表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
279/680

揚屋に戻っている束(つか)の間に

 行灯(あんどん)の光だけが頼りの揚屋の中、私は不知火様が勘違いしていないことを祈りながら、再びの呼び出しを待っていた。

 隣の揚屋からトントンと壁を叩く音がした。

 私は壁に寄っていき、


「何でしょうか?」


と不機嫌に答えた。

 すると隣の揚屋からは知らない女の声で、


「あんたが、『踊りの』ってのかい?」


と聞いてきた。私はてっきり雫様の妹だろうと思っていたので少し驚き、


「どちら様でしょうか。」


と小声で確認した。隣の揚屋の知らない声の主は、


「名乗るほどの(もん)じゃないよ。」


と返事をした。

 私は、名乗れない人ならと思い、黙って壁を離れた。

 だが、隣の揚屋からはお構いなしに声がする。


「大した話じゃないんだがね?

 あんたが戸赤(とあか)()ったのかい?」


──戸赤(とあか)


 私の知り合いに、戸赤(とあか)という人はいない(はず)だ。

 そもそも私は、誰も()った事はない。


 下手に関わり合いにならないように、黙っていることにした。

 隣の揚屋から、


戸赤(とあか)だよ。

 戸赤(とあか)

 知らないとは言わせないよ?

 (あたい)は、さっき、確かに牢役人から聞いたんだからね!」


と少し声が大きい。

 さっきという事は、私が拷問部屋で取り調べを受けている(あいだ)の話だろうか。

 周りの人が慌てて、


「静かにおし!」


と注意されているのが聞こえた。雫様の妹だ。

 雫様の妹が、


「話してやんないのかい?」


と聞いてきた。私は渋々壁の方に戻り、小声で、


「すみません。

 どなたか存じませんが、私は戸赤(とあか)様という名を聞いた覚えがありません。」


と謝った。すると雫様の妹は、


「そうなのかい?

 だが、確かに牢役人が、威嚇(いかく)でふらつかせて一撃だったらしいと言っていたよ?」


と確認してきた。


 ・・・身に覚えがある。


 私は、


焔太(えんた)様のことですか?

 それなら、よく覚えています。

 確か赤井様を尊敬していて、真似(まね)て竜の姿で戦う竜人様ですよね?」


と思い出したことを話した。すると雫様の妹は、


「ん?

 あぁ、そうだよ。

 しかし、珍しいね。

 あんた、名前は知っていても、苗字は知らなかったのかい。」


と明らかに向こうで苦笑いしている様子だ。

 私は、


「仕方がないじゃありませんか。

 周りの人が話している呼び方でしか覚えられませんよ。」


と言い訳をすると、雫様の妹は、


「それもまぁ、そうだね。

 あの場では焔太は下っ端だから、周りも(みんな)、目上だったろうし。」


と納得した後、


「こいつ、紅口(べにぐち) 友華(ともか)って言ってね。

 焔太(えんた)のいい人なんだよ。」


とすこしニヤついた雰囲気で話した。慌てて紅口様が、


「ちょっ!

 (なん)て説明してんだい!」


と明らかに怒り半分、照れた声で言ってきた。

 私は、


「それで、私にはどのような事を?」


と聞くと、紅口様が何か言うと思ったが、先に雫様の妹が、


「『焔太があんなに簡単にやられるはずがないよ!

  何かの間違いじゃないかい?!』

 って言ってね。」


とからかうように笑いながら説明した。紅口様が、


「ちょっ!

 (ひとみ)ちゃん、何言ってんだい!」


と少し怒った素振(そぶ)りで言う。

 雫様の妹は、どうも(ひとみ)様と言うらしい。

 私は、


「あんまり大きな声で話すと、怒られますよ?」


と注意したのだが、紅口様は、


「それはそうなんだけどね?」


と声は小さくなったが、興奮(こうふん)は収まらないようで、やや早口だ。続けて、


「あんなに頑張って稽古(けいこ)してたんだ。

 いいとこなしってわけじゃなかったんだろ?

 簡略に言っただけで、本当はもっと色々あったんだろ?」


と聞いてきた。

 牢役人は、紅口様にどのように説明したのだろうか?

