町中を散策
私が桶を処分して長屋の外に出ると、佳央様が、
「今日はここまでね。
下手に刺激して、白蟻がいっぱい出てきても嫌だし。」
と言った。確かに、それは嫌だ。
私は、
「なら、これからどうしますか?」
とこの後の予定を確認すると、更科さんから、
「じゃぁ、ちょっとだけお店、回ろっか。
お昼も、お店に入って食べちゃわない?」
と答えた。佳央様も、
「そうね。」
と同意したのだが、続けて、
「和人、行きたい所ある?」
と言ってきた。だが、よくよく考えてみると、私は更科さんとどこかに行きたいとは思っているのだが、特に行きたい店がない事に気がついた。
私は更科さんの好感度をあげようと、女の子が好きそうな店を思い浮かべて、
「そうですね。
甘味処なんてどうですか?」
と提案した。
すると更科さんは、
「和人も意外と甘い物、好きよね。」
と満面の笑みで同意する。どうやらこの選択は、当たりだったようだ。
そう思うと、私も自然と笑顔になる。
だが、今から甘いものを食べると、お昼ご飯が入らなくなる。
私は、
「では昼食の後、腹ごなしに軽くお店を回ってから行きますか。
お薦めのお店があったら、お願いしますね。」
と先延ばしにすることにした。更科さんも、
「分かったわ。
じゃぁ、お昼のお店、探そっか。」
と言って歩き出した。
ひとまず、更科さんについて歩く。
竜の里の中の、今まで通った事のない小路。
知っている街なのに、少し脇道に入ると知らない街の風景が姿を表す。
竜人の背の高さくらいある塀と、その塀の上から伸びた枝。
その枝には、熟れた柿の実がぶら下がっていて、それを小鳥が啄んでいる。
家の塀と塀の間には、小さなお稲荷様を祀った神社。
私は、
「こんな所に、お社があったのですね。」
と更科さんに声を掛けた。
すると、更科さんは、
「ん?
あぁ。
ここのお稲荷様ね。
知らなかった?」
と返してきた。私は、
「はい。
この通りは、初めてですね。」
と話すと、更科さんは、
「そうなんだ。
じゃぁ、折角だから拝んでこっか。」
と言って、ちょうど鳥居の前に差し掛かったので立ち止まった。
私も、
「そうですね。」
と言って、軽い気持ちで立ち止まり、お社に向かって一礼だけする。
すると、お社の方から囁くように、
『あれっ?
あの子。』
『同胞かな。』
『調べてみる?』
と3つの声が聞こえた気がした。声からすると、小さな子供だろうか。
なんとなく、声のした方を見てみたが、誰も見当たらない。
私は首を傾げながら、更科さんに、
「何か聞こえましたか?」
と聞いてみたのだが、更科さんは、
「・・・ん?
何も聞こえなかったわよ?」
と答えた。私は気のせいかと思い、
「なら、いいです。
空耳だったかも知れません。」
と返した。
暫く歩き、大通りに出る。
後ろから、
『見えた?』
『待ってね。』
『早く。』
とさっきの聞こえた気がしたので振り向いたのだが、やはり子供はいない。
私は首を捻りながら、更科さんに、
「またです。」
と言った。だが、更科さんには聞こえていなかったようで、
「そう?
