弁当は
巫女様は、私の中から黒竜の魂を佳央様に移してしまった。
あっけないほどの短時間で。
私は土下座しながら、実はまだ続きがあるのではないかと訝しんでいた。
庄内様から、
「山上よ。
これで黒竜の魂は、佳央の方に移った。
あと、狐も封じたからの。
もう、日中、話しかけてくる事もあるまい。」
と説明が行われる。
私は思わず、
「祝詞もありませんし、早くありませんか?」
と聞いたのだが、庄内様から、
「略式と申したじゃろうが。
清川から、祝詞は本質ではないと習わなんだか?」
と言われ、祝詞が金子を取る手段と言っていたのを思い出す。
私は、
「そういえば、その様に習いました。
確か、『特別な祝詞じゃ』と言えば、沢山金子が取れるのでしたか。」
と言うと、不愉快そうな口調で庄内様から、
「もう少し、言い方というものがあろうが。
出した物に対して、誠意を込めるという事じゃからの。」
と怒られた。私は、
「誠意と言いますと?」
と聞くと、庄内様は、
「分かるじゃろうが。」
と、また怒られた。言葉には出来ないが、なんとなくもやっとする。
すると佳央様は、
「祝詞に意味がないなら、それを変えても誠意はないんじゃない?」
と、私が朧げに考えていた事を指摘した。
だが、庄内様は、
「相手が満足する事こそ、肝要なのじゃ。
金持ちは金子を多く払い、特別な祝詞を上げてもらう事で、満足する。
こちらは、金子が貰え、満足する。
どちらにも、不利益は無いじゃろうが。」
と説明した。私には寧ろ、誠意がないように感じられ納得いかなかった。
私の心の内を察して、庄内様が、
「例えば、呉服屋を考えてみよ。
屋敷売りで反物を持ち込むが、同じ布でも持っていく先で値段を変えるじゃろうが。」
と付け加える。
庄内様は当然のように話しているが、私には、こういった事は分からなかったので、
「そうなのですか?」
と聞くと、庄内様は、
「山上は知らぬか。
ならば、屋敷に帰った後にでも、それとなく奥方に聞いてみるがよいじゃろう。」
と言った。確かに、更科さんの実家は、『更科屋』という反物屋だ。もしこの話が本当なら、どこかで聞いているかも知れない。だが、だからと言って、人の店の内情を聞くのもどうかと思う。
私は、
「それは・・・。」
と言い淀んでしまった。
ここで、拝殿の外から、
「失礼・・・します。」
と声が掛かる。土下座した状態で顔は確認できないが、声から古川様だろう。
古川様は、
「佳央ちゃん、・・・お弁当が届いたわ・・・よ。」
と連絡してくれた。佳央様は、
「分かったわ。」
と古川様に返事した後、
「庄内様。
すみませんが、一旦下がりたく。」
と庄内様に声を掛けた。
庄内様がにこやかに、
「弁当か。
こちらに届けたということは、差し入れか?
良い心掛けじゃ。」
と嬉しそうに言った。
──ひょっとして、弁当を盗られてしまうのではないだろうか?
私は不安になったのだが、清川様が、
「庄内様。
期待している所、大変、申し訳ありません。
その弁当は、これから山に狩りに出掛けた先で食べる予定の物となります。」
と説明し、
「決して、差し入れなどではございません。」
と強調した。
庄内様は残念そうに、
「なんじゃ。
紛らわしい。
それならば、最初からそう言うがよかろうが。」
と古川様に文句を言う。古川様は、
「申し訳、・・・ありません。
仔細を、・・・聞いておりませんでした・・・ので。」
と謝った。庄内様は、
「まぁ、良い。」
と一言。私達に、
「この天気じゃ。
くれぐれも、遭難せぬようにの。」
と心配してくれた。私が、
「ありがとうございます。」
とお礼を言うと、巫女様から、
「弁当は、ここで食べてから狩りに行くが良いじゃろう。
持って行き辛いじゃろうからの。」
と不思議な事を言い出した。
庄内様の機嫌が良くなり、
「巫女様が、ここで食べていくよう仰せじゃ。」
と私達に伝えると、
「古川よ。
こちらに持って参れ。」
と指示を出した。佳央様が何か言ってくれるのではないかと期待したが、無言。
古川様は、
「はい。
持って・・・参ります。」
と言って、この場から下がった。
庄内様が、
「このまま行けば、雪の降る中で食べる事になるじゃろうしの。
ちょうどよいではないか。」
と宥めるように言った後、
「それと、ここで食べるのじゃ。
当然、最初は巫女様が召し上がる事になるからの。」
と付け加える。佳央様が、
「嫌な仕来りね。」
と呟くと、庄内様から、
「戯けが。
思うても、口に出すでない。」
と怒られていた。
待っている間に簾がおろされ、庄内様から、
