強風の中
夢の中で黒竜帝と別れの挨拶を済ませた後、私は目を覚まし、厠に向かっていた。
廊下に出ると、昨晩と同じく、雨戸越しに外の風の音が聞こえた。
佳央様が予想した通り、昨日の風がまだ続いていたようだ。
私は、今朝行う予定の禊は大丈夫だろうかと心配しながら廊下を歩いた。
お勝手まで行くと、既に清川様がいたのだが、大変困った顔をしていた。
強風のせいで、禊の準備がまだ終わっていないのだろう。
私はそんな風に予想はしていたものの、
「どうしました?」
と声を掛けた。
すると、清川様は、案の定、
「どうもこうもない。
風が強すぎるのじゃ。」
と返事をした。
私は、
「井戸以外では出来ないのでしょうか?」
と聞いてみたのだが、清川様は、
「水で清める必要がある。
こればかりはどうしようもの・・・。」
といつもよりも、声色が低い。
私が、
「風呂場に水を張って、水を清めては如何でしょうか?」
と提案してみたのだが、清川様は、
「家の中ではの・・・。」
と駄目な様子。私は、
「やはり、禊はしないと不味いですよね。」
と聞くと、清川様は、
「それはそうじゃ。」
と予想通りの答えが返ってくる。
私はいよいよ近くなったので、
「ひとまず、私は外に用事がありますので。」
と言って、お勝手から外に出た。
今は、外は風が強いだけで、雨も雪も降ってい。
だが、飛び石の上が少し滑る気がする。
これは、先程まで雨だか雪だかが降って濡れたからなのだろう。
空を見上げても、星は見えない。
きっと、まだ分厚い雲が浮かんでいるに違いない。
この様子だと、また降り出す可能性がある。
私は、また降り出さないうちにと思い、急いで厠に行った。
用を足し始め、力が抜けていく。
だが、もうすぐ用事が終わるという時、突然、バラバラバラッと厠の屋根を叩く音がしだした。
思わず、ビクッとなる。
──これは、あられか?
私は、氷の礫が当たった時の痛さを想像して、早く止まないだろうかと思った。
あられが降る音が止むまで、厠で待つ事にする。
暫くして、ひときわ高いパラパラッという音が近づいてきた。
見ると、風に煽られながら、傘を半分窄めてこっちに来る人がいた。
その人物から、
「和人、いる?」
と声がした。更科さんだ。
私は、
「はい。
佳織ですか?」
と確認すると、更科さんも、
「うん。」
と頷きながら、厠に入ってきた。私が、
「もう起きていたのですね。」
と聞くと、更科さんは、
「うん。
一緒に禊しようと思って。
ひょっとしたら、立ち会えるかも知れないし。」
と早起きした理由を説明する。私は、
「私もそうなると助かります。
側に佳織がいてくれれば、心強いですから。」
と言うと、更科さんは、
「うん。」
と嬉しそうに頷いた。
そして、
「後、和人。
悪いけど、少し傘を持って外で待ってて。」
と言われた。そこで初めて、更科さんも用を足しに来たのだという事に気がつく。
私は失敗したと思いながら、
「ゴメンナサイ。
すぐに出ます。」
と言って傘を受け取った。風が強いので、私も傘を半分窄めた状態で外に出る。
傘にあられが当たり、パラパラと音がした。
暫くして、更科さんが、
「和人。」
と呼びかけてきたので、私は厠に入った。
更科さんから、
「戻ろっか。」
と言われたが、傘は1本、風は強い。
私は、
「はい。」
と答えたものの、仕方がないので、更科さんの肩を引き寄せ、半開きの傘を被るようにしてあられの中に出た。
自分で引き寄せたとは言え、流石にこの距離は照れくさい。
ドキドキしながら飛び石を歩き始めると、数歩進んだところであられが止んだ。
私が、
「風だけになりましたね。」
と言うと、更科さんは、
「でも、まだ雨、混ざってるよ?
もうちょっと、このまま歩こ?」
と返事が来た。私は、照れ隠しに更科さんを強く引き寄せて、
「そうしましょう。」
と言って、お勝手に向かって飛び石を渡ったのだった。
お勝手近くの井戸に差し掛かると、清川様の気配がした。
私は更科さんに、
「ちょっとごめんなさい。」
と断って傘を取った。予想通り、清川様がいる。
清川様は、井戸の周りに笹と思しきものを立て、そこに細い七五三縄を巻いていた。
清川様から、
「山上か。」
と声がかかったので、私は、
「はい。」
と答えると、清川様は、
「風は強いが、これを何とか立てる事が出来た。
これから始めるから、佳央を呼び、白装束に着替えてくるのじゃ。」
と指示を出した。私は、
「こんな天気なのにですか?」
と聞いたのだが、清川様は、
「これ以上、待っていては夜が明ける。
それに、風はあれど雨もあられも降っておらぬ今が好機じゃ。
仕方ないじゃろうが。」
と諦めた模様。私は、
「分かりました。
すぐに呼んで、着替えてきます。」
と言って、更科さんと二人、お勝手まで急いだのだった。
お勝手から屋敷に入る。
私は廊下を歩きながら、
「こんな天気の中、佳織もやるのですか?」
と聞くと、更科さんは、
「勿論よ。」
と答えた。私は、
「寒いですし、風邪を引くかも知れませんよ?」
と言ったのだが、更科さんは、
「でも、多分、今日が和人の節目だもの。
やっぱり、立ち会えるなら立ち会いたいわ。」
と答えた。私は、
「ありがとうございます。
でも、これがきっかけで体を悪くしたら大変ですよ?」
と辞退するように言ったのだが、更科さんは、
「でも、やっぱり見ておきたいから。」
