井戸の蓋の犯人
昼食の後、座敷から道場に移動する。
古川様が、石の乗った三方を出してくる。今日は、これを使って実習するのだろう。
なんとなく、この石を魔法で見てみる。
特に変わった様子はない。つまり、呪われていないように見える。
この石、一体何に使うのだろうか?
これからあの石に呪いを掛けるのだろうか?
そんな事を考えていたのだが、清川様が、
「では始めるぞ。」
と午後の修行の開始を宣言する。
あの石、実は呪いがかかっているのか?
また、細い紐の時と同じく私に見えていないだけなのか?
そう考え、石をじっくりと観察することにした。
清川様が、
「午前中、随分と紐付きについて詳しく聞いておったからの。
これからその石に、紐付きの呪いを掛けよ。」
と今日の課題を説明した。
寝耳に水だ。
私は、
「呪いの掛け方も解らないのに、紐付きなんてとんでもありません。」
と抗議したのだが、清川様は、
「それはそうじゃ。
ちゃんとした呪いなど、期待しておらぬ。
要は、紐付きを出して、その紐を通して魔法の紋様が分かればよいのじゃ。」
と言ってきた。
確かに午前中、私は紐を通して魔法が感じられるように精進するとは言った。だが、まさかこれからやるとは思わなかった。しかし、精進すると言った手前、逃げ出すわけにもいかない。
私は、
「ちゃんとした呪いでなくても良いと申しますと?」
と質問をして、清川様から情報を引き出すことにする。
清川様は、
「先日、山上は石に何の効果もない呪いを掛けたであろう。
あれの紐を切らねば良いだけじゃ。
解るか?」
と聞いてきた。あの呪いは単に周りから集めただけなので、自分で出したりするのは難しい。
私は素直に、
「いえ、解りません。」
と答えた。清川様は、
「左様か?
あそこまで出来ておれば、すぐにできそうなものじゃがな。
まぁ、試しじゃ。
やってみよ。」
と言われてしまった。どうやったら良いか分からない。
困った私は、とりあえず先日やったように、石にそこらから呪いを集めてみる。
前と同じく、目の前の石が呪われる。
恐らく、今回も何の効果も持たない呪いになっているに違いない。
ひとまず、ここから指で摘んで紐を引っ張り出せないかと試してみる。
しかし、この試みは上手くいかなかった。スッと指が通り抜けてしまうのだ。
何度か摘もうとしているうちに、呪詛返しの実習の時、紐を掴めなかった事を思い出す。
学習していない自分に、思わず苦笑いが出る。清川様が、困った顔で私を見ている。
重さ魔法で、無理やり紐を引き出せないだろうか。
そう思い、指先に重さ魔法を集めて呪いの塊を触り、引っ張り出してみる。
少しだけ、重さ魔法に引かれて呪いの形が変わる。だが、糸を引くような事は無かった。
腕を組んで考える。
何も思い浮かばない。
私は、
「申し訳ありませんが、清川様。
試しにやってみていただけませんか?」
と聞いてみた。清川様は、
「なるほど、うっかりしておった。
実際にやってみせねばの。」
と言って、早速石の前に立つと、大麻を出す。
清川様が石を大麻で撫でると、呪いがさっぱり消えた。
清川様があの呪いの塊から紐を出すのだろうと思っていたので、肩透かしを食らった気分になる。
私は文句を言おうと思ったのだが、次の瞬間には清川様は、新しい呪いを出していた。
しっかり、石と右手の人差し指が細い紐で繋がっている。
余計なことを考えている間に、事が終わってしまった。だからといって、見逃したから、これからもう一度やってくれとも頼み辛い。
とにかく、目の前の魔法をよく見ることにする。
私は、
「もう少し寄って、細かく見させて下さい。」
とお願いすると、清川が、
「うむ。」
と許可を出す。
私は石に近づき、呪いのかかった石の紐が出ている所や、清川様の人差し指を観察する。
何もわからない。
清川様の手を取ってもっとよく見ようとした所で、清川様が右手を胸に引き寄せながら、
「何をしようとしておる?」
と怒られてしまった。
私はハッとして、
「すみません。
もっと細かく見たかったものですから。」
と返すと、後ろから古川様が、
「見るなら・・・掛ける所じゃない・・・の?」
と突っ込みが入った。私は、
「それを言い始めると、何度もお願いする事になります。
それは流石に、迷惑だろうと思いまして・・・。」
と返すと、清川様から、
「なに、遠慮することはない。」
と言った後、少しニヤリとして、
「手を握られる方が迷惑じゃしな。」
と揶揄うように言ってきた。
私は、
「申し訳ありません。」
ともう一度謝っておく。
清川様が、
「では、もう一度の。」
と言って、大麻を構える。
今回もまた、一度、石を解呪する。
清川様の所作を、隈なく確認する。勿論、見るのは魔法の方だ。
そうやって見えたのは、人差し指から紐のような紫魔法が出たかと思うと、それが一直線に石に絡まる様子だった。呪いを掛け終わっても、人差し指からの紐は消えていない。
私は、
「これは、私には出来ないやつですね。」
と素直に話した。すると清川様は、
「何故じゃ?」
と不思議そうに聞いてきた。
私は、
「その・・・。
魔法を集めるのは得意なのですが、出すのは苦手でして・・・。
ましてや、使ったことのない紫魔法は難易度が高すぎます。」
と説明した。清川様が暫く考え、
「・・・ん?
