薄い
焼き物を食べ終わった所で、次に小さな吸い物が出てきた。
具は、葱のみ。
更科さんが、
「これは、すすぎ汁ね。」
と言った。葱だけの吸い物のことをすすぎ汁というのだろう。
私はどんな味だろうかと期待しながら、一口のんだ。
──薄い。
下手に薄く味がついているせいで、尚さら物足りなさを感じる。いっそのこと白湯でも飲んだ方がましではないだろうかとさえ、思えてくる。
周りを見ると、普通に飲んでいる。
更科さんに、
「これはちょっと薄いですね。」
と言ったのだが、更科さんから、
「すすぎ汁はそう言うものよ。」
と返ってきた。
私は、
「そうなのですか。
でも、何でまたこんな薄いのを出す事になったのでしょうか。」
と文句がてら質問したのだが、更科さんも、
「何でんだろうね。
そう言うものだと教わったから、考えても見なかったわ。」
と一緒に首を捻った。私は雫様に、
「ご存知ありませんか?」
と聞いてみたのだが、雫様は、
「いや、知らんな。
けど、別の言い方で箸洗い言うぐらいだし、焼き物の脂でも落とすんが目的かな。」
と推測を交えて説明してくれた。
私は、もっと詳しく聞きたいと思ったので大月様を見たのだが、目を逸らされてしまった。
ならばと、蒼竜様の方を見たのだが、同じく目を逸らされてしまった。
仕方がないので私も、
「そう言うものですか。」
と納得したことにした。
すすぎ汁を飲んだ後、次の膳とお銚子が出てきた。
お皿には、二枚の蓮根に何かを挟み込んで不思議な皮に包まれた物と、焼き茄子が乗っている。
お銚子は、何故か人数分ある。
更科さんが、
「八寸ね。」
と説明する。私は、
「八寸ですか?」
と聞くと、雫様が、
「そや。
皿の大きさが八寸だからね。」
と説明してくれた。
なるほど、そのくらいの大きさだ。
大月様が、
「では、もう一献。」
と言って、お銚子を私に渡す。
私は、
「はい。」
と言って、更科さんにお酒を注いでお銚子も渡そうとした。
だが、更科さんは、
「えっと・・・。
三献目は、」
と言った所で、大月様から、
「その習慣はないぞ?」
と割って入ってきた。
更科さんが、
「千鳥はしないのですか?」
と聞くと、大月様から、
「うむ。
そもそも竜人は飲む量が多いゆえ、三献目は盃に注いだ後、お銚子もそのまま置いていくのだ。」
と説明した。千鳥は何なのかなど、色々と分からない言葉があるのだが、止める間もなく二人の会話が進んでいく。
更科さんは、
「では、お流れは?」
と確認すると大月様は、
「そうであった。
全員の酒が行き渡った後、自分の盃を持って全員を回り、1杯注いでもらっては飲んでいくのだ。」
と説明した。更科さんは、
「懐紙で拭いて渡したりはしないのですか?」
と念押しで確認をしたのだが、大月様は、
「うむ。
そもそも、人間は酒の席なのに酒が少ないのだ。
恐らく、下戸に合わせての習慣なのであろうが、竜人には不要であるからな。」
と説明した。
清川様が澄ました顔で、
「下戸でなくとも、酒乱はおるがの。」
と言った。古川様が、
「清川様・・・。」
と苦笑する。
私は、
「庄内様はさておき、お銚子を配ればよいのですね。」
と言って、自分のすべき行動を確認した。
大月様が、
「うむ。
やってみよ。」
と促す。
私は更科さんにお銚子を渡すと、新たなお調子を持って清川様の所に行き、お酒を注いでお銚子も渡していく。こうして私は、全員に順次酒を注いでいった。
一通り酒を注ぎ終わり、盃を持って更科さんの所まで移動する。
盃を差し出し、
「よろしくお願いします。」
と言うと、更科さんは、
「それでいいのかしら。」
と言って、首を傾げ、
「大月様。
普通ですと『お流れを』と言いますが、この場合はどの様に言っていただくのでしょうか?」
と確認した。
すると大月様は、
「小生等にはこちらが普通なのであるが、『宜しければ頂戴を』と言って、酒を注いでもらったら世間話をするのだ。
