田中先輩が先生と呼ばれるきっかけ
* 2019/11/06
誤記を修正しました。
私は田中先輩に、
「つい先日も、火狐の油肝を売っていましたよね。
買い取ってもらえないというのは、いったいどう言うことなのでしょうか。」
と聞いた。すると、田中先輩が、
「あぁ、ここは俺が話そう。
野辺山、いいな?」
と断ってから、野辺山さんが頷いたのを見て、
「恐らくはな、元々は冒険者組合がポーターを保護するための仕組みだったはずなんだ。
それがいつの間にか、ねじ曲がったんだろうな。」
と話始めた。田中先輩は続けて、
「当時のポーターの給料って言うのはな、冒険者の成果の有無に関わらず、日当で貰えることになっていたんだ。
まずは、ポーターを使いたい冒険者は、費用の半額を前金で冒険者組合に預けることになっていてな。
それで、残りの半分の費用は冒険者組合が出して、お荷物のポーターを使いやすいようにしたんだろうな。」
と言った。すると野辺山さんが、
「それと、冒険者を始める時にポーターになる奴が多いという話は聞いたことがあるだろ?
もし日当じゃなかったら、運悪くついて行く冒険者がことごとく坊主だった場合、金がなくて未来の超級冒険者が冒険者を諦めてしまうかもしれない。
それは、冒険者組合にとっても損失なんだ。」
と付け加えた。田中先輩は、
「そうそう。」
と言って、続けて、
「ただな、これはあまりにもポーターだけ優遇されているだろ?
成果が無くても給料が貰えて、素材を収集出来ればさらに上積みということで不公平だと思わないか?」
と言った。私は、
「はい。」
と相の手を入れた。田中先輩は、
「だろ?
もし坊主が続いたりしたら、荒くれ者の多い冒険者はやきもちを焼いて、どこかの裏路地で待ち伏せ、なんてことが起きるかもしれない。
それと、日当が出る安定した生活ができるポーターの方がいいと言って、実力があるのにポーターにとどまるやつも出てきかねないな。
だから、そうならないように、刈った獲物の分配はポーターは対象外ということで、釣り合いを取ったんじゃないかと思うんだ。
で、金のない駆け出し冒険者が素材をくすね盗って犯罪者にならないように、買い取り自体も禁止にしたんだろうな。」
と話した。私は『なるほど』と思った。野辺山さんが、
「一応、冒険者が受けた難易度によって、ポーターの日当も上がるしな。
普通の駆け出しの冒険者にとっては、一方的に理不尽というわけでもない制度だったんだ。」
と補足した。これなら、私も納得してポーターになったかもしれないと思った。
田中先輩は続けて、
「ところがな、俺くらいになると、これが邪魔になるんだ。
なにせ、いくら討伐しても、素材の分配は無いので日当しか貰えないだろ?
冒険者だけで全部召し上げて分配するから、冒険者丸儲けの俺は『くたびれ損』という訳だ。」
と話した。ここで野辺山さんが、話を割り込んできて、
「まぁ、田中の例外はともかくとして、本来は元の制度も理不尽というわけでもないように聞こえるだろ?
でも、さっきも田中が言ったとおり、現場では悪い方に制度がねじ曲げられて運用されていたんだ。」
と言った。私は、
「それは、どういうことですか?」
と聞くと、野辺山さんは、
「まず、冒険者がポーターの働きについて毎回評価を冒険者組合に提出する制度になっていたんだ。
そこで悪い点がつけば、次回からの報酬が少なくなってな、逆に良ければ、優良ポーターとして報酬も増えて、月に一回、評価が良い者と悪い者を掲示板で発表したりするんだ。
どうせポーターを雇うなら、評価が高い方がいいだろ?
で、冒険者組合の黎明期の資料を見たんだがな、評価のために過剰サービスするポーターが出るようになったようだ。
冒険者もそれを基準に評価するものだから、評価を下げないためにポーター全体が無茶するようになっていったみたいだな。
これがそのうち、ポーターは言えば何でもやるという認識に変わっていったようだ。
つまり、冒険者にとってポーターは、過剰労働だろうが危険有害業務だろうが関係なく『言えば何でもやる便利な道具』として人格を無視されるようになったんだな。
まぁ、もちろん身分制度自体も最下層だがな、同じ身分のはずの駆け出し冒険者は後輩として普通に扱うのに、ポーターは奴隷のような扱いにされていたわけだ。」
と返した。田中先輩が、
「もちろん、当時の冒険者も半分は良心的だったはずだったぞ?
