玄翁様の耳に
更科さんに見送られ、お屋敷を後にする。
向かう先は、一昨日の番屋。
今は、黄昏時。風も冷たい。
大通りに入ると、いそいそと帰る人達とすれ違う。
仲間同士での飲み会だろうか。中には、数人で居酒屋に入る人達もいる。
先日の、角にある番屋に辿り着く。
引き戸が開かれているので、中の様子が見える。
今日は寒いからか、部屋の中央に火鉢が出ている。
もう少し、番屋の中を覗き込んだのだが、まだ、大月様は到着していないようだ。
中に入ると、先日とは違うお役人と思われる竜人がいた。
見るからに好青年という雰囲気で、社長を思わせる爽やかさがある。
私はそのお役人に、
「ご免下さい。」
と挨拶をしながら番屋に入ると、そのお役人は、
「踊りのか。」
と挨拶を返し、
「聞いてるぞ。
上がって待っていろ。
すぐに来るだろうからな。」
と言った。見た目の爽やかさの割に、おっさん臭い話し方。
なんとなく残念に感じたが、これは口に出してはいけない。
私は、
「分かりました。
ありがとうございます。」
となるべく普通に返事をした。上がり框の下に、桶があるのが見える。
すすぎに使うのだろうと思い、その桶を手にったのだが、水瓶がない事に気がついた。
私はお役人に、
「恐れ入りますがすすぎをしたいので、こちらに水を出してもらえないでしょうか。」
とお願いをすると、お役人は、
「踊りのは、水は苦手か。
待ってろ。」
と言って、快く桶に水を入れてくれた。
私は、
「すみません。
私は、錬金魔法が苦手なので、水が出せないのですよ。」
と苦笑いで返しながら、桶を置き、上がり框に腰を下ろす。お役人は、
「あぁ、なるほど。
錬金に適正がないと辛いからな。
俺の知り合いにもいたが、そいつは作物の研究をしててな。
何と言ったか、色々な種類の野菜を・・・。」
と言った所で、言葉に詰まった。
「何と言ってたっけな・・・。」
と考え込む。私は以前、これと似た話を蒼竜様から聞いた覚えがあったので、すすぎをしながら、
「交配とかいうのを繰り返して、品種というのを作っているのですね。」
とお役人が思い出そうとしているであろう事を推測し、説明した。
お役人は、
「おう。
それだ。
ひょっとして、行ったことがあるのか?」
と聞いてくる。だが、私は話を聞いただけだったので、
「いえ。」
と返事をし、
「でも、今の修行に一区切り付いたら、連れて行ってもらえることになっています。」
と付け加えた。するとお役人は、
「そうか。」
と返事をし、
「そうだ。
そいつ、紅三郎ってんだが、会ったら宜しく伝えておいてくれ。」
と笑って言ってきた。私は、
「すみません。
私はまだ、いつ行けるかも分かりません。
先に、お会いになるのでは?」
と聞くと、お役人は、
「まぁ、そうかもしれない。
が、そいつ、少々人見知りでな。
踊りのが俺と知り合いと分かれば、少しは話し易くなるだろうと思ったのだ。」
と説明した。私は、
「なるほど、そう言うことでしたか。」
と返事をしたのだが、よく考えると、まだこのお役人の名前を私は知らない。
私はおずおずと、
「それで、今更で申し訳ありませんが、お名前は何と・・・?」
と質問をした。お役人はぽんと膝を打ち、
「いや、初対面であったな。
俺は、見回りをしている遠藤だ。
花巻にも、次に会ったら一言伝えておいてやろう。」
と言って笑った。
私は、
「遠藤様ですね。
お口添えもしていただけるようで、ありがとうございます。」
とお礼を言うと、遠藤様は、
「なに。
大したことじゃない。」
と謙遜する。そして、
「それより、今日は少し冷えるからな。
そこの火鉢にでも当たって待ってろ。」
と火鉢を勧めてくれた。私は、
「ありがとうございます。」
とお礼を言って上がり框から腰を上げ、火鉢の方に移動した。
指先を火鉢に近づけ、温める。
冷たくなった指先が温まり、何となくホッとする。
