床の下
今回のお話、虫が嫌いな人はごめんなさい。
私達は、公事宿でのあの雰囲気から折角逃げ出したというのに、まだ居心地の悪さを引き摺っていた。
三人の間に会話もなく、通りを行き交う人達の声や大八車を引く音だけが聞こえてくる。
竜の里は竜人化している人達の街だから、赤ちゃんの鳴き声がない事だけが救いか。
空を見上げると、澄んだ青空に、ところどころ雲が浮かんでいる。
だが、いつまでも何も話さないというわけにもいかない。
長屋が近くなってきた頃、私は更科さんに、
「そろそろ着きますね。」
と、差し障りのない言葉をかけた。
更科さんも、
「そうね。」
と返事をする。
私は、
「そういえば、佳央様もいるのに、どうして男手が必要なのですか?」
と質問すると、更科さんは、
「長屋に着いたら、説明するね。」
と答えを先延ばしにした。
このような形で返事をする以上は、長屋に何かあるのだろう。
暫く歩いて、久しぶりの長屋に到着する。
特に変わりはなさそうに感じる。
そのまま引き戸を開け、一歩、土間に足を踏み入れる。
──何かいるのか?
何となく、床の下の一帯から嫌な気配を感じる。
私は首を傾げながら後ろを振り返ると、佳央様も更科さんも長屋の外に立ったまま入ってきていなかった。
どうしたのだろうと思って話を聞こうとした所、先に更科さんから、
「和人、大丈夫?」
と声を掛けてきた。
私は、
「床下ですか?」
と返すと、佳央様からも、
「いる?」
と確認が入った。私は、
「恐らく。
確かに、何かいる気配がします。
ですが、人とかでもありませんし・・・、何かの虫でしょうか・・・。」
と憶測で答える。すると佳央様は、
「ええ。
少し前、ご近所の長屋で白蟻が涌いたそうよ。
ひょっとしたらと思ったけど、いたのね。」
と正解を教えてくれた。安普請だからだろうか。
だが、もしそれが本当ならば、掃除どころではない。
私は頭の整理が出来ずに、
「えっと・・・。」
と言葉に詰まっていると、佳央様は、
「この前、白蟻が涌いた長屋の大家が、この辺りでも見かけと聞いたので床下を見たいって言ってきてね。
この辺りの長屋をみんな、確認して回ってるそうよ。
そう言われたら、先に一度、状況を見ておきたいじゃない?」
と簡単に経緯を教えてくれた。
見た限りだと、まだ畳の上までは侵されていないように見える。だが、気配からすると床の下だか中だかには白蟻がうじゃうじゃといるように思われる。
私は、
「分かりました。
今のところ、畳の上までは来ていないようですね。」
と言うと、佳央様から、
「それは、見れば分かるわよ。」
と眉を顰めながら指摘してきた。
私は、
「畳を退けて、下の様子を見に潜ればいいですか?」
と確認したのだが、更科さんは、
「ほら、白蟻を連れて帰っても駄目でしょ?
だから、床下には潜らずに、畳だけずらして中の様子だけ、見てして欲しいのよ。」
と説明した。私は、
「それなら、佳央様や佳織が確認しても同じじゃありませんか。
服に付いたなら払えばいいし、万が一、髪に入ってきても、お風呂で頭を洗ってから帰れば、連れて帰る心配もありませんよね。」
と提案する。
だが佳央様から、
「銭湯に白蟻を連れて行ったらどうするのよ。」
と怒られてしまった。全く以て、その通りだ。
だが、佳央様や更科さんがそうなら、私だって同じだ。
私は、
「では、私は確認した後、どうすればいいのでしょうか?」
と質問をする。
だが、意外なことに佳央様は、
「そのまま帰ったのでいいわよ。
屋敷は、白蟻除けの護符も貼って囲んであるし。」
と答えた。白蟻を連れて帰るというのは、更科さんが心配しただけのようだ。
私は、
「なら、佳央様が見ても同じじゃありませんか。」
と思わず文句で返す。だが佳央様から、
「こういうのは男手の方がいいのよ。」
と答えた。どういった論理か不明だ。
が、街に住む人の中に虫が苦手な人がいることを思い出し、私は、
「ひょっとして、白蟻が苦手だったりしますか?」
と聞くと、佳央様は、
「得意な女の子は少ないわよ。」
と苦笑いしながら答えた。田舎なら、考えられない話だ。
だが私はそれは言わないことにして、
「なら、仕方ありませんね。
私が畳をめくって、中を確認しますよ。」
と宣言した。
上がり框の上に腰を下ろす。
が、上がり框も木で出来ているから、白蟻がいるならここにもいたかも知れないと思い至り、すぐに立ち上がる。
