狼が
私達は、お社の軒下で雨宿りをしていた。
だが、空には分厚い雲。
風は少し弱まったものの、雨が止む気配はない。
清川様が、
「筍は帰りに掘るとして、ここで雨を止むを待っておっても仕方あるまい。
そろそろ、山に入るかの。」
と狩りに行くように促した。私は、
「佳央様。
やはり、まだ雨は止みませんかね?」
と聞いたのだが、佳央様は、
「あの雲よ。
当分、止まないんじゃない?
雪になる事はあっても。」
と答えた。
私は、
「そうですか・・・。」
と項垂れた。これを見た清川様は、
「シャッキリせぬか。」
と叱りつけた。そして、
「どの道、行かねばならぬのじゃ。
ほれっ。」
と付け加えた。
──『どの道』?
既に、全ての魔法を全力で使う件は終わっている。それに、私は今気がついたのだが、残っている狩りも、別の天気のよい日にすればよい話だ。
清川様は気づいていないのか、それとも、わざとそう言っているのか。
わざとだとすれば、清川様が巫女様から何か先読みの結果を伝えられているのではないか。
このような調子で、私は色々と推測した。
だが、私が考えている最中、先に佳央様が、
「仕方ないわね。」
と面倒臭そうに言うと、
「和人。
気配は?」
と聞いてきた。考え事は一旦保留にして、何かいるのだろうかと、気配を探る。
が、何かいる気配はない。
私は、
「ありません。」
と答えた。佳央様は、
「そう?」
ともう一度探すように促してきた。改めて気配を探ってみるが、やはり何もいない。
私は、
「私には、判りません。
ひょっとして、佳央様は、何かが遠くにいると感じているのでしょうか?」
と答えを聞くと、清川様は、
「山なのじゃ。
何かしら、おるじゃろう。」
と言ってきた。佳央様が、
「それはそうだけど、そうじゃなくて。
かなり強いのが1匹、いや、1頭?
兎に角、向こうは気が立てるみたいよ?」
と説明した。もう一度、気配を探ってみる。
そこまで言われ、ようやく遠くの方で微かに動く気配を見つけた。
私は、竹藪とは別の森の方を指差して、
「あっちでしょうか?」
と質問すると、佳央様は、
「ええ。」
と答えた。どうやら、当たりらしい。
私は、
「あれを狩るのですか?」
と聞くと、佳央様は、
「まさか。
あんなに遠くでも判るのよ?
あれは避けないと。」
と答えた。
私は、
「それは、私の手には負えないと言う事ですね?」
と聞き返すと、佳央様は、
「そうよ。」
と断言した。
だが、清川様は不満らしく、
「狩りに来ておるのじゃろうが。
避けてどうする。
ほら、行くぞ。」
と言って、私が指差した森の方に向かって、歩き始めた。
恐らく、清川様にとっては大したことがない小物なのだろう。
だが私にとっては、命に関わる大物に違いない。
私は足を動かさず、
「行くのですか?」
と聞いたのだが、清川様は、
「当たり前じゃ。
早う来ぬか。」
と言って森に向かって歩こうとした。
私は迷いながら、
「ですが・・・。」
と言ったのだが、清川様は今度は宥めるように、
「金子がなければ、年末はどうするのじゃ。
そうじゃろ?
他に、獲物の宛もないのじゃ。
多少無理しても、行くしか無いじゃろうが。」
と言ってきた。確かに、金子は年末までに準備が必要だが、天気が良くなってから狩りに行ってもよい筈だ。
やはり、巫女様から何か言われているのだろうか?
そう考えた私は、渋々、
「分かりました。」
と言って足を前に出した。
雨の中、緩い坂の細い獣道を進む。
この獣道、秋に落ちたであろう木々の葉が積もっていて、分かりづらい。
そう言えば、獣道は文字通り獣がよく通るから出来る道だ。
小さい頃一兄達と山に入った時に聞いた話だが、確か、道ごとに通る動物が違うのだったか。
獣の大きさは大小様々。人間が通れない道を作ることだってある。
そんな事を考えていると、この獣道が藪に突き当たった。
厳密には、まだこの獣道は続いているようなのだが、藪の下を通っていて、人間が進むのは難しくなっている。
清川様が、
「山上よ。
鉈を持っておらなんだか?」
と聞いてきた。私は腰に手を当て、
「すみません。
そういえば、持ってきていませんでした。」
と答えたのだが、佳央様が亜空間から鉈を取り出し、
「これでしょ。
佳織から預かってるわよ。」
と手渡した。これは、更級さんには頭が上がらないな。
私はそんな事を考えながら、
「ありがとうございます。」
とお礼を言った。そして清川様に、
「ここを刈って進めという事ですか?」
と尋ねると、清川様は、
「うむ。」
と頷いた。そして、
「しかし、よく手ぶらで狩りに行こうと思うたな。」
とジト目で言われてしまった。
私は、
「すみません。
ここのところ、ずっと素手でしたので。」
と言い訳しながら、例の微かな気配のした方向に向かって藪漕ぎして進んだのだった。
藪を抜け、また獣道を辿って先に進む。
急に寒さが強くなり、雨から雪に変わる。風も強くなってきた。
私は少し大きな声で、
「どこかで、この風雪を避けたいですね。」
と言うと、佳央様も、
「そうね。」
と同意した。だが、清川様は、
「気配はまだ先か?」
と聞いてきたので、私は、
「だいぶ、近くなってきたと思います。」
と答えると、佳央様が、
「もう二山くらいね。」
と情報を付け加える。清川様は満足げに、
「そうか。」
と頷いた後、
「じゃが、二山は少し距離が残っておるの。
逃げられても困る。
もう少し近づいてから、探してはどうじゃ?」
と言ってきた。佳央様が、
「そうね。」
と同意したので、私も一人だけ反対も出来ないので、
「佳央様がそうするのでしたら。」
と追従することにした。
一山越えると、先ほどよりも雪が強くなってきた。
私は、
「いい加減、どこか探さないと、危なくありませんか?」
と聞くと、清川様も、
「そうじゃの。」
と答えた。だが、佳央様から、
「気づいてる?
