酒さえ飲まねば
その日の晩の事。
私は寝る前に草むらで用を足し、天幕に戻ろうとしていた。
すると、なにやら近くから見知った声が聞こえて来る。
「明日こそは、蛇肉以外を食べるのじゃ!
これから狩りじゃ。
ついて参れ!」
「その・・・、仕来りに・・・抵触・・・。」
私は気配を殺し、声がした方にゆっくり近づいた。草の陰に隠れながら、そっと覗いてみる。
庄内様と古川様が話をしている。
どうやら、狩りに行こうとする庄内様を古川様が止めようとしているようだ。
私は例によって、【温度色判定】で様子を見たのだが、何となく庄内様の体温が高い気がする。
私は嫌な予感がしたので見なかったふりをして、そっとこの場を離れようとした。
だが突然、古川様が私の方に振り返ると、
「そこ、逃げるでないわ。
二人に協力するが良いぞ。」
と話しかけてきた。
私は、名前も呼ばれていないので自分じゃないと思う事にして、この場から逃げようとしたのだが、庄内様が、
「これは、巫女様。
そこに誰かいるのですか?」
と確認した。すると古川様が、
「うむ。
山上。
ここに出ることを許すぞ。」
と名指しされてしまった。仕方がないので、
「これは、古川様。
何か御用でしょうか。」
と言って古川様達の前に出た。
古川様は、
「うむ。
山上なら、重畳。」
と言ってきた。私は言葉の意味が分からなくて、
「ちょうじょうと言いますのは?」
と聞いたのだが、構わず古川様は、
「うむ。
他の者よりも、美味いゆえな。」
と答えた。庄内様と私は思わず声を合わせて、
「上手い?」「美味い?」
と聞き返した。
古川様は、
「そち、重さ魔法で素早く血を抜くであろう?
あれが良い。
臭みが少なくなるのじゃ。」
と理由を説明した。私は、
「あれは、単に早く血抜きをしただけだったのですが・・・。」
と言ったのだが、古川様は、
「理由など良い。
結果、美味いのじゃからな。」
と言った後、にんまりして、
「では早速、付いてくるが良いぞ。」
と言って山の方に向かって歩き出した。
私は、もうこの状況は慣れっこなので、古川様の後を追って歩いた。
庄内様も付いてくる。
私は、
「今夜は、庄内様も一緒ですか。」
と聞くと、庄内様は、
「もっと若いほうが好みかえ?」
と言って変化した。さっきまでは40歳位の上品な感じのおば様だった筈だが、皺が消え、目つきが何となく優しくなった気がした。魔法で見るのを止めると、よく見えないものの17〜18といった感じだろうか。若くていきいきとした雰囲気に変わっていた。
私は思わず、
「その様な姿にもなれたのですか。」
と聞くと、庄内様は、
「まぁの。
昔はよく、この様な姿になって男を誑かしたものよ。
いつも、よく道作りに励んでおるし、狩りがなければ、試してやっても良いのじゃがの?」
と腕を組んできた。私はドギマギしながら、
「巫女様・・・、失礼。
古川様の前で、その様な事を。」
と失言しつつも返すと、庄内様は、
「巫女様から、誘っても乗ってこぬと言われておっての。」
と言ってきた。どうやら、単にからかわれているだけのようだ。
私は、
「だからといって、腕まで組まなくとも。
普段の庄内様からは考えられませんが、ひょっとして、どなたかが憑依なさっているのですか?」
と聞くと、古川様が、
「そうではない。
今夜は、少々、酒が入っておるのじゃ。
素は、こんな感じよ。」
と言った。庄内様の体温が少し高いのは、どうやら酒が原因らしい。
私は古川様に、
「酒を飲む度にこれでは、素の古川様も、苦労なさっていそうですね。」
と話すと、庄内様は、
「妾が指導しているのじゃぞ?
迷惑な訳があるものか。
そもそも、久しぶりの酒じゃしの。」
と割って入った。が、しかし古川様は、
「本人は、そう思うておるようなのじゃがの。」
と言って、何かを思い出したようで少し間を置き、
「酒さえ飲まねば、今頃は巫女であろうに・・・。」
と苦笑いした。私は、
「庄内様は、酒で失敗を?」
と聞くと、庄内様は動揺し、
「それは、若気の至りゆえ!
