温泉の隣にて
山中の温泉で雫様と合流した赤光様と私は、ご飯が温まるまで雑談をしていた。
少し降っていた雪は、今だけは止んでいる。
私は、
「これからの日程は、どのようになるのでしょうか?」
と聞いてみた。すると赤光様は、
「日程も何もないぞ。
今日はもう、飯を食ったら寝るだけだ。」
と答えた。私は、
「では、明日はどのように?」
と確認すると、赤光様は、
「明日か。
明日は朝、早い内に出発すれば、夕方には竜の里に帰る事が出来る。
今日は色々とあったからな。
早めに休んで、明日、起きられるようにしておけよ。」
と答えた。私は、
「見張りはどうしましょうか?」
と聞くと、赤光様は、
「今夜は、気にしなくていいぞ。」
と言ってくれたので、私は、
「ありがとうございます。」
とお礼を言った。
私は会話をと切らせないために、
「では、明日の移動する時なのですが。
何処か、難所とかはありますか?」
と確認した。すると、赤光様は、
「山は越えるが、難所と言う程の所はないな。」
と答えた。難所がないのは有り難い。
私は念の為、
「どのくらいの高さの山なのですか?」
と確認すると、赤光様は、
「春高山よりちょっと高いくらいだ。」
と答えた。春高山に毛が生えた程度と言う事か。
私はそう思い、いよいよ安心したのだが、横から雫様が、
「切り立った岩場があるやろ。
あそこ、人間には辛いんちゃうか?」
と言ってきた。赤光様もポンと手を打ち、
「あぁ、あそこですか。」
と納得する。私は少し不安になって、
「そんなにきつい岩場があるのですか?」
と聞いた所、雫様は、
「そや。
あれ、5〜6間はあったんちゃうか?」
と答えた。赤光様が、
「確かに、そのくらいはありますね。」
と返事をする。私は、
「5〜6間ですか・・・。
そんな岩を登らないといけないなら、結構、大変ですね。
足場とかは、大丈夫なのですか?」
と溜息混じりに聞いた。
すると雫様は、
「大丈夫ちゃうか?
3尺くらいの所はあるけどな。」
と言ってきた。大岩で足を掛ける間が3尺も離れていると、手足の置ける位置によってはかなり辛い。
私は、
「それは、慎重に進まないと落ちてしまいそうですね。」
と感想を言った。雫様が、
「そうや。
一応、鎖はあるんやけどな。
夏は火に焚べたみたいに熱つなって、冬も氷で出来とるみたいに冷とうなるんや。」
と説明した。所謂、鎖場になっているらしい。
雫様が、
「そろそろ、ええか。」
と言って、鍋を下ろす。
私はこの話題を続けたかったのだが、
「手伝いますね。」
と言って雫様の方に移動し、鍋の中身を装った。
本日のご飯は、大根の味噌汁と梅干し、それとご飯なのだが、このご飯が軽く干し飯になっていた。
私は、
「本当は、お行儀が悪いのですが・・・。」
と断ってから味噌汁をご飯に掛けていただいた。
雫様が、
「そういや、山上。
来年発行の竜人武鑑に名前が載るらしいなぁ。」
と話を始めた。
私は竜人武鑑という言葉を初めて聞いたので、
「竜人武鑑と言いますと?」
と聞くと、雫様は、
「なんや。
知らんのか。」
と言った後、
「有力な竜人を纏めた本や。
本来は、竜人格程度では載らんのやけどな。
人間枠っちゅう事で、特別に載せる版元があるらしいで。」
と説明してくれた。私は、
「それに載ると、どうなるのですか?」
と聞くと、雫様は、
「まぁ、何もないんやけどな。
あえて言うなら、そやなぁ・・・。
信用ありと見なされるから、金、借り易うなるで。」
と答えた。赤光様が、
「確かに。」
と頷く。私は、
「借金ですか・・・。」
と微妙な顔をすると、雫様は、
「そうや。
借金は、無いに越した事はないけどな。
長ごう生きとったら、避けられん時もあるもんや。
そんな時に、信用ありとみなされるかどうかで、借り易さが変わってくるんや。」
と説明した。赤光様が、
「世の中、無駄な借金も多いがな。」
とニヤリと笑う。私が、
「どのような借金ですか?」
と聞くと、赤光様は、
「賭場で擦ったり、女に貢いだりな。」
と答え、雫様から、
「山上は、そんな事して佳織ちゃん泣かせたらあかんで?」
と釘を刺された。
私は、
「気をつけます。」
と苦笑いした。そして、
「他には、何かありますか?」
と聞くと、赤光様が、
「他にか。
この武鑑を片手に、商人が来たりするな。」
と苦笑い。私は、
「商人ですか?」
と首を傾げると、雫様も、
「そうなんか?」
と聞いてきた。赤光様が、
「雫様は、家柄上、知らないかも知れませんが、新しく名前が載ると、彼方此方の店が来るのですよ。
既存の家柄であれば、多くが新規の商いをお断りしていますが、新興であれば、そういうのはありませんからね。」
と説明した。私が、
「どのくらい来るのですか?」
と聞くと、赤光様は、
「酒屋から始まって、反物屋に至るまで、何でもだ。
特に、始めは朝の出所前から、夜寝るまで、ひっきりなしでな。
何度断っても、来るんだ。
鍛錬で疲れた所に来る者など、蹴散らしてやろうかと思うのだが、そういう訳にも行かぬ。
本当に、困ったものだ。」
としみじみと話してくれた。私は、
「ずっと続くのですか?」
と聞くと、赤光様は、
「さっきも、言った通りだ。
出入りの商人を決めて、ここ以外とは取引しない旨を伝え、ようやく収まったのだが、それでも、飛び込みで来る行商人もいたからな。」
とうんざりした顔だ。
私は、
「その竜人武鑑、名前を載せないようには言えないのですか?」
と確認したのだが、赤光様は、
「言った所で、向こうも商売だからな。
恐らくは無駄だと思うぞ。」
と諦めているようだった。
私は、
「そうなのですね。
ですが、私の場合は居候の身ですし、流石に来ないかもしれませんね。」
と楽観的に話すと、赤光様は、
「甘いな。
奴ら、少しでも外出しようものなら、目聡くやって来るぞ。」
と笑いながら話した。雫様は、
「どのみち、出入りの商人は決めんといかんやろ?
