3割進んだらしい
午前の座学も終わり、昼食のために清川様や古川様、後はムーちゃんと座敷に向かって廊下を歩く。
朝見かけた水たまりは多少は小さくなっているのだが、冬に近い陽の力では消し去るには力不足のようだ。
途中、廊下で何人か、いそいそと歩く下女の人とすれ違う。
まだ、井戸の件が解決していないのかもしれない。
座敷に入ると、佳央様と更科さん、後は昼食の準備をしている下女が2人いた。下女の人と言えど、流石に偉い人のお屋敷で働いているだけあって、膳を整えている姿さえどことなく品がある。
午後を過ぎたのであれば蒼竜様も来ているだろうと予想していたのだが、部屋にいる様子はない。
私は更科さんに、
「蒼竜様は、まだ来ていないのですか?」
と質問をすると、更科さんは、
「うん。
まだ、午後になったばかりだからじゃない?」
と答える。
今日は先勝なので、午前中は吉。
正午になって切り上げるにしても、作業というものには切れの善し悪しがある。
それを考えると、午前中に作業を終えるためには、余裕を持って後片付けをしているのではないか。
だが、逆にどうしてもギリギリまで作業をしなければいけなかったからとも考えられる。
私は、
「切れが悪かったのでしょうかね。」
と更科さんに聞いたのだが、ここは清川様が、
「上手く行って、今頃は昼食やも知れぬぞ?」
と苦笑いした。確かに、今はそういう時間だ。
私は、
「なるほど、それは思いつきませんでした。
ですが、それならば清川様にも一報があると思いますが、いかがでしょうか。」
と切り返す。清川様は、
「まぁ、確かに。」
と納得し、
「それであれば、今日も上手く行かなかったと考えるが自然か。
なるほど、山上のいう通り切れが悪かったのやも知れぬな。」
と答えた。
私は、
「そういえば、巫女様は失敗しないと見通したから、受けたのではなかったのですか?」
と質問をしてみた。
清川様は困った顔で、
「私も最初はそのように思ったのじゃが、どうも違うようじゃ。」
と苦笑いした。
私は、
「それでは、やはり失敗ということもありうるのですね?」
と確認すると、今度は古川様が、
「それでも何か、・・・勝算はある筈・・・よ?
落とし所を、・・・何処にしたかが問題・・・ね。」
と答えた。清川様が、
「まぁ、何かあれば、念話で伝えてくる筈じゃ。
何。
こちらでいくら気を揉んでも、結果も変わるまい。
先ずは、食事とするかの。」
と昼食を摂るように促した。
清川様に念話が入っていないという事は、きっと蒼竜様もまだ来ないだろうと思った私は、
「そうですね。
いただきましょうか。」
と同意して、皆で昼食を食べ始めた。
昼食が終わり、お茶を頂きながら談話する。
更科さん曰く、このお茶は『濃茶』と言うそうで、『おこい』とも呼ぶらしい。苦味や渋みが少ないので、高級品なのだそうだ。
お茶請けは、かりんとう。
甘くて美味しい。
いつもなら、これから午後の修行という頃合いになる。
清川様は、
「山上、先に道場に行って瞑想でもしておれ。」
と指示をした。
私は、
「念話ですか?」
と聞くと、清川様は、
「うむ。
そろそろと思うのじゃが、まだ来ぬからの。
今日は一旦部屋に戻り、来るまで待とうと思うておる。」
と答えた。私は、
「それならば、道場でも同じではありませんか?」
と聞いたのだが、清川様は、
「いや。
道場に行けば、気を散らすやもしれぬ。
もし、半刻過ぎて私が来ぬなら、呪詛返しの練習でもするがよかろう。」
と言った。
私は、
「では、古川様は道場にいらっしゃるのですね。」
と言うと、古川様も、
「そうね。
私も、・・・その、・・・少しソワソワするかもだけど・・・ね?」
と答えた。
私は、
「それは、仕方がないと思いますよ。
多分、私も集中出来るか分かりませんし。」
と話した。佳央様が、
「質の高い修行が出来ないなら、明日にしたら?