分らなかったけど。」
と返してきた。ならばと私は、
「佳央様は、何か聞こえませんか?」
と聞いてみた。だが、佳央様も、
「さあ。
妙な気配はする気はするけど・・・。」
と声を聞いていないようだった。
だが、気配は感じているようだったので、私は、
「ひょっとして子供が、隠れながら私達を付けているのでしょうか?」
と確認した。佳央様は、
「さあね。」
と不思議そうに言いうと、
「でも、気配だけはあるのよね。」
と付け加えた。私も、
「そうですよね。
ですが、振り返っても誰もいませんし、何が何やら。」
と同意する。
暫く歩くと、更科さんが蕎麦屋の店の前で立ち止まった。
更科さんが、
「今は、新蕎麦の季節よね。」
と言うと、佳央様も、
「そうね。」
と首肯する。更科さんは、
「じゃぁ、ここにしよっか。
天麩羅も美味しいし。」
と提案してきた。私も、
「美味しそうな響きですね。」
と返す。佳央様も、
「二人が言うなら、私もここでいいわ。」
と賛成した。
引き戸を開け、お店屋さんに入ると、私はなんとなく神棚に目が行った。
神棚には、宮形や神具の他に、鳥居や2体のお狐さまが飾られている。
席に座ると、蕎麦屋の娘さんがこちらに向かってきた。
蘭茶の木綿の着物が、店の雰囲気とよく合っている。
娘さんが、
「決まったかい?」
と聞いてきた。私は、
「では、すみません。
蕎麦の熱いのを一つお願いします。」
と注文をする。続いて更科さんが、
「私は笊でお願いします。
あと、天麩羅もいただきたいのですが。」
と注文をすると、店の娘さんは、
「天麩羅?
天麩羅は、何を揚げたらいいんだい?」
と聞いてきた。更科さんは、
「じゃぁ、蓮根と玉ねぎと、牛蒡で。
もし、まだあるなら、茄子もお願い。」
と材料を指定する。スラスラと出てくるので、前にも来たことがあるのかも知れない。
店の娘さんは、
「生憎と、茄子はもうないね。
菊の葉なんてどうだい?」
と返してきた。更科さんは、
「菊の葉かぁ。
そっちは、止めておこうかな。」
とお断りした。店の娘さんが、
「あいよ。
で、そっちはどうすんだい?」
と佳央様に振る。佳央様は、
「私も笊で。」
と一言。店の娘さんも、
「あいよ。」
と言うと、店の奥に向かって、
「掛け蕎麦1つに、笊蕎麦が2つだよ!
後、蓮根、牛蒡、玉ねぎの天麩羅もね!」
と大きな声で注文を復唱した。
店の奥から、
「おう!」
と威勢のよい声が帰ってくる。
『あの神棚、いいね。』
『使えそうだね。』
『見えそうかい?』
と例の声が聞こえた気がしたが、やはり声の方を見ても誰もない。
首を捻りつつも、魔法を見るスキルで周囲を確認する。
すると、先週の私なら見落とすくらいの、薄っすらとした呪いが見えた。
私は、
「確かに向こう、いますね。」
と言うと、
『あれ?』
『見られちゃった?』
『人間のくせに!』
と聞こえてきた。私は、
「何者ですか?」
と聞いたのだが、
『見えた!
妖狐殺し!』
『ひっ!』
『逃げるよ!』
と言って、一目散に呪いが離れていった。
あれも、恐らくは呪いの類なのだろうと思い、佳央様に、
「出ていったみたいですね。
あれ、次に見かけたら、祓ったほうが良いですよね?」
と確認したのだが、佳央様は、
「そう・・・いや、駄目ね。
多分、あれはさっきの稲荷神社の守りよ。
止めておきなさい。」
と言われてしまった。私は、
「分かりました。
ただ、後から清川様や古川様には話そうと思います。」
と言うと、佳央様は、
「そうしたら?」
と返事をしたものの、声色から既に興味がないのが窺える。
私はさらっと、
「はい。
そうします。」
と返した。
そうこうしているうちに、店の娘さんが丼を一つ運んできてくれた。
店の娘さんは、
「お待ち!」
と私の目の前に丼を置いたので、そこに視線を落とす。
この丼、恐らくは竜人向けなのだろう。
普通の人間の使う物よりも、一回りくらい大きい。
丼の中は、器の半分に満たない汁と、底の方に上品に纏まったお蕎麦。
丼が大きいのだから、それにあわせて中身も沢山入れて欲しいものだ。
私は皆に視線を戻し、
「私のだけ、先に来ちゃいました。」
と苦笑いしてみせると、佳央様が、
「そうね。
先に食べちゃえば?
