禊(みそぎ)
翌朝、今はまだ夜明け前。
起きて厠に行こうとすると、お勝手の所で清川様と遭遇した。
この時間、見回りの下女の人以外と会うのは珍しい。
私は、
「おはようございます。」
と声を掛けると、清川様は、
「丁度よかった。
昨日、言い忘れておったがの。
これから、略式の禊をする。
井戸の前に来るが良いぞ。」
と言ってきた。私は早口で、
「申し訳ありません。
その前に、厠に行かせて下さい。」
と言うと、清川様は、
「む。
分かった。
では、そこの井戸の前で待っておる。」
と話した。厠の井戸は外と通じる空井戸だったが、お勝手近くにも井戸があり、こちらは水が出る。
私は、
「分かりました。」
と返事をする。そそくさとその場を離れようとした。だが急いでいるというのに、禊であれば白装束ではないのかという疑問が頭を過る。
私は清川様に、少し落ち着きのない早口で、
「すみません。
白装束は、持っていないのですが。」
と聞くと、清川様は、
「大丈夫じゃ。
ちゃんと準備しておる。」
と答えた。私は少し身をよじりながら、
「他にも、何か必要でしょうか。」
と聞くと、清川様は、
「特に無い。」
と言う。私はいよいよ近くなってきたので、
「分かりました。
すみませんが、また井戸に行きましたら、どのようにすればよいか作法等を教えて下さい。」
と言って、清川様の返事も待たず厠に急いだ。
後ろから、
「早うの。」
と呆れたような声がした。
厠で用を済ませた後、井戸に向かう。
冷たい風が吹く度に、身を縮ませ、両肩を手で擦る。
井戸に近づくにつれ、厳かな気配が強くなる。清川様が、既に何か始めているのだろう。
井戸に着くと、その四方に笹のようなものが立てられ、細い七五三縄が掛けられていた。
清川様が、
「来たか。」
と呼びかける。私は、
「はい。
それで、これは?」
と聞くと、清川様は、
「簡易じゃが、井戸を清める結界をの。」
と答え、
「これから、祝詞を上げ、水を被って禊をする。
よいな。」
とこれからの進行を伝えてきた。が、竜の里は山の上の盆地。
もう、氷が張り始めても不思議ではない。
ごく稀に、冷水を被ると健康になるという人もいるそうだが、とてもそうは思えない。
それに水に濡れた後、そのままにしておくと風邪を引きかねない。
私は、
「こんな季節にやるのですか?」
と聞くと、清川様は、
「仕来りじゃからの。」
と事もなげに答えた。そう言えば、竜人は人間よりも暑さ寒さに強いのだった。
私は、
「もう、この季節です。
人間には難しいのですが・・・。」
と聞いたのだが、清川様は不思議そうに、
「いい加減なことを言うでない。
こちらは雪の中、滝に打たれておる人間を見たことがあるのじゃ。
出来ぬはずがなかろう。」
と反論されてしまった。私は、
「それは、鍛えている人の話です。
私には、少々難しいのですが・・・。」
と反駁する。清川様は、
「一見、よぼよぼであったぞ?」
と首を傾げた。私は観念して、
「分かりました。
ですが、濡れたままだとすぐに風邪を引いてしまいます。
どうやって乾かすのですか?」
と聞くと、清川様は、
「緑魔法で乾かせば良かろう。」
と答えた。ちゃんと考えているようだ。
私は一安心して、
「分かりました。
では、他にはなにかありますか?」
と聞くと、清川様は、
「うむ。
先ずは、この白装束に着替えよ。」
と指示をする。私は、
「分かりました。」
と言った所で、お勝手の人が水を汲みに来た。
お勝手の人が、
「申し訳ありません。
こちらの水を使いたいのですが・・・。」
と申し訳なさそうに聞いてくる。
清川様は、
「これは、済まぬな。
山上は、着替えてまいれ。
私がその間に、水を汲んでおく。」
と苦笑いしながら言う。私は、
「水汲みなら、私がやりましょうか?」
と聞いたのだが、清川様は、
「日の出まで時間がない。
さっさと着替えよ。」
と言ってきた。そう言う事ならば、仕方がない。
私は、
「分かりました。」
と言うと、その場で着物を脱ごうとした。
が、清川様から、
「一旦、部屋に戻らぬか。」
と怒られてしまう。私は、
「ですが、時間がないのですよね?」
と聞くと、お勝手の人が、