時間は掛かるが、形だけの盃の交換なんぞより、この方が誠の交流となろう。」
と返した。私は、
「では、早速。
宜しければ、一献頂戴を。」
と言って盃を差し出す。
更科さんが、
「宜しければ頂戴をよ。」
と言い直したのだが、大月様は、
「いや、良いぞ。
そもそも、これから一緒に飲んでもらうための口上なのだ。
嫌味な意を込めておらぬなら言葉など、自由に申しても問題あるまい。」
と説明した。雫様が、
「目上も目下も無く、『宜しければ頂戴を』と言うのも頭悪いやろ。」
と笑った。私は、
「なるほど、その通りですね。」
と相槌を打ち、
「人間の作法のほうが、竜人の作法よりも厳しいのでしょうか?」
と質問すると、大月様は、
「うむ。
何が目的かを重視する竜人と、どの様な形かを重視する人間との違いかもしれぬな。」
と同意した。赤竜帝が、
「とは言え、我々も随分と形に囚われてきておる。
昔こうやったから、今回もこうやるべきだと言うのは、元来は違うのだがな。」
と神妙な面持ちだ。清川様が、
「どこも似たようなものじゃ。
過去の完全な模倣は、一から考えるよりも楽じゃしな。
それが繰り返されると、伝統だの仕来りだのというものに成り果ててゆくわけじゃが、たまに訳の分からぬものもある。
どこの里じゃったか。
壇上で話し始める時は、必ず咳払いをせねばならぬと言われた時には、変な作法もあるものじゃと笑ったものよ。」
とにこやかに言った。赤竜帝が、
「壇に登る時は必ず右足からという作法も聞いたことがある。
はっきり言って、無意味だと思うのだが、儀式と言われてはやらざるをえぬ。
本当に迷惑なことよ。」
と苦笑いする。
私は名付けの時を思い出し、
「右、左、右、止まれの歩き方も、無意味ですよね。」
と言うと、大月様が、
「右、左、右、揃えだな。」
と訂正する。赤竜帝は、
「長年の儀式における仕来りだと言われれば、なかなか変えることも出来ぬからな。」
と苦笑いした。清川様も、
「うむ。」
と同意し、
「歩き方と言えば、一歩進む度に五体投地という所もあったのじゃ。
無駄な時間じゃから止めいと思うても、向こうも最大限敬意を払っての事ゆえ、なかなか指摘も出来ぬ。
本当に、厄介なことよ。」
と苦笑いした。
突然、清川様がポンと膝を叩く。
私はどうしたのだろうと思って清川様の顔を見ると、清川様は、
「そうじゃ。
一献であったな。」
と言って私を呼び寄せ、銚子から盃に酒を注いでくれた。
大月様の方を見ると、
「先程も説明したが、目的は交流である。
ゆえに、それもまた問題あるまい。」
と言った。更科さんだけ、なんだか不服そうだ。
私は、
「佳織、所変わればというやつでしょうから、気にしなくても大丈夫ですよ。
それに、私としては佳織が色々と教えてくれるのも大変有り難いと感じています。
これからも、よろしくお願いしますね。」
と声を掛けると、更科さんは、
「うん。」
と言って、少しだけ機嫌を直してくれたようだった。
作中、山上くんは勘違いしていますが「すすぎ汁」は焼き物を頂いた後に出てくる吸い物の事です。
ただし、現代では焼き物と吸い物の間に「預け鉢」だの「進肴」だのと呼ばれるものが間に入るのが一般的なのだそうです。本作では一汁三菜に合わせるため、省略しました。
あと、二枚の蓮根に何かを挟み込んで不思議な皮に包まれた料理は、真薯の蓮根挟み揚げです。
真薯は江戸時代にはレシピがあったようで、料理通にも出ているそうです。もっとも、これを蓮根で挟んで揚げたものが江戸時代に存在したかまでは不明ですが。(--;)
ただ、江戸より後世と思われますが、海老真薯のはさみ揚げは(冷凍食品にもありますが)美味しいですよね。(^^)
・懐石
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・真薯
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