「頭を上げても良いぞ。」
とお許しが出る。
暫くすると、古川様と赤谷様が来る気配がした。
赤谷様が、
「失礼します。」
と声をけ、二人が拝殿の中に入ってきた。
後ろを向くと、古川様が弁当を、赤谷様が皿と箸を持っている。
この弁当の入った風呂敷、やたらと大きい。
どうりで巫女様が、『持って行き辛い』と言った筈だ。
庄内様が、
「やけに大きいの。」
と言った後、私達に、
「佳央と山上は、少し後ろに下がるが良い。」
と指示を出した。私は、
「分かりました。」
と返事をして、少しと言うので1尺程下がった。
庄内様から、
「もっとじゃ。」
と言われてしまう。私が更に、1尺程下がると、
「これから、巫女様と山上の間で弁当を広げるのじゃ。
もう後、1間くらいは下がらぬか。」
と言われてしまった。恐らく、庄内様はもどかしくなって数字で指示を出したのだろう。
だが、そうするのであれば、初めからそうして欲しい。
私はそんな事を考えながら、
「分かりました。」
と言って、更に1間程下がった。
庄内様が、
「そのまま、取り分けてしまうぞ?」
と聞くと、佳央様は、
「ええ。」
と答えた。庄内様が、
「古川よ。」
と声を掛けると、古川様は、
「はい。」
と返事をし、巫女様と私の間に弁当を置いた。そして、弁当と私の間に古川様が座る。
古川様の両隣に、清川様と赤谷様も座る。
風呂敷を広げ、中から出てきたのは、五段の立派な重箱だ。どう考えても、傷がついて良い品には見えない。
これから山で狩りというのに、お勝手の人は、どういったつもりだったのか。
古川様が一番上の蓋を開けると、黒豆や、田作り、昆布巻きなどが並んでいた。
清川様が、
「黒豆など、1刻でも難しかろうに。
よう、作ったものじゃ。」
と驚いていた。
次に古川様は、一の重を手前に置き、二の重が開いた。
卵焼きや、栗金団、蒲鉾など、色鮮やかな物が沢山入っていた。
清川様が、
「卵焼きか。」
と嫌そうな顔をする。
庄内様が、
「ん?
清川は、卵は好きな方ではなかったか?」
と首を傾げる、清川様は、
「向こうで、色々とありまして。」
と苦笑いした。
古川様が、二の重を一の重の隣に置く。
三の重には、山鯨を焼いたものや、鶏ごぼう等が入っていた。
所々に絹さやが散りばめられており、見た目を華やかにしている。
古川様が、
「この段は、・・・お肉が多い・・・のね。」
と言った。更科さんが、
「そうなの?」
と嬉しそうに言う。
古川様が三の重を一の重の奥に置く。
すると今度は、蕪を花状に切って紅白に色付けした酢の物や、大根や人参を折り鶴に見立てて飾り切りした物、里芋の煮付け等が入っていた。
佳央様が、
「これも、手間暇がかかっていそうね。」
と呆れているようだった。
庄内様が、
「古川よ。
巫女様に取り分けよ。」
と指示を出す。重箱の一番下の段は、空と決まっているからか、開けなかった。
古川様は、
「・・・はい。」
と言って赤谷様から皿を受け取り、取り分け始めた。
私は隣りに座っている佳央様に小声で、
「これを食べ終わったら、次は山ですね。」
と言うと、佳央様から、
「まだ、通行手形が届いてないじゃない。」
と指摘を受けた。庄内様から、
「その通行手形は、どこに届くのじゃ?」
と聞かれたので、私は、
「はい。
こちらにです。」
と答えた。すると庄内様は、
「ならばその旨、他の者にも伝えておくかの。」
と気にした様子はなかったが、坂倉様から、
「本来であれば、ここに届けさせるはいかぬからの。」
と軽く叱られたのだった。
作中、田作りが出てきますが、これは小さい鰯のを乾燥させ、醤油ベースの甘辛く作ったタレを絡めて作る料理です。
おっさんのような現代の一般人からすれば、鰯と田んぼは結びつきませんが、これは昔、大量に取れた鰯を田んぼに埋めたら豊作になった事からなのだそうです。
そして、それにあやかろうと(?)、豊作祈願で食べられるようになったのだとか。
もうひとつ、屋敷売りは、お屋敷に品物を持っていって商いをする訪問販売のことです。
あと、山鯨は「どうせ飲んで誰も聞いておらぬじゃろう」の後書き等、何度か出てきた通り猪の事です。
・田作
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・呉服商
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・猪肉
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