が、
「どういう事ですか?」
と聞くと、妖狐は、
<<単純に考えただけでも、呪いが見えれば元を辿れるじゃろうが。>>
と答えた。
私は、
「確かにそうですね。」
と同意し、
「そう言えば、紐付きの呪いならならば、私にも返す事が出来るかもしれません。」
と言うと、妖狐から、
<<仮に、わざと放置したのであれば、勝手に返せば怒られるじゃろうが。
少しは考えよ。>>
と呆れられた。私は少し笑いながら、
「確かに、その通りですね。
すっかり寝ぼけてしまっているようです。」
と頭を掻くと、妖狐から、
<<当然じゃ。
寝ておるからのぅ。>>
と苦笑い。私は少し考え、
「確かに、今は夢の中でした。」
と苦笑いしながら返したのだった。
作中、(例によって不自然に出てくる)湯の花ですが、こちらは温泉の成分が固まった物となります。
草津温泉では、江戸中期頃から湯の花の採集を行っていたそうで、土産物として流通していたのだとか。
ちなみに、この湯の花をお土産にする場合、硫黄や硫化物を含む湯の花は追い焚きタイプの風呂釜を炒める場合があるそうです。最近は給湯器で沸かしたお湯を溜めるタイプが主流なので大丈夫とは思いますが、お土産にする場合は、事前に渡す相手の風呂のタイプを確認した方が無難なようです。(^^;)
・湯の花
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・草津温泉
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