凶事が去った祝いでもある
皆でとりとめのない話をしていると、お店の人が次の寿司を運んできた。
土のような色の何かに包まれた、握り飯のような寿司だ。
お店の人が、
「こちらは、稲荷寿司です。」
と紹介する。
お店の人は、今回の件は知らない筈だ。だが、私はお稲荷様が原因で手鎖になりかけたので、思わず苦笑いしてしまった。
田中先輩が、
「狙ったみたいだな。」
と面白そうに言うと、横山さんからも、
「そうね。
妖狐を倒したんだし、このお祝いなら丁度いいわね。」
と少し微笑みながら言う。田中先輩は、
「そうだな。
まぁ、まだ悪巧みする前だったんだろうがな。」
と同意しつつ一言付け加えた。
私もその通りだと思い、
「今回は、捕まらずに済んだお祝いですが・・・。」
と言いかけた所に、田中先輩が言葉を被せるように、
「知らずに封印が解けて出てきてみろ。
どんな悪さをしたか、分かったものではない。
早めに倒せて、良かったんじゃないか?」
と言ってきた。私はひとまず、
「そうですね。」
と同意だけしておいた。
だが、『早めに倒せて良かった』という部分は引っかかる。
姪を殺されて妖狐になるほど恨んだのだとすれば、あの狐、かなり優しかったのではないか。しかし、それを言うと話がややこしくなるので胸に秘めておく事にする。
田中先輩は私がそんな事を考えているとも知らず、
「なら、凶事が去った祝いでもあるんだ。
二つ、祝っておけばいいだろう。」
とにこやかに話した。続けて不知火様も、
「俺が来る事になったのは、里のためになったからという意味合いもある。
そうでなければ、代理など立てまい?」
と説明した。里を仕切る赤竜帝の立場からすれば、そうなのだろう。
私は、
「そうですね。
仰る通りだと思います。」
と返した。
妖狐の件は、本当はどうすればよかったのか。
もぐもぐと稲荷寿司を咀嚼していると、不知火様から、
「まだ、ひっかかるか?」
と話しかけてきた。
私は態度に出ていたかのだろうと思ったのだが、祝いの席なので、
「何の話ですか?」
と惚けてみせた。だが、今度は更科さんから、
「妖狐になったの、まだ気にしてる?」
と言ってきた。更科さんは、私が番屋で項垂れていたのを見ている。
私は、これ以上、小手先で惚けても無駄だろうと諦め、
「それはまぁ・・・。」
と返事をした。
不知火様が、
「先の戦があっただろ?」
と全然違う話を始める。
なぜ、不知火様がこの戦の話を持ち出してきたのか、意図が読めない。
私は、
「はい。」
とだけ返事をすると、不知火様は、
「あの戦な。
尻尾切りが最初に大勢、気絶させたから良かったのだ。
だが仮にそうしなかったなら、少なからぬ竜人が散った筈なのだ。
分かるか?」
と聞いてきた。
私は、
「大勢が死なずに済んだというのは分かりますが、質問の意図までは・・・。」
と正直に返事をした。すると、不知火様は、
「そうか。」
と頷き、
「意思ある者を殺せば、縁者に恨みを持たれるは必然。
その縁者は、大勢いるのだ。
それは、分かるな?」
と話した。私が、
「はい。」
と頷くと、不知火様は、
「が、恨みを持たれるからと言って何もせねば、奴らはこちらの縁者を手に掛けるやも知れぬ。
ゆえに、戦場では相手を殺すしかないのだ。」
と言ってから酒を一口。そして、
「今回、妖狐を倒したことがきっかけでその縁者が妖狐となり、情も深そうだったから気に病んでいるのだろ?
