四献目が始まり
最初の部屋に戻ると、またお膳が出てきた。
上には、つるつるとした何かが乗っている。
更科さんが、
「四献目は蒲鉾かぁ。」
と言った。私は、
「蒲鉾というのは?」
と聞くと、更科さんは、
「詳しくは知らないけど、魚の身をすりつぶして蒸した料理だったと思うわ。」
と説明した。
私は、
「そうなのですか。
美味しそうですね。」
と感想を言うと、更科さんも、
「うん。」
と頷いた。
盃を回し始めると、奥の襖が開く。
三味線を持った女の人と、鼓を携えた男の人がいる。
大月様が、
「何もないのも寂しかろうと言うことで、こちらの芸者に来てもらったゆえ、楽しむように。」
とにこやかに言うと、赤竜帝が、
「楽しむ事を強要してどうする。」
と苦笑いした。
大月様が赤竜帝に、
「申し訳ありません。」
と謝った後、私に、
「山上。
ここから先は一献の後、お囃子やら能やらで楽しむ事となる。
これが趣向を変え何度も続くこととなる。
今回は、予算の都合上これだけだがな。」
と説明した。私は、
「お気遣い、ありがとうございます。」
と言うと、赤竜帝は、
「なに。
清川や古川も来ているのだ。
気にするな。」
と言った。
巫女様の関係者をだしに使って、この席の予算を捻出したのだろうか?
何となく、後から問題にならないかと不安が過る。
太鼓持ちの男の人が、
「まぁまぁ。
細かいことを言っても始まりませぬゆえ、楽しく参りませうか。」
と言って鼓を鳴らし、それに合わせるように芸子さんが三味線を弾いて歌い始めた。
私は演奏の邪魔にならないように小声で、
「上手いものですね。」
と褒めると、更科さんも、
「ええ。
鶴亀かしら。
声が違うわね。」
と満足そうだ。私は、
「つるかめというのは?」
と聞くと、更科さんは、
「知らない?
長唄よ。
伸びやかで、本当にいい声よね。」
と聞き惚れているようだ。私は、
「すみません。
つるかめは知りませんでしたが、聞き入りたくなるいい声なのはよく分かります。」
と返した。更科さんが、
「うん。」
と頷きながら歌を聞いていた。
歌が途切れ、三味線だけになる
私は、
「もう、終わりですか。
それにしても、良い声でしたね。」
と早速更科さんに感想を話したのだが、更科さんから、
「しっ!
まだ続くのよ。」
と怒られてしまった。
聞こえてしまっていたのか、芸子さんがちらりとこちらを見る。
これは軽く気まずい。
お辞儀だけ、返した。
暫くして、歌が再開される。
一通り曲が終わった後、私は、
「素晴らしい声でしたね。」
と言うと、更科さんは、
「そうね。」
と同意したが、少し苦笑いしている。
曲の途中で終わったと思って話しかけたせいだろうか。
大月様から、
「山上が余計なことを言うから、芸子がチラッと見たであろうが。
少しは、芸事にも精通したほうが良いぞ?」
と指摘されてしまった。
太鼓持ちの男の人が、
「いえいえ。
間はどうあれ、お褒めに預かり、大変嬉しゅうございますよ。」
と言ってくれた。大月様が、
「いやいや。
そう言っていただけると助かります。」
と返した。太鼓持ちの人は、
「では、私共はこれにて。
また、別の機会がございましたら、いつでもお呼び下さい。」
と言って、襖が閉めた。
お膳が取り替えられる。
今度のお膳には、南瓜と蓮根が何かに包まれたものが乗っている。
独特の香ばしい匂いがする。
私は、
「この料理は余り見かけませんね。」
と言うと、更科さんが、
「天麩羅ね。
この香りは、ごま油で揚げたみたいね。」
と説明した。私は、
「油ですか。
これは高級品ですね。」
と言うと、更科さんも、
「ええ。」
と頷いた。
大月様が、
「では、山上。
五献目である。」
と言うと、盃が渡され、お酒が注がれる。
私は、三回口にすると、盃を更科さんに回した。
更科さんが、
「そろそろ、〆の挨拶考えた?」
と聞いてきた。私はすっかり忘れていたので、顔面蒼白になって、
「いえ。」
と答えた。更科さんが、
「多い時は7献どころか9献までやることもあるそうだけど、今日は何献までやるのかしらね。」
と言った。私は大月様に、
「すみません。
本日は何献までやるのでしょうか?」
と聞くと、大月様は、
「これが最後である。
なにせ、予算も限られるゆえな。」
と苦笑いした。
古川様が、
「これ、大月。
客の前でそのような事を言うは、些か配慮が足りぬのではないか?