と引く気がない様子。私は気は乗らなかったが、
「分かりました。
佳織がそう言うなら。」
と言った。可能なら立ち会わせてもらえるように、巫女様に話をしようと心で決める。
着替えのために部屋に戻ると、既に白装束に着替えた佳央様がいた。
佳央様は、
「遅いわよ。」
と声を掛けてきた。私は、
「すみません。
厠に用事がありまして。
すぐに着替えます。」
と返事をすると、更科さんも、
「私も、急いで準備するわ。」
と話した。二人で急いで、白装束に着替える。
佳央様が、
「ほらっ!」
と急き立てたので、更科さんも私も、
「はい。」
「すぐに行きます。」
と言って、すぐに皆で部屋を出た。
お勝手から出て、再び井戸まで移動する。
風は強いが、一応、あられも雨も降っていない。
清川様が、
「急ぐぞ。
佳央はそこ、山上はそこじゃ。
あと、佳織もそこにの。」
と言って指示を出す。
佳央様が、
「ほら、急ぐわよ。」
と言って、すぐに並ぶように急かされた。
更科さんも私も、
「はい。」
「分かりました。」
と急いで並ぶと、清川様が、
「では、始めるぞ。」
と言って、すぐに禊を始めた。
清川様が大麻を出して手に持ち、祝詞を唱える。
次に、井戸から水を汲み上げ、桶に入れる。
大麻で桶の水を祓った後、その水を順番に被っていく。
水を被った時、あまりの冷たさに、
「ヒャィ!」
と変な声が出て、皆から笑われた。清川様から、
「しっかりせい。」
と言われる。前の時にも、似た事があった事を思い出した。
水を被った後は、更科さんも私もブルブルと震えが来たのだが、清川様も佳央様も平然としている。流石は竜人。寒さに耐性がある。
清川様が二度目の水を汲み上げ、また被る。
くしゃみが出そうになるのを、ぐっと堪える。
三度目の水を被った後、すぐにお勝手に行こうと、
「では、すぐにお勝手に行きましょう!
すぐに乾かさないと、風邪を引きますし!」
と駆け出そうとしたのだが、清川様から、
「お勝手がびしょ濡れになるじゃろうが。
ここで乾かすぞ。」
と言って、緑魔法を使い始めた。
私が、
「こんなに風が強いのに、緑魔法ですか?」
と聞くと、清川様は、
「こちらの風の方が、早く乾くのじゃ。」
と答えた。
だが、自然の風だろうと魔法の風だろうと、濡れたところに風が当たる事に違いはない。
どんどん、体の熱が奪われていった。
私は堪らず、その場で跳んだり屈伸して体を動かし温めようとした。更科さんも、しゃがんだり腕を擦ったりしている。
私が、
「佳織、大丈夫ですか?」
と声を掛けると、更科さんは、
「なんとか。」
と答えたが、大丈夫なようには見えない。
私は、体を寄せ合ったほうが温かいだろうと思い、更科さんを抱き寄せようとした。
だが、私の手が更科さんに掛かる前に、清川様から、
「そこっ!
禊したばかりで、何をしようとしておる!」
と待ったがかかる。更科さんが少しくしゃみをする。
私が、
「くっついたほうが、少しは温かいだろうと思いまして。」
と理由を説明したのだが、清川様から、
「確かにそうじゃが、ならぬ。
やればもう一度、禊ぞ?」
と言われ、私は、
「分かりました。」
と諦めた。更科さんは、身を震わせ腕を擦っている。
私は、
「前に、赤魔法は怒られましたが、重さ魔法は使っても?」
と聞くと、清川様は、
「前例は・・・、ない筈。
問題あるまい。」
と答えた。私は、
「ありがとうございます。」
と重さ魔法の使用を認めてくれた事にお礼を言うと、早速、自分の着ている白装束に使ってみた。
清川様が風魔法を使っているお陰か、思ったよりも早く水気が飛んでいく。
清川様が、
「ほう。」
と一言。佳央様も、
「私も。」
と言って重さ魔法で水を落とし始めた。
私は上手く行く事が分かったので、まだ十分に乾いていなかったのだが、
「佳織、ちょっと立って下さい。」
とお願いをした。震えて小さくなっている更科さんが、腕を十字にした状態で立ち上がる。
私は重さ魔法を使って、更科さんの白装束の水気を出していった。
更科さんから、
「ありがとう。
少しは、ましになったわ。」
とお礼を言われる。私は少し嬉しくなって、
「どういたしまして。」
と返事をした。
ある程度白装束が乾き、お勝手に入ると、すぐに雨が降り始めた。
清川様は、
「これは、危なかったの。」
と言うと、佳央様が、
「ええ。
せっかく乾いてきたのに、また濡れるところだったわ。」
と笑う。更科さんが、
「これで禊も終わったし、後は神社に行くだけね。」
と言うと、清川様は、
「それがあったか。
結局、今日はまた、濡れそうじゃの。」
と苦笑いしたのだった。
今日は、江戸ネタはお休みとなります。
何もないのもあれなので、作中出てくる『あられ』の話を一つやっておきます。
この『あられ』というのは、直径5mm未満の雪や氷が固まって降ってきた物を指すのだそうです。
雪なら雪あられ、氷なら氷あられと区別するそうです。
似たものに『ひょう』がありますが、こちらは雪や氷が5mm以上に成長した物を指すそうです。
この『ひょう』ですが、大正時代に埼玉で直径約30cmの大きさのものが降ってきた記録があるそうです。
・霰
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・雹
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