ふと、今くらいの気温でも竜人は平気な事を思い出す。
つまり、この火鉢。私の為だけに、出した物なのだろう。
遠藤様を残念と評した自分が、残念に思えてくる。
私は遠藤様に、
「やはり、炭は暖かいですね。
わざわざ準備して頂き、ありがとうございました。」
とお礼を言ったのだが、遠藤様は、
「なに。
大したことじゃない。」
と誇る様子はない。
私は、
「いえいえ、本当に助かります。」
ともう一度、お礼を言った。
暫く遠藤様と話をしていると、大月様の気配が近づいてきた。
私は、
「もうすぐ、到着するようですね。」
と言うと、遠藤様も、
「そうだな。」
と同意した後、
「何を相談しているかは知らないが、解決すると良いな。」
と言ってくれた。私は、
「はい。
お言葉、ありがとうございます。」
とお礼を言ったのだった。
それからすぐ、番屋に大月様が到着した。
大月様は、
「待たせたな。」
と挨拶をしながら入ってきた。私も、
「こんばんは大月様。
とんでもございません。」
と挨拶を返す。
大月様は、
「今日は遠藤か。
済まないな。」
と挨拶をすると、遠藤様も、
「いやなに。」
と挨拶を返した。そして、
「悩み事なら、俺は席を外したほうがいいんだろ?
ちょっと、飯でも食ってくるから、その間、番屋を頼んだぞ。」
と言った。
大月様が、
「済まないな。」
ともう一度謝り、私も、
「ご配慮、感謝します。」
とお礼を言うと、遠藤様は、
「いやなに。
大したことじゃない。」
と笑顔で番屋を後にした。
大月様がすすぎをして、火鉢のところ迄やってきた。
そして、
「今夜は冷えるな。」
と一言。大月様も竜人なので、寒さには強い筈だ。
私は、
「はい。
お気遣い、感謝します。」
とお礼を言うと、大月様は、
「事実を言っただけだぞ?」
と不思議そうな顔をする。大月様は、ただの時節の挨拶のつもりだったようだ。
私は、
「それはそうですが・・・。」
と言いかけたが、くどいかも知れないと思い、
「いえ、何でもありません。」
と言葉を引っ込めた。そして、
「それとこちら、つまらないものですが・・・。」
と手土産を渡す。大月様は、
「かたじけない。
わざわざ、そのような物、準備せずとも良かったのだがな。」
といいつつも、少し嬉しそうに受け取った。私は、
「いえ。
今日の相談もそうですし、先日の行列の時にもお世話になりましたので。」
と軽く説明すると、大月様は、
「なんの。」
と返事をした。
私は、
「それで、先日ご相談した件なのですが・・・。」
と早速話を振ると、大月様は、
「その件なのだがな、山上。
蒼竜とも話をしたのだが、そもそも、考えるまでもない話であった。」
と言ってきた。
──そんな筈はない。
私はそう抗議したかったが、大月様は考えなしに言う人ではない。
私は先ず、
「『考えるまでもない』と言いますと?」
と理由を尋ねた。
すると大月様は、
「うむ。
そもそも二人の婚礼は、赤竜帝が仕切ったであろう?」
と話し始める。私が、
「はい。」
と相槌を打つと、大月様は、
「つまりだ。
二人に別れろというのは、赤竜帝に文句を言っているに等しいという事だ。
違うか?」
と説明をし、同意を促してきた。なるほど、その通りだろう。
だが、直接『別れろ』と言うだけが手段ではない。
私は、
「恐らく、表向きはそうでしょうね。」
と返した。すると大月様は、
「裏で動いても、不敬であろうが。」
と呆れた様子。つまり、赤竜帝の名前を出せば万事解決。
だが、何となくこの手を使うと、周囲の目も悪くなるような気がする。
なにせ、自分の力ではなく、人の権威を使って解決しようというのだから。
これは、権利ではあるが、余程の事がない限り使わない方が良いだろう。
私は、
「確かに、仰るとおりです。
名前を出さずに済むのが一番ですが、そうすれば解決はしますね。」
と話した。すると大月様は、
「うむ。