だが、あの場で妖狐を倒さねば、妖狐の事だ。
奥方殿あたりを狐憑きとし、山上を襲わせたやもしれんな。
彼奴等は、そう言う手段を好んで使うのだ。
その後の奥方殿の身も、どうなるか知れたことではない。
分かるか?」
と言ってきた。私は、
「想像ですよね。」
と口答えすると、不知火様は、
「だが、起こりうる事だ。
起こってからでは遅いだろ?」
と厳しい顔で返した。
私は、
「それはそうですが・・・。」
と口籠った。
不知火様は、妖狐がどんなに優しかろうと、そいつが私や私の縁者を殺しに来るのなら、その前に殺すのは当然だと言いたいのだろう。だが、そのような不確定な事を理由に殺しを始めれば、最終的には意思ある者を皆殺しにするまで止まらなくなってしまうのではないか。
色々と考えていると、雫様から、
「そんな話、今度しや。
今日は、お通夜ちゃうで?」
と一言。不知火様は、
「そうだったな。」
と困った顔で返すと、
「山上。
話が中途半端になったがな。
この話の結論は、人それぞれ違う筈だ。
よくよく考えておけよ。
その後は、大月なり、蒼竜なり、話を聞いてくれそうな奴らは周りに大勢いるからな。
そっちに聞いてもらうといいだろう。」
と話した。雫様が、
「なんや。
最後、丸投げやないか。」
と笑い出す。蒼竜様は苦笑いしつつも、
「まぁ、拙者も時間がとれれば話は聞くゆえ、その時は訪ねるがよい。」
と条件付きだが言ってくれた。
私は、
「皆様、ありがとうございます。
その時は、宜しくお願いします。」
とお礼を言った。
お店の人が、
「失礼します。」
と言って、次の寿司を持って入ってきた。
恐らく、話の頃合いを見計らっていたのだろう。
「ばら寿司です。」
と言いながら、1段の重箱(?)が出てきた。
蓋を開けると、色々と具が混ぜ込まれたご飯の上に、泥鰌と鮮やかな錦糸卵が散りばめられている。遅れて、ふんわりと柔らかな米酢の香りがやって来た。
私は、
「これは綺麗ですね。」
と言うと、更科さんも、
「そうね。」
と嬉しそうに頷いた。
なんとなく、周りが安心したような表情になる。
田中先輩が初めに口にして、
「今日、一番だな。」
と言う。横山さんが、
「そうなの?」
と楽しそうに言ってから一口食べ、
「本当ね。」
と同意した。その後、お行儀としては悪いのだが、どうしても気になったのだろう。
横山さんは、お箸で泥鰌と錦糸卵を寄せ始めた。そして、混ぜ込まれた具をほじくり返し、
「酢飯には、人参と干し椎茸、牛蒡に蓮根が混ぜ込んであるみたいね。」
と具の内訳を列挙した。不知火様や蒼竜様は目を反らし、見なかった事にしたようだ。
雫様が、
「海老や穴子は多いけど、泥鰌を具にしとるんは見たことないなぁ。」
と言うと、蒼竜様は、
「うむ。
前に聞いたのだが、この店独自のばら寿司だそうだ。
確か、先代の泥鰌鍋好きが昂じて、このばら寿司になったと言っていたか。」
と解説をする。雫様は、
「そやったんか。
そう言われたら、この泥鰌。
ぬき鍋に入っとるんと、似た味付けやな。」
と納得したようだ。
不知火様がお店の人を呼び、
「同じのを、もう一つ頼む。」
と注文したので、余程美味しかったに違いない。
田中先輩は、
「確かに美味いが、〆みたいだな。」
と言った。蒼竜様が、
「これで最後となる。
もし、飲み足りぬなら、何か注文するが。」
と聞くと、田中先輩は、
「俺達は明日、ここを出発する事になったからな。
もう少し、貰えるか?」
と、初めて聞く話が出てきた。
私は、
「田中先輩、明日出立するのですか?」
と思わず聞き返すと、田中先輩は、
「言ってなかったか?」
と不思議そうに言ってきた。私は、
「はい。
初耳です。」
と言い返した。田中先輩はすまなさそうに、
「それは、悪かったな。
が、今生の別れでもないんだ。
あまり寂しがらなくてもいいぞ?」
と困り顔だ。私は、