居候の内に、分相応の店を、見つけるしかないやろな。」
と纏めた。
食事が終わり、折角だから温泉に浸かろうという話になる。
雫様が、
「ここに桶あるから使い。」
と言ってくれた。私は早速それを受け取ると、
「では。」
と言って、天幕に入った。
持っていた手ぬぐいと懐紙を懐から取り出し、着物を脱いで畳んでおく。
褌は・・・、少し臭う気がしたので、洗う事にする。
今にも雪が降り出しそうな寒さの中、震えながら天幕の外に出る。
春から夏場であれば泡っ子が生えているが、今はない。
古い焚き火の跡から、灰を貰ってくる。
体にお湯を掛ける。
一瞬だけ温まるものの、あっという間に最初よりも寒くなる。
震えながら灰を体にこすりつけ、もう一度お湯を掛けて洗い流す。
ついでに褌と手ぬぐいも洗い、褌だけ木にかけておく。
それから早速、お湯に入った。
一緒に入っているのは、赤光様。男二人の湯だ。
雫様は、
「もう入ったわ。」
と言っていた。
赤光様が、
「しかし、今の時期に山上を里に預ける事にするとは、赤竜帝も何を考えているのやら。」
と話し始めた。私が、
「どういう事でしょうか?」
と聞くと、赤光様は、
「まだ、竜帝城の地下に人が捕まってるんだぞ。
赤竜帝に対し、印象が良いと思うか?」
と聞き返された。私は少し考え、
「いえ。」
と返答すると、赤光様は、
「だろ?
だが、何かあったら謀反の意ありとかで攻め入る隙きを与える事になる。
無碍な扱いはないだろうが、それに準ずる扱いをしてくる奴らもいるだろう。」
と警告された。赤光様は、わりかし良い人のようだ。
私は、
「ありがとうございます。」
とお礼を言うと、赤光様から、
「む。
言い方が悪かったか。」
と眉間に皺を寄せ、
「不心得者もいて、襲ってくる輩がいるかも知れぬと言っている。
だが、山上に何かあれば、うちの里に被害が及ぶかもしれないのだ。
つまり、・・・分かるな?」
ともう一度説明した。私は、
「はい。
ですから、警告、ありがとうございます。」
と返すと、赤光様から、
「はっきり言わないとわからないか。」
と少し頭を掻き、
「山上に何かあった時、それが知れれば罪のない里の者まで粛正されるかも知れないのだ。
だから、何かあったとしても黙っていろよと言っているのだ。
ありがとうなどと言う場面ではないだろうが。」
と言ってきた。私は、
「そう言う意図でしたか。」
と苦笑いすると、赤光様は、
「そうならないように、こちらも気をつけるが、山上も気をつけていろよ。」
と言ってきた。雫様が、
「まぁ、最悪の場合や。
ない思うで?」
と付け加える。
私は、
「そうですね。
何もない事を祈ります。」
と返すしかなかった。
作中、(今回も少し強引ですが)竜人武鑑というものが出てきます。
江戸時代、大名や幕臣、旗本等を纏めた武鑑と呼ばれる本が発行されたのですが、それになぞらえて出してみました。
ちなみにこの武鑑、公的な本ではないので、何社からか出版されていたそうです。よほど人気があったのか、武鑑を名乗るには本屋組合から許可を得る必要があったそうですが、許可のない野良武鑑(武鑑という名は使わずにひっそりと出版されていた)まであったのだとか。
なお、借金が借りやすくなる話や商人がたかってくる話は、おっさんが適当に書いていますのであしからず・・・。(^^;)
・武鑑
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