囲まれてるわよ?」
と言ってきた。
私は例の気配以外、感じていなかったので、
「いえ。」
と答えると、佳央様は眉間に皺を寄せながら、
「そう。」
と一言。左右を確認しながら、
「多分、狼よ。」
と手短に話した。
私は、
「そうなのですか?」
と確認をとると、佳央様は、
「ええ。
だから、周りを注意して。
気配が感じられた時には、一気に来るはずよ。」
と警戒するように促した。
私は、
「分かりました。」
と言って何か気配がないか、察知しようとした。
だが、やはり気配がある気がしない。
前もそうだったが、どうやら、私は狼の気配を読めないらしい。
取り敢えずスキルを使い、魔法や温度、闘気を確認していく。
すると、風下に微かに闘気を発している小さな個体が見つかった。
隠そうとして、隠しきれていない様子。ひょっとしたら、まだ幼い狼なのかも知れない。
私は、
「探しましたが、風下に1頭だけしか判りません。」
と言うと、佳央様は、
「そう。
でも、前は全く分かっていなかったわよね。
ちょっとは、進歩したんじゃない?」
と褒めてくれた。私は、
「そうですか?」
と言いながら、周囲を警戒しした。鉈を構え、姿勢を低く保つ。
身体強化の魔法を集め、先ずは腕から背中、両足に纏っておいた。
清川様が、
「私は、殺生は出来ぬからの。」
と言って、近くの木の太目の枝に飛び上がる。
すると、それが合図とばかり、後ろから3つ、何かが飛び出してきたのが分かった。
鉈を振り回しながら、体を左回りに反転させる。
回転するのが早すぎて、空振り。
その時、3間くらい先に、3頭の狼が突進してくるのが目に入った。
そのままブンと鉈を振り回し、もう一回転。
見えてきた狼は、まだ1間先。
私は鉈から手を離し、左足を前に出して、
「ふんっ!」
と【黒竜の威嚇】を使った。
そして、右手を拳骨にして思いっきり黄色魔法を集めながら振り抜いた。
「キャュン!」
偶然、鉈が左端の突出していた狼に当たり、鳴き声を上げる。
遅れて、拳骨が右側の狼の顔面に当たり、
「キャィン!」
ともう一鳴き。これで軌道が逸れたか、真ん中の狼が右側の狼に突っ込む形となる。
鳴き声が上がったという事は、【黒竜の威嚇】だけでは、狼は気絶しなかった事になる。
──【黒竜の威嚇】の威力が落ちている!
予想していたとは言え、私の切り札の一つが弱くなったのだと実感した。
一先ず駆け寄り、念の為、3頭の頭に拳骨を打ち込んでおく。
ここで左から3頭、右からも2頭の狼が飛び出してきたが、急停止する。
視界にいる狼は5頭。全て灰色だ。
先に襲った狼が殺られているのを見て、慎重になってくれたのかもしれない。
私に向かって、唸り声を上げる。
狼が距離を置き、獲物を観察するようにジリジリと風上の方に回り込むように移動していく。
風下には少なくとも1頭いるのだが、そちらから注意を逸らそうというのだろう。
私は、
「残り、何頭ですか?」
と確認すると、佳央様は、
「風下に5頭よ。」
と教えてくれた。
──全部で、残り10頭。
私はゆっくりと風下に振り返りながら、
「威力は落ちていましたが、もう一回、あれをやります。
風上の方を見ていて下さい。」
とお願いした。佳央様が、
「分かったわ。」
と了承する。
先程はあまり効かなかった【黒竜の威嚇】。
今度は風下にいるであろう狼に向け、後ろに更科さんがいるつもりで思いっきり放った。
微かだが、ビリッと空気が震える。
佳央様が、
「風下が3頭、風上は2頭よ。」
と報告する。残りも、いっその事、逃げ出してくれればよいに。
そう思いながら振り返ろうとすると、木の上の清川様から、
「前じゃ!
気を抜くでない!」
と大声で叫んできた。私はまた正面を向くと、1頭の黒い毛の狼が、今、将に私に飛びかかろうとしていた。
距離を取ろうと後ろに飛び退こうとしたのだが、足が縺れて腰砕けの形になる。
狼は、待ったなしでぐんぐん迫ってくる。
私は思わず、重さ魔法で狼を思いっきり上に突き上げた。
そのまま私は尻餅をついたのだが、狼も半間くらい跳ね上げられ、背中から落下するの見えた。
が、あの黒い狼。鳴き声一つ上げず、ゆっくりと立ち上がる動作を始めた。
──効いていない。
こちらも、黒い狼を睨みつけながら立ち上がる。
私は内心焦っていたが、一先ず重さ魔法で黄色魔法を集める事にしたのだった。
今回は江戸ネタを仕込めていませんので、単語の説明だけ。
作中、藪漕ぎというのが出てきます。
この藪漕ぎというのは、藪や草などをかき分けて進む事を言います。
素人が山で登山道を外れて藪漕ぎすると、遭難する可能性があるので止めましょう。(--;)
・藪漕ぎ
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%97%AA%E6%BC%95%E3%81%8E&oldid=85684987