更科さんから、
「どうしたの?」
と質問が来たので、
「はい。
上がり框を調べるのを忘れていましたので。」
と答えて、その場で上がり框に向かって中腰になる。
私が座ろうとしていた付近に、白蟻がいない事を確認する。
私は、
「ここは問題なさそうですね。」
と言ってから、再び上がり框に腰を下ろす。
草鞋を脱ごうとした時、すすぎが出来ないことに気がついた。
私はもう一度立ち上がると、更科さんに、
「すすぎをしたいので、桶に水を汲んできてもらっていいですか?」
とお願いする。
そのまま入り口に向かおうとすると、更科さんから、
「家の桶、長屋の中よ。
土間の隅にない?」
と言わてしまった。仕方がないので、桶を取りに行く事にする。
振り向くと、更科さんが言う通り、土間の隅に桶が置いてあるのが目に入る。
私は、
「ありました。」
と報告をすると、更科さんも、
「でしょ?」
と返事を返した。
桶の近くに寄ると、桶の木目に沿って小さな穴があいているのが見えた。白蟻もいるようだ。
ふと近くの柱を見ると、下の方も食われているようだったので、そこから出てきたのかも知れない。
私は、
「桶にいました。
柱も、食われているようです。」
と報告すると、佳央様から、
「いたならもういいわ。
すぐに戻ってきて。」
と言われた。
この感じだと、床下の気配も白蟻なのだろう。
私は、
「分かりました。
すぐに出ます。」
と言って、長屋の外に出る。
佳央様が目を瞑っている。
恐らく、床下を見たいと言っていたご近所の大家さんにでも、念話をしているのだろう。
私は更科さんに、
「これ、修行が終わった後、戻れるのですかね。」
と確認すると、更科さんは、
「多分、無理なんじゃない?
別の所に、引っ越さないと。」
と困り顔で答えた。
私は、
「佳央様は、念話中でしょうかね。」
と更科さんに聞いてみると、更科さんも、
「多分そうじゃない?
仮に相手がそこの大家さんなら、これからの事とかも聞いてるんじゃないかな。」
と答えた。私は、
「そうですね。」
と相槌で返す。
佳央様が目を開け、
「大体、話は着いたわ。」
と話し始めた。更科さんが、
「大家さんと?」
と確認すると、佳央様は、
「ええ。
詫び金はくれるそうよ。
でも、敷金と礼金くらいかしらね。」
と答える。この口ぶりからすると、具体的な金額も聞いたのかも知れない。
私はふと、
「実は、こちらの長屋が先ということは・・・。」
と確認すると、佳央様は、
「それは無いわね。
先日までこんな気配、無かったから。」
と断言した。佳央様が言う事なら、間違いないだろう。
私は、
「なるほど、なら大丈夫ですね。」
と言った。佳央様が、
「そうそう、桶は処分して。」
と言い出す。
私は緊張しながら、
「証拠隠滅ですか?」
と聞いたのだが、佳央様は嫌そうな顔をして、
「違うわ。
広がらないようによ。」
と言った。確かに、ここから更に被害を広げるのは良くない。
私は、
「あぁ、そう言う事ですか。」
と胸を撫で下ろし、
「それで、どうやって処分しますか?」
と質問をした。佳央様は、
「そうね・・・。
竈に焚べて、燃やすのが簡単じゃない?」
と提案してきた。私は、
「いいですね。
それで、誰が竈まで持っていくのですか?」
と質問すると、佳央様と更科さん、二人無言で私を指さした。
私は、
「冗談はさておき、どうしましょうかね。」
と逃げの手を打つ。更科さんが、
「和人、他にいい手、あるの?」
と聞いてきた。私は、
「佳央様に熱湯を出してもらって、それを桶に掛けるというのはどうでしょうか?」
と質問をする。佳央様が、
「白蟻を馬鹿にしすぎね。
お湯を掛けたくらいじゃ、死なないわよ?」
と言った。私は、
「そうなのですか?」
と聞いたのだが、佳央様は、
「あれよ。
お湯を入れた桶を持っても、あまり熱くないでしょ?
あまり効果ないのよ。
専用のお薬もあるくらいだし。」
と指摘する。私はそう言うものなのかと思いながら、
「なら、そのお薬を買いに行きませんか?」
と聞いてみる。だが佳央様は、
「家まるごと使うものだから、少量では売ってない筈よ。
店でも始める気?」
と逆に聞かれてしまった。
当然、白蟻を駆除する仕事を始める気は一切ない。
私は、
「いえ。」
と首を横に振った後、
「なら、そのお薬、作り方知りませんか?
