洞穴に住んでいたのは
夜の森は、暗い。
空に月は出ておらず、星明りさえも木々が半分くらい遮ってしまうからだ。
そんな中、私は【温度色判定】を使って、巫女様に憑依された清川様の後ろを付いて歩いていた。
気配を小さくして、動物たちに気取られないように細心の注意を払って歩いてゆく。
暫く歩くと、清川様が腕を横に出して止まった。私も、その場に立ち止まる。
清川様が少し先の木までそっと歩くと、その木の陰に隠れるようにして、向こう側を静かに覗く。
木の向こうに、何かいるのだろうか?
私も清川様が見ていた方を、木で隠れるようにそっと覗く。
すると、そこには洞穴があった。
そういえば、猪の親子が暮らしていたのも、あんな感じの洞穴だったか。
私は、さっき逃げた角猪がいるのではないかと思いながら、洞穴の中が見える木の裏側まで静かに移動した。巫女様もついてくる。
私は、洞穴の中をそっと覗いた。
あれは、何だ?
角猪とは違う体温の低さ、体は長く、縄のよう。
しかも大きい。
・・・大蛇か!
角猪なんて、軽く丸呑みしてしまいそうだ。
私は清川様に、
「あれは駄目でしょう。
信仰の対象とかじゃありませんか?
神殺しとか呼ばれるのは、嫌ですからね!」
と小声で抗議した。しかし巫女様は、
「喋ってしもうたから、気づかれたであろうが。」
と早口で言うと、
「あれは悪食で、先日も湖月村の子供を喰ろうたようじゃ。
ほれ、行ってこい。」
と説明を足して、私の背中を叩くというか、突き飛ばされた。
洞穴の前に出てしまう。
背中がジンジンする。
同時に、大蛇も洞穴からズザザと顔を出し、私を見下ろしてきた。
先日の狼よりも、こっちの方が余程主じゃないか?
まさに、蛇に睨まれた蛙はこういう気持ちに違いない。
私はそう思いながら、後ろに下がろうとした。
が、嫌な予感がする。
一歩でも下がろうものなら、即座に殺られる!
直感的に、そう感じるのだ。
シャーっと音が聞こえると同時に、頭の上から重圧がのしかかる。
大蛇が威嚇してきたのだ。
私も【黒竜の威嚇】で対抗する。
ビリっと大気が震える。
暫く、両者での睨み合いとなる。
力は未知数だがかなり強そうだ。きっと先に動いた方が殺られるに違いない。もっとも、こちらから先に動こうにも、大蛇の頭は私の頭上にある。私の拳骨が届く筈もない。
黄色魔法を集め、両腕から背中を通して両足に這わせる。
死の恐怖で、額に汗が滲む。
「和人?」
突然、見知った声がして、均衡が崩れる。
蛇が牙をむき出しに、突進してきた。
速い!
私はかろうじて大蛇の上顎に生えている大牙を避けると、体制が整わないまま、とにかく何かを右手で掴んで頭にしがみついた。
少しぬるっとしたが、しっかりと指が食い込んだようで、何かを掴む事に成功。だが、蛇がのたうちまわろうとするので、何処を付かんでいるのか確認が出来ない。
が、とにかく飛ばされまいと、私は掴んだ手に力を込めた。
更に、蛇の動きが激しくなる。大蛇は木の横を掠め、枝が私の体にも当たる。激痛とともに、盛大に枝が折れる音がする。
次に大蛇は大きく反転し、体が振り飛ばされそうになる。何とか、右手に力を込め、振り飛ばされないようになんとか耐える。
今度は、蛇が木を登ろうとする。お陰で、大蛇にしがみつくことに成功する。今度は、両足も掛けることが出来た。
これなら行ける!
私はそう思うと、両足に力を入れ、左腕も使ってなるべく体を固定して右手を離し、振りかぶって思いっきり拳骨を叩き込んだ。
蛇が反転、木を滑るように降りていく。
もう一回、しっかりと右手を掴もうとするが、さっきまで握っていた所がない。
振り落とされる!
そう思った私は、蛇にしがみついた。
また、蛇は木を掠めるように進む。さっきよりも木に近いところを、鱗が傷つくのも厭わず枝に体を擦り付けていく。まるで、私というこびりついた汚れを落とそうとしているかのようだ。蛇がグリッと木に押し付けるように動き、背中から脇腹にかけ、激痛が走る。
徐々に、力が入らなくなってくる。
蛇はまた、ぐるりと反転して振り払おうとする。
私は両足に力を込め、降り飛ばされまいと粘る。
急に蛇が止まる。そしてまた急に動き出したかと思うと、ピタリと止まる。私はこの隙にと右手を離して振りかぶる。突然、蛇が体を震わせてくる。それでも私は、思いっきり蛇の頭めがけて拳骨を降りおろした。
拳が当たると同時に、蛇は体を震わせながら急に動き出す。
振動で左手が滑り、そのまま地面に叩きつけられるように落下する。
私は思わず、
「ゲヘッ!」
と声を出してのたうち回った。
「和人!」
声がしたのは、大蛇が向かった先だ!