軽々に出して良い名前ではないからな。」
と同意した。
私も、
「はい。」
と頷き返す。
大月様は一つ咳払いをし、すまなさそうな顔で、
「それはそれとして、山上。
非常に不味い話がある。」
と言い出した。
私は、
「非常に不味いと言いますと?」
と眉を顰めて聞くと、大月様は真剣な表情となり、
「うむ。
妖狐に憑かれた件についてである。」
と話した。
私も妖狐の事は心配の種の一つと考えていたので、右膝を少し前に出し、
「と言いますと?」
と質問をした。
大月様は、
「うむ。
この件、色々な人に意見を聞いたのだがな。
どうも、玄翁様の耳に入ったようなのだ。
それで、無害と分かるまで幽閉すべきだと赤竜帝に進言したようでな。
小生の不注意だ。
済まぬ。」
と理由を説明し謝罪した。
幽閉という事は、またしても地下牢という事だろうか?
私は、
「そうなのですか?
でも、調べる人が調べれば、私は厳密には狐憑きではないと聞きました。
それならば、問題はありませんか?」
と質問をした。すると大月様は、
「一昨日はそのような話、していなかったではないか。」
と文句を言ってきた。私は、
「実は今日、そのような話がありましたので。」
と理由を説明すると、大月様は、
「出処は、・・・今は、清川様から修行をしてもらっているのだったな。
清川様が申したのか?」
と聞いてきたので、私は、
「はい。
清川様も、そのように認識しております。」
と肯定した。最初に言い出したのは妖狐だったが、細かい話は良いだろう。
大月様が、
「そうか。
だが、妖狐が絡んでいるのだ。
必ず、誰かが確認する筈である。
その時は、下手に抵抗するではないぞ?」
と助言をくれたので、私は、
「分かりました。」
と神妙に答えた。
大月様との話が終わり、お礼と別れの挨拶をして番屋を後にする。
大月様からのお誘いはなかったので、真っ直ぐお屋敷に帰る。
賑やかな大通りから、人気の少ない小路に入っていく。
赤提灯もなくなり、人の気配が薄くなる。
静寂な中を、黙々と進む。
──また、牢屋に入る事になるかも知れない。
私は残念な気持ちで、トボトボとお屋敷まで歩いたのだった。
作中、山上くんが「ご免下さい」と挨拶をしながら番屋に入っていきました。
この「ご免下さい」ですが、元々「御免」というのは、許認可の事を指して言っていたそうですが、これがいつのまにか許しを乞う言葉に変化し、更に訪問や別れの挨拶にも使われるようになったのだそうです。
もう一つ、「ありがとう」についてです。
この「ありがとう」ですが、「めったにない」とか「珍しい」という意味の「有り難し」が語源となりますが、これらが今の感謝の意味で使われるようになったのは、江戸時代に入ってからなのだそうです。
どうも、江戸初期の頃は神仏に対して宗教的な畏敬や謝意を表す言葉だったのではないかという話があり、これが一般化して今のように使われるようになったのだとか。
ちなみに、「ありがとう」が広まる前までは何と言っていたかと言うと、時代劇の武士のセリフでおなじみの「忝い」が一般的だったようです。
・ごめんなさい
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・「ごめん」は本当に謝っているの?
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=30
・ありがとう
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86&oldid=87527030
・お礼のことば「ありがたい」について
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/8926/pa001.pdf
↑PDF化する時にちょっと逆順に作っちゃってるみたいですが。(~~;)




