鶏肉のような味
暗い森の中、私は周囲と体温を合わせる事が出来るが、魔法は使えないと思われる謎の生き物に向かって一気に距離を詰めた。
移動と同時に、拳から背中を経由して足まで黄色魔法《身体強化》を行い、打撃を強化する。
だが、私の間合いに入る前に、相手が動いた。
はっきりとは見えないが、謎生物の胸だか顔だかが大きく膨らんだのだ。
何かを吐き出してくるのか?
私は咄嗟に右に交わして駆け抜けたが、特に何も起きなかった。
後ろから低い音で、
「グー!」
とひと鳴きした声が聞こえてくる。
腹の底に響く、低い音だ。
振り返ると、膨らんでいた所が戻っていた。
謎生物も、こちらに向き直ったようだが、尚も犬の『おすわり』のような格好。謎生物の警戒体勢か。
私は、そっと距離を詰めるべくゆっくり間合いを詰めたが、再び何かが大きく膨らんだ。
立ち止まり、いつでも避けられるように準備をする。
すると、その謎生物はまたしても、
「グー!」
と鳴いた。
あれは、鳴くための動作なのだろうか?
私は、念の為、相手に動きがないか注視しながら、じわりじわりと摺り足で近く。
謎生物の両端の温度が微かに上がる。
あれは、両足に力を入れているのか?
だとすれば、自分の間合いに入った瞬間に襲いかかるつもりなのだろう。
相手の狙いを外すため、じわり右に摺り足をする。
それに合わせ、謎生物も向きを変える。
隙が少ない。
どうすればいいのかと迷っていたのだが、突然、謎生物の中心やや上の辺りの体温が上がり、何かを飛ばしてきた。
右斜め前に出て、避ける。
謎生物が飛ばした何かが、私の左を通り過ぎる。
というか、出てきた所からずっとつながっている。
私は思わず振り返り、謎生物が吐き出した何かが飛んでいった先を確認した。すると、木の枝にくっついたようだった。
急に後ろから気配を感じたかと思うと、謎生物がこちらに飛んできた!
思わず回避。
謎生物は、木の枝の近くまで飛ぶと、そこで木の枝から吐き出したものが離れ、その木下に着地した。
伸び縮みする紐状の何かか?
そう思ったが、謎生物はこちらを振り返らない。
両端の温度が上がる。
それで気がついた。あいつ、逃げ出した!
私は巫女様たちに怒られると思い、急いで謎生物を追いかけた。
謎生物が大きく跳ねて逃げる。私は追う。
それを何度か繰り返して、私はようやく相手の正体に気がついた。
あまりに大きくてすぐに気づけなかったが、あの跳び方は蛙だ。蛙は長い舌を出して蠅なんかを食べるとも聞くので、間違いないだろう。蛙なら鶏肉のような味で美味しいのでありがたい。
だが、蛙の中には蝦蟇のように毒を持つものもいるから、侮ってはいけない。
私は、どう攻めたらいいか迷っていた。
不用意に近づいて、毒を食らったら大変だからだ。
庄内様から、
「そのくらい、とっとと仕留めぬか!」
と野次が飛ぶ。庄内様は、私の近くを余裕そうに並走している。私が蛙を捕まえる様子を見に来たようだ。私は野次にイラッとしながらも、黙って蛙を追った。
今までの獲物は、私に向かってきたものがほとんどだった。だが、今回の獲物は私から逃げている。
この逃げられるというのは、ものすごく厄介だ。
向こうは、山の登り下りも凸凹道も物ともしない。ピョンピョンと跳ねて逃げていく。こっちは坂を登ったり降りたり、はたまた岩場を避けたりしながら走る。
私の武器は、特にない。いつも通り殴るしかない。が、殴るとなれば、毒が気になる。いつまでも追い回しているだけでは、埒が明かない。確か、蝦蟇なら背中から毒を出した筈だ。腹側ではない。
私はようやく攻め方を決め、前に回り込んで殴ることにした。
だが、私が決心した所で、相手が止まってくれるわけもない。
相変わらず、私は蛙を追い回すことになった。
地理が分かれば、回り込むなりやりようもあるはずだ。が、私はこの辺りの山は初めてだ。
何か手立てはないか?
私は追いかけながら考えていたのだが、横から庄内様が、
「早うせい。
あぁ、もうじれったい。」
と言ってきた。私は庄内様に文句を言ってやろうと思ったのだが、庄内様は急に私の真後ろに位置を変えたかと思うと、
「行ってこい!」
と言うや、私の尻を蹴飛ばしてきた。
思わず、
「ぐぅゎっ!」
と変な声が出る。庄内様から、
「なんじゃ!」
と笑われた。今度こそ文句を言おうと思ったのだが、突然、蛙が止まった。
ネチャッ!