私は、ありったけの思いを込め、
「佳織!」
と叫びながら【黒竜の威嚇】を発動させ、這うように更科さんの方に向かおうとしたのだが、そこで急激に力が抜けてそのまま頭が真っ暗になった。
「・・・和人!和人!」
必死に呼びかける声に、私は意識を引き戻された。
更科さんの声だ。
何があったのか・・・、直ぐに思い出せない。
「佳織?」
そう呼ぶと、更科さんは無言で私の頭をぎゅと抱きかかえてきた。
意識がはっきりとしてくるとともに、脇腹に少しだけ痛みがあることに気がついた。
そう言えば、私は大蛇と戦っていたはずだ。
あの時は必死だったが、枝にぶつけられた時に痛んだところだ。ひょっとしたら、肋がいくつか折れたのかもしれない。これはきっと、巫女様が【回復】を使ってくれたのだろう。
私は、
「こうしているということは、大蛇に殺られずに済んだのですね。」
と安堵しながら確認した。すると更科さんは、
「うん。
皆無事よ。」
と教えてくれた。私は、
「それで、大蛇は?」
と聞くと更科さんは、
「多分、最後の威嚇が効いてるんだと思うけど、まだ伸びてるわよ。」
と教えてくれた。私は、
「では、止めは?」
と聞くと、更科さんは、
「佳央様や、そこのお付の人も皆伸びちゃったから、まだよ。」
と言った。私は、まだ痛む体を無理やり起こし、大蛇の位置を確認すると、重さ魔法で背骨を折った。
どうしようもない疲れで一気に眠くなる。
私は、
「すみません。
暫く寝ますので、佳央様たちを起こしてください。」
とお願いして、そのまま目を瞑って寝た。
次に目を開けると、白みかけた空が見えた。
私は慌てて朝ご飯を作ろうと思ったのだが、そもそも起きてすぐ空が見えること自体がおかしい。
それで私は、昨晩大蛇と戦って大怪我を負ったことを思い出した。
だが、今は体は重いものの、ほとんど体に痛みを感じない。この場に【回復】の魔法を使える人がいなかったら、私は今ごろお陀仏だったに違いないと思うと、ゾッとする。
周りを見ると、大蛇がまだ横たわっていたが、頭の方を見ると佳央様が重さ魔法で血抜きをしていた。
更科さんは地面にそのまま寝ているようだ。
私は重い体を起こすと、佳央様のところまで行き、
「おはようございます。
ひょっとして、夜中血抜きをしていたのですか?」
と聞いた。佳央様は、
「ええ。
和人も伸びてたし。」
と言ったが口調が何となく冷たい。
私は、
「昨夜は威嚇した時に、一緒に気絶させてしまったそうで、すみませんでした。」
と謝った。すると佳央様は、
「そうよ。
佳織が気絶してなかったから良かったけど、そうじゃなかったら今頃、狼の餌だったわよ。」
と文句を言われた。私は、
「本当に、申し訳ありません。」
と謝ると、突然清川様がやってきて、
「少し良いか?」
と質問してきた。私は佳央様を見ると、佳央様は、
「いいわよ。」
と了承した。清川様は、
「昨晩の事をさっぱり覚えておらぬ。
何があったか、聞いてもよいか?」
と言った。
それで私は、昨日の角猪と大蛇の話しをしたのだが、最後、【黒竜の威嚇】の話をしたところで、ようやく佳央様が狼の餌と言っていた事が冗談ではなかったことに気がついた。
私は清川様、佳央様、更科さんに土下座して謝った。
清川様は、
「なるほど。
まぁ、竜人の身で人ごときの威嚇に耐えられなんだ妾の不覚よ。
頭を上げよ。」
と言ってくれたので、私は清川様や佳央様に感謝した。
清川様は、
「それにしても、山上の威嚇は大したものじゃ。
・・・ん?
という事はあれか。
山上の威嚇には、祓う力もあるやも知れぬという事か。」
と言って考え込んだ後、
「竜の里には、一月かニ月、逗留することとなろう。
行事のない間は、少し暇となる。
巫女の修行でも受けてみぬか?
【名付け】と【祓い】が使えるようになろう。
奥方も神聖魔法が使えるのであれば、ついでにの。」
と誘われた。
私は巫女の修行を男の私が受けてもいいのかと思いつつも、ありがたい話ではあったので、
「そんなに簡単に、よろしいので?」
と確認した。すると佳央様が、
「竜人なら、【名付け】と【祓い】の修行は巫女様達から受けられるのよ。
蒼竜様も、昔受けたんだと思うわ。
確か、名付けが出来たでしょ?」
と話に入ってきた。清川様が、
「まぁ、そう言うことじゃ。」
と言った。私は、
「そう言うことでしたら、是非と言いたいところですが、私の教育係は大月様でして。
勝手に決めるわけにもいきませんので、暫く待っていただいても宜しいでしょうか。
天幕に戻ったら聞いてみようと思います。。」
と言って、この話は保留にさせてもらった。
その後も、血抜きや解体の作業が続く。
結局、一通り血抜きが終わり、解体も一段落した頃には、既に辰の刻を過ぎていた。
大きすぎる大蛇の肉や素材は、佳央様が魔法でどこかに仕舞ってくれたので、無事天幕まで持ち帰ることが出来た。
大月様が、
「遅かったが、無事で何より。
先程、巫女様たちから今日は午後から作業を始めたので良いと通達が来ておる。
ゆっくり食事と、あと骨休めもするが良かろう。」
と言った。
私は、朝食抜きで作業とならなくてよかったと思いながら、朝食の準備に取り掛かったのだった。
作中、山上くんが掴んだ所は選りに選って大蛇の右目の際の所となります。
大蛇も痛くて這いずり回りたくもなるというものでしょう。
あと、山上くんは巫女修行について大月様に聞くのを忘れています。




