冬の装備
禊も終わり、朝食の時間となる。
下女の人が運んできた膳の上には、粥が乗るのみ。他は、何もない。
事前に話を聞いていたとはいえ、寂しさを感じる。
佳央様が下女の人に、
「清川様の梅干しは?」
と確認する。
そういえば、先日、清川様が梅干しを付けるようにと言っていた筈だが、清川様の膳の上にも梅干しはない。
下女の人が何か言おうとしたのだが、その前に清川様が、
「止めてもろうたのじゃ。
昨日の件があったからの・・・。」
と苦笑いしながら答えた。
佳央様が昨晩の事を思い出してか、
「そう。」
と苦笑いし、
「そう言えば、今日のお昼は普通でいいの?」
と確認した。清川様は一拍置いて、
「仕来りは、・・・なかった筈じゃ。」
と自信なさげに答えた。
私は、
「どちらにせよ、午後から狩りに行くんですよね?
ならば、弁当になるのでしょうか。」
と聞くと、清川様は、
「そうじゃ・・・、いや、念の為、聞いてみるか。」
と言って、目を瞑った。清川様は、話している途中で不安になったらしい。
暫くし、明らかににこやかになった清川様は、
「特に、制限はないそうじゃ。」
と確認した結果を教えてくれたのだが、
「じゃが、外で食べるにはもう寒いぞ?」
と聞いてきた。私は、
「確かにそうですが、昨晩の夢で、なるべく早く全力で全ての魔法を使うようにと言われましたので。」
と返事をした。すると清川様は難しい顔になり、
「どちらにじゃ?」
と確認が入った。黒竜帝から言われたか、妖狐から言われたかで対応を変えるつもりなのかも知れない。
私は素直に、
「黒竜帝です。」
と答えると、清川様は少し顔を緩め、
「そうか。
これも念の為、確認するかの。」
と言った。だが、佳央様から、
「冷めるから、先に食べない?」
と提案があり、清川様も、
「そうじゃの。」
と合意して、ようやく朝食が始まったのだった。
朝食後、歓談が始まる。
佳央様が、
「いつ出発するの?」
と確認すると、清川様は、
「半刻後のつもりじゃ。
向こうも、準備があるからの。」
と答えた。佳央様は自分から質問した割に、
「そう。」
と蛋白に頷く。そして私に、
「狩りに行くなら、申請は?」
と聞いた。私は、
「門番さんに言えばよいのでは?」
と答えたのだが、佳央様は、
「監視が付いたのよ。
何かあるんじゃない?」
と聞き返してきた。私は、
「さぁ。
なにか聞いていませんか?」
とこちらも聞き返すと、佳央様はムッとして、
「知らないから、聞いてるんじゃない。」
と返事をした。そして、
「ひとまず、大月様にでも聞いてみるわ。」
と言って目を瞑った。
暫くして、佳央様が目を開ける。
すぐに私は、
「如何でしたか?」
と質問したのだが、佳央様は、
「待って。
紅野様に聞くから。」
と言って、また再び目を瞑ってしまった。
今度は、紅野様か。
しかし、何故、紅野様に聞くのだろうか?
私は不思議に思いながら、佳央様が目を開けるのを待った。
また暫くして、佳央様が目を開ける。
私が、
「如何でしたか?」
と聞くと、佳央様は、
「通行手形を作って、神社に送るって。」
と答えた。話の流れから、私が竜の里の外に出る為には、紅野様の手形が要るらしい。
私は念の為、
「それがあれば、里の外に行けるのですか?」
と確認すると、佳央様は、
「そうよ。」
と答えた。更科さんが、
「でも、どうして紅野様?」
と質問する。それは、私も気になっていた事だ。
佳央様は、
「大月様が言うには、役持ちの人に言えば、通行手形が出せるって話だったから。」
と説明し、
「普段なら蒼竜様でもいいけど、終わったらすぐに行くんでしょ?」
と確認した。私は、菅野村の門での大月様と門番さんの遣り取りを思い出し、
「あぁ、あの赤い玉ですか。」
と言うと、佳央様は不思議そうに、
「木の札って言ってたわよ。」
と訂正し、
「赤い玉って?」
と逆に聞いてきた。私は、
「ほら。
大月様が菅野村の門番さんに赤い玉を見せて、『通行手形だ』って言っていたじゃありませんか。」
と説明すると、佳央様は一旦首を傾げたのだが、急に笑いそうになるのを抑えているのが丸わかりの顔で、
「あれは、竜人の役人の証拠みたいなものよ。
通行手形って言っていたのは、ただの方便ね。」
と教えてくれた。私は、
「そうだったのですか。
私はてっきり、あれが竜人の交通手形なのだろうと思い込んでいました。」
と言って頭を掻いた。
清川様が、
「結局、黒竜の魂を移した後はそのまま里の外に出るという事で良いか?」
と確認をしてきた。
私はそのつもりだったので、
「はい。」
と答えると、清川様は、
「そうか。
では、確認するかの。」
と言って、目を瞑った。朝食前に言っていた問い合わせをしているのだろう。
清川様はすぐに目を開け、
「問題ないそうじゃ。」
と言ったのだが、
「が、冬の装備で行くように仰せじゃった。」
と付け加える。
私は、どうせ拳骨だから要らないだろうと思っていたので、
「冬の装備ですか。」
と言うと、更科さんが、