「昨日は、当分はいそうな感じだったじゃありませんか。」
と文句を付けたのだが、横山さんも、
「今朝、赤竜帝に呼ばれて、急に決まったのよ。
私も、驚いててね。」
と困惑気味のようだ。不知火様が、
「あぁ、あの件か。
面倒だが、書面に残してお互いに持っておく必要がるからな。
くれぐれも、失くすなよ。」
と言ったので、恐らくは何かの書類を届けさせるのだろう。
田中先輩は、
「当たり前だ。」
と返事をした。
あの件とは、何なのか。
ちょっと聞いてみたい気もするが、赤竜帝からの呼び出しという話だったので、恐らくは答えてくれないだろう。
そう思ったのだが、私は駄目で元々と、
「もしも大丈夫だったらでいいのですが、その書面はどのようなものなのですか?」
と聞いてみた。すると田中先輩は、
「言っても良いのか?」
と不知火様に質問を投げた。不知火様は、きっとどのような物を運ぶのか知っているのだろう。でないと、『あの件』とは言わない筈だ。
その不知火様は、
「駄目だ。」
ときっぱり言うと、田中先輩は私に顔を向け、
「だそうだ。」
と答えた。
私は、
「まぁ、そうですよね。」
と少し笑いながら返したのだが、不知火様から、
「事と次第によっては、その質問だけで捕まることもある。
おいそれと聞くものではないぞ?」
と窘められた。
私が怒られた後、ほどなくお店の人が、
「お代わりにございます。」
と言って、不知火様にばら寿司を運んできた。
田中先輩には、少し大きめの銚子だ。中には、4合くらい入っていそうだ。
肴としてとして、すり胡麻が掛けられた大根葉のお浸しも出てきた。
横山さんが、
「思ったより、沢山出てきたわね。
私も、少し貰おうかしら。」
と微笑むと、田中先輩も、
「ああ。」
と言って、銚子を持って横山さんの盃に酒を注いだ。
蒼竜様が、
「こちらも頼む。」
と言って、盃を差し出す。
田中先輩は、
「もう一つ、要りそうだな。」
と言うと、不知火様も飲み足りなかったようで、
「そうだな。」
と同意する。蒼竜様は、
「ならば、もう一つ頼むか。」
とお店の人に酒を注文をした。
そういえば、なんでさっき、書面の事なんて聞いたのだろうか。
普通なら聞かない筈だから、酒のせいでなのだろうか。
私は、自分が正常な判断が出来ていない事に気が付き、これ以上のお酒は危ないので止めておこうと思った。
だが、田中先輩から、
「あまり、進んでないな。
まだ悩んでるのか?
もう一杯だけ、飲んでみるか?」
と、私を心配して酒を勧めてきた。
私は、
「はい。」
ともう一杯だけ貰う事にする。
なんとなく立ち上がろうとしたのだが、足元が覚束ないことに気がつく。
まっすぐ歩けないのだ。
私はすぐにしゃがむと、
「すみません。
今日は、もう一杯のようです。」
と返した。
それからすぐ、私は、
「申し訳ありません。」
と断ってから、そのまま横になって仮眠する事にしたのだった。
作中の稲荷寿司も、江戸時代からある寿司となります。
この稲荷寿司、関東では米俵を模して四角い油揚げに酢飯を詰めて作りますが、関西では三角の油揚げに椎茸や人参などの具入りの酢飯を詰めて作ります。
もう一つ、作中のばら寿司ですが、海の魚を使わない物を想定しています。
お店のオリジナルという想定で、海老抜きの、泥鰌入りでお話の中だけとなりますが、もしどこかでやっていたらすみません。(^^;)
それと、雫様が言っている「ぬき鍋」は、泥鰌鍋の泥鰌を開いたものとなります。
・稲荷寿司
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・ちらし寿司
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・どぜう鍋
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