すぐに帰ったので
実習も終わりこれから座学という時、下女の人が道場に現れた。
下女の人は、
「申し訳ありません、清川様。
暫し、お話しても大丈夫でしょうか?」
と声を掛けてきた。
清川様は怪訝そうな顔で、
「なんじゃ?
手短にな。」
と返す。下女の人は、
「ありがとうございます。
先程、蒼竜様がいらっしゃいました。
しっ、・・・こほん。
田中様の件でお話したいとの事で、座敷に参ってございます。」
と要件を話すと、清川様は、
「蒼竜殿か。
まぁ、よかろう。」
と行って入り口に向かおうとしたのだが、すぐに体をこちらに向け、
「そうじゃな・・・。
どうせ、山上も話を聞きたかろう。
今日は、ここで止めにするかの。」
と言って、古川様の方を見た。
古川様も、
「たまには、・・・いいんじゃない・・・かな。」
と同意する。
清川様は、
「山上とムーちゃんもそう言うことじゃ。」
と言った後、
「いつもの座敷でよか?」
と確認をする。『いつもの座敷』と言うのは、普段ご飯を食べている座敷の事を言っているのだろう。
だが下女の人は、
「いえ、本日は別の座敷にございます。
案内いたしますので、付いてきて下さい。」
と話した。屋敷が広いだけあって、座敷も沢山あるのだろう。
清川様は、
「うむ。」
と返事をすると、私達にも、
「いくぞ。」
と声を掛けた。
渡り廊下を歩き、いつもと違う座敷へと向かう。
今回、清川様と古川様は上座でも問題ないのだが、私の立場が微妙だ。そのまま入れば、蒼竜様を上から見る形となる。
私はどうしたものかと思い、
「部屋の外で待っていたほうが良いでしょうか?」
と古川様に確認した。すると古川様は、
「・・・ん?」
と不思議そうに聞いてきた。私は、
「一緒に入ると、私は清川様や古川様と並ぶ形になると思います。
ですが、それでは私が蒼竜様の上座に座ることになります。」
と理由を説明した。古川様は、
「・・・そうね。」
と言った。反応が薄いので、あまり伝わっていないようだ。
私は、
「蒼竜様の上座に座るのは、気が引けるのですが・・・。」
と説明すると、清川様が、
「ならば、外で控えておれば良い。
別に、座敷の外でも話は聞けるじゃろう。」
と提案した。古川様も、
「そう言うこと・・・ね。」
と納得したようだ。私は、
「はい。
そう致します。」
と外で待つことにした。
いつもとは違う座敷に着き、清川様と古川様が入っていく。
座敷の障子は、空けたままだ。
私は、蒼竜様に会釈だけして、廊下でおかしこまりをした。
廊下は固く、座布団もない。足がしびれるので、あまり長く座りたい所ではない。
下女の人が、私の隣に楚々とした所作で座る。
清川様が、
「蒼竜よ。
話すが良い。」
と発言の許可を出す。蒼竜様は、
「はい。
本日、午後になりましたが、未だ田中が出てきません。
何か聞いていないかと思いまして。」
と質問をした。
清川様は、
「なるほど、そうであったか。
が、こちらは午前中で一区切りしたと聞いておる。
既に出てきておるか、そうでなくとも直ぐであろう。」
と答える。すると眉間に皺を寄せた蒼竜様が、
「そうでしたか。
ならば、少し早まったのやもしれませぬ。」
と言った後、話を聞いて気になったのだろう。
「それで、一区切りと申しますのは・・・。」
と次の質問をした。
清川様は、
「ここで話してもよいが・・・。
現場の者が話すが妥当じゃろう。
すぐに出てこなんだのであれば、こちらの知らぬ何かが起こったやも知れぬしの。」
と直接回答するのを避ける。
蒼竜様は、
「現場の者ですか。
分かりました。
もう一度、神社に行って参ります。」
と言うや、
「これにて、失礼つかまつる。」
と言って座敷を下がっていった。
蒼竜様が思ったよりも、早く帰ってしまった。
それに、新しい情報もない。
時間も、夕食まではまだ1刻くらい残っていそうだ。
私は道場で修行の続きをするだろうと思い、
「清川様。
まだ、夕食まで時間がありますが如何しますか?」
と質問すると、清川様は、
「そうじゃな・・・。
まぁ、奥方殿の所にでも行って、最近会えなかった時間を埋めてくるがよいじゃろう。」
と笑いながら答えた。
私は嬉しい誤算に、
「それは、ご配慮ありがとうございます。
これから出掛けるには少し時間も短いので、雑談でもしてきます。
時間もありませんし、早速失礼させていただきます。」
と笑顔で言うと、清川様は、
「うむ。
そうするがよかろう。」
と頷いた。
私は早速立ち上がり、座敷を立ち去ろうと思ったのだが、今、佳央様や更科さんがいる場所がわからない。
佳央様や更科さんの気配なら判る自信があったので、二人を気配で探してみる。
私はどうせ屋敷の何処かにいるだろうと思ったのだが、すぐには見つける事が出来なかった。
下女の人が何人も動いているので、それに紛れて分からなくなっているのかも知れない。
仕方がないので、気配で探すのは諦め、足で探すことにする。
先ずは、佳央様の部屋に行ってみる。
佳央様の部屋に近づいたのだが、部屋に人がいる気配はなかった。
私は他を探しに行こうと思ったのだが、朝、侵入者が紛れているかも知れないと聞いたのを思い出した。
ひょっとしたら、侵入者が気配が漏れないように結界か何かを張っているのかも知れない。
そう思うと居ても立っても居られず、早足になる。
佳央様の部屋についたので、そっと障子を開けて中を覗いてみる。
誰もいない。
私は小さな声で、
「佳央様、佳織、居ますか?」
と声を掛けてみる。
特に返事はない。
念の為、障子を開けて中を確認するが、やはり誰も居なかった。
私は障子を締めて、私と更科さんが割り当てられた部屋に移動した。
部屋の中には気配はなかったので、佳央様の部屋の時と同じ様に中を覗いたり、
「佳央様、佳織、居ますか?」
と声を掛けてみた。
特に返事はない。
念の為、中を見たが、やはり誰も居なかった。
二人は、一体何処にいるのだろうか?
