質素な食事
新年、明けましておめでとうございます。
お目汚しではございますが、今年も宜しくお願い致します。
*2022/02/23
誤記の修正やルビの追加等をしました。
地味な作業を片付けた私達は、晩御飯を神社で食べてから帰ることとなった。
卵料理を避けたいであろう、清川様の思惑通りかもしれない。
私は、ここではどんな美味しいものを食べているのだろうかと思ったのだが、出てきたものはかなり質素な物だった。
お盆の上には、麦粥と梅干しだけだ。
流石、金の亡者と思い直す。
それとも、後から別の膳が出てくるのだろうか?
私は、そんな事を考えていると、聞いてもいないのに清川様から、
「詫びを入れに行く前日は、こういった食事にする慣わしじゃ。
我慢せい。」
と説明をした。坂倉様が、
「詫びではない。」
と厳しい顔付き。だが、清川様は、
「この食事が、何よりの証ではありませんか。
身内しかおりませんのに、包み隠す事もございますまい。」
と庄内様に反論した。だが、坂倉様は、
「あの札は、厚意で渡すのじゃ。
決して、詫びなどではない。」
と言い切った。確か以前、清川様は『偉ぶるだけ、丈が知れる』と言っていた。つまり、坂倉様の器が小さいということか。
そんな事をチラリと考えていると、井戸の封を解いてしまった張本人の庄内様が、
「酔っておったとは言え、やってしもうた事に違いはない。
本来であれば、謝るが筋じゃ。
内々には謝りに行くつもりでよいが、外向きにはそうもいかぬ。
判るな?」
と苦笑い。清川様は、
「分かり・・・ました。」
と答えた。
私は、
「ところで、庄内様。
この話を聞いた時にも思ったのですが、本当はどのような目的で憑依したのでか?
私は悪戯と聞きましたが、違うのではありませんか?」
と質問をした。庄内様が、
「悪戯と聞いておるか。」
と苦笑いした。私は、
「はい。」
と同意すると、庄内様は、
「これは、古川の体質に関係する話じゃ。
話してもよいか?」
と古川様に目を向ける。古川様が頷くと、庄内様は、
「うむ。」
と頷き返し、
「古川はの。
少々、呪いが効きやすい体質なのじゃ。」
と説明をし始めた。私が、
「呪いがですか?」
と合いの手を入れると、庄内様は、
「うむ。
あの日、古川達がどのような所で世話になっておるか気になっての。
酒の力を借りて、古川に憑依したのじゃ。
始めは問題ないと思うておったのじゃが、厠に行こうとして見つけたのが、あの井戸じゃな。
この体質で結界があると、その周りに近づくは少々面倒となる。
難儀な事になってしまう前に、手を打とうと思うてな。
古川が普通に用を足せるよう、結界を貼り直そうとしたのじゃ。
じゃが、間の悪いことに結界を解いた所で飲んだのが見つかっての。
長々と説教されたのじゃ。
その後、結界を張っておらぬのを忘れての・・・。」
と苦笑いする。坂倉様が、
「それは、初めて聞く話しじゃが・・・。」
と眉を顰める。庄内様が、
「聞かれなんだからの。
それに、どうせ言わずとも、巫女様なら分かっておったに違いあるまい。」
と話した。坂倉様は、
「それはそうなのじゃろうが・・・。
まぁ、確かに少々罰が軽いと思うてはおったが、そう言うわけじゃったか。」
と納得したようだ。
話の区切りが着いたようなので、再び目の前の疑問に話を戻す事にする。
私はお膳を指差し、
「ところで、今夜はこれで全部なのですか?」
と聞くと、清川様は、
「うむ。
お代わりもないからの。」
と答えた。これでは、お腹が空いて眠れる気がしない。
私は、
「そんな・・・。」
と項垂れると、清川様は、
「山上も、仮とは言え巫女の修行をしておるのじゃ。
明日、山上はこちら側に座ってもらう事となる。
ゆえに、食事も合わせてもらうぞ。」
と説明した。坂倉様が、
「庄内の件だけではない。
山上が呪いを集めた件もあるしの。」
と付け加える。
私は、
「それは・・・。」
と言葉に詰まる。
私は、誰がこのようなことを始めたのかと恨みがてらに、
「それで、この食事にはどのような謂れがあるので?」
と質問をした。
すると庄内様は、
「清川、言うてみよ。」
と話を振った。
清川様は、
「謂れは知りませんが、清めの一環にございます。」
と丁寧な口調で答え、
「ただ・・・、どこぞの巫女がヘマをやらかし、拝殿に幽閉。
飯も与えられなんだのを見たなんちゃらの尊の神が、
『故意にやったわけでもないのにやり過ぎじゃ』
と祭壇の器に粥を出し、食べるように言ったのが始まりという説を聞いたことがあります。
ですが、出てきた粥を食べた所で、清めた事にはなりません。
ですので、これは誰かのでっち上げと考えております。」
と付け加えた。
坂倉様がボソッと、
「その話は知らぬな。」
と呟いた。そして、
「山上よ。
そう言う事だそうじゃ。
謂れについての伝承は、既に途絶えておる。
まぁ、よくあることじゃ。」
と話した。
私は、
「そのような状態で、よくこの慣わしが続いていますね。」
と素直な感想を言うと、今度は庄内様が笑いながら、
「昔、誰がどうしただの言うて礼儀作法に変わる事など、よくある話じゃ。
これも案外、金子が足りずに仕方なく粥を出したのが、あの時の食事は粥じゃったからとか言うて始めたのがきっかけなのやも知れぬぞ?」
と話した。
坂倉様が、
「適当なことを言うでない。」
と苦笑いする。私は、
「真偽はともかく、余り意味はなさそうですね。」
と言うと、庄内様も、
「仕来りになっておるからには、せぬ訳にはいかぬからの。
このような妙な仕来りは、出来て欲しくないのじゃが・・・。」
と苦笑い。もう一度坂倉様が、
「庄内。」
と注意する。
庄内様は、
「今は公の場でもないのじゃ。
あまり、堅苦しゅう言うても仕方あるまい。」
と笑ってみせたのだが、坂倉様は、
「それはそうじゃが・・・。」
と納得がいかない様子。
庄内様が、
「肩から力が抜けるように、少し、甚句でもやってやろうか?」
と冗談を言ったのだが、坂倉様は、
「間に合っておる。」
と返したのだった。
作中、(無理やり感満載で出てきた)甚句は、江戸時代に発生したと思われる歌となります。
発祥については、越後の甚九という人が大阪で一旗揚げて成功し遊女を身請け、接客で歌い始めただとか、『地の句』が訛って『じんく』になり、宛字で甚句になっただとか、諸説あるようです。
東海道中膝栗毛にも、按摩さんが甚句を披露するシーンが出てきます。ただ、この本で出てくる甚句は、名古屋甚句説と越後甚句説があるのだとか。
・甚句
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〜〜〜
去年はコロナと冬将軍のため自宅でゆっくり過ごしていましたが、今年も冬将軍が来て外に出られないので、自宅で終日過ごす予定です。
去年との違いは、積読にしていた本を気合を入れて読んでいる点なのですが、1日や2日読んだ所で、全く減る気配がありません。
おっさんの今年の目標は、積んである本を減らすこと。
ちゃんと厳選して読み切れる範囲で本を買うように努めねば。。。(^^;)