という事は、あれか。
さっきの呪いは、どこから集めたのじゃ?」
と質問をしてきた。私が、
「さぁ。」
と答えると、
「『さぁ』とは何事じゃ。
これは、由々しき事態やも知れぬぞ。」
と困り始めたようだ。
私は心配になって、
「そうなのですか?」
と聞くと、清川様は、
「うむ。
呪いはいろいろな所に使われておっての。
先日も、井戸の蓋に仕込んで侵入者を阻んでおったじゃろう?
あれは、物を固定する呪いの一種じゃ。
他にも、家にかけて屋根を補強したり、雨漏りせぬようにしたり、地震が来ても家が壊れにくくしたりも出来るのじゃ。」
と説明した。これは、思わぬ応用法だ。
私は、
「そちらの方が、色々と有用じゃありませんか。
何で、こっちを先に教えてくれなかったのですか?」
と思わず文句を言ったのだが、清川様から、
「戯けが。
解呪の方が、簡単じゃからに決まっていようが。
それよりも、どこの呪いが解けたかが問題じゃ。」
と怒られてしまった。
清川様が、5尺くらいの間を行ったり来たりし始める。
真剣に考えてくれている様子から、状況の悪さが伝わってくる。
私は、
「そんなに不味いのですか・・・?」
と窺うように質問すると、清川様は、
「そうやも知れぬし、そうでないやも知れぬ。
判らぬのじゃ。
ゆえに、呪いを掛けたものを点検してもらわねばなるまい。
これは、大掛かりな事となろう。
ひとまず、周囲を調べるように伝えねばの。」
と言って、道場を出ていってしまった。
私は残っている古川様に、
「どうしましょうか?」
と尋ねた所、古川様は、
「どうにもならないわ・・・ね。
例え知らなかった・・・とは言え・・・ね。」
と残念そうに言う。
私は、
「また、牢屋でしょうか?」
と聞くと、古川様は、
「そこまでは・・・。
いえ、・・・でも、・・・お屋敷も大きいし・・・あるいは・・・。
でも、・・・どうかな・・・。」
とはっきりしない。
私は、
「ひとまず、佳央様に知らせてきます。」
と言うと、古川様が、
「それがいいわ・・・ね。」
と同意した。
私は、
「では、行ってきます。」
と挨拶をして道場を出ようとした。
後ろから古川様が、
「そう言えば・・・。」
と話し始める。
私は、まだ他にもあるのだろうかと思いながら足を止めて振り返り、
「何でしょうか?」
と確認する。すると、古川様は、
「先日の井戸の騒ぎ・・・。
確か、・・・解呪の実習の後よ・・・ね?」
と言い出した。私は、
「井戸の騒ぎですか?」
と首を傾げた。
あれは確か、呪いを集めたのは一昨昨日だった筈なので、少し間が開いていないだろうか。
私は、
「あれも、私が犯人かも知れないということですね?」
と半信半疑で聞くと、古川様は、
「そう言う事・・・よ。
まだ、・・・断定は出来ないけど・・・ね?」
と答えた。断定は出来ないと言ってくれているが、表情から確信を持って言っているように見える。
古川様が、
「解けたからと言って、・・・すぐにズレるとは、・・・限らないから・・・ね?」
と付け加える。
これは、私が犯人の可能性が高いのではないか?
そう思うと、私は危機感を覚え、
「それも併せて、伝えてきます。」
と言って道場を後にする。
私は焦る気持ちを抑えながら、早足で佳央様を探し始めたのだった。
今回は、前回に頑張りすぎて(?)江戸ネタを仕込んでいなかったので、どうでもいい話を一つ。(^^;)
作中、山上くんが『流石に』と言っています。
この流石、変な読み方なだけあって当て字なのだそうです。
語源辞典によれば『サスガニのサは「さも有りなむ」などと使う指示副詞「然」、スはサ変動詞「為」の終止形、ガニは助詞』とのこと。これがどういう訳か『流石』の当て字をするようになったのだとか。有力なのは、『漱石枕流』を語源とする説だそうです。
漱石枕流と言えば、夏目漱石の『漱石』もこの故事に由来するそうです。
そう言えばおっさん、小学生の頃に夏目漱石の伝記を読書感想文で書いたのですが、未だに夏目漱石の作品を一つも読んでいなかった気が・・・。(^^;)
・流石
山口佳紀『暮らしのことば 語源辞典』講談社, 1998年, 299頁
・さすが
https://ja.wiktionary.org/w/index.php?title=%E3%81%95%E3%81%99%E3%81%8C&oldid=1571039
・流石
https://ja.wiktionary.org/w/index.php?title=%E6%B5%81%E7%9F%B3&oldid=1478878
・する
https://ja.wiktionary.org/w/index.php?title=%E3%81%99%E3%82%8B&oldid=1418720
・漱石枕流
https://ja.wiktionary.org/w/index.php?title=%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E6%9E%95%E6%B5%81&oldid=1589049
・夏目漱石
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3&oldid=85902134
正岡子規のペンネーム「漱石」を譲り受けて、夏目漱石と名乗ったのだそうです。




