牢での晩御飯
少し下品な話が出てくるので、お食事の方は後でお願いします。
その日の夜、私がお腹を鳴らしていると、階段の方から大月様らしい声が聞こえた。
気配を探り、大月様だろうと確信する。
暫くして、金石様が美味しそうな匂いのするお重を持ってきた。
あれが、待望の晩御飯に違いない。
金石様は、
「遅くなって済まぬ。
が、今日だけは別である。
味わって食べるがよいぞ。」
と言って、お重を差し出した。
中を開けると、押し寿司、里芋や蓮根、人参、椎茸、いんげんなどの煮染め、たたき牛蒡、中に魚の卵の入った昆布巻き、牛蒡と人参の鰻巻き、黒豆の煮物。
赤の人参と緑のいんげんが鮮やかで、綺麗に並べられている。
量も十分。
私は、
「こんなに宜しいのですか?」
と聞くと、金石様は、
「無論である。
歓待のために作った料理ゆえ、どの品も残る量を拵える。
上にはまだ沢山残っておろうから、気にせずとも良いぞ。」
と説明した。私は残るほど作るというのが釈然とせず、
「その様に沢山作るのですか?」
と聞くと、金石様は、
「膳で出すなら、食べ切れる量になるのであるがな。
此度は大皿で振る舞っておる。
この場合、食べ切れぬほど振る舞うが礼儀であろうが。」
と説明した。
奥の大牢のある方から、歓声が上がる。
きっと、奥でも沢山の残り物が振る舞われているのだろう。
私は、
「奥の方も、盛り上がっていますね。」
と言うと、隣の揚屋から女性の声で、
「こっちも早くおくれよ。
お腹と背中が、くっついちまうじゃないか。」
と文句が聞こえてきた。
金石様が、
「まぁ、待て。」
と制す。それから金石様は私に、
「普段、一汁一菜であるからな。
・・・これから喧嘩が始まり、もっと煩くなるであろうよ。」
と理由を説明した。私は、
「それはどういう事ですか?」
と聞くと、金石様は、
「うむ。
悪習なのであるがな、牢名主から順にいい所を持っていくのだ。
下に行くほど、少のうなる。
さすれば、些細な量の違いであっても、揉め事の種となろう。」
と言った。早速、奥から騒ぐ声が聞こえ始めた。
金石様は、
「相撲でも始めたのであろう。」
と苦笑いしながら言う。私は、
「止めなくても宜しいので?」
と聞くと、金石様は、
「こういう憂さの晴らし方もある。
チンチロリンを始めるよりは、ましであろうよ。」
と言った。私は、
「その、チンチロリンとは?」
と聞くと、金石様は、
「まだ、チンチロリンは分からぬか。
まぁ、その方が良かろうよ。
あれに嵌まると、大金を落とすことがあるゆえな。」
とまた苦笑い。恐らく、賭け事なのだろう。
私は、
「金石様もおやりに?」
と聞くと、金石様は、
「拙者は役人なるぞ?
するわけが無かろうが。」
と呆れたように言ってきた。
私は、
「ははは・・・。
普通は、そんな事はしませんよね。」
と笑って誤魔化した。
金石様も少し笑い、
「ではな。」
と言って、次の揚屋に料理を運んでいった。
重箱の中をいただく。
先ずは、押し寿司から。
この押し寿司は、鯖の押し寿司だ。上には、透明の膜みたいなものが着いている。
一口食べると、作ってから時間が経っているせいか、仄かに酢の酸味が口に広がる。追って、鯖の旨味もやってくる。弱くなった酸味もまた、上品な味に感じる。
次に、煮染めをいただく。
どれも、よく味が染みていて美味しい。蓮根には、わざとであろう歯ごたえが残してあって、歯切れがよい。
たたき牛蒡は、普通は牛蒡を酢水で煮て、すりこ木か何かで叩いた後にすり胡麻をまぶすのだが、これはくるみを使っているようだ。
昆布巻きは、以前、更科さんの実家でもご馳走になった事があるが、魚の卵を巻いたものは初めてだ。だが、この卵の弾力と中から出る汁がまた美味しい。
牛蒡と人参の鰻巻きは、鰻の柔らかな食感と牛蒡のしっかりした歯ごたえの対比が面白い。鰻のたれの甘みも、口に運ぶ度に幸せを感じさせる。
食べている途中、ふと、明日からは一汁一菜となる事を思い出した。
たまたま全部配り終えた金石様が詰め所に戻ろうとしていたので、私は一度口の中のものを一気に全部片付け、金石様に、
「すみません。」
と声を掛ける。金石様が、
「どうした?」
と言いながら、こちらにやってきた。
私は、
「この料理ですが、少し残して明日頂いても宜しいでしょうか?」
と聞いてみた。人間、寝だめ食いだめは出来ない。残せるものなら、残しておきたい。
すると金石様は、
「いや、残すことは出来ぬ。
腐れてもいかぬであろうが。」
と呆れたように返された。
私は、
「1日、2日くらいなら、どうという事もなさそうですが・・・。」
と反論したのだが、金石様がジト目で見てきたので、
「分かりました。」
と諦める事を伝えた。
だが、例えば黒豆の煮物は、1日や2日で悪くなる事はない。
何処かに、隠す事は出来ないか?