時間の無駄じゃない?」
と呆れ顔だ。清川様が、
「そうであるな。
・・・うむ。
それでも良かろう。」
と言って、午後の修行は中止となった。
更科さんが、
「じゃぁ、和人。
折角だし、街に行ってみる?」
と提案してきた。私は、
「名付けがどうなったか、すぐに話を聞きたい・・・」
と言いかけた所で、更科さんのジト目が気になり、慌てて、
「・・・ところですが、こっちに戻ってきてから全く佳織との時間を取れていませんでしたし、丁度いいかもしれませんね。」
と意見を返た。更科さんが、笑顔になる。
佳央様が、
「まぁ、そうね。
私も暇だし、出掛けようかな。」
と一緒に行くようだ。
私は、
「それはいいですね。
佳央様も念話が出来ますから、何かあったらすぐに分かりますので、同行してもらえると有り難いです。」
と笑顔で言うと、更科さんはボソリと、
「二人で出掛けたかったな・・・。」
と少し不満そうに呟く。
私は、
「そのうち、二人きりで出掛けましょうね。」
と言うと、更科さんは、
「約束ね。」
と機嫌が直った。
それを聞いた佳央様が、
「お邪魔で悪かったわね。
私だって、赤竜帝からなるべく一緒にいるように言われてなかったらついて行かないわよ。」
と苦笑いする。
更科さんが、
「なるべくなら、たまに半日くらい離れててもいいんじゃない?」
と笑顔で反論する。だが、佳央様は、
「それなら、次に赤竜帝とお目通りがかなった時にでも聞けばいいんじゃない?
今迄も機会はあったのに、聞かなかったみたいだけど。」
と嫌そうな顔で反駁した。
なんとなく、今日は二人の機嫌が悪いらしい。
私は、
「何かありましたか?」
と聞くと、二人揃って、
「「何も。」」
と不機嫌に答えた。
これでは、どうして機嫌が悪いか分からない。
私はこの話を棚上げにすべく、
「一先ず、外に出ますか。」
と二人に話してみる。
佳央様が、
「そうね。」
と言うと、更科さんも、
「そうしましょうか。」
と同意したが、すぐに、
「じゃぁ、部屋でお着替えね。」
と楽しそうだ。
私達は早速部屋に移動しようと思ったのだが、清川様が、
「暫し待て。
念話が来た。」
と言って口を閉じる。間が悪い。
暫く、無言となる。
恐らく、誰かと念話で話しているのだろう。
途中から、古川様も何やら頷き始めたので、こちらにも念話が入ったのだろう。
だが、古川様の念話は、すぐに終わったようだ。
それから四半刻くらい時間が経ち、清川様もようやく念話が終わる。
清川様は、
「何とも微妙な話が届いたぞ。」
と話し始めた。
私は、
「何と連絡があったのですか?」
と合いの手を入れると、清川様は、
「うむ。
田中の名付けは3割進んだとの話じゃ。
難しいとは思っておったが、これ程とはの。」
の険しい顔で答えた。
私は、
「それでは、まだ当分は名付けが続くのですか?」
と質問をすると、清川様は、
「いや、日を改めるそうじゃ。」
と答えた。明日は、友引だからだろうか。
どうやら、今回はここまでとなるようだ。
しかし、これは成功なのだろうか。それとも失敗なのだろうか。
話をそのまま信じるなら、3割進んだので、少しはましになったとも言える。
だが、今回で名付けが終わったわけではない。
私は、
「なるほど、そうですか。
何にせよ、少しは進んだのであれば良かったです。」
といい方の感想を言ったのだが、古川様が、
「まだ、・・・終わってない・・・かな。
結果が出てないのに、・・・良かったというのは良くない・・・よ?」
と指摘してきた。
古川様からすれば、良かったか悪かったかを判断するのは時期尚早という立場のようだ。
私は、
「確かに、そうですね。」
と頭を掻く。
だが清川様は、
「まぁ、そう悲観する事もあるまい。
目処がたったから、3割と具体的な数字が出てきたのじゃろう。
それであれば、後、二〜三回ほど日程を組んで解呪すれば名付けが終わる計算となる。」
と状況を説明した。
この後、清川様は、
「これで、田中の話は一旦終わりじゃ。
山上は、これから修行するぞ。」
と言って座布団から立ち上がり、座敷の外に向かって歩き始めた。
どうやら、今日の外出は取りやめになったようだ。
清川様もそれを気にしたようで、座敷を出る直前に一度振り返ると、
「それとの。
佳央殿と奥方殿には、糠喜びさせてすまんの。」
と謝る。
更科さんが、
「いえ、修行が優先ですので。」
と表情はともかく、出来た答えだ。
私も、
「ごめんなさい、佳織。
次の機会があれば、今度こそ一緒に出掛けましょうね。」
と更科さんの機嫌を取ってから道場に向かったのだった。
作中の濃茶は、抹茶を少なめのお湯で練るようにしたお茶です。
後、かりんとうの方は元々別の名前のお菓子だったようです。
なんでも、江戸時代に江戸深川で「花りんとう」という名で売り出され流行したそうで、その後、元のお菓子の名前が知られていなかったからなのか、流行にあやかろうと他の人たちも同じ名前で売ったからなのかは謎ですが、そのままお菓子の名前として定着した模様。
現代なら、商標登録か何かの関係で怒られそうな話ですね。(^^;)
・抹茶
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%8A%B9%E8%8C%B6&oldid=84518629
・かりんとう
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%86&oldid=84304891