伸びたら美味しくないし。」
と先に食べることを勧めてくれた。
私は、
「分かりました。
では、お先にいただきます。」
と言って蕎麦を啜り始める事にした。
蕎麦を数本だけ箸で摘み上げ、口に入れると一気に啜る。
蕎麦の喉越しが良い。
一気に食べたい気持ちが湧き上がるが、あまりに早く更科さん達よりも先に食べ終わると、居心地が悪くなる。
この後、私は数本づつ蕎麦を摘んでは、ゆっくりと啜っていった。
暫くすると、笊に入った蕎麦と汁が二つ出てきた。
更科さんが、笊から箸で蕎麦を摘み上げる。
少しだけ汁に浸して、一啜り。表情だけで、美味しいのが分かる。
更科さんが、
「やっぱり、新蕎麦は笊に限るわね。」
と言うと、佳央様も、
「ええ。
この方が、蕎麦の香りも感じるからね。」
と賛同する。私はそんな事は知らなかったので、これは先に言って欲しかったと残念に思いつつも、もう後の祭りと諦めた。
蕎麦も残り少なくなった頃、店の娘さんが天麩羅を運んできた。
店の娘さんは、
「揚げたてだよ!
熱いから気をつけな!」
といて、机の真ん中に天麩羅を置いていった。
蓮根、牛蒡、玉ねぎ。それぞれ1個づつ。
更科さんの眉間に一瞬皺が寄る。ひょっとすると、更科さんはそれぞれ3個づつ出てくると思っていたのかも知れない。
更科さんは表情を笑顔にすると、
「1人1個よ。
私は、蓮根をいただくわ。」
と宣言した。
佳央様が、
「じゃぁ、私は玉ねぎね。」
と取ってしまう。私は仕方がないので、
「では、残りの牛蒡が私のですね。」
と言った。牛蒡よりも、蓮根や玉ねぎの方が大きくて美味しそうに揚がっているように見えるが、文句は言わない事にする。
更科さんが、天麩羅をめんつゆにつけて食べる。
ここでの天麩羅の食べ方は、ああやるらしい。
だが、私の手元には汁の入った丼しかない。
仕方がないので、牛蒡の天麩羅をそのまま丼に入れて食べてみた。
誰も何も言わないので、これでよかったらしい。
一通り蕎麦を食べ終わった後、汁もしっかり飲み干す。
味は良かったが、量的に物足りなさを感じる。
佳央様は、
「じゃぁ、行こっか。」
と言うと、亜空間から財布を取り出し、
「ここに置くから。」
と言って立ち上がった。金額的に、全員分ありそうだ。
私は、
「蕎麦くらい、私が奢りましたのに。」
と言ったのだが、佳央様は、
「もう出したから。」
と言った。私は、
「では、次は出しますから。」
と先に宣言しておく。佳央様は、
「分かったわ。」
と了承した。
店の娘さんがいそいそと出てきて、
「これかい?」
と言うと、私達の同意も待たずに、お金を数え始める。
丁度だったようで、店の娘さんは、
「まいど。
また、ご贔屓に。」
と言って、後片付けを始めた。
更科さんと私も立ち上がり、佳央様に続いて店屋を後にする。
私は、
「お蕎麦、美味しかったですね。」
と言うと、佳央様や更科さんは、
「そうね。」
「やっぱり、新蕎麦ね。」
と満足そうに答えた。
だが、私が食べたのは掛け蕎麦の方だし、量も少なかったので、あまり満足していない。
次に食べる時は、必ず大笊にしようと決めたのだった。
作中、蘭茶の木綿の着物という表現が出てきます。
この蘭茶ですが、江戸時代に流行した四十八茶百鼠の一色で、黄土色に近い茶色となります。
四十八茶百鼠は、幕府が華美な着物は駄目だと規制したのが発端で生まれた、微か(?)に違う茶色と鼠色の総称となります。
かなり注意しないと差が分からないような色もありますので、おっさん、当時の多くの人も、色の違いを分かっていなかったのではなかろうかと疑っていたりします。(^^;)
・中間色
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