それでも、かなりの輩が、自分が差別している事実にすら気がついていない連中でな。」
と言った。すると野辺山さんが、
「なにせ、ポーターの地位改善活動の一環で冒険者に事情聴取をした時だったか。
『自分も昔やらされたので、次の世代もやられて当然だ』と言っている奴等が結構いたしな。」
と言って、当時の状況がどうだったか語った。すると、田中先輩も、
「そうそう。
『俺たちもポーターやっていたときは苦労したんだぞ?修行だ、修行。』とか言って、
便所の穴掘りから始まって、天幕の設営、料理、解体、集めた素材の分別までやらせる奴もいたな。」
と言った。この時、田中先輩は何か昔を思い出したようで、
「そうだ。
確か、俺が16の時か。
茎と葉の付け根の小さな蕾だけが素材になる薬草を、茎ごと山のように摘んできた冒険者がいてな、『これは冒険者になったときに必要な事だ』とか言って蕾だけをひたすら袋に分別させられたこともあったんだ。
それで頑張って摘んでいたんだが、摘めども摘めども終わらない。
結局、作業が終わったのは空が白みかけた頃だったから、その日は一睡も出来ずに、そのまま朝げの支度を始めたっけな。
その後、街に戻ってから他のポーターの話とかも聞いて分かったんだがな、そいつら、徹夜作業は口実で、実は夜間の見張りを押し付けるのが目的だったそうだ。
今は、深夜作業は見張りの2刻までと決まったから、こんな真似をしたら、組合から冒険者が仕事を貰えなくなって困るので、もうやる奴はいだろうがな。」
と付け加えた。すると、野辺山さんは、
「おっ、その話は初耳だな。
でもまぁ、当時は悪い評価をつけられると困るので、断る勇気のある奴はほとんどいなかったしな。」
と言った。田中先輩も、
「そうだな。
でも、いろいろ改善し始めたのも、せいぜい5年くらい前からだろ?」
と言って、ため息をついた。野辺山さんは、
「まぁ、そう言うな。
これでも頑張ったんだぞ?
去年、こっちに左遷されるまでは、お前のために中央で下げたくもない頭をあちこちに下げて回ったんだからな。
冒険者組合での買い取りの件なんかは、本当に抵抗が酷くてな。
『ポーターなんだから別にいいだろうに』とか『ポーターに横取りされたら、冒険者が仕事をやらなくなる』とか言って、事情通を気取った連中に言われたりな。
言うだけならいいんだが、裏で『ポーターになんか肩入れしている奴は、身のほどをわきまえさせてやる』とか言っていた連中だったか。
地位が上なのをいいことに、本来はすんなり通る普通の書類まで、わざと床に落として踏みつけるなんていう嫌がらせまであったんだぞ。
他の人からも判を貰っている書類だった時は面倒で、もう一度判を貰うために行った先々で嫌味を言われたりしたものさ。」
と、当時、苦労したことを話した。すると、杉並社長が、
「確か、2年前でしたかね。
冒険者組合がポーターの持ってきた素材を買い取り始めたのは。
先生が会社で働くようになったのが3年前でしたから、これが1年ずれていたら、先生も会社では働いてはいなかったでしょうね。」
と言った。すると田中先輩は、
「まぁ、そうだろうな。
でも、今でも社長には足を向けて寝られんよ。
俺が40になった頃はな、本当に金の巡りが悪かったんだ。
さすがに俺の人生、これじゃまずいと考えて、ポーター以外の道も探り始めたんだ。
でもな、役所やらなにやらの公職には、職種制限ってやつでポーターだと入れてもらえなかったしな。
普通の職業も、40代のポーターってだけで経歴も聞かずに門前払いだったな。
それこそ、ポーターを書き換えられない時点で、いろいろと将棋じゃないが人生詰んでいるんだなと思ったものだ。」
と言って、就職前の時の話を簡単に聞かせてくれた。そして、
「偶然飲み屋で社長と合わなかったら、ヤバかったな。
あの頃、新人のポーターの指導はしていても、所詮は駆け出し向けの依頼だからな。
駆け出しのポーターと同じ日当しか貰えないだろ?