「持ってないの?」
と心配そうに聞いてきた。私は、
「体を動かしていれば、何とでもなりますよ。」
と答えたのだが、清川様は、
「そう言う事か。」
と呆れたように言ってきた。そして、
「確かに体を動かせば、多少は暖かくなるじゃろう。
じゃが、じっとせねばならぬ時もあるじゃろうが。
上から言われたのじゃ。
古着屋でも何でも、整えねば行かぬからな。」
と言われてしまった。
私が、
「しかし、今、手持ちが・・・。」
と渋ると、佳央様が下女の人に、
「何かない?」
と聞いた。下女の人は、
「心当たりはありませんが、暫く、お待ちください。
皆に聞いてみます。」
と言って、一呼吸だけ、目を瞑る。そして、
「佳央様。
心当たりのある下女がおりましたので、四半刻だけ探すように伝えました。
今暫く、お待ち下さい。」
と言った。
待っている間に、佳央様が、
「それはそれとして、終わったらすぐに行くのよね。
なら、お弁当、作ってもらうわ。」
と言った。だが、控えていた下女の人が、
「申し訳ありません。
お弁当は、半刻では出来上がりません。
後で、神社にお届けする事にしても宜しいでしょうか?」
と意見を言った。佳央様が、
「どのくらいで出来るの?」
と確認すると、下女の人は、
「1刻は欲しい所です。」
と説明した。佳央様が、
「遅いわね。
手の込んだものでなくていいわ。
出来ない?」
と念押しで確認すると、下女の人は、
「確かに、すぐに出来る物を作って詰めれば、箱は埋まると思います。
ですが、お勝手の立場もございます。
下手な物は、お持たせ致しかねますので・・・。」
と説明した。佳央様が、
「面目ね・・・。」
と面倒臭そうに呟いたのだが、
「分かったわ。
なら、神社まで届けてちょうだい。」
と承知した。下女の人は、
「分かりました。
その様に手配いたします。」
と頭を下げ、佳央様も、
「頼んだわ。」
と返したのだった。
清川様が、
「では四半刻後、またここに集まるかの。」
と呼びかるて皆が同意し、この場は解散となる。
部屋に戻って、そろそろ座敷に行こうとした頃、佳央様が、
「見つかったそうよ。」
と言った。私が、
「ありがとうございます。
それで、どのようなものですか?」
と聞くと、佳央様は、
「昔、何かの試作品で貰った物だそうよ。
使う人もいないから、死蔵してたんだって。」
と説明した。私は、
「試作品と言いますと?」
と聞くと、佳央様は、
「試しに作った物よ。」
と説明をする。私は、
「そうではなくて、どのような物なのか、知りたいのです。
例えば、大きめだとか、小さめだとか、布は厚いとか、薄いとかですよ。」
と苦笑いしながら文句を言うと、佳央様は、
「これから持ってくるそうだから、実物で確認して。」
と面倒臭そうに言った。私はそれもそうだと思い、
「分かりました。」
と答えた。
下女の人が、1着の着物を持ってくる。
ぱっと見た感じは、紺色で、若干厚手の着物だ。
下女の人が、
「こちらをどうぞ。」
と差し出すと、私はそれを受け取った。
佳央様が、
「紅野様には、確認した?」
と聞くと、下女の人は、
「はい。
そのまま山上様に下賜するそうです。」
と答える。私は、
「ありがとうございます。
では早速、袖を通させていただきますね。」
と言って着替えることにした。
袖を通した瞬間、ひやりとして、腕からごわついているのが伝わってくる。
腕を上げたり回したりしても少し重く、違和感がある。
私は、
「これは、駄目ですね。
狩りをするには、少々動きづらいです。」
と言ったのだが、佳央様から、
「でも、他にないんでしょ?」
と言われ、私は、
「確かに、そうなのですが・・・。」
と言い淀んでしまった。
更科さんが、
「折角だし、着てみたら?
少ししたら慣れるかもよ?」
と言ってきた。私はどうしようかとも思ったのだが、
「分かりました。
今日は、これで行きます。」
と答えたのだった。
作中、通行手形が出てきます。
この通行手形は、関所を通る時に使いました。
通行手形の発行は、作中ではお話の都合で役付なら誰でもとなっていますが、実際はもっと限られた人しか発行できなかったようです。
男性なら原則、武家なら領主、平民なら住んでいるところの名主や、江戸の町なら町奉行なんかで発行していました。また、女性は審査が厳しい『女手形』というものが必要で、例えば江戸から外に出るためには、幕府の留守居から手形を貰う必要があったそうです。(後に緩くなったようですが)
ちなみに庶民の場合、途中手形と言って、旅先で(どういうわけか)宿で手形を作ってもらう事もあったのだとか。
・通行手形
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・女手形
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・入鉄炮出女
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