私は勢いのまま、急に止まった蛙の背中に突っ込んでしまった。
口の中にも粘液が入り、悪寒が走る。
私は、毒かも知れないと思い、一生懸命、口の中の唾を吐き出した。
すぐ横で、蛙がひと鳴き。
私はイラッときて、
「お前のせいだろうが!」
と言って、拳骨を落とした。
庄内様が、
「おう、ようやく仕留めおったか。」
と喜んだ声が聞こえたが、私はそれどころではない。
とにかく、水で洗い綺麗にしたい。
私は泣きたいのを堪え、
「そんなのはどうでもいいので、水を下さい!」
と早口でお願いした。すると、庄内様は、
「よかろう。
褒美じゃ。
器はどこじゃ?」
と言っきた。私は、
「体に!
洗いたいのです!」
と返した。庄内様は、
「?
まぁ、よかろう。」
と言って、私に向かって水を掛けてくれた。
私は服が濡れるのも気にせず、とにかく出してくれている水を浴びながら、口の中を濯いだ。
暫くして古川様が来ると、
「そち等、走ったのう。」
と呆れたように言ってきた。私は、
「それより、蛙の毒が!」
と訴えると、古川様は、
「ん?
あの蛙は、毒などあらぬ。
心配せずとも良いぞ?
水を飲んでいたのではなかったのか?」
と言ってきた。私は、要らぬ心配をしていたことに気が付き、顔が紅潮するのが分かった。庄内様からも、
「なんじゃ。
そんな事であれば、聞けば答えてやったのに。」
と知っていたようだ。だが、竜人は大丈夫だが、人間には毒ということもある。
私は、少しは安心したのだが、庄内様に、
「いえ、人には毒だったかも知れませんので。
いずれにせよ、庄内様。
本当にありがとうございました。」
と言い訳けとお礼を言って水を出すのを止めてもらった。
庄内様が、
「うむ。
では、早速〆るがよかろう。」
と言った。私は大きく深呼吸してから、
「はい。」
と返事をして、穴を掘り始めた。
だが、庄内様から、
「ん?
何を掘って折るのじゃ?」
と聞かれた。私は内蔵を埋める穴だと説明しようと思ったのだが、先に古川様が、
「馬鹿者が。
血抜きをした後、そのままに出来ぬであろうが。
土に埋めるが、作法というものじゃ。」
と答えた。庄内様がキョトンとしながら、
「そういうものかえ?
であっても、魔法で掘ればよかろうに。
そちなら、一発であろう?」
と言ってきた。古川様が、
「妾も、前から思っておったのじゃ。
少し深う意識して、草と同じ様に抜いてみよ。」
と言ってきた。私はそんな事が出来るのだろうかと思いながら、
「そうなのですか?
ちょっと試してみますね。」
と言って、巫女様の指示通りに試してみた。
すると、少し重い感じはしたが、割と簡単に5寸ほど穴が掘れてしまった。巫女様も、思っていたなら早く言って欲しいものだ。
古川様が、
「どうじゃ?」
と聞いてきた。今は暗いので温度で見ていてよく判らないが、きっと、ドヤ顔に違いない。
私は、
「ありがとうございます。
これなら、すぐに掘れそうです。」
と言って、何度かに分けて、3〜4尺ほどの深さの穴を掘った。
私は解体の道具を古川様から借り、早速、蛙を足から木に吊るし上げた。
先ずは頭を落とて、重さ魔法で血抜きをする。次に、お腹にまっすぐ刃物を入れて皮だけ切る。切れ目から手を入れると、簡単に皮を剥がすことが出来た。今回の蛙は大きいので上手くいくか心配だったが、普通の蛙と同じでよかった。足の皮も、綺麗に剥げた。
蛙の皮は、確か財布か何かになった筈なので、取っておく。
次に、お腹に深目に刃を入れて、内蔵を破かないように丁寧に取り出す。
その後、機嫌のいい庄内様に消える方の水を出してもらい、蛙を丁寧に内も外も水洗いした。
思ったよりも水が消えなかったので、重さ魔法で水分を下に落としてしまう。
蛙に【回復】の魔法を使ってもらい、肉を柔らかくする。
普通の蛙であれば骨ごと焼いたり煮たりするのだが、この大きさでは少し無理がある。肉は切り分けて、持って帰ることにする。
近くで熊笹を探すが、先に山芋のむかごが見つかった。本当は土に埋まっている山芋を掘り出したいのだが、時間がかかると思ったのでむかごだけ取ることにした。その後、熊笹も見つかる。
蛙を吊った所まで戻った私は、骨から肉を削いで近くの熊笹に包んだ。
庄内様が、
「ご苦労。
この大きさであれば、今日明日は持つであろう。」
と言って、ご満悦だった。
私も、
「どうぞ。
では、いつものようにひと包みの肉と素材は私達がいただきますので、残りはお収めください。」
と言うと、庄内様は、
「ん?