もう少し、濁すなり婉曲にするなりあろうが。」
と困った顔をした。赤竜帝が、
「これは、失礼した。
もう一席準備してあるから、おふた方にはそちらにも参加して機嫌を直していただけないか?
そこにも、呑みたらぬ者もいるからな。」
と言った。飲みたらないというのは、田中先輩をさしての言のようだ。
田中先輩が、
「あぁ。
確かに酒は上等だとは思うが、量がな。」
と苦笑いする。
大月様が、
「山上も来るがよかろう。」
と言ったのだが、私は、
「いえ、ただでさえ、〆の挨拶が思いつかず四苦八苦していますのに、これ以上は勘弁して下さい。」
と遠慮する旨を言った。しかし古川様が、
「主賓がおらねば、口実が無くなるであろうが。
寝てても良いから、来るが礼儀というものじゃぞ?」
と言われてしまった。私は、
「本当に寝ているだけでいいのでしたら・・・。」
と言ったのだが、大月様から、
「参加するからには、寝てよい筈があるまい。」
と怒られ、私は、
「そうですよね。」
と苦笑いで返す。
盃が横山様まで巡りきる。
私はどうせ次もあるのならと思い、
「という事で、皆様。
本日は私の疑いが晴れたという事でお祝いに集まっていただき、ありがとうございました。
長く話しても興ざめでしょうから、これを持って〆の挨拶とさせていただきます。」
と特に指示もなかったが、勝手にこの席の〆の挨拶をした。
大月様が、
「山上。
そういうズルは駄目だと言ったではないか。」
と呆れたようだが、古川様が、
「よいよい。
寧ろ、話が短うて助かるというものじゃ。
気にせずともよかろう。」
と楽しそうに言った。赤竜帝も、
「必要な話は全部詰まっておったではないか。
初めての挨拶としては、上々だろう。
尤も、この手が使えるのは今回限りかもしれぬがな。」
と楽しそうに言った。
大月様が、
「赤竜帝もそう仰るなら・・・。」
と渋々だが、了承してくれたようだ。
大月様が、
「では、ご足路をお掛けするがこれから次の店に移っていただきます。」
と言って襖を引いた。
こうして私達は、1軒目の待宵を出て、次の店に案内したのだった。
作中、更科さんは四献目の蒲鉾を魚の身をすりつぶして蒸した料理と言っていますが、昔は白身魚の身に塩を加えて練って蒸したそうです。現在はデンプンだの卵白だの色々入れて美味しくなるように工夫されています。
また、五献目の南瓜と蓮根が何かに包まれたものは天麩羅となります。天麩羅は、今は全国どこでも食べられていますが、江戸の郷土料理になるそうです。
もう一つ、南瓜は冬至に食べるイメージがありますが、実は夏の野菜となります。冬至に南瓜をスーパーで買うとトンガ産とか南半球の産地になっているのは、日本が冬なら南半球は夏だからです。
では、昔の人はどうやって冬至に南瓜を食べていたのでしょうか。
南瓜は収穫後、1週間から1ヶ月ほど風通しの良い涼しい所で追熟させると甘みが増します。その後、品種にもよりますが、そのまま数カ月間保存が出来ます。ですので、晩生の品種を秋に収穫すれば、冬至に食べる事もできたという訳です。
とは言え、江戸時代の頃は冬至に南瓜を食べる習慣はなく、明治からという話なのだそうですが。。。
あと、作中でも話が出てきましたが、一献の間に笛や太鼓などでのお囃子や能をやったりなどもしたそうです。今回は長唄としました。
長唄は三味線で音階を付けて歌う「歌いもの」と言われるジャンルの一つで、その中に鶴亀という歌もあったのだそうです。ただ、本作は異世界という扱いなので、向こうの世界にも似た曲があるという事で宜しくお願いします。(^^;)
・蒲鉾
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・天ぷら
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・カボチャ
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・長唄
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・鶴亀
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