 私は困ってしまい、


「簡略と言われましても・・・。」


と言い(よど)んでいると、瞳様が、


「どんな感じで戦ったか、教えてやれば良いんだよ。」


と教えてくれた。


 あの時一番大変だったのは、焔太様を河原で気絶させた後、町の門まで引きずって運んだ事だ。

 だが、それを正直に言うと、流石(さすが)に焔太様の名誉(めいよ)に関わるだろう。


 私はどのように話せば紅口様が残念に思わないか気を使いながら、


「えっと、そうですね。

 大変でしたよ。

 ・・・あの時は、私は不用意に挑発してしまいまして。

 命からがら走って逃げたのですが、どんどん焔太様に攻撃を受けまして、川の方に追い詰められました。

 後から聞いた話では、あの竜の爪が私の1寸(約3cm)横を抜けていったそうでして。

 いや、もういつ攻撃が当たって死ぬかとヒヤヒヤしましたよ。」 


と説明した。紅口様は、


「そうかい。

 それで?」


と言ってきた。私はここで話を切りたかったので、


「私は焔太様を意識しながら逃げて河原の土手に駆け上っていると、そこで偶然すっ転びまして。

 お陰で、かろうじて焔太様の爪を()けきる事が出来たのですよ。」


と説明した。紅口様が、


「へぇ。」


と合いの手を入れる。私は、


「これで、私は土手の上に倒れている状態、焔太様は私から行き過ぎて川の上に飛び出した状態となりました。

 それで焔太様は、私と向き合う為に反転して向かってきたのですが、向こうも人間相手で油断していたのだと思います。

 私は起き上がりながら全力で威嚇(いかく)をしまして。」


と説明を続けた。これで、牢役人の話とも辻褄が合う筈だ。

 だが紅口様は、


「ん?」


と声を出した。瞳様が、


「それで?」


と続きを催促(さいそく)したので、私は、


「はい。

 焔太様にも威嚇が効いたようで、空中で固まってしまって、そのまま土手に激突したのですよ。」


と説明した。紅口様は、


「その程度で、焔太は倒れたりしやしないだろ?」


と言ってきた。私は、


勿論(もちろん)です。

 それで私は駆け寄って、焔太様の頭をバシッとやって気絶させたんですよ。」


と話した。すると紅口様は、


「なるほどね。

 そんな状態で剣を頭に叩きつけられたんじゃ、気絶しても仕方ないね。」


と納得したようだった。

 だが、それは事実ではない。

 私は、


「いえ、剣ではありませんよ。」


と言った。紅口様は、


「ん?

 あぁ、(やり)(たた)きつけたのかい。」


とまた納得したようだ。だが、そう言う訳でもない。

 私が、


「槍でもありません。

 そもそも、私は槍なんて使えません。

 持っている物も、(なた)だけですし。」


と説明すると、紅口様は、


「あぁ、鉈を使ったのかい。」


と納得した。

 だが、それも違う。

 私は、


「いえ、拳骨で。」


と否定すると、紅口様が、


「あぁ、あれか。

 武闘家ってやつなんだね。

 (めずら)しいね。」


と言われた。

 だが、私は武闘家なんて荒くれ者ではない。

 慌てて、


「そんなまさか。」


と否定した。

 紅口様は、


「武闘家じゃないのに拳骨かい?」


と怪訝な声で聞いてきた。


「拳を頭に落として気絶なんてそうそう出来ないだろ。

 あぁ、比喩で何処か急所を殴って気絶させたってことだね。」


と納得したようだった。私は急所を殴った覚えはなかったのだが、


「まぁ、似たようなもので。」


と返した。

 瞳様が、


「それにしても、なかなかだね。

 冒険者でもやってんのかい?」


と聞いてきた。私は、


「はい。

 まぁ、副業ですが。」


と正直に答えた。

 余計なことを言ったことに気が付き、なんとなく、バツが悪くなる。

 紅口様は、


「・・・つまり、副業でやっている片手間で、焔太を素手で倒したって事かい?」


と聞いてきた。何となく声が怖い。

 だが改めて考えると、そういう事になるのだろうか。

 私は、


「はい。」


肯定(こうてい)した。ついでに、どうやって手に入れた力か経緯(けいい)も話そうと思ったが、これを話すのは不味(まず)いだろうと思い直し、


「えっと、・・・力については話せない事情がありまして・・・。」


(にご)した。すると紅口様は、


「・・・?

 あぁ、そういう事かい。

 まどろっこしいね。

 でも、相伝(そうでん)ってやつじゃ仕方ないね。」


と向こうで勝手に納得したようだった。

 恐らく、私が何かの秘奥義(ひおうぎ)でも会得(えとく)していると勘違いしているようだが、もうだんだんと面倒になって来たので、


「想像にお(まか)せします。」


曖昧(あいまい)に答えた。これなら、一応、嘘は付いていない。

 瞳様が、


「まぁ、踊りのなんて呼ばれてるけど、普通の人間って訳でもないみたいだし、良かったじゃないか。」


と言うと、紅口様が、


「良かないよ。

 ・・・でも、まぁ・・・。」


と何か言いかけて()めたようだった。


 暫くすると、階段から誰かが降りてくるのが分かった。

 私は、不知火様が戻ってきたのだろうと思い、金石様が揚屋まで迎えに来るのを待ったのだった。


 作中、山上くんは冒険者は副業だと言っていますが、江戸時代にも副業は存在しました。

 山上くんの出身の平村でも工芸品を作って収入を得ていましたが、これも副業の一つとなります。

 「村から見た日本史」という本によると、新潟の方ですが、天保4年(1833)の「塩沢組五八か村、他邦出入金調書上帳」の引用に基づいて米(出し米)で得た金は612両だった一方、(ちぢみ)(麻織物)で1万1000両、宿料で1300両、絹糸で510両も稼いでいたという事例が紹介されています。

 縮や絹糸は一例ですが、全国には他にも名産品と呼ばれるものが多々あります。

 江戸時代、副業で豊かな生活を送る人たちは、割といたのかもしれませんね。


・水呑百姓

 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B0%B4%E5%91%91%E7%99%BE%E5%A7%93&oldid=78522948

・農閑余業という名の新興職業

 田中圭一『村から見た日本史』筑摩書房, 2014年, 電子書籍で読んだのでページ数不明


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