全部、寄越さぬか。」
と言ってきた。私は、
「いえ、それでは私も怒られます。
古川様からも、お願いできませんか?」
と言ったのだが、古川様は、
「えっと・・・、何を・・・言えば?」
と、巫女様の憑依が解けたようだった。
今までは、常識のある巫女様や古川様が相手だった。だが、どうも今の庄内様はそれがわからないらしい。だからといって、古川様にとって庄内様は上役に当たる。それは駄目だとは、強く言えないだろう。
だが、私も引くわけには行かない。
ここで肉を入手しなければ、更科さんから後で何を言われるか分かったものではない。
私は、
「ひと包みだけでも持ち帰りませんと、私は佳織・・・妻から怒られます。
申し訳ありませんが、こればかりは庄内様でも、譲るわけには参りません。」
と言って拒否した。庄内様が、
「ふむ。
では、あれだけ水を出してやったのだ。
その肉だけで済むのなら、安いものであろう?」
と不機嫌に言ってきた。古川様が、
「それは、・・・理不尽かと。」
と言ってくれたのだが、庄内様は、
「そう言えば、そちは山上がお気に入りであったな。
であれば、払うかえ?」
と言ってきた。いくらなんでも、それは酷い。
私は、
「古川様は、関係がありませんよね?」
と言ったのだが、古川様は、
「いえ、・・・その・・・、身内の恥ですので・・・。」
とはっきり言った。庄内様が、
「そちは、どっちの味方なのじゃ。」
と古川様に圧をかけた。だが、庄内様は恥と言われるようなことを言っているのだから、味方も何もない。
流石に古川様も文句を言うだろうと思ったのだが、古川様は、
「申し訳・・・、ありません。」
と謝った。私は、
「それは、筋が通らないのではありませんか?」
と庄内様に文句をつけたのだが、古川様から、
「酔っぱらいの・・・、言う事・・・です・・・から。」
と言ってきた。上司の庄内様よりも、古川様のほうが大人な対応に思えてきた。そう言えば、竜人は年齢不詳だ。実は、古川様のほうが年上ということはないかと思った。
突然、古川様が、
「まだ、そこか。
とっとと片付けて、戻って来ぬか。」
と言った。また、巫女様が古川様に憑依したようだ。私は、
「庄内様が、肉を全部よこせと言いまして。」
と簡単に説明すると、古川様は、
「そのような事じゃったのか?
庄内よ。
1包みくらい、くれてやらぬか。」
と呆れたようだった。庄内様は慌てて、
「申し訳ありません。」
と言って謝り、巫女様の言う事には素直に従ってくれた。
巫女様が出てきてくれたお陰で、無事、私は蛙肉を持って天幕に戻る事が出来た。
それにしても、あの一時憑依が解けたのは何だったのだろうか。
私は少し不思議に思いながら、寝袋に入ったのだった。
作中、蝦蟇が登場しますが、これはガマガエル(ヒキガエル)の事です。
江戸時代、傷薬として売られた「ガマの油」が有名ですが、あのガマです。
ところでガマの油は、ガマの油売りの口上によると、鏡の前にガマガエルを置いてたらりと流れ出た油を集めたものだそうですが、実際には鏡の前にガマガエルを置いても油は取れないそうです。このため、どういった製法や成分だったのかは、今となっては不明なのだとか。
そう言えば、おっさんが小さい頃、時代劇でガマの油売の実演販売で「1枚が2枚、2枚が4枚・・・」と言いながら紙を刀で切っていくシーンがあったのですが、それを鋏で真似したのを思い出します。(^^;)
あと、作中、古川様は庄内様よりも年上ではないかという疑惑が出ていますが、庄内様が132歳、古川様は26歳なので、庄内様のほうが年上の設定です。酒のせいなので、あしからず。
もうひとつ、蝦蟇が止まったのは、山上くんが出した「ぐぅゎっ!」という変な声が蝦蟇には求愛の鳴き声に聞こえたからという設定があったりします。
・ガマの油
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