もし分かるなら、自分たちで作れませんかね?」
と更科さんに確認したのだが、更科さんは、
「あの薬、確か毒だった筈よ。
だから、自分たちで作るのは止めたほうが良いと思うわ。」
と答えた。私は、
「それなら仕方ありませんね。」
と言った後、冗談で、
「いっそ、重さ魔法で桶ごと潰してしまいますか?」
とふざけてみた。
すぐに佳央様からは、
「いいんじゃない?
やってみたら。」
と冷たく言われてしまった。
だが更科さんは、
「物は試しって言うし、やってみたら?」
と意外と乗り気だ。私は冗談のつもりだったが、更科さんが乗り気だったので、
「では、試してみますね。」
と言ってまた長屋に入る。
後ろから更科さんが、
「本気だったんだ・・・。」
と言っているのが聞こえてきたが、長屋に入った手前、何もしないのも恥ずかしい。
私は、そのまま桶の側に行き、
「では。」
と言って気合を入た。
重さ魔法で、桶をぎゅっと絞ってみる。
桶には蟻道が出来ているのですぐに壊れるだろうと思っていたが、意外に頑丈で壊れない。
徐々に、魔法を強くしていく。
ピキッと音がし、木目の一つに罅が入る。
だが、それだけ。まだ、桶は重さ魔法に耐えている。
更に、魔法を強く込める。
想像以上に頑丈で、なかなか壊れない。
佳央様から、
「そのまま、竈に持っていって焼いたら?」
と提案を受けたが、私は意地になってしまい、
「いえ、もう少しですから。」
と言って、思いっきり魔力を込めた。
バフッ!
音の間抜けさの割に、やった本人も驚きの大音声。
一気に、桶が一点に集約される。
音に思わず、重さ魔法を解いてしまう。
ザッと、潰れた桶の残骸が床に落ちる。
いや、よく見ると残骸ではなく、燃えて灰になっているように見える。
少し間を置いて、佳央様から、
「ちょっ!
ご近所迷惑でしょ!」
と怒られた。
私もそう思ったので、
「申し訳ありません!」
とすぐに謝ると、佳央様から、
「謝る相手が違うわ。」
と指摘が入る。私は、
「ソウデスネ。」
と返した。
私は、
「佳央様、桶が灰になったようですが・・・。」
と見たままを報告すると、佳央様は、
「それで、白蟻は?」
と聞いてきた。私は、
「全部灰なので、一緒に燃えたのだと思います。」
と答えた。更科さんが、
「ひとまずそれ、竈の中に入れちゃって?」
と指示を出した。竈でもない所に灰があるのは、不自然だ。
小さな箒はあるのだが、中に白いのがいたらと思うと使う気になれない。
私は重さ魔法を使い、灰を竈の中に移したのだった。
作中、桶が出てきます。本文では記載していませんが、現代と違ってプラスチックはありませんので、木の板に竹で作った輪っか(箍)を嵌めて固定して作ったものとなります。
この桶ですが、江戸時代、桶が壊れた時はすぐに買い換えようとはせず、普通は箍屋に持っていって修理して使っていたそうです。
現代は、新品を買ってもらって、壊れた後はゴミに出す。物が売れれば、金(経済)が回るという仕組みで社会が出来上がっているます。近年、大量消費するだけでは地球に優しくないということで、リサイクルが強調されるようになってきました。ですが、そもそも修理をして長く使う議論は(修理業者を除いて)少ないような気がします。
おっさん家の冷蔵庫は2001年製なのですが、最近、コンプレッサーの音が高い事があります。そろそろ買い替えの時期が来たのだろうと感じているのですが、コンプレッサーだけ修理して、もう10年使ったりとか出来ないかなと思う今日この頃です。
あと、江戸時代の銭湯では、洗髪はしませんでした。
家の縁側で、たらいを置いて洗っていたのだそうです。
こちらは、お話の中だけという事でお願いします。
もうひとつ、作中、白蟻を護符で避けるという話が出てきました。
現代人からすれば鼻で笑うような話ですが、江戸時代、本当にシロアリ対策で御札を使ったという話をweb上で見かけた事があります。(出典は謎ですが・・・。)
勿論、こちらも効果があるのはお話の中だけという事となります。
・桶
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A1%B6&oldid=84937773
・箍
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AE%8D&oldid=74060547