私はそう思い、部屋を見渡した。
なんとなく、部屋の奥の樋箱が目につく。
結論は出ているが、諦めきれないので自問自答してみる。
あそこになんとか隠せないか?
だが、あの箱は用足し用だ。
我慢ができなくなったら、全滅だ。
蓋の裏になんとか隠す事は出来ないか?
用を足した後、蓋から落ちたらおしまいだ。
そうでなくとも、用を足した後、捨ててもらうために金石様に渡す事になる。
蓋を開けて見つかったら、怒られるに違いない。
食べ物が無くなるまで、金石様を呼ばなければよいのではないか?
そんな事をしても、揚屋から匂いが漏れて怒られる。
そもそも食べ物に匂いが移り、食べられたものではなくなってしまうに違いない。
出すのを我慢するのは?
いやいや、どんなに我慢しても半日と持たないだろう。
色々と考えたが、解決策はない。
仕方がないので、料理は全部いただいた。
金石様が、重箱を下げてくれる。
この後、やることもなかったので、気配を消す練習をした。
暫くして、大きい方がやってきたので、あの時、樋箱に入れなくてよかったと苦笑いする。
私は、金石様に、
「すみません。」
とひと声かけた。金石様は、
「何用だ?」
と聞いてきたので、樋箱をそっと差し出し、
「申し訳ありません。
後片付けをお願いいたします。」
と丁寧にお願いする。金石様は苦笑いしながら、
「うむ。」
と言ってそれを受け取り、処理しに行こうとした。
私は、
「申し訳ありません。」
と金石様を引き止めた。金石様が、
「他に用があるのか?」
と確認する。私は、
「その・・・、出来れば筆と紙をいただきたく。
親に出す手紙を書きたいと思いまして・・・。」
とお願いをした。すると金石様は、
「まぁ、その程度であれば問題なかろう。
明日、持って参るゆえ、それまで待たれよ。」
と言うと、樋箱を持って詰め所ではなく、牢の外に出て階段を登る音がした。
奥の大牢も静かになる。
こうなると、物音一つ聞こえない。
私は、金石様が早く戻ってこないかと、牢内をうろうろとした。
階段を降りる音がして、金石様が綺麗になった樋箱を持ってこちらにやってくる。
私は、
「ありがとうございました。」
とお礼を言うと、金石様も、
「うむ。」
と頷き、それを私に渡した後、
「今日はもう遅い。
次に呼ぶは、朝方にせよ。」
と言って、詰め所に戻っていった。
次は、朝食を持って来たときに、ついでで渡したほうが良いのだろうか?
私はそんな事を考えながら、牢屋の中、茣蓙を体に巻いて寝たのだった。
作中の金石様が、チンチロリンについて話しています。
このチンチロリンは博打の一種で、お茶碗にサイコロを3個振ってその出目で勝負を決めるお遊びです。(そう言えば『猫神やおよろず』にも出てきたっけ)
おっさんはこれを江戸時代ころに出来たと思っていたのですが、wikiによると『中国伝来のもので、第二次世界大戦後に日本国内に広く普及した模様』とのこと。
どうやらおっさん、丁半博打とこんがらがっていたようです。(^^;)
あと、このお話の前に、
1.巫女様達が歓待を受けて神社に帰る
2.お知らせの音と共に「残った料理はスタッフやその他の皆さんで美味しくいただきます」のテロップが流れる
3.残り物を更科さんが重箱に詰めて大月様に渡す
4.大月様が地下まで運んで金石様に渡す
5.金石様が牢まで運んで山上くんに渡す
という場面があったに違いない。(^^;)
もう一つ、作中の料理はおせち料理を参考にしました。
山上くんが料理名が分からなくてそのまま表現したものは、
・「中に魚の卵の入った昆布巻き」は「たらこの昆布巻き」
・「牛蒡と人参のうなぎ巻き」は「八幡巻き」
となります。
なお、「たたき牛蒡」はそのまま「たたきごぼう」です。
・チンチロリン
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%B3&oldid=75019064
・丁半
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%81%E5%8D%8A&oldid=82902415
・八幡巻
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%B7%BB&oldid=81518227
・たたきごぼう
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%8D%E3%81%94%E3%81%BC%E3%81%86&oldid=78051863