午前中だけ古川様が
翌日、布団から起き出して厠に行く時、薄っすらと雪が積もっていた。
日が昇ってすぐに解けたのだが、その話を朝食の時にした所、佳央様から、
「竜の里は冬になると背丈以上の雪で閉ざされるわ。
外との行き来は、空以外、出来なくなるから。」
と言われてしまった。更科さんが、
「雪、平村も多いんだっけ?」
と聞いてきたので、私は、
「はい。
雪駄でないと、移動も侭なりません。」
と苦笑いしながら答える。佳央様は、
「それなら、雪も大丈夫ね。」
と答えた。
座敷で朝食を終え、これから道場に向かおうと座布団から立ち上がった時、ここにはいない筈の気配が近づいてきた。
古川様だ。
恐らく、朝一番で神社から戻ってきたのだろう。
古川様が座敷に入ってきたので、私は、
「古川様、おかえりなさいませ。」
と挨拶をした。古川様も、
「ただい・・・ま?」
と何故か疑問形だが挨拶を返す。
清川様が来て早々と言うのに、
「今日は、いつ神社に戻るのか?」
と確認する。古川様は嫌な顔ひとつせず、
「はい。
今日は、・・・午前中だけ修行を覗くように・・・と。」
と答えた。清川様は、
「ふむ。
では、これから道場じゃ。
行くとするか。」
と言って、道場まで移動した。
相手をしてくれる古川様がいるので、ムーちゃんも一緒に道場に移動する。
これで、久しぶりの3人と1匹だ。
清川様が、
「では、いつものように瞑想から始めるかの。」
と言ったので、私は目を瞑った。
本来であれば、昨日の座学を思い返すのが良いのだろうが、その前に気になることがある。
古川様は、本当に覗きに来ただけなのか?
ひょっとしたら、巫女様が私の悩みを聞くために、古川様を送ったとも考えられる。
そうすれば、更科さんと別れずに済む方法を教えてもらえるかも知れない。
そんな事を考えていると、不意に清川様から、
「何をニヤついておる。
きちんと瞑想せぬか。」
と怒られてしまった。期待が表情に出ていたらしい。
私は、
「申し訳ありません。」
と謝りはしたのだが、期待で破顔せずにはいられない。
清川様から、
「どのような良いことがあったかは知らぬが、修行と私生活とはけじめをつけるようにの。」
と少し厳し目の口調で言われてしまった。
頑張って、無表情を作る。
暫くして、清川様は不機嫌そうに、
「今日の瞑想は、終いにするかの。」
と瞑想の時間を打ち切った。
私の顔が緩みっぱなしだったのかも知れない。
悪いことをしたと思いつつも、心は弾む。
清川様が、
「さて。
座学はできそうか?」
と尋ねてきた。
私は、
「大丈夫です。」
と返事をしたものの、自分に落ち着きがない事は分かっていたので、
「頑張ります。」
と付け加えた。
座学が始まる。
清川様が、調子よく呪いの説明を勧めていく。
外から差し込む光の位置が、徐々に変わっていく。
古川様の方は、ムーちゃんと話をするばかり。
巫女様に憑依さた様子はない。
さらに時間が進む。
呪いの説明もいよいよ深まり、名付けのさわりの説明が始まる。
古川様の方はと言えば、やはり巫女様に憑依さた様子はない。
光の位置から、お昼が近づいている事が判る。
古川様がいるのは午前中だけなので、そろそろ憑依してもらわないと相談が出来ない。
だが、古川様の方はムーちゃんと話をしているだけ。
徐々に、焦る気持ちが湧き上がってくる。
それを見かねてか、清川様から、
「何やら、そわそわしておるの。
また、心配事でも出来たか?」
と少し呆れた口調で聞いてきた。
どうやら、焦っている事が表情に出ていたらしい。
私が素直に、
「いえ、申し訳ありません。
古川様の様子が気になりましたもので。」
と返事をすると、古川様がビクッとして、
「私?」
と驚いた声で聞き返してきた。突然聞かれたら、こういう事もある。
ただ、今、私が気になっているのは、巫女様がいつ古川様に憑依するかだ。
憑依するのは巫女様の都合。古川様には判らない筈。
私は聞いても無駄だろうと思い、
「申し訳ありません。
その・・・、何でもありません。」
と返事をした。清川様が首を捻り、
「・・・?」
と訝しげに私を見てきた。
私は『何でもない』と言ったのがよくなかったのだろうと思い、
「申し訳ありません。」
と謝った。清川様が、
「後ろめたい事があるのではないか?
怒りはせぬ。
言うてみよ。」
と眉を顰めながら聞いてきた。が、言っていることと表情とが違う。
清川様が既に怒っているように見えて、後ろめたい話ではない筈なのに話し辛い。
私は思わず、
「本当ですか?」
と確認すると、清川様は、
「うむ。」
と渋い顔をしながら返事をした。
古川様が、
「怒らないから・・・ね?