ひょっとして、侵入者に捕まっているのか?
なんとなく、悪い方向に考えが行ってしまう。
他に心当たりもないので、いつもご飯を食べている座敷に行ってみる。
座敷の中では、下女の人が掃除をしているだけで、他には誰もいなかった。
私は、
「仕事中、申し訳ありません。
佳央様と佳織を知りませんか?」
と声を掛けてみた。すると下女の人は、
「これは、山上様。
少々お待ち下さい。」
と言ったかと思うと、念話でもしているのだろうか。少し間を置いて、
「今日は、お出かけになったようにございます。
急用でしたら、ご連絡しますが。」
と提案してくる。
確かに私が修行をしている間、二人が二六時中、屋敷にいる必要はない。
私は、
「ありがとうございます。
でも、折角二人でお出かけしているのでしたら、連絡は不要です。
単に、こちらの都合で時間が出来ただけですので。」
と返事をした。
下女の人は、
「・・・?
まぁ、宜しいですが。」
と何か引っかかったようだ。私は、
「どうかしましたか?」
と聞いたのだが、下女の人は、
「いえ、何もありません。
言った所で、差し出がましいだけですし。」
と返した。そういう言い回しをされると、かえって気になる。
私は、
「差し出がましいなどと申しませんので、仰って下さい。
何となく、気になりまして・・・。」
と苦笑いしながらもお願いする。
下女の人はしまったという顔をして、
「申し訳ありません。
余計なことを言ったようで。」
と謝った後、
「結婚をしているのに、遠慮していると感じたものでつい・・・。」
と簡潔に話してくれた。
私は心当たりがあったので、
「遠慮ですか。
それはまぁ、確かに。
やはり夫婦とは言え、余計なことをして佳織に嫌われたくありませんから。
それを遠慮と感じたのであれば、そうなのかも知れません。」
と説明した。すると下女の人は少し驚いた表情で、
「そうでしたか。
しかし、そのように思うは付き合いたての男女くらいだと思っておりましたが、夫婦でもいるものなのですね。」
と感心したようだ。私は思わず、
「そうなのですか?」
と聞くと、下女の人は、
「まぁ、人それぞれなのでしょう。
初々しくて何よりです。」
と答えた後、
「それでは、私は失礼します。」
と言って、そそくさとこの場を立ち去った。
手持ち無沙汰になる。
何か用事はないだろうか?
そう考えていると、ふと、今朝の侵入者の話を思い出した。
気配から、下女の人達がいそいそと動き回っているはずなので、まだ捕まえられていないのかも知れない。
そう考え、気配を探りながらお屋敷の中を歩き回ることにした。
少し歩くと人の気配がしたので、そっちの方に行ってみる。
すると、先ほどとは別の見知らぬ下女の人がいた。
この人が侵入者なのだろうか?
顔を見たが、よく分からない。
そもそも、私にはお屋敷にいるほとんどの下女の人達と面識がない。つまり、侵入者かどうかの判断が出来ない事に気がついた。
下女の人から、
「私の顔に、なにか付いてますか?」
と声を掛けられた。私が顔をまじまじと見たせいだろう。
私は、
「申し訳ありません。
何でもありません。
遠目から、知っている下女の人かと思いましたが、違ったようです。」
と言って誤魔化してみる。だが下女の人から、
「それで、このような場所にどのようなご要件で?」
と逆に質問された。
私は咄嗟に、
「いえ、今日は修行が中断となりましたので、散歩がてら、どうせならお屋敷中を見て回ろうかと思いまして。」
と答える。すると下女の人から、
「なるほど、お時間を持て余しておいででしたか。
ですが、あまり人に立ち入ってもらっては困る場所もあります。
申し訳ありませんが、あまり案内されていないような所には行かなよう、自重をお願いして宜しいですか?」
と苦言を呈されてしまった。なるほど、ご尤も。
私は、
「申し訳ありません。
座敷にでも戻ろうと思います。」
と言って、この場を後にした。
これ以上の侵入者探しは、止めたほうが良さそうだ。
仕方がないので、少し早いがいつもご飯を食べている座敷に移動する。
だが、座敷に着いた所で、話す相手がいるわけでもない。
私は皆が戻ってくるまでと思い、久しぶりに気配を消す練習を始めたのだった。
作中、『二六時中』と書いている所がありますが、これは『四六時中』の誤記ではありません。
江戸時代、十二時辰と言って子の刻から亥の刻まで十二支で時間を表していました。
二六時中というのは、2かける6で12ですから、12時中、つまり一日中という意味になります。
あと、『廊下でおかしこまりをする』と書いている所がありますが、『おかしこまり』というのは正座の事です。
随分前ですが、『織り込み済み』の後書きでも説明していますね。
・二六時中
https://ja.wiktionary.org/w/index.php?title=%E4%BA%8C%E5%85%AD%E6%99%82%E4%B8%AD&oldid=1183159
・十二時辰
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%99%82%E8%BE%B0&oldid=85558238