巫女様といえど、ここから先の話は平に!」
と謝ったのだが、古川様は、
「こっちとしては、早う片付いてほしいのじゃがの?」
と非肉を言ったようだった。巫女様としては、庄内様は十分に力もあるので、早く巫女になってもらいたいという事なのだろうか。
続けて古川様は、
「あの後、まともな巫女も育てられぬと、散々言われたからのう。
とばっちりは坂倉じゃ。
本来ならば、百を超えればどこぞの神社から話があってもよいのじゃがな。」
と言って、庄内様の頭をポカリとやった。
庄内様は、
「もう、30年も前のことにありませぬか。
それに、あの時はちょっと呑み切りでお神酒にする樽を空けただけです。
そのネタだけで、何度も頭を叩かないでください。」
と、言葉尻も変わってきた。当時の口調が戻っているのだろうか?
私は飲みきりの意味も分からなかったが、一樽と言うからには尋常な量ではない酒を飲んだのだろうという事くらいは想像できる。が、30年はかなり長い。
私は、
「30年は、流石に巫女・・・、いえ、古川様も、大人気がないのではありませんか?」
と言ったのだが、古川様は、
「普通なら、そうであろうよ。
じゃが、あの件で神社側からこっぴどく怒られての。
ゆえに、もう二度と酒は飲まぬと約束させたのじゃ。
が、こやつ、さっきの言い草もそうじゃが、全く反省しておらぬ。
しかも、約束したにもかかわらず、たまにこっそり飲みおるのじゃ。
それも、1度や2度ではないのじゃぞ?
それでも、まだ塩らしくしておればよい。
じゃが、今日などは『肉が食べたいから狩りに行く』と飛び出す始末じゃ。」
と呆れているようだった。私は、
「そう言えば、巫女様たちは、自分の手で獣を狩ったりしてはいけなかったのでしたね。」
と言うと、古川様は、
「うむ。
そちでも分かると言うに、これじゃ。」
とまたポカリ。私は、
「それは、かなりの呑兵衛ですね。」
と思わず笑ってしまった。古川様は、
「そうなのじゃ。
巫女になった後、酒を飲んで騒ぎを起こしてもみよ。
妾が、駄目な巫女を育てたと言われるのじゃぞ?
分かるじゃろ。」
と文句を言った。私も、
「そう言うことでしたら、ポカリとやりたくもなりますよね。」
と同意した。庄内様はぐうの音も出ないと見えて、黙っている。
と、急に巫女様が止まり、庄内様と私を手で制した。
古川様が、
「ここからは、静かにの。」
と短く伝えてくる。
どうやら、今夜の獲物に近づいたようだ。
さっきから庄内様が黙ったのは、実はこれが原因だったのではないかと考え直す。なにせ、獲物に先に感づかれては、肉は手に入らない。
だが、私も気配を探ったが、それっぽいものは感じられなかった。
私よりも上手の獲物なのだろうと思い、気を引き締める。
庄内様がそっと、指で暗闇を差す。
その方向を見たが、特に何もない。
もしやと思い、視界を【温度色判定】から【魔力色鑑定】に変えてみる。
やはり、視界には何もない。
もう一つ、【闘気色鑑定】に変えると、薄っすらとだが闘気が見えた。
確かに、そこに生き物がいる。
改めて【温度色判定】で見ると、私が見落としていただけで、そこには薄っすらと違いがあるのが分かた。
ここから推察するに、周囲と体温を合わせる事の出来る、魔法の使えない生き物ということだろうか。
大きさは私の身長の半分くらいだが、幅は私の倍くらいあるので、ずんぐりむっくりした体格となる。
犬の、『おすわり』のような格好で座っているようだ。
私は一体何なのだろうかと考えていたのだが、古川様が背中を押してきた。
早く行くように、促してきたのだろう。
私は、一体何を相手にしようとしているのか分からず、若干の怖さも感じていたのだが、闘気がそれほどない事から、それほど強くはないのだろうと信じて、そのまま飛び出し、一気に距離を詰めたのだった。
話を割ったので、中途半端ですみません。
作中、「呑み切り」という言葉が出てきます。
これは、酒の貯蔵タンクの中からちょっとだけ酒を取り出して、酒の成熟度や劣化がないかなどを点検することを言います。勿論、普通の呑み切りで樽が空になったりはしません。
ちなみに、庄内様が飲んでしまったお酒は、庄内様が巫女になる儀式で使うお神酒のお酒でした。
あと、次回、獲物を捌くシーンが出てくるので、嫌いな方はごめんなさい。
・呑み切り
新潟清酒検定試験 公式テキストブック 初版第3刷 P.157 呑み切り
・神酒
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A5%9E%E9%85%92&oldid=80885363