「恐れながら、お風呂場の所を使うのは如何でしょうか・・・。」
と言ってきた。私は、
「名案ですね。
では、そう致します。」
と同意して動こうとした。だが、清川様から、
「そこは水場ではないか。
あぁ、もうよい。
そこの庭木の陰で着替えよ。」
と指示をした。私は、
「水場はいけないのですか?」
と聞くと、清川様は、
「うむ。
根拠はないのじゃが、清められておらぬ水がどうのとかいう話じゃった。」
と中途半端に答え、
「が、早う行かぬか。」
と急かされてしまった。私は、
「分かりました。」
と言って、そそくさと庭木の向こうに行った。
私が白装束に着替えて井戸に戻ってくると、清川様は既に水汲みを終わっていた。
清川様から、
「戻ったか。」
と声を掛けてきたので、私は、
「はい。
ただ今もどりました。」
と返事をした。そして、
「水汲み、すみませんでした。」
と謝ると、清川様は、
「うむ。
が、まさか10回近くも水を汲み上げる事になるとはの。
思ったよりも、面倒じゃったわ。」
と苦笑いしながら話した。私は、
「お屋敷は大きいですから、朝の支度に使う水の量も多いのでしょうね。」
と思った事を言うと、清川様は、
「そうじゃの。」
と短く肯定し、
「では、始めるぞ。」
と言って亜空間から大麻を手に出した。
大麻を構え、祝詞を上げ始める。
清川様が、祝詞を上げながら、井戸の周りを3周する。
また、最初の位置に立ち、今度は大麻を大きく上下に振る。
何度か、大麻、礼、拍手の動作が続いた後、清川様は、
「畏み畏み白す。」
と言って祝詞を終えた。
そして、井戸の釣瓶で水を汲み上げ、桶に入れる。
その桶に向かって左右に三度、大麻を振ったかと思うと、
「山上。
この桶の水を、頭から被るがよい。」
と指示した。私は、
「分かりました。」
と言って桶を受け取り、目を瞑って一気に頭から水を被る。頭の天辺から、雷に打たれたかのような衝撃と冷たさ。思わず、
「ヒィ!」
と声を漏らし身を縮める。清川様が、
「しっかりせい。」
と言って、二度目の水を汲み上げた。
また、桶を大麻で清め、私に渡す。
私は、頭から少しづつ水を掛けたのだが、これが逆に頭を凍らせるような冷たさ。
残った水を一気に、頭から被った。
あまりにも寒く、体を震わせる。
清川様が、三度目の桶を私に渡す。
私は、頭から一気に水を被った。
それから清川様も三度、井戸の水を汲み上げて、自ら被る。
清川様は、
「これで、禊は終わりじゃ。
後は、魔法で乾かすぞ。」
と言って白装束を着たまま、緑魔法で乾かし始めた。
魔法の風が当たった所が、どんどん冷たくなっていく感じがする。
私は震えながら、
「焚き火など、ありませんか?」
と聞いたのだが、清川様からは、
「準備はしておらぬ。」
と言った。私は、
「ですが、このままでは風邪を引きそうなのですが・・・。
お勝手の竈の近くはどうですか?」
と言ったのだが、清川様は、
「我慢せい。」
と言われてしまった。
仕方がないので、火魔法を集めようとしたところ、清川様から、
「余計な事をするでない。」
と怒られてしまった。
太陽が昇ってきた。
これで少しは暖かくなると思ったのだが、所詮は冬に近い朝の光。
夏とは違い、すぐに体を温めるような力はない。
私は、
「この後、食事はどうなりますか?」
と聞くと、清川様は、
「うむ。
粥を準備してもらっておる。」
と答えた。
私は、
「粥ではなくて、飯の方が良いのですが・・・。」
とお願いしたのだが、清川様は、
「これも仕来りじゃ。
なに。
夜には、普通に食べられる。
我慢するのじゃ。」
と言われてしまった。
私は、この仕来りを作った人を恨みたくなったのだった。
作中、冷水を被ると健康になるという話が出ていますが、これは冷水養生法という昔からある健康法となりなす。(本当に健康になるかは不明ですが。)
あと、作法等は適当にでっち上げているのであしからず。。。(--l)
・重野安繹
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・冷水養生法
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/837294/19




