金100両
私達は、料理が出た部屋から一旦出て、別の部屋に移動した。
この部屋では休憩をするそうで、この後、また部屋に戻って飲むらしい。
私は大月様の顔色をうかがうように、
「すみません。
不躾なお願いで申し訳ありませんが・・・。」
と切り出した。大月様が、
「どうした?」
と確認する。
私は、
「先程、手を付けていなかったお料理をですね・・・。
その、・・・折にしてもらう事は出来ますでしょうか?」
と尋ねた。
もし、帰りに折に詰めて持ち帰ることが出来るなら料理が無駄にならない。
だが、大月様は、
「正式な宴で、そのような事をして良い筈がなかろう。」
と呆れていた。しかし清川様が、
「そうかえ?
折角作ったと言うに箸が付かなんだというのは、料理が気に入らなんだと店側は考えよう。
場合によっては、詫びを入れたいなどと言ってくるやもしれぬじゃろう。
が、折箱に詰めて欲しいと言えば、それは家に食べさせたい者がおるから手を付けなんだという事になる。
店が気を悪くする理由もあるまい。」
と折に詰めてもらうことに同意してくれた。古川様が、
「そうじゃな。
それでも、下の者がおれば見栄えも悪かろう。
山上が人里で言うは、竜人格を貶める事になりかねん。
じゃが、ここは竜の里。
皆竜人格であれば、問題もなかろう。」
と言った。蒼竜様が、
「うむ。
それに、山上は先日竜人格になったばかり。
問題にはなるまい。」
と付け加えた。
どうやら、大月様以外は折に詰めてもらっても良いのではないかと考えているようだ。
私は、
「なるほど。
つまり、目下の者がいるなら持ち帰らないのが礼儀、そうでないなら持って帰ってもよいということですね。
ただ、礼儀では腹は膨れませんが・・・。」
と言うと、田中先輩も、
「礼儀がどうかはともかく、こっそり調理場に行って詰めるよう頼めばいいだろう。
料理の代金は払っているんだからな。」
としたり顔だ。だが、大月様が、
「店の品格というのものがあろう。
客に言われたからと言って、一度下げたものを詰める真似は出来まい。」
と苦笑いした。だが、古川様が、
「この座敷には、これだけの人物が揃っておるのじゃ。
よほど肝が座っておらねば、嫌とは言えまいよ。」
と言って、部屋を見回した。
赤竜帝が、
「古川よ。
それでは、山上が虎の威を狩る何とやらではないか。」
と苦笑いすると、古川様が、
「明らかに親しいのじゃ。
本人が望んでなかろうとも、そうなるじゃろう。」
と当たり前のように言った。田中先輩が、
「まぁ、そう捉える奴らがいても不思議ではないな。
俺でさえ、人里で蒼竜の知り合いだからと言われる事がある。
が、それを受けるにせよ断るにせよ、そこから先は当人次第じゃないか?」
と言って、私の顔を見てきた。私は、
「そうなのですか?」
と聞くと、田中先輩は、
「今、お前の親が焼けた家を建てなおしてるだろ?
千代ばあさんが、
『大工が安く請け負ってるように見えたか、らちょいと探りを入れたんだよ。
そしたら、大宮の殿様が自分の懐から金を出して、裏から手を回したみたいでね。』
とか言ってたぞ。」
と困った顔をして話した。蒼竜様が、
「ん?
それはいかぬな。」
と言って、思案顔になった。
雫様が、
「一応、ここは祝いの席ですよ。
後にしたら?」
と注意する。蒼竜様が、気まずそうな顔に変わる。
大月様が、
「その、千代ばあさんというのは何者なのだ?」
と質問する。
私は、
「会社の集荷場で、いつもご飯を炊きに来てくれる人です。」
と簡単に説明すると、大月様は、
「いやいや。
大宮の殿様というからには、大名なのであろう?
なにゆえ、そのような者の動向を知っておるのだ。
普通、そんな飯炊き女はおるまい。」
と怪訝な顔つきだ。
田中先輩が、
「そんな事を言ってたら、俺だってポーターだが、そこらの魔法師より使えるぞ?」
と得意げだ。大月様は、
「確かにそうだが、そんな奴がゴロゴロいてはたまらぬ。」
と渋い顔だ。赤竜帝が、
「まぁ、そのような事は些事であろう。
特に珍しいことでもあるまい?」
と話した。蒼竜様も、
「うむ。
それに、公金ではないのだろう?