何が・・・、気になった・・・の?」
と優しく聞いてきた。
私はちらっと清川様の方を見て、今、話した方がいいだろうと思い、
「すみません。
後ろめたい話はありません。」
と前置きをしてから、
「古川様が半日だけと言うのは、少し不自然に思いまして。
それで、ひょっとしたら巫女様が憑依するために来たのではないかと考えたのです。
ですが、一向に憑依する気配もありません。
まだか、まだかと思っている内に、それが顔に出てしまっていたようです。」
と答えた。清川様が、気まずそうな顔をしながら、
「それならば、初めから言わぬか。」
と文句を言ってので、私は、
「そうなのですが、古川様がいつ憑依されるかなんて、分からないじゃありませんか。」
と言い訳をした。古川様は、
「そう・・・ね。」
と困った顔をしながら同意した後、
「でも、・・・今日は、・・・ないわ・・・よ?」
と言って、憑依される予定はない事を教えてくれた。
私は、
「そうでしたか。
残念です。」
とがっかりしながら返した。
清川様が、
「まぁ、古川と懇ろになりたいわけでないならばよい。」
と苦笑いする。これは、いくら何でも心外だ。
私は、
「そのような事、ある訳がありません。」
と文句を言った後、
「ですが、何故、そのように考えたので?」
と質問をした。清川様は、
「古川が気になっておる。
でも、理由は言えませんではの。
邪推しても、仕方あるまい?」
と聞き返してきた。私は納得できず、
「そうなのですか?」
と聞き返したのだが、清川様は、
「そういう物じゃ。」
と言って立ち上がった。そして、
「午前は終いじゃ。
座敷で昼にするぞ。」
と決まりが悪いとばかりに歩き出した。
古川様が、
「待って・・・。」
と言いながらついて行く。私も残っていても仕方がないので、
「ムーちゃんも行こうね。」
と呼びかけて、1匹と1人で後を追った。
座敷に入ると、先に道場を出ていった清川様と古川様の他に、既に佳央様と更科さんも座っていた。
古川様が座っていると言う事は、昼食を食べてから神社に行くつもりらしい。
更科さんが綺麗な風呂敷包みを持って立ち上がると、私に、
「これ、頼まれてた物よ。」
と言って、大月様へのお土産を渡してくれた。
私は中身が気になり、
「ありがとうございます。
それで何を?」
と聞くと、更科さんは、
「最中よ。」
と教えてくれた。私は、
「最中ですか。
それはいいですね。」
と笑顔で返すと、更科さんも嬉しそうに、
「うん。」
と同意した。一旦、座布団に座り、包を後ろに置いておく。
話が一息ついたと見てか、下女の人がお膳を持ってやってきた。
今日の卵料理は、豆腐に卵を塗って串に挿して焼いたもののようだ。
上に小さなつぶつぶと山葵が乗っている。
清川様は、
「そのまま、味噌でも塗って焼けばよかろうに・・・。」
と文句を言っていたが、その割にはこれをぺろりと平らげた。
それを見てという訳でもないのだろうが、古川様が清川様に、
「これ、・・・美味しかった・・・ね?」
と質問をすると、清川様は、
「まぁの。」
と苦笑いしながら答えた。
最初に文句を言っていたので、今の清川様は決まりが悪そうだな。
二人の会話を聞いて、私はそう思ったのだった。
今回も、どうでもいい話をば乗せておきます。
まず、作中、清川様が「けじめをつけるように」と言っています。
この「けじめ」ですが、歴史的には「けぢめ」と書かれていたそうです。元は視覚的なものの境界に使ったようですが、語源辞典によれば『江戸時代には「けぢめを食う」「けぢめを取る」などと言うようになり、現代では「けじめをつける」と言うのが普通になった』のだそうです。
あと、「豆腐に卵を塗って串に挿して焼いたもの」ですが、こちらは鶏卵でんがくとなります。今回は、豆腐百珍からの出典となります。
卵に醤油、酒と少量の酢を入れてよく掻き混ぜ、串に刺した豆腐に塗って焼く料理で、罌粟の実を降り山葵を乗せて出来上がりとなります。
罌粟の実は、アンパンの上に乗っている小さな白いつぶつぶのやつです。
なお、罌粟と言えば麻薬の材料ですが、基本的に食用品種の罌粟の実には麻薬成分は含まれていません。
安心してお召し上がり出来ますので、あしからず。(^^;)
・けじめ
山口佳紀『暮らしのことば 語源辞典』講談社, 1998年, 249頁
・けじめ
https://ja.wiktionary.org/w/index.php?title=%E3%81%91%E3%81%98%E3%82%81&oldid=1346140
・豆腐百珍
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536494/31