確か、冒険者学校から少しだけ金を出すと言われた時も、大した金額ではなかったのもあって、『後輩を育てるのは先輩の義務だ』とか粋がって受け取らなかったせいもあって、自分で酒を買うどころか、泊まるところも新人と同じようなところで、本当に大変だったんだぞ。」
と言って酒を口に含んだ。私は、
「たまには、難易度の高い仕事のポーターをやったりはしなかったのですか?」
と聞くと、田中先輩は、
「いやな、それが空鯨と言って、空を飛ぶ巨大な鯨がいるんだが、そいつの糞害が酷いというので討伐依頼を受けた超級の冒険者に雇われてついて行ったのが不味かったんだよな。
俺は空鯨が移動するのに合わせて、普通にポーターとして天幕を移動させたり荷物を運んだりしていたんだ。
だがな、1週間くらい経った頃か。
超級の奴等は、俺が土蜘蛛を殺ったのを知っているものだから、どうやったら倒せるか俺に相談しにきたんだ。
俺は『近くに寄って、よく狙って大きいのをぶっ放せばいいんじゃなか?』って気軽に言ったんだが、どうも通じなくてな。
それで『こんな感じだ』と言って、ちょこっと空を走って近くに行って闇炎をぶっ放したんだ。
そうしたら、その一撃が空鯨の脳に当たったらしく、そのまま倒しちまったということがあったんだ。
あれが不味かったんだよな。
みんな『恐れ多い』とか言い出してな。」
と、きっかけになった事故について語った。すると、野辺山さんも、
「そうそう。
あの当時、超級の冒険者でも歯が立たない相手をあっさり倒したって話が広まって、みんな口を揃えて『厄災級でもないのに田中さんを引っ張り出せません』とか『そんな些事で恐れ多いです』とか言ってたな。
俺だって、土蜘蛛の件で金が無いとは聞いていたが、まさか、そこまで金が無いとは思っていなかったから、酒はしょっちゅう奢ってやったが、よほど難しい依頼でないと田中と釣り合わないと思って、そういや俺も仕事、ほとんど依頼しなかったなぁ。」
と相の手を入れた。田中先輩は、
「まぁ、そういうことだな。
糞害を解決したら、運が無くなって不運になったということだ。」
と、どや顔で言った。誰も何の反応もしなかったので、咳払いをひとつして、
「そのせいで、俺はすっかり干上がっちまったんだ。」
と、何事もなかったかのように続きを話し始めた。
「で、貯金なんてほとんど持っていなかったからな。
途方に暮れていたんだが、たまたま俺を知らない新人冒険者と飯屋で知り合って、『俺も一応ポーターだからついて行ってやろうか?』と言って始めたのが、新人指導ってわけだ。
まぁ、『後輩を育てるのは先輩の義務』だしな。
普通のポーターの日当だけだったが、これが意外とやりがいがあるだろ?
それで、そいつらを色々と仕込んだわけだ。
そしたら、それが評価されてな。
冒険者学校から『卒業生の面倒を見てくれ』と頼まれたんだが、その最初の世代が、社長だったというわけさ。」
と言った。
私は、さっき田中先輩が先生と呼ばれるようになったきっかけの話が中途半端に終わっていたので、前後関係がつながって、『そうだったのか』と納得した。
この日は他にも『妖狐』とかの話を聞いた気がするのだが、酒の飲み過ぎですっかり忘れおり、気がついたら自分の部屋で寝ていた。
既に空も青みがかってきていて、もうすぐいつもの起きる時間になっていたのだった。
田中先輩:冒険者学校から卒業生の面倒を見てくれと言って頼まれた最初の世代が、社長だったというわけさ。
山上くん:(さっき中途半端に聞かされてもやもやしたけど、こういうことだったんだな。)
杉並社長:(以前、野辺山さんからは聞いていたけど、当時、金も出ないのに先生をしていたんだよな。)
野辺山さん:(そういえば新人程度の収入で、俺が飲みに誘わなかったとき、田中はどんな食生活を送っていたのだろうか・・・。)