大宮のが自分の懐から出す分には、表向き問題はあるまい。」
と話した。田中先輩が、
「その筈だ。
が、中抜きが酷いそうでな。
殿様は金100両という事は銀なら5貫分を出したはずだが、大工の棟梁には銀1貫しか届いていないらしいぞ。」
と苦笑いした。蒼竜様が、
「それは酷いな。
誰が、間に入ったのだ?」
と聞いたのだが、田中先輩は、
「俺は概要しか聞いてないからな。
気になるなら、直接聞きに行ったらどうだ?」
と返事をした。私は、
「それでも銀で1貫もいただけたのなら助かります。」
と言うと、大月様は、
「本来は、何某かの見返りを求めるものだ。
安易に『助かります』など言うものではない。」
と怒られた。
私は、
「そうなのですか?」
と聞くと、蒼竜様が、
「うむ。
あの時、助けてやっただろうと言われれば、仕方なく動かざるを得なくなることもあろう。」
と返した。私は興味本位で、
「例えば、どのような事が考えられますか?」
と聞くと、田中先輩が、
「それなら、少し違うかもしれないが分かりやすい話があるぞ。」
と言って話を始めた。
田中先輩は、
「昔、もう20年以上も前か。
当時、ケチな先輩がいたんだがな。
ある日、
『人付き合いの練習だ。
今日は奢ってやるから、明日、お前が奢れ。」
と言って飲み屋に連れていかれた事があったんだがな。
一緒に仕事をする事もあるし、練習と言われては断る理由もないだろ?
俺は、
『分かりました。』
と言って、ついて行ったんだ。
その日は、何事もなく楽しく飲んだぞ?
が、翌日が悪い。」
と渋い顔をした。私は、
「二日酔いですか?」
と合いの手を入れたのだが、田中先輩は、
「いや、二日酔いなんかじゃないぞ。」
と面倒臭そうに言った後、
「その先輩は、
『人付き合いの練習だといったろ?
昨日奢ってやったんだから、今日は軽く奢れよ?』
と言ってきてな。
それ自体はいいんだが、昨日行った店よりもいい店に連れて行った上に、倍以上呑みやがったんだ。
先輩だし前日奢ってもらった手前、嫌とも言えなくてな。
約束した手前、仕方ないから渋々払ったんだ。」
と言いながら笑った。既に笑い話という事なのだろう。
私は、
「それはもう、その先輩とは縁切りですね。」
と笑いながら返すと、田中先輩は、
「仕事で一緒になるから、飲みに行ったんだ。
そういう訳にも行かないだろ。」
と眉を顰めて言った後、田中先輩は、
「変に貸しを作ろうとする連中には、裏があるという話だ。」
と説明した。そして、
「まぁ、俺はその後、その先輩と割り勘でしこたま飲んでやってな。
あっちはケチだからな。
それ以来、誘ってこなくなったぞ。」
と付け加える。
田中先輩は一拍おき、
「山上。
もし、大宮の殿様から変な要求があったらどうする?」
と聞いてきた。私は、
「それは、金100両も出してくれたのでしたら、出来るだけ応えたいとは思いますが・・・。」
と話して、ようやく蒼竜様の懸念の意味が分かった。
更科さんが、
「だまで出したんでしょ?
知らぬ存ぜぬでいいじゃない。」
と澄ました顔で言ってきた。
それは流石に、図々しくないだろうか。
私は、
「ですが・・・、」
と反論しようとしたのだが、古川様が声を被せて、
「それが一番じゃ。
勝手にやった事にいちいち応えておっては、こっちが堪えるじゃろうが。」
と同意した。横山さんがクスリと笑う。
蒼竜様は、
「うむ。
何か言ってくる連中もおろうが、無視するがよかろう。
しつこいようなら、里に訴えるのも手立ての一つだ。
その時はよいな?」
と諭すように言った。
私は納得は行かなかったが、
「ありがとうございます。
その時はそうさせていただきます。」
と返した。
大月様が、
「少し休憩が長くなったな。
そろそろ向こうも整っておろうから、戻るとするか。」
と言って襖を開けた。
こうして私達は宴の続きをするべく、部屋を移動したのだった。
作中、山上くんが言っている『折』とか『折箱』というは薄い木の板で作った弁当箱みたいなものです。現在は紙製や発泡スチロール製などが多く、接合部分は糊付けされているそうですが、江戸時代の頃は竹の釘を使って留めていたのだそうです。
(接合にホッチキスを使っている折箱も見かけた気がします)
昔から飲食店で家に持ち帰るために折詰めにして土産にする習慣があったわけですが、今は食品衛生に対する考え方が厳しくなったのもあってか、詰めてくれる店も少なくなっていると思われます。
(最初からお弁当として売っている場合は別ですが)
昨今の食品ロス問題軽減のためにも、もう少し折り詰めの習慣が復活してもいいのではないかなと思います。
・折箱
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