どんな事に役立つか
午後の座学が終わったムーちゃんと私は、明日の準備をするという清川様や古川様よりも一足先に座敷に戻ることとなった。
今は、黄昏時と言うには少し早い時間。
道場から外に出ると、雨が降る前の土の匂い。風も少しある。
空を見上げると、昼間、出始めていた雲がずいぶんと分厚くなっていた。
もうすぐ、雨が降り始めそうだ。
私はムーちゃんに、
「先に座敷に戻っていてくれますか?
少し、厠に行ってきます。」
と声を掛ける。
戻る前に振り始めてはかなわないので、小走りで向かう。
井戸の近くの柳が、ひんやりとした風に揺れている。
厠で用を足し、そこにあった瓶の水で手を洗う。
手を振るって水滴をはらい、懐に手を入れたまでは良かったが、今日は手ぬぐいが見つからなかった。
ちょっとお行儀が悪いが、前身頃で手を拭う。
厠を出て、井戸を見る。
さっきは急いでいたから気にならなかったが、少し井戸の蓋がずれているのに気がついた。
まだ明るいから、何も出ないよなと自分に言い聞かせつつ、いそいそと座敷に戻る。
座敷に着くと、蒼竜様が来ていた。
私は、
「これは蒼竜様。
今いるということは、田中先輩の名付けが終わったのですか?」
と声を掛けた。
蒼竜様は、
「山上か。
いや、まだ終わってはおらぬ。」
と返事をする。私は、
「それでしたら、明日来るものと思っておりましたが・・・。
何か、聞きたいことが出来たので?」
と確認すると、蒼竜様も、
「うむ。
そのつもりではあったのだが、どうも神社が静かでな。
何か知らぬかと聞きに来たのだ。」
と説明した。
私は、
「静か・・・、ですか。
それは、清川様達に聞いてみないと分かりませんね。」
と言うと、蒼竜様も、
「うむ。」
と頷く。
暫くして、清川様と古川様が戻ってきた。
清川様は、
「蒼竜か。
何用じゃ?」
と聞いてきた。蒼竜様は、
「何やら、神社のほうが静かでして。
何か、ご存じないかと。」
と尋ねると、清川様は、
「それであれば、今日は赤口じゃ。
明日に備えておるのではないかの。
おそらく、早朝から再開じゃろうからな。」
と話す。蒼竜様は、
「それにしても、人の気配もなく。」
と説明した。
清川様は、
「そうじゃの・・・。
集中するために、人払いの術でもしておるのやもしれぬな。」
と説明したものの、自信はなさそうだ。
蒼竜様は、
「なるほど。
それでしたらよいのですが・・・。」
と心配事があるようだ。
私は、
「何か、思い当たることでもあるのですか?」
と聞くと、蒼竜様は、
「いや。
人払いの術というのは、初めて聞いたのでな。
騒ぎ立ててすまなかった。」
と答えた。蒼竜様にも、知らないことはあるようだ。
蒼竜様は、
「では、明日また参る。
そろそろ、降り始めそうであったからな。」
と言い残して帰っていった。
夕食を食べ終わった後、佳央様の部屋に移動する。
外を見ると、静かに雨が振っている。
私は、ついに降り始めたかと思いながら廊下を歩いた。
部屋について、私は佳央様と更科さんに、
「すみません。
今日の巫女の修行で、これが終わった後、どんな事に役に立つのかという話が出まして。
でも、私はこれというのを思いつきませんでした。
何か、出来そうな事はありますか?」
と質問をした。
佳央様は、
「さぁ。」
とあまり相手にする気もないようだ。
更科さんも、
「そうね。
ちょっと考えてみるわね。」
とは言ったのだが、すぐに、
「ちょっとご免なさいね。」
と言って立ち上がる。
私はどうしたのだろうと思い、
「何か用事ですか?」
と聞くと、更科さんは、
「ええ。」
と言ったものの、何をしに行くか答えず部屋を出ていってしまった。
一体何の用事だろう?
私はそう思ったのだが、佳央様から、
「和人、聞いちゃいけない用事もあるでしょ?」
と言われて、用足しに行くのだと気が付いた。
私はバツが悪くて、
「すみません。」
と謝ったのだが、佳央様がため息を一つついた。
私が謝るべき相手は佳央さまではなく、更科さんだからだろう。
だが、戻ってきた時にその話をするのは野暮というもの。
この話は終わりとなる。
暫くして更科さんが戻ってくると、
「荷物を受け取る時、簡単なお祓いもするっていうのはどう?」
と聞いてきた。
厠のついでで、考えてくれていたようだ。
私は嬉しくて、
「ありがとうございます。」
とお礼を言ってから、
「荷物にケチが付かないようにですか?」
と質問をした。
更科さんは、
「そっちじゃなくて、出す人の方よ。」
と訂正する。
荷物を出す人の解呪?
私は不思議に思い、
「そんなに呪われている人なんて、いないと思いますが。」
と返事をしたのだが、更科さんから、
「呪われていなくても、地鎮祭とかやるじゃない?
あれと同じよ。
仮に本当に呪われてたら、解呪すればいいのよ。
もし無理そうなら、片手間じゃ無理そうだからと言って、本職に解呪してもらうように説明すればいいんだしね。」
と言われた。
確かに、呪われていなくても地鎮祭はやるものだ。
呪いを掛けられていると分かれば解けばいいし、無理そうなら他に投げるというのも分かる。
だが、疑問が残る。
私は、
「それで仕事は取れるのでしょうか?」
と聞いたのだが、更科さんは、
「竜の里はともかく、普通の町で呪いなんて分からないじゃない?
だから、喜ばれるし、仕事も取れると思うの。」
と答えた。私はやはり納得がいかず、
「本当に、上手く行くでしょうか?」
と質問する。更科さんは、
「どうして?」
と聞いてきたので、私は、
「ほら、あれですよ。
雰囲気だけ出して、『呪いじゃ』だの『祟りじゃ』だのと騒ぐお婆さん。
本当に見えてるかどうかも、謎じゃないですか。」
と指摘する。更科さんは、
「あぁ、たまにいるわね。
実家にも、遠慮になってた時に来たらしいわよ。
『祟りじゃ!』とか『この家は呪われておる!』とか言って騒いだせいで、役人に捕まったらしいけど。」
と苦笑いする。
私はそんな事があったのかと思いながら、
「それですよ。
私も、そういう類の人と同列に並べられては、かないませんから。」
と説明した。
更科さんも納得したようで、
「そうね。」
と返す。
私は、
「他に、何か妙案があるといいのですが・・・。」
と首を捻る。更科さんも、
「すぐには、思いつかないわね。」
と困ったようだ。私は、
「やはり、そうですよね。
一晩寝たらいい案が出てくるかもしれませんし、今日はこのくらいにしましょうか。
もし、良さそうな案が思い浮かんだら、教えてくださいね。」
とお願いして、今日はもう寝ることにしたのだった。
作中、山上くんが前身頃で濡れた手を拭うという話があります。この前身頃は、着物の前側の布地を指します。
おっさんが学生の頃、旅館か何かで浴衣を着てトイレに行った時、タオルがなかったか何かの理由で山上くんと同じ事をしたような覚えがあります。あまり大きな声では言えませんが・・・。(^^;)
・長着
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%95%B7%E7%9D%80&oldid=84108336
※江戸時代の頃、単に着物と言った場合は長着を指していたと思われます。
この話に則り、本作でも山上くんが着ていた着物も長着を想定しています。